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50 件のコメント:

ひまわり さんのコメント...

みきちさんとmotoさんの議論を受けて

疑問に思ったことをいくつか

放火事件の後、「親密な関係であることを隠すために」疎遠になった、このことを成瀬は棚田の会話で理解してますよね?

①フェリーで話しかけた
②四阿に誘った

この①②の成瀬の行動って、「親密な関係を隠す」ことが軽視されてると思うんです。

つまり、行動を起こした時点で、成瀬の中では「もはや関係を隠す必要もない、できることなら放火事件前のような関係に戻りたい」だと思うんです。

しかも、①の後に高野から怪訝そうな視線で見られてるにも関わらず、②を実行してます。

奨学金と同じように、放火事件についても希美に伝える覚悟は、①②を実行した時点で成瀬にあったと思います。しかし、放火事件は真実がまだ分かりません。夏恵さんを庇って…も考えにくいですが、四阿で言うのを躊躇う理由くらいにはなったでしょうか。

あと、奨学金についてはしっかり謝罪していますが、現代で放火事件について真実を話す成瀬からは、希美に謝罪の言葉はありません。motoさんのお考えだと、相当な罪悪感ありそうですけど、現代で真実を話す成瀬にはあまり感じられないんです。ここはどんな解釈でしょう?

長くなるので、放火事件に関して成瀬が希美に罪悪感を感じていたのかどうか、に対して疑問に思ったことです。


motoさん さんのコメント...

ひまわりさんへ、
結婚式及びその後についての成瀬の意志はひまわりさんのお考えと同じように、成瀬が杉下と以前の関係を取り戻すためのアプローチだととっています。
成瀬の側にはもはや護るべきものは無いからです。父親はすでに他界しましたから。仮に蒸し返されてもその点については痛く無い。
ですが杉下の感情は別です。彼には杉下の自分に対する感情を利用したという罪悪感がある。これは上手く処理しないと杉下との関係をぶっ壊しかねない。
奨学金については、二次会の会話の中で既に話が出てしまいましたので、フォローする必要があった。だから四阿で謝った。杉下は平静を装っていましたが、それでも大分動揺してましたよね。右手の親指で左手の親指をかく癖が出ていた。これは杉下の嘘をつく時の癖です。成瀬はその癖を知らないけれど、杉下が動揺しているのは判ったはずです。ですので成瀬は杉下へ事件の真相を話すのは時間を掛けて、と考えたと思います。だって彼は杉下が好きで仕方ないのですから。それが元で彼女に嫌われたら、元も子もない。

そして現代編で成瀬が謝っていない部分ですが、この作品の隠された真のテーマと関係しているととっています。
この作品、よくよく観察すると事件に関して誰も何も謝っていないんです。幾つも謝るべき関係が有るのに。事件に関して謝るべき関係は以下の通りです。

さざなみ
周平→成瀬(さざなみを自分が放火した事。容疑を成瀬に引き受けさせたこと)
周平→夏恵(放火犯が自分である事を隠蔽させた事)
成瀬→杉下(杉下の自分の感情を利用して、杉下の偽証に乗ったこと。それを杉下に隠したこと)
夏恵→高野(真犯人が周平である事を高野に隠蔽した事)

スカイローズガーデン
杉下→西崎(西崎を切り捨て、服役させる事になった事)
西崎→杉下(秘密を背負わせた事)
西崎→成瀬(成瀬を事件に巻き込んだ事)
成瀬→西崎(西崎を切り捨て、服役させる事になった事)
安藤→杉下(密室を造り事件にしてしまった事)
安藤→西崎(密室を造り事件にしてしまった事、西崎を服役させる事になった事)
安藤→成瀬(密室を造り事件にしてしまった事)

この関係の中で、唯一謝罪の言葉があったのが夏恵→高野の関係についてだけです。

ここに製作者の意図を感じませんか?
このドラマの一番のミステリーはここなんです。このドラマでは真のテーマそのものが意図的に隠蔽されている。
謝罪に対応するものはなにか?それは赦しですよね。
このドラマの真の隠されたテーマは『罪と赦し』なんです。

これが隠蔽されているからこそ、プロポーズの際さざなみの真相について成瀬は杉下に謝罪の言葉を使っていないんですね。西崎は杉下に『ありがとう』といい、杉下も『似たような事』といっています。これは実は相互の謝罪の意味です。
私がこれに気付いたのは安藤の行動です。安藤は事件の真相が知りたい、といって三人を訪ねます。でも安藤が事件の真相を聴くには条件があり、それは相手から自分が赦されないと事件の真相は語られないのです。だから彼は事件の真相が知りたい、という事を口実に三人から赦して貰いたくて、三人を訪ねたんだという事に気付きました。

ひまわり さんのコメント...

うーん、罪と赦しがテーマの一つであることは同意です。

ただ、西崎は手紙で希美に謝ってます。チラッとしか写らないですが、償っても償いきれない、そう西崎は事件を振り返ってます。

病気である希美を知り、50万円包んだ際の手紙です。希美に伝えたい思いが綴られているわけですし、母親や奈央子への償いだとしたら、意味があった10年、という言葉にはならないと思います。西崎が刑務所で償っても償いきれなかった罪は、希美に対する罪だと思います。それを受けて、串若丸での安藤との会話で、事件がなかったら杉下は幸せになってたんじゃないかと思うと胸が痛む、が出てくると思います。

なので、テーマが赦しだから成瀬が罪悪感を感じていても謝らなかったというのは、少し難しいような…

事件に関してみれば、おそらく言葉で謝っているのは

夏恵→高野
西崎→希美
希美→成瀬
(西崎→父親)

だけですが、物語のテーマが罪と赦しであれば、忘れちゃいけない早苗ママもしっかり謝ってますし。謝っているところもあるし、ないところもあるだと…ごめんなさい、私の中ではスッキリしないです。


こっからは論理的でも何でもないでふ。スルーして下さいm(_ _)m

作戦を初めて聞いた日の成瀬。この時希美の西崎への愛を知り、ショックは受けたんでしょうか。西崎には別の思い人がいるから、受けてないのかな。

帰り際の成瀬があまりにも穏やかな表情なんで、ついさっき失恋した人には見えんとです。これは全くの私の主観です。でも、motoさんのお説に一番違和感を感じるんはここなんです。失恋してもあの表情、もし腸煮えくり返ってるなら、成瀬くん…笑顔が不気味だよー。さらに、密室作った安藤が希美のNだと知って希美と決別するんですよね。成瀬くんって…結構ダークなんかしらΣ( ̄。 ̄ノ)ノ



motoさん さんのコメント...


ひまわりさん、
私が挙げた関係はあくまで事件の直接的関係者間だけに絞ってあげています。
ですので、杉下のトラウマ関係(親)については挙げませんでした。

西崎→杉下については、確かに手紙の文面として“ごめんなさい”が出てましたね。そこは同意です。でも会話には出ていないし、杉下も西崎に言っていない。
確かにここをどうとるか?は議論があると思います。事件の真相が明かされる前から、ごめんなさい描画を入れるとある意味ネタ晴らしになってしまう側面がありますからね。

ですが、事件の真相が全て明かされた後にも、やはり成瀬は杉下にごめんなさい、を言っていないし、安藤も成瀬に言っていない。だからやはり隠されている、というのが私の見方です。それをトリックの手段とみるか隠されたテーマと観るか、という議論はあるかもしれません。でも、これをテーマと観ると八話以降の現代編の全てのシーン(直接的な事件関係者以外も含む 西崎→父親、杉下→母親)がこの「罪(の謝罪)と赦し」で一貫しているんですよ。そう考えると、杉下が西崎を拒絶したスナップのシーンとその後の電話でのわかれ、西崎の安藤訪問時の態度と串若丸への呼び出しなど、素直に理解できるんです。

ひまわりさんの挙げた関係で「杉下→成瀬」はどこを指しています?
もしかして事件当時、ブランケットを受け取った後の『成瀬くん、ごめん』かな?

最後の部分は成瀬の二重誤解説についてですね?
なぜ、西崎への誤解と安藤に対する誤解で成瀬の反応が違うのか?という部分を言われていますね?
いえいえ、結構ですよ。重要なポイントだと思います。やっぱひまわりさん、頭切れるね(笑)

ここの部分を開設すると、簡単に言えば成瀬の中で杉下の行動を『愛という名の合理化』として理解できるかどうかだと思っています。また成瀬から観たときの杉下―西崎の関係と杉下―安藤の関係の差も影響しています。

まず杉下―西崎についてですが、西崎の気持ちは杉下でなく奈央子にあるのは成瀬にも明白でした。杉下の片思いです。そして西崎及び杉下の行動がいずれも『愛による合理化』であり、それについても彼の中で『愛による合理化』が成立したんです。
勿論『考える』と言った晩、杉下の『愛による合理化』に気付いた際の彼の動揺は激しかったと思いますよ。だからこそ電話でなく、メールで作戦参加を伝えてきた。でもそれを彼は杉下に対する『愛による合理化』がなったんです。杉下に対する感情(かなしみ)を『愛による合理化』で相殺した。

ですが安藤に関しては、それが成立しない。
安藤が鍵をかけた理由は成瀬に判っています。そしてそれが自分が直接的な契機となった事も。でもそれへの反応が『密室を造る』に成瀬はいかなる理由でも合理化出来ないんです。それは成瀬の大事である杉下自身も危機に貶める行為でもある。
彼にはどう考えても安藤の行為を合理化しえないところに、その合理化しえない安藤をかばう杉下を成瀬には合理化できない。合理化できない感情は何かで埋める必要がある。その何かとは、強烈な怒りだととっています。つまり杉下に対する感情(かなしみ)を『怒り』で相殺した。

成瀬の反応の差は上記で説明出来ると考えています。
※心理に関する描写になるので、言葉足らずがないか心配です。

ひまわり さんのコメント...

希美→成瀬はブランケットのとこですね、ここのごめんは事件全体ではないから、無関係ですかね?


成瀬の二重誤解説は、やはり自分の考えとは違うなぁという印象ですが、テーマは「罪と赦し」であること、先ほど読んだ杉下の愛の構造についてもほぼ同感です。

「罪と赦し」と同じくらい大きなテーマとして、「愛」があると思います。みきちさんの問いの時にも触れましたが、私は「心でする愛と頭でする愛」が対比されて描かれ、その相互作用で起きる愚かさが共感を呼ぶんだなぁと思いました。

なのでmotoさんの言葉をお借りすると、成瀬や希美の中でされている、「愛による合理化」は、私の場合「頭でする愛」で、解釈も似ています。そして、motoさんの安藤が絡んだときの成瀬の感情は、「心でする愛」なんです。

「心でする愛」の部分は、きっとmotoさんや桃さんのように自分の経験を通して見る部分だと思います。だから論理的に説明するのは難しい。同じ場面であっても違う捉え方になったりして、見ている人それぞれに別の物語ができるんでしょうね。

希美は成瀬と安藤に対して恋愛と一言ではくくれないけど、心と頭の両方で愛を示していると思います。その根拠は自分の中にあるんです。ただ西崎のために、希美の頭はあっても、心が動いて起こした行動がないんですよね

だからかな、希美が西崎に恋しているようには見えない(笑)motoさんが西崎説をとる根拠になった場面とかありますか?

motoさん さんのコメント...

ひまわりさん、
事件時の『成瀬くん、ごめん』は勿論繋がっているんですが、私が謝罪していない、の中には入っていません。私が想定しているのは現代編での行為、事件から十年を経て、物語の総括としての謝罪、という意味です。この『ごめん』は事件の最中での発言なので、その範疇には入れませんでした。
ですが、この『ごめん』は『甘えられん』と繋がっていると取っていますので、非常に重視しています。

各キャラクターの心理については、仰る通り非常に個人的経験に依存する部分ですので、評価は難しいですね。その解釈自体が各個人の『合理化』に依存するからです。これはここで議論を始めて気づいたのですが、ここのレベルの判断は正しいとか間違っているとかでは無くて、それぞれの個人の見え方を擦り合わせて、それぞれの見え方を参考に自分の理解を深める、修正する、クリアにする、というアプローチが正しいんだと思います。

西崎についてですが、少し長くなります。
西崎の前に製作者が何をこのドラマで狙ったか考えたんです。要素は二つ。成瀬が放火犯で無かった事とパトカーでの杉下の成瀬への言葉が『何にだってなれるよ』。これが明かされたのは九話ですね。これが明かされた時、どう思いましたか?ちょっとガッカリしたでしょ?えっ、ちがうの?って。
これを見て、製作者は視聴者の期待を裏切る事を意図してる、と思いました。私が暴論に走っているのはこの判断です。徹底的に製作者は視聴者を欺こうとしている。そう考えると、杉下のN、及び『究極の愛』も絶対何かあると踏んだんです。そこからまず安藤の外鍵の隠蔽のトリック破りが成った。しかしよく考えるとそのトリック破りは杉下のN=西崎でも論理的に成立する。でも西崎には杉下の恋愛感情を示唆する描写は無いように見える。でもここで杉下の『究極の愛』の定義に思いをはせると…その定義は『相手にも知られず罪を共有し黙って身を引く』。
杉下がスカイローズガーデン前からこれを実行してたら?誰がその定義上一番似つかわしいか?それは西崎なんですね。これはパラドックスなんです。相手にも知られないから、当然ドラマにも描写されないんです、西崎への杉下の気持ちは。

これに気づいてドラマを見直しました。ここからが質問への回答になります。
1.西崎の不倫へのヒスです。単なるお友達の不倫に幾らトラウマがあったとしても、あそこまでのヒスを起こすか?
2.それほどトラウマがひどいなら、なぜ西崎に協力する?
3.西崎の『歪んだ場所にいると…』発言への西崎への視線の送り方
4.成瀬への『困っている時に助けてもらうと嬉しいよ』。これは評価が割れますが、西崎の困っているを自分の事としている、と見ました。
5.串若丸から西崎におんぶされて帰った描写。西崎の背中に頭を垂れてます。安藤にはない描写です。成瀬への感情を意識した時も成瀬の背中に頭を垂れました。
6.事件当日西崎への『自分の幸せも考えなよ』の際の杉下の眼の泳ぎ方

そして杉下は作戦終了後に成瀬と関係を再開させたがっていた。
これらを全てつなぎ合わせると杉下の作戦に挑む魂胆は

『西崎の奈央子救出(=人妻略奪という罪)に協力(=罪の共有)し、且つ自身の西崎に対する感情は、西崎が〝杉下の究極の愛の相手〟と思っている成瀬と自分の共同作業でカモフラージュ(相手にも知られず)した上で、作戦終了後には本気で成瀬と関係を再開させる(=西崎から黙って身を引く)』

と推理しました。
成瀬の誤解説も此処の判断から来ています。

あと、これは状況からの推測ですが、このドラマで重要な灼熱バードとその作者の西崎の存在が、ヒロインである杉下の感情、行動への影響が単に『人助け』レベルでは面白く無いだろう、という判断もあります。

ですのでわたしの暴論は、こうだったらもっとドラマってみんなの期待を裏切って面白いよね?という基準で展開しており、且つそこに理屈が成立し且つ全体と矛盾しないなら採用する、というスタンスで展開しています。だからいつもわたしの論は少数派になるんですよ(笑)

ひまわり さんのコメント...

motoさん

少数派いいじゃないですか!歴史を動かしてきた偉人の多くは、その時代の少数派ですよね(^ ^) Nの面白さ革命は少数派からですよV(^_^)V

確かに、あのタクシーのシーンは、「え?こんだけ溜めたのに、こんなことだったの?!」と言う感想でした。

もしこれが、製作者の期待を裏切る作戦なら面白いです。「期待を裏切る」路線で西崎説が面白いことも同感です。

一つ質問です。

希美は最後、成瀬を選びますよね?これも「期待を裏切る」ために、希美は本心では西崎を思いながら成瀬の元へ、なのでしょうか?それとも心から成瀬を思い成瀬の元へ、ですか?motoさんの最後の希美の心理はどのように解釈されてるか、お聞きしたいです。

あ、あと今更なんですが、motoさんやみきちさんがテーマをしっかり立てて頂いてるのに、私は自分の興味本意で別の質問しちゃってます。どんどん論点が幅広くなってしまってごめんなさいm(_ _)m
N研ルール的にまずかったら言ってくださいね、すみません。

motoさん さんのコメント...

ひまわりさんへ、
この物語を理解しようとすれば、議論があちこちへ飛ばないと語れないのです。その一点だけ見た時、如何様にも取れるように作られているから。この一点を説明するためにはあの時のあのシーンがこうだから、でもそのシーン自体がまた如何様にも取れるからさらに別のシーンを引っ張ってきて…という展開にならざるを得ない。だからそれは仕方がないんですよ。

で、杉下の感情についてですが、ここ直近では、杉下の西崎に対する感情の盛り上がりは、ごく限られた期間だととっています。確かに以前より西崎に心理的親近感を抱いていたのは間違いないし、西崎から不倫話を聞いた段階では恋愛感情一歩手前、というところでしょう。西崎の告白に心理的抵抗を感じつつ何かできることはあるだろうか?考えていた状況で成瀬が目の前に再び現れ、状況が整いつつある段階で杉下の『究極の愛』の心理システムが作動を開始した。その様を見て成瀬は機敏にも杉下の感情を先読みして、作戦への参加を決めた。それをメールで見た杉下は完全にシステムの周辺環境が整ってしまいシステムが本格稼働、逆作用として西崎への気持ちが盛り上がった、という解釈です。完全にスイッチが入ったのは、成瀬のメールを見てでしょう。だからこの時杉下は自分の心理に戸惑ったんだと見ています(西崎の問いへの回答と成瀬メールの凝視のシーン)

杉下が事件の際偽証を受け入れたのは成瀬のためです。これは杉下が偽証を受け入れた経過から間違いない。ですのでこの時杉下は西崎を究極の選択として切り捨てた。ですので以降の杉下の恋愛としての感情は一貫して成瀬です。事件後10年間を支えたのは、成瀬とのカフェオレ、Nチケット、頑張れ!エールです。野望と上昇志向はこの10年間は杉下には無かった、ととっています。ゴンドラでそれから解放され、杉下自身がそれが空っぽだった事に気付いた、という解釈です。ですが、成瀬との間の『頑張れ!』はやはり彼女の支えであり続け、且つ彼女のドライバーであり囚われであり続けた。彼女の10年は、上に行く!では無くとにかく成瀬に対する罪滅ぼし的に『頑張れ!』を念仏のように唱えた10年間だったのだろうという理解です。

ですが、罪の意識は意識すれば意識するほど深まり『頑張れ!』という倫理的行動では解消出来ない。この絶望状態をキルケゴールは『倫理的段階での絶望』と言っています。この段階での絶望が極まって次の、絶望状況としては最終段階の絶望がある。
最終段階の絶望としては、もはや全ての救済の可能性を自身の罪深さゆえに拒絶する心理としての『悪魔的絶望』と自己の救済の可能性を神の奇跡にすがる心理としての『宗教的段階での絶望』の二形態がある。杉下が陥ったのは、このうちの前者です。

なぜ成瀬の申し出を固辞したか、ですがこれは主として成瀬に対するものを中心とした自身の罪意識全般だと捉えています。
皆さんが島へ帰ることの障害を親へのトラウマと取られていますが、ここが皆さんと嚙み合わない部分です。
私はこの時の杉下をキルケゴールの絶望論でいうところの『悪魔的絶望』状況だととっています。この状況の絶望とは『自身の罪深さを自覚するが故に神の救済さえ拒絶する絶望』です。
私はこの物語はキルケゴールの実在主義哲学をモチーフにしていると思っています。ですので杉下が成瀬の申し出を固辞するのは自身のトラウマでは無く、『悪魔的絶望』故の拒絶と取っているんです。
プロポーズ以降に如何に杉下が成瀬の元に行き得るか、はキルケゴールの実在主義に依拠した、この『悪魔的絶望から宗教的段階での絶望』への遷移として解釈を与えないと、説明し得ないと思っているんです。

これを解説するには非常に長くなりますので、一旦ここで切らせてください。
このブログの初期段階でキルケゴールの実在主義に関して集中的に記述があります。参照してみてください。
又、杉下が成瀬の元に帰るまでの心理プロセスについては『魂の解放』という投稿に杉下のモノローグとして簡素に纏めたものがあります。自分で言うのも変ですが、よく纏まっていると思いますので、一読頂けると私の頭にあるものの一端がご理解頂けると思います。

ただし私は哲学の専門では無いので、浅はかな理解ですのでその辺はご容赦ください。

motoさん さんのコメント...

桃さん、
以前頂いていた質問について、答えらしきものを書かせてもらいます。
私が奈央子同様、DVを受けている人が身近にいたらどうするか?というご質問だったと思います。

まず前提として、あくまでドラマのシチュエーションに自分が置かれたら、という事を前提とさせてください。

DVを受けているのが私のマリア様だとして、自分が西崎の立場とします。かつ自分には伴侶がいない場合です。
この場合、私は彼女を救い出そうとすると思います。
もし、今の私の場合とした場合、非常に苦慮するでしょう。行動したい、という気持ちはわくでしょうか、恐らく決断できないと思われます。決断できない=行動できないと想像します。

二つめのシチュエーションです。
私のマリア様が杉下の立場とします。そして私は成瀬の立場とします。マリア様及び私ともに伴侶はいない、との仮定で、彼女が西崎に協力しようとしていた場合。
私はこの場合、西崎に協力出来ないでしょう。そしてマリア様に『止めろ』と説得すると思います。彼女には得るものが無いからです。リスクのみが残る。そのような行為に彼女を放り込めない。まして自分が作戦のためのキーパーソンであるなら、なおさらです。自分の判断でその作戦がつぶせるのですから。

彼女が西崎で自分が杉下の場合については、状況をドラマと同一として設定が出来ませんので割愛します。

非常に無機質な回答になっているのは、このような無機質な形でないと、自分とマリア様の関係について冷静に想像できない為です。以前の返答には、正直逃げがあった事を認めます。彼女との事を自分は冷静に分析・想像できないからです。また現在の自分が伴侶や子供の存在を抜きに自分の行動を想定出来ません。二択のような状況の際、どちらをとるか?といった問いになると非常にセンシティブで答えがたいのです。
伴侶や子供は大事です。非常に大事。普通なら伴侶や子供を取る、と答えるところです。そう言うべきだとも思う。ですがそれが言えない、という処が自分の中のマリア様の困った処なのです。この物言いは、女性からは大いに反感を買うかもしれません。

motoさん さんのコメント...

ひまわりさん、
先日切らせていただいた杉下が成瀬の元に還った心理変化について解説します。

まず成瀬の申し出前までの、杉下の恋愛感情と絶望状況については前回解説しました。

先日記載してない部分で、もう一つ大事なのは、杉下が誰にも頼れないのは、皆さんの解釈とは異なり、彼女の独立心からではない、という部分です。
これについては10月14日投稿“杉下の『なんもいらん!』の意味”をご覧下さい。

成瀬のプロポーズを受けての心理変化の様子は6月5日投稿“杉下は成瀬の何に悪魔的絶望を抜け出す光を見たのか”を参照して下さい。これと先の“魂の解放”を併せて頂ければ、プロポーズ後の杉下の心理変化はほぼご理解頂けると思います。

杉下が成瀬の元に還ろう、と決意したのは、成瀬と自分相互の感情が杉下にとっての真理だからです。その真理の為に、残された自らの時間を全て使おうと考えたのです。そうすることで自らの罪深さが救われる事を希求したのです。
ですので、母親に逢いに行ったのもこの延長線上の行為と取っています。病が進行した際に自分が陥る身体状況を考えたとき、自分が自己嫌悪に陥る事が判りきっていた。その自己嫌悪の時間さえ、成瀬の為の時間を削る事になるのを彼女は嫌がった、とにかく成瀬の前にまっさらな精神の状態でありたい、と彼女は願ったのだと思います。

私の謎解きは、ひたすらこの時の杉下の精神の上昇過程を理解したいが故です。
誰の名前も緊急連絡先に書けない杉下が如何にラストシーンでの至福の笑顔となりえたか?それが知りたくて謎解きを続けているんです。

motoさん さんのコメント...

お願いです。皆さんの知恵を借りたいテーマがあります。

ドラマで印象的な演出の、グレースケールに衣服の一部のみ色を乗せた演出について、何か意味があるだろうと思いつつ、その意図が実は全く想像できないんです。

はっきりしているのは、
1.グレースケール描写がスカイローズガーデンの野口宅でのシーンに限定されている
2.9話でスカイローズガーデンの事件が描かれた以降はグレースケール描画がない
3.着色されているのは衣服の一部のみ
4.全て杉下のモノローグがかぶせられている?(記憶だのみ、例外ある?)
という事。

あと、これと関連していると思っているのですが、成瀬のプロポーズシーンで、9話は彩度が意識的に落とされ、その後の10話では彩度が上げられた演出がなされている。

製作者はこの演出で何を表現しようとしていたのか?皆さんの意見を聞かせてください。

motoさん さんのコメント...

杉下の『甘えられん』についての理解が以前から微妙にニュアンスが変わってきた。
元はスカイローズガーデンでの『成瀬くん、ごめん』とのつながりとして理解していたのだけれど、それだけではないような気がする。
この『甘えられん』は、お城放火未遂の『何もいらん!』とも繋がっているように感じる。
そして、先の『成瀬くん、ごめん』も『何もいらん』と繋がっているような…

これらは、一連なんじゃ?

ref 杉下の『成瀬くん、ごめん』と『甘えられん』

motoさん さんのコメント...

杉下の『何もいらん!』は彼女の独立心の発露ではなく、お城を代理放火しようとした成瀬を巻き込んではいけないという、抑制から出たものです。そしてその翌日さざなみが炎上したのを見て、彼女は成瀬が放火したものと勘違いした。
この放火で、偽証を通すための『成瀬に会ってはいけない』とともに、『成瀬を頼ってはいけない』という心理が形成された。杉下は前日のお城放火未遂を成瀬が本当にやった、自分がそのトリガーを引いてしまった、と思ったんです。

ref 杉下の『何もいらん!』の意味

motoさん さんのコメント...

スカイローズガーデン当時、杉下の『究極の愛』の精神保護システムは成瀬から外れ、西崎に対して逆作用していた。という事は、杉下の『成瀬に頼ってはならない』の心理も杉下から外れていた事になる。作戦の成立自体がある意味『成瀬に頼って』いるから。

motoさん さんのコメント...

『成瀬くん、ごめん』とスカイローズガーデンで成瀬の背中に呟いた杉下の『ごめん』には、実はもう一つ罪の意識が加わる。

この時の杉下のごめん、は

事件現場に成瀬を引き込んでしまった事
野口夫妻に関係のない成瀬を巻き込んでしまった事
さざなみが蒸し返される可能性を発生させてしまった事
成瀬の自分への感情を利用する形になった事

ですが、ここにもう一つ加わって

そもそも頼ってはいけない成瀬を頼ってしまい、同じ事をやってしまった事への後悔

が加わる事になる

ref 杉下の『成瀬くん、ごめん』と『甘えられん』

motoさん さんのコメント...

結局杉下の最大のトラウマは、自分が成瀬を頼る事に対する恐怖、成瀬がいとも容易く今にも崩れそうな吊橋を渡ってしまう事への恐れなんです。
さざなみは確かに勘違いであったけれど、成瀬がお城に代理放火しようとしたのは事実であり、杉下の制止がなければやっていた。スカイローズガーデンでも、杉下の『助けて!』に躊躇なく現場に踏み込んできた。そして何もそれが二人の別れに終わり、相互に傷つけあった。
だから成瀬に助けを求める事は憚れる。きっとまた彼を悲しませる。何をしでかすかも判らない。だから『甘えてはならない』なんだと思う。

motoさん さんのコメント...

成瀬に『甘えてはならない』という杉下の最大のトラウマ。
実は彼女の『究極の愛』という心理変換システムも、この成瀬に対して『甘えてはならない』トラウマから出ている。
つまり成瀬に『甘えてはならない』なら、成瀬に合わなければいい、会いさえしなければ成瀬に甘える事も無い、という構造です。
『究極の愛』さえ、杉下の最大のトラウマを視聴者に隠蔽するためのものなんです。いや、ひょっとしたら杉下自身にさえ、『成瀬に甘えてはならない』という最大のトラウマが『究極の愛』の心理変換システムで隠されていたんでは無いか?と思えるんです。

motoさん さんのコメント...

杉下にとって『成瀬を頼ってはならない』が最大のトラウマ。
そして『究極の愛』はそんなトラウマを杉下自身から隠蔽するための精神保護システム。
杉下の独立志向は、『成瀬を頼ってはいけない』がルーツとなっている。
島でのトラウマは火によって成瀬に還元されている。
野望は成瀬と自分の繋がりの象徴でその実現は成瀬との繋がりの確認行為。その意味で成瀬は杉下の上昇志向のドライバーであり、それゆえ脅迫観念の元。
『究極の愛』はそのルーツはさざなみ放火で成瀬を庇った事。
野望はNチケットで成瀬との約束になった。Nチケットは成瀬との繋がりの象徴。
Nチケットで成瀬は杉下の中で神性を帯びた。会ってはいけない『究極の愛』の相手たる成瀬。地の底で喘ぐ自分を照らす光として。

しのぶ さんのコメント...

motoさんこんばんは。いきなりこちらにお邪魔するのも憚られたのですが、あまり時間も取れないので、失礼してお邪魔しちゃいます。ということで本題です。「西崎説」、非常に魅力的だし物語としての整合性を確率している気はするし、そう見ればそう見えるのです。ただ、製作者にそこまでの意図があったのかな~?また、成瀬派としては成瀬一筋説、または成瀬ー安藤ー西崎リレー説とか成立しないかな、などと考えています。あと希美の究極の愛思想が西崎に向けられた、ではなく、西崎に波及した、とか考えられないでしょうか。
公式の頃、確信を持てる自説がほとんどなかったのですが、書かなかったことで結構確信していたのは、希美と奈央子は犬猿の仲、ということです。希美は奈央子が嫌いだったし恐怖だった。この辺りから希美の心理をもう一度探れないものかな~などと考えています。ドレッサーはトラウマの再発だと思うのです。ただし成瀬から解放されてしまっていたので、成瀬は救ってくれない。希美自身の心に潜む邪悪の象徴とでもいうのでしょうか。そこから解放されたい、救われたい、が作戦参加動機?とも思えるのですが。う~ん、まだ全然纏まっていません、というか考えていることを文字にするのは難儀ですね。pc操作も不慣れなのがつらいです。
常連さんたちお見えにならないのはわたしのせいなのかな、motoさんごめんなさい。

motoさん さんのコメント...

しのぶさん、お早うございます。
最近この場が自分の思考の雑記帳状態となってましてすみません。
今のここの状態を気にされているようですが、しのぶさんのせいでは無いですよ。
ネットのコミュニティの特徴です。何かの拍子にサーと集まり、そして引いて行く。
ですからしのぶさんが気にやむ必要はありません。

内容が多岐に渡ってますので、今すぐお答えできませんが、lまずは一言お伝えしたかったので。
その他はまた追って書きますね。

motoさん さんのコメント...

スカイローズガーデン事件時の杉下の『究極の愛』の相手=西崎説について

これについては正直なことを言えば、信じるか信じないかの領域ですね。
明確な描写、論理的な証拠は一切存在しないのですから。
手がかりは論理的な可能性と、人によってどうとでもとりうる画面描写、及び状
況からの推測しかないんです。

まづ状況からの推測ですが、私はこのドラマの製作者は徹底的に視聴者を騙す、
欺くことを狙っていたと取っています。
それは成瀬がさざなみの放火犯ではなかった事と杉下が成瀬にかけた言葉が『愛
してる』でなく『何にだってなれる』であった事。
あそこまで期待を引っ張っておいて、視聴者は“そりゃないでしょ?”と思いまし
たよね。
それもスカイローズガーデンの真相が描かれる前に、それを入れた。
つまり製作側は、これまで描いた事も、これから描くことも、視聴者に対して
『見たままを信じるな』という示唆をした訳です。
つまり幻想破壊です。
で、この幻想破壊が実は西崎のラプンツェルとも繋がっている。ラプンツェルの
話しはグリム童話ですが、グリム童話はロマン主義文学で、メルヘンで す。メ
ルヘンの特徴は?物語の美しさとその後の破壊ですよね。
つまりさざなみの真相の暴露でこれまで視聴者が感じたものは真実ではないよ、
必ず裏があるんだと製作者はやったんです。

この描写があるが故に、見たままを信じず物語を追っかけたら、西崎の存在と杉
下の『究極の愛』が結びつく可能性に気が付いたんです。これはどこに も描写
がない。だって『誰にも知られず』=画面にも描写されない、という論理的パラ
ドックスになるからです。
この論理的パラドックスの発生で確信しました。このパラドックスは意図された
ものだ、と。
西崎に対する杉下の感情が隠されている。そもそもこの物語で重要な『灼熱バー
ド』の作者とヒロイン の関係が『人助け』で動いたら面白くないでしょ?とい
う私の思考回路の癖ですね。

あと、状況証拠ですが、これはまだ整理中ですが、成瀬が杉下のN=安藤誤解説
では、島で高野とあった事で誤解が解けたことになるんですが、これだ と成瀬
は西崎が出所しても特段事件に対しておとしまえをつける気が無かった事にな
る。でも彼は『島で考えたい事』があって、墓前に手を合わせた。 この描写か
ら成瀬はやはり事件についておとしまえをつける気でいたととっています。
その落とし前とは?杉下へのプロポーズとさざなみの真相の暴露です(だから墓
前に参った)。それを西崎の出所に合わせてやるという事はやはり成瀬 は杉下
のN= 西崎ととっていた、という判断です。そうでなければ、この時の成瀬の
行動が説明できないと思うんですよ。
私は成瀬は二重の誤解説を取っていますが、今現在はある時点で安藤に関しては
自分の誤解だったと成瀬が気付いたと取っています。

成瀬一途説の成立の可能性についてですが、これは簡単です。
西崎に対するパラドックスに眼を瞑ればいいんです。そして成瀬の誤解も、「誤
解」で突っ切れば、論としては成立する。
私も公式の終了間際の認識はそういう意味では成瀬一途説でした。
ただ、この説に対して私が反論を展開するとすれば、西崎と成瀬の服役期間の接
触を持ち出すでしょうね。
西崎はなぜ成瀬が杉下と接触を絶っているのか問い詰めたはずです。成瀬が接触
を絶つ理由を考えると安藤か西崎のへの誤解の可能性を考える。仮に安 藤と誤
解したという立場を取ると、上で説明した通り、成瀬はおとしまえをどうつけよ
うとしていたのかに疑問が残る。そうすると西崎の可能性に考察 者が気付くわ
けで、それに気付いた時点で論理的パラドックスの存在に気付いてしまうのでは
ないでしょうか?ただ、この説は杉下の「究極の愛」が杉 下の心理変換システ
ムである事に気付くかどうかがポイントですね。これがシステムである事に気付
かなければ結局論理的矛盾を解消できずに留まるこ とになると思います。

ひとまづここで切ります。続きは別途で

motoさん さんのコメント...

しのぶさん

リレー説 成瀬⇒安藤⇒西崎 というのは?
杉下が安藤に対して恋愛感情があった期間があったか?という意味でしょうか?

もしそうであれば、難しいですね。さざなみ―スカイローズガーデン―現代編と続く物語の中で、杉下の行動に安藤に対する恋愛感情を前提としないと説明出来ないシーンを自分は見出せません。しのぶさんは、“ここは安藤に対する恋愛感情がない事を前提としないと成立しないだろう”と思われているシーンはありますか?

杉下の究極の愛が西崎に波及した?という部分についてですが、しのぶさんがイメージされていることが文面からはちょっとわかりません。申し訳ないけど、しのぶさんの問題意識をもう少し説明いただけませんか?

杉下と奈央子の関係についてですが、犬猿というほどかな?
好き嫌いで言えば、好きとは言えないタイプであったろうとは思います。その存在が自分の母親と被るから。
確かにドレッサーに対してはヒスを起こしましたが、それは母親に対する感情を刺激されたからととっています。
杉下という人物は基本的には優しい人物で、ゴンドラの一件以降はかなり素に近い状態だったと取っていますので、作戦への参加はまた別として、相応の心配をしていたのでは?

作戦参加が杉下の邪悪な感情の発露とすると、杉下は何を作戦に期待していたと思われていますか?

しのぶ さんのコメント...

参りました。ちょっとたじたじしています。テキトーな性格なもので、言葉足らずで誠にすみません(汗)。
リレー説に関しては西崎説に納得した前提で、なんですけど。希美の行動としてのNは作戦決行前=西崎、作戦途中=安藤、事件直後=成瀬が正解だとしたら、ここから何となくゴンドラ前成瀬からの希美の心の揺れとして安藤→西崎、そしてまた成瀬に還るとかだったらちょっと面白いかな~とか思っただけでして、確信的なもの=シーンとかはないです。
西崎に波及した、に関して、あまりに見当はずれだったら、と思うと恐る恐る、になってしまいますが。
西崎の罪(の意識)は母親を見殺しにした=母親から逃げた、だと思います。となると奈央子の罪は夫から逃げる、事になります。その罪を半分引き受け、黙って身を引く。(略奪でも駆け落ちでもないと西崎は言い張っていました、さらに希美も成瀬もその罪のことは理解していない)西崎は奈央子の夫への愛は漠然としながらも感じてはいたのか、プラトニックだった。しかし事件直後は奈央子独占に躍起になってはいましたが…、ここも皮肉なのかな~、と。そんなイメージです。
あと希美と奈央子ですね。これは放送当時普通にそう思ってました。私だけだった、とするとかなり私はひねくれているのでしょうか。自分(希美)と対極にいる、高いところにいるお金持ち、ほしいものは何でも手に入る、夫に頼らなければ生きていけない、母親とまるで被る、とここまで条件がそろえば、羨望、嫉妬、嫌悪それらの悪感情を持つのは必然のように感じるのですが。(あとストーカーみたいでうざい、とも)もちろんDV等は相応の心配はしていたと思いますが、(尊敬する)西崎の相手がよりにもよってなぜ奈央子?、という嫉妬の感情がヒステリックな態度に出た、と普通に感じていました。(さらに「西崎説」をとるならば、自分のその感情が西崎への愛だと勘違いした、または愛に繋がった、のかな?と)
母親と被る奈央子を救うこと=自分の中にある嫉妬や嫌悪という醜悪なものを消し去ること、なのかな~と。そのうえでまっさらになり成瀬とともに歩きたい、に繋がるのかな、なんて考えていました。なんか無理やりな気が…。
「西崎説」及び「愛による合理化」の方がやっぱり説得力ありそうです。

motoさん さんのコメント...

しのぶさん、
リレー説、イメージはわかりました。構造としての面白さを言われてたんですね?つまりゴンドラまでの期間が杉下の気持ちが安藤にあったとして、かつ僻地行き阻止行動が安藤への愛ゆえとしたら、成瀬→安藤→西崎→安藤→成瀬となり、西崎を中心にシンメトリーになる、という意味ですね?
これは気付かんかったな。
ただスカイローズガーデンの杉下の僻地赴任阻止行動が必ずしも安藤に対する恋愛感情に依拠しているとは言えないのでそこがどうか?というところですね。
でも確かに構造としてみると面白いアイデアだと思いますよ!

一回ここで切らせてもらいますね

motoさん さんのコメント...

しのぶさんの「究極の愛」の西崎への波及、というのは杉下の「究極の愛」の中身を知った西崎がその影響を受けたのでは?という意味ですね。

つまりこういう事かな?
西崎には、奈央子が野口から逃れたがっている。奈央子が野口から逃れる行為は奈央子の野口に対する罪。それを援助する西崎は奈央子の罪を共有しようとした。西崎的には略奪ではないので、その後は奈央子から離れる事が“だまって身を引く”行為と考えた…

こんな感じですかね?

この観点は自分も考えた事があります。
この論法でいくと、実は成瀬も杉下に対して「究極の愛」を行っていたんですね。

「西崎の奈央子救出という夫婦関係に介入する行為に協力する杉下の罪を共有し、作戦終了後は杉下とは島時代の友人との立場をとる」成瀬は杉下が定義する究極の愛を実践していたことになる。

つまり三人のこの時の「究極の愛」は
西崎<―杉下<―成瀬
という階層構造だった

しのぶさんの観点は多分間違ってないと思いますよ。私もこの構造に気付きました。少なくとも三人の計画段階での「究極の愛」の構造はこれであっていると思います。

ただ、しのぶさんもご理解されていると思いますが、この計画段階での「究極の愛」の構造から事件処理を読み解こうとすると失敗するんです。多くの方が事件処理の際に、“西崎の罪を負いきれない杉下が成瀬に半分背負ってもらった”という論がでるのは、この計画段階でのこの構造を無意識に刷り込まれた視聴者のミスリードだと思います。
事件処理の際の三人の行動は「罪の共有」ではなく「共謀」で読み解かないとトリックに気付けないんです。

奈央子と杉下についてはまた別に考えますね

motoさん さんのコメント...

杉下と奈央子の関係性についてですが。
実は奈央子についてはあまり突っ込んだ事を考えた事は無いんですね。ですので確信的なことは書けないんですが…
しのぶさんの文章を読むと、杉下は自分の毒々しい母親に対する感情を消し去る方法として『毒をもって毒を制する』というような意図で杉下は作戦に噛んだ、というご理解な訳ですね?

確かに面白い見方ですね。そのような見方は自分の中にはありませんでした。ちょっと考えてみようかな?

今自分が書ける事というと、あくまで感じたものについてですが、野口夫妻に接近したのは成瀬との約束を実現する為であった。その意味でその後も杉下には野口夫妻を利用する、といった感覚で接触をとりつづけた(具体的なものは無いけれど=杉下の野望は空っぽ)。
だけどゴンドラでトラウマが解消された素の杉下が野口夫妻を見たとき奈央子が壊れていることに気付き、心配していた…

うーん、ちょっとこれ以上書きようが今のところないな… しまってなくてすみません。

motoさん さんのコメント...

杉下には奈央子は自分の母親に被って見えていたんですよね。
で、杉下には母親に対する罪意識がある。
そんな心理から杉下には奈央子に対するある種の同情心があったように思う。

でも奈央子には杉下が杉下の愛人であるゆきに見えていた。自分の夫を取る存在として。
これは皮肉ですよね。自分が自分を苦しめた存在と同じく他人から見られていた、と言うんですから。

杉下が一人で生きる力を得ようとしたのは、そんな苦しさを解放してくれた成瀬を頼れないという強烈なジレンマからです。
決してゆきのようになろうとした訳ではない。でもそのような自分が結局は奈央子には驚異となり、奈央子の野口に対する依存を強め、DVを許容させ、そして西崎と奈央子の関係性を作り出した…

まだ途中なんですが、結局全ての事件の原因=罪は杉下に還元され、更にその原因を作り出したのは成瀬という存在に全て還元されるのではないか?

つまり杉下に取って、ただ単に事件処理だけではない、事件に至る経緯まで含めその原因と彼女の意図は全て成瀬に還元されるのではと考えています。そしてタイトル『Nのために』とはそういう見方をしないといけないのかな?と考え始めています。
ですから、このドラマは全編、成瀬という人物の影響に翻弄されっぱなしであった杉下希望という女性の、悲しい、だけれども健気で美しい半生を描いた物語のように見えてきました。

しのぶ さんのコメント...

motoさんこんばんは。たくさんのご返答ありがとうございます。西崎に波及した、までの内容は自分の中での補足が少しありますがほぼご理解の通りです。さらに補足していただいた内容から自分の中で広がったものが多く、真実の追及にほんの一歩近づけた気がしています。感謝です!(あとシンメトリーなんて言葉は私の中にはなかった!)
希美と奈央子の関係性は今日18:54のmotoさんのコメント内容がかなり近い感覚です。希美が奈央子に感じていたものは嫌悪と恐怖、そして哀れみだと感じていたのです。嫌悪と哀れみは母親に対するもの、そして希美のifとしてのの自分、挫折を知らなかったらの自分に対してかもしれないとも思います。恐怖もあったと思います。ドレッサーがその象徴です。誰かから自分に発せられる邪気って薄々感じるものではありませんか?希美はその正体こそわからなかったにせよ何か怖さを感じていたと思います。(出会った当初は苦労知らずのお嬢さんに見えたため羨望と嫉妬交じりに近い感情もあったように思いました。)
希美と奈央子に関してはmotoさんもおっしゃる通りこの物語の重要な皮肉ポイントだと感じていたからなのですが、実は成瀬一筋説に強引に繋げたかったからにほかなりません。希美の作戦参加動機はmotoさんの「愛による合理化」が最も説得力を持つのですが、成瀬一筋に繋げるためにはほかの動機を探らなくてはいけない、ちょっとその焦りから無理やりな感じに押し込めてしまいました。でも書いたみて、ご返答いただいたことによって少しづつ疑問の解消とわからなかったことが繋がりを見せてきています。とはいえ亀のように遅い一歩なのでなかなか難しいです。
今のところ、「西崎説」にかなり傾いているのですが、ただそれに伴う疑問と自分の中での不理解をどう解消するか格闘しているところです。

motoさん さんのコメント...

しのぶさんへ

先のコメントでも書いたとおりですが、ここに来て私の感覚は実は成瀬一筋に近いものです。
確かに西崎に感情がふれたであろう、ごく短い期間はありましたが、杉下は絶対的な成瀬の影響下にあったと言っていいのかな?
という感じです。
一途とは違うかもしれませんが、良くも悪くも杉下は成瀬に翻弄されっぱなし。
かなりなコンプレックスだけど、その根底は彼の事が好きで堪らない、というものだと思いますよ。

motoさん さんのコメント...

安藤が杉下に惹かれた部分。
それは杉下が野望を持ち実現に努力をしている事、人を頼ろうとしない独立性。
でも、杉下が野望の実現に邁進しているのはそれが成瀬との約束であるから。その独立性は杉下が成瀬を頼ってはいけない、というジレンマに起因している。
つまり安藤が杉下に惹かれた特徴は成瀬にルーツを持つ特性という事。

motoさん さんのコメント...

そもそもN作戦2が成立したのは、杉下の究極の愛が原因。
状況が杉下の西崎への感情を刺激し、成瀬との関係再開を画策させる事となった。西崎への協力を愛で合理化させる事になった心理システム。

だがこの心理システムも元はさざなみの事件とお城放火未遂が生み出した、成瀬を頼ってはいけない、という強烈なジレンマが起源。

motoさん さんのコメント...

杉下が野口の接近したのは成瀬との約束である野望の実現のためであり、それが実現したのは成瀬の将棋のおかげ。

motoさん さんのコメント...

杉下がN作戦に協力したのはなぜか?
N作戦が出てきた際にはまだ野口家の話題は出てきていない。
西崎は杉下には帰るべき場所がない、という事を知ってはいるが、杉下にしても、野ばら荘は安藤と同じくあくまでテンポラリーな場所。
西崎と同じ理由を適用出来ない。
そうすると杉下はなぜにN作戦に協力をしたのか?

motoさん さんのコメント...

この時の野ばら荘は再開発計画で野原の爺さんが婆さんとの思い出が沢山詰まった野ばら荘が買収の対象になりそうで、爺さんはそれを固辞したい、という状況。
大切な場所を奪われた経験=お城を追われた経験を持つ杉下としては多分に同情心が刺激されてもおかしくない。
では、この時彼女は爺さんに対する同情心から動いたのか?

motoさん さんのコメント...

杉下はとかく自分と似た状況にある人間に対して心理的接近を図る癖がある。
成瀬に対しても、西崎に対しても。
野原の爺さんに対しても、この範疇で考えるべきか?

motoさん さんのコメント...

杉下が希求していたのは『Home』なのだろうと思う。
大事な場所を父親から追い出され、第二の自宅たる幽霊屋敷は母親の錯乱で『Home』たりえず。
漸く得た心の『Home』たる成瀬との間も、お城放火未遂とさざなみ炎上で距離を置かざるを得なくなる。
それでも『Home』たる成瀬との繋がりを確認するため、彼との約束の実現に邁進。
漸く巡ってきたその成瀬との関係再開も事件でポシャってしまった。
あとはひたすら彼とのエールを励みに、立ち上げた住宅設計事務所で他人の『Home』を実現しても心は自らの『Home』を求め続ける。
余命宣告を受け、本当に欲したのは気兼ねなく『帰れる家』があればそれでいい、という事。そしてそれは成瀬という存在。
でも成瀬に頼ってはいけない、という彼女最大のトラウマを乗り越えた時、漸く彼女は彼女の『Home』に帰る事が出来た。

motoさん さんのコメント...

杉下が『甘えられん』のは、自分の罪深さからだと思う。そして成瀬の告白から、その罪深ささえ成瀬に対する冒涜だと気付いた時、その冒涜観念が罪意識を乗り越えさせた。それはいい。でもその罪意識が払拭されたのちでも、まだ杉下には成瀬に対する最後の引っ掛かりが有ったんだと思う。
それは成瀬が自分の為であれば、容易く崩れそうな吊橋を渡ってしまう事。火中の栗を拾おうとしてしまう事。つまりは『何もいらん』と言わしめた事実。これに対する怖れ。これは罪の意識の外、冒涜観念では払拭出来ない部分のように感じるんです。
これはどのように払拭されたのだろう?

motoさん さんのコメント...

杉下が最後、彼女の最大のトラウマである『成瀬に頼ってはならない』をどう払拭しえたのか?
彼女は医師に対し『誰も悲しませずに死ぬ事は出来ないんでしょうか?』と問うて、医師から『出来ないよ、一人で生きてゆく事など出来ないのだから』と諭される

恐らく、杉下はこの言葉で考えたのだと思う。自分が死んだ時一番悲しむのは誰であるかを。そして自分が一番悲しませたくないのは誰であるかを。それは彼女には成瀬だった。彼女を15年間突き動かし続けたのは成瀬であるのだから。

成瀬であるなら、自分が成瀬の申し出を受け入れるにせよ、断るにせよ同じだけ悲しんでくれる。どちらにせよ、同じだけ悲しませるなら、そして自らの命がいずれにせよ限りがあるものであるなら、彼に寄り添い残りの生を全うする事が彼の喜びとなるのではないか?

そう考えたのだと思う。

motoさん さんのコメント...

杉下にとって成瀬が『心のHome』であり、お城放火未遂とさざなみ炎上にその『心のHome』から距離を取らざるを得なかった杉下にとって、野原の爺さんの『Home』たる野ばら荘を守る事は、自分の『心のHome』を守る、そしてそれとの繋がりを確認したいという心理の代理行為であったと解釈出来ないだろうか?だからあくまで杉下にとってはテンポラリーな場所であるはずの野ばら荘にあそこまで肩入れしたのだろう。

motoさん さんのコメント...

杉下の母親に対する罪意識は、成瀬に起因している。母親が杉下の島での苦労の原因ではあるが、それに伴うネガティブな感情はさざなみの火で成瀬に還元された。杉下が母親を捨てたのは、成瀬との誓約の実現を優先させたから。だから母親に会うのに躊躇したのは彼女に対する恐れでもありつつ、母親を捨てた行為に対する罪意識があるから。そして、それは成瀬が起源。

motoさん さんのコメント...

杉下が安藤と、その友人が行ったデイキャンプへ出かけるシーン。
このシーンのドラマ上の位置付けがてんで読めない。
しかもこの時ツリーを見る杉下に瞬間記憶の描写があるんです。
これもわからない。このシーンの制作側の意図は何?

しのぶ さんのコメント...

motoさんこんばんは。先日cafeでいただいた「この物語に何を見たか」に、「何も見えてない」と身も蓋もない返答しかないのですが、強いて言えば「知りたいという欲求」が芽生えたということでしょうか。

安藤のシーンについては、作戦前の安藤の友人と飲んだシーンとの対比ではないでしょうか。作戦直前はクリスマス前ですから、ツリーを見てあの楽しかった頃には戻れない、という希美の絶望感を示しているのかな~と。

さて、本題です。書きたいことの第一弾です。
motoさんの期間限定西崎説で最も疑問に感じたところがあります。西崎から「黙って身を引」いた後成瀬と関係を再開させるという希美の心理です。
二人ないし複数の異性が心にいることは普通にあり得ることだと思います。しかしその場合でも中心にいる人(仮にA君)がいて他の人(仮にB君)は脇にいるはずです。二人の幅がかなり均衡した心理状態でも順番があると思うのです(A>B)。
希美の場合「究極の愛」として西崎が位置付けられていたら、その思想の激しさや重みから西崎が心の中心にいたと言っていいと思うのです。深層でこの心理が逆だったとしても(成瀬>西崎)、希美が西崎への想いに気づいていないはずもないし、一時的であったとしても強烈に意識していたはずです。
この状況下で成瀬とやり直すという心理が私には全くわからないのです。不誠実とか不純だとかそういうことではなくて、単純にそんな気にはならないと思うのです。
そういう気(関係再開)になったのは何らかの心理変化があったはず、と考えてみました。
具体的には希美が成瀬のメールを見続けるシーン、ここから希美は表層でも成瀬>西崎に移っていったのでは?と考えています。
実はこのメールを見続けるシーンがずっと、ものすごい疑問だったのです。希美は何を考えていたのか?何かの答えを探しているようにも見えますが。
次回から順を追ってゴンドラ以降の希美の心理を追いかけてみたいと思います。

motoさん さんのコメント...

しのぶさんへ

こんばんは。
『知りたい』と欲求、いいんじゃないですか?私もこれだけこのドラマにハマったのは『杉下が如何にその魂を上昇させ、成瀬のもとで至福に至り得たか』を知りたいからです。これは終始一貫して変わりません。そしてそれを理解したいという欲求が実は自分のマリア様の心が知りたいという欲求の代理行為である事も自覚しています。
しのぶさんの公式のコメントで過去の自分の様子に触れたコメントがあったのを記憶しています。大変失礼ながら、きっとしのぶさんも似た欲求をお持ちなのではないでしょうか?

ツリーを見上げた描写についての解説、ありがとうございます。でも自分の中にスッと入ってきてないです。それは瞬間記憶の描写なんです。私は瞬間記憶の描写はキルケゴールの時間論の表現と理解しています。ですから何かが始まる、動き出す際に瞬間記憶が描かれているんです。でもあのシーンに杉下の中で何かが生まれる、動き出す要素があったんだろうか?という疑問なんですね。それが今のところ見いだせていないんです。何かが見つかったらまた書きますね。

さ、私も本論です。
私も西崎の成瀬との関係を尋ねるシーンから成瀬のメールをじっと見つめるシーンにおける杉下の心理の解釈を非常に重視しています。
しのぶさんの解釈では、このシーンで杉下の中の二人の男性の関係性が成瀬>西崎に変化したのでは?という理解なのですね?だから成瀬との関係再開を望んだと。

実は私の解釈は逆です。私はこのシーンで杉下の意識上に西崎への感情が急浮上、成瀬<西崎である事を自覚した、という解釈です。

杉下が成瀬のメールで気付いた事は以下の事だと考えています。
1.成瀬が未だ自分を好きである事(参加表明自体が自分への感情)
2.自分の中で成瀬に会ってはならない、という感覚が湧いてこない事
3.1とも関連しますが、成瀬が自分の料理に対するルールを曲げて作戦に参加するのが、彼の自分に対する『愛による合理化』である事に気付き、その気づきが実は自分がさも西崎にある種協力的対応をしている事が自分が西崎に対して『愛による合理化』を行っている事に気付いた事。
4.でもその西崎に対する感情が自分でも歪んでいるという事への自覚
※本編でもここまで書いてはなかったはず。あとでアップしよう!

杉下が成瀬と関係を再開させたいのは、彼女の以前からの念願ですから、これそのものには変更はない、という理解です。
つまり杉下は自分が成瀬にとらわれている事を自覚し、成瀬以外の存在が自分の中にあり得ることなど想定していなかったにもかかわらず、状況が整いつつある状況で『究極の愛』の心理システムの逆回転が彼女の無意識下で徐々にすすみ、成瀬の参加表明でそのシステムが完全にスイッチオン、彼女の意識上に浮上してきた、というイメージです。

当初は成瀬との結婚式での再会前から杉下の『究極の愛』は西崎と結びついていた、ととっていたのですが、今はほぼ同時進行、若干西崎への結びつきが先行しつつも相互作用で進んでいった、というのが私の今の解釈です。

でも、この場はしのぶさんの見えているものの表明ですので、私にはこう見えている、という一意見の範囲でとってくださいね。しのぶさんの論を遮る意図はありません。

次、ゴンドラについて論を進める、との事ですので期待しています。私もゴンドラでの杉下の心理変化は事件への流れと無関係でない、と取っていますので。

しのぶ さんのコメント...

こんばんは。またまた言葉足らずになってしまったようで。メールを見続けるシーンは梯子に登った希美と西崎が会話したあと、降りてきた希美が成瀬のメールを見るシーンと、2度目にもう一度メールを見続けるシーンがあるじゃないですか。私が書いたのはこの2度目のシーンです。motoさんが書かれたのは、梯子から降りてきた希美がメールを見たシーンの事を指しているですよね?それとも両方に差異はないとのことなのかな?一度目のシーンはmotoさんの解釈にそれほどの異論はないのです(あ、でも多少違うかな?)。一度目のシーンから2度目にじっとメールを見つめるまでの間に心理変化があったのかな、という意味で書きました。
なぜこの心理変化に拘るかというと、事件後の希美のモノローグ「あの日伝えたかった想い」が西崎に後ろ髪をひかれつつ成瀬と一緒にいたいという、そんな純愛なのか!という、何かやだな~というところと、あるいは「あの日」というのは(成瀬が実は一番大切な人、ずっといっっしょにいたかった)事件直後の気持ち、ということも考えられますが、描写的にはやはり作戦前の気持ち、とするのが自然かな~という感覚です。
それとmotoさんに前にいただいたコメントで、究極の愛は作戦実行の3人がそれぞれ作戦企画段階で持ちえたもの、という論を受けてなのですが、成瀬は希美にプロポーズを決めていた=究極の愛の放棄、西崎は奈央子からの連絡を受けて略奪の方向に向かっていた?(ここは議論の余地がありますが)=究極の愛の放棄、で、希美は?ということから考えてみました。

私の場合、自説というよりはmotoさんの論や他の方の意見に殉ずる事がほとんどで、motoさんの記事にはかなり影響を受けています。なので焼き直しみたいな感じも多い、あまり期待しないでくださいね。
あとね~、確認のためドラマを少しリピートしてみたりすると、そのたびに感覚が変わったりするんですよね。
昨日と今日、で全然捉え方が違ってきたりしているんだけど、この間電車で頑張って下書きしたのでほぼ加筆・訂正なしに明日以降書きますね。「ゴンドラでの杉下の心理変化は事件への流れと無関係ではない」←こんな大業なこと書けません。むしろ聞きたい。

motoさん さんのコメント...

しのぶさん、こんばんは。
私もつらつら今日ビーチボールバレー(地区の役員やってまして、その行事として大会に出ていました)をやりながら問題のプロセスをもう一度考えてました。杉下が自分の西崎に対する感情を自覚するタイミングですが、成瀬のメールよりもう少し早いですね。修正します。串若丸で西崎と話した時です。このあたりは奈央子のドレッサー送りつけ事件?との関係で再度書きたいと思います。

さて、しのぶさんの問題意識についてですが…
今のところ、西崎との会話後のメールを見るシーンと、その後の自室でメールを見るシーンとの間に杉下に心理変化はあったか?という事ですが、私の今までの解釈では二つのシーンの間で彼女に心理上の変化があったとは取っていませんでした。その意味ではしのぶさんの表現でいう『差異はない』という感覚でした。でもちょっと考えさせてください。上記の通り杉下の西崎の感情の自覚のタイミングでさえたった一晩で修正する野郎なので、何か感じるかもしれません(笑)

『あの日伝えられなかった思い』との関係ですね。
で、自分でも書いた過去の記事を読んでみて…ここでようやっとしのぶさんの問題意識が理解出来ました!うーん、確かに私の論でいくとしのぶさんの疑念は当然ですね。だから最初と二つ目のシーンの間の心理変化に関心が行くんですね。これ、またちょっと考えます。先に書いた通り、杉下が西崎に対する感情の自覚タイミングと一緒に整理してみます。

成瀬のプロポーズ意向への変更をそうみたんですね。『究極の愛』の放棄ですか。この観点は無かったな。新しい視点ですね。ちょっと何が見えるか時間ください。面白いものが見えるかもしれん(笑)

しのぶさんの『見返す度に見え方が変わる』という意見。同感です。
実はしのぶさんの問題意識を読むまで、ここで数日はドラマの総括的な部分を考えていたんです。内容的にはスカイローズガーデンのすべての罪は杉下に帰され、そしてそれらのすべての原因は成瀬に還元される、といった内容です。そしてそこからタイトルの意味にも言及しようと思っていたんですね。それで本当に謎解きも終わるかもしれん、と感じていたんですが、でも細部を見るとまだいろんなところで疑問が残ってるんだな〜。

しのぶさんの論、期待してます!

しのぶ さんのコメント...

では順を追って希美の心理を追いかけてみたいとおもいます。念のため、ですが、確信をもっているわけではないですし、文章の中で断定調になっている所があるかもしれませんが、「~と思う」を省略したと考えてください。

ゴンドラで希美は成瀬から解放されました。(ここはmotoさんの論に殉じています。)希美の意識の中では成瀬は過去の人となります。同時に愛は消滅したのでしょうか?わかりません。あれだけの経験を共有した人です。おいそれとはなくならないとは思いますが、意識上では薄れていたと考えていいと思います。
しかし奈央子が送り付けたドレッサーからすべては形を変えて振り出しに戻されたのです。ゴンドラですべてのトラウマから解放されたはずの希美でしたが、トラウマが再発したのです。ゴンドラ以降事件までが素の希美なのではなく、ドレッサー送りまでが素の希美なのだと思います。トラウマというのは適切な表現ではないかもしれません。すべてから解放されたと思っていたはずの希美には重要な「負の感情」が残されていたのです。「母を捨てた」という罪悪感がドレッサー送りによって大きくのしかかってきたのだと思います。女の情念の塊、その象徴であるドレッサー。希美はこれを送り付けられた夜、成瀬が助けてくれない状況下でかつてない孤独と恐怖を味わった、と思います。
ちなみに原作ではこの後「かつてないほど冷蔵庫がびっしり詰まっていた」(原作西崎談)。
この描写はドラマにはありません。ドラマとして省略、あるいは設定変更したのだとはじめは考えましたが、「ある意味振出しに戻った」ことをあえて隠したのではないでしょうか?
一度払拭されたはずのつらい記憶がなぜ戻ってきたのでしょうか。希美が野ばらさんから諭されたのは「苦労」は忘れる事です。自分がされてきた辛いこと、としての苦労は忘れることはできたとしても、自分のした罪の意識は(相手から許されない限り)深層の中で生き続けるでしょう。希美は母親に支配され始めます。ドレッサーを脇に「希美ちゃ~ん」(ギャグか!)という母の声(と同時に奈央子の声)が聞こえたはずです。「怖い、追いかけてくる」でもあの壊れた母を置き去りにして捨てたのは私。悪夢のような蘇る記憶と逃げてきた自分への罪悪感。その繰り返し。
「誰か、誰か助けて」
この時成瀬の名前を呼んだかどうかはわかりません。成瀬が助けてくれなかったのは「過去の人」になってしまっただけでなく、いつも支えにしていた成瀬のチケットこそが母親から逃げ出す根源だったからです。だからチケットを見ることができなかったのです。
「母親から逃げた」ことを深層に潜り込ませた初めての夜だったかもしれません。

その夜からほどなくして訪れた野口宅での奈央子はまさに母のように壊れ始めていたのです。
そしてその直後の西崎の告白。自分と母を苦しめた不倫、母親である奈央子、追いかけられる恐怖、自分を苦しめる側の奈央子と西崎の関係に困惑と嫌悪、怒りを覚え、西崎を深く傷つけてしますのです。
「あんな人好きになれない」
「意味のないこと」
「私は無関係」
西崎を傷つける一言一言が希美自身を傷つけ西崎をある意味強烈に意識するきっかけとなりました。
(つづく)


(ここまでの内容は愛があまり絡まないのではっきりいって自分でも面白くないと思います)


しのぶ さんのコメント...

(続きです)
場面としてはその後いよいよ成瀬との再会にになります。結婚式のメールを受け取った希美の表情には成瀬への懐かしさとともに何か含みのある表情を見せます。
フェリーの中、懐かしさと喜びに胸ががいっぱいの表情に満ちた成瀬とは違い、希美はどこかよそよそしい。「助けて成瀬君」、振り出しに戻った希美の中に成瀬へのSOSが再び発信されたように感じました。自分を苦しめる母親、そして西崎に対する奇妙な同情心からの形をおび始めた愛、漠然とした息苦しさの中で、成瀬との再会に救いを求めていたのかもしれません。成瀬との究極の愛は「過去」のものになっていたため、「会ってはいけない」という機構は働きませんが、深層では生き続けていたように私には感じるのです。
いずれにせよ、懐かしい、心配していた成瀬を意識せずにはいられません。希美がまず反応したのは成瀬が大学を辞めた話、しかしその後真っすぐに反応したのは「シャルティエ広田」でした。この時の希美の心理は、
① この時代の希美と成瀬を繋ぐ唯一の架け橋
② 成瀬を介して西崎(奈央子)と希美を繋ぐことができる
どちらだったのでしょうか。おそらくどちらもだったと思います。
帰島後奈央子に会いに行った行動、串若丸で西崎に開口一番口にしたのは、「元同級生が奈央子と縁のあるシャルティエ広田で給仕のバイトをしている」希美は給仕という仕事内容まで伝えています。無意識に成瀬を介して西崎と奈央子が連絡を取れるかもしれないと伝えているのです。成瀬派利用されたのでしょうか?わかりません。「この口実があれば成瀬君と再び会うことができる」。
西崎の方が利用されたのでしょうか?人は愛のためなら自分の気持ちすら利用できるのです。
そしてそこからさらなる、母親を見殺しにしたという西崎の告白。希美を経験以上の西崎の壮絶な告白に「究極の愛」が作動しはじめるのです。思うに究極の愛は、この、「母を見殺しにした」罪を共有したのではないでしょうか?(成瀬にもばればれの不倫という罪ではなく、です)これは精神の問題ですから「償う」という代理行為でしか共有することはできません。「母を捨てた、逃げた」のは希美にも同じ罪がある。共有していることを知らせない、「作戦に協力するだけ」、「愛の生じ」にも黙って身を引く。成瀬は西崎への気持ちに真っ先に気が付きました。希美が成瀬のメールに戸惑ったのは「成瀬を巻き込んだこと」(同時に作戦が本格稼働する不安、虫の知らせ、いやな予感)。自分の中の複雑な心理(西崎に対する感情も含め)にとまどい、再び成瀬に罪の意識を感じるのです。
(一旦送ります)

しのぶ さんのコメント...

(続きます)
しかし作戦途中で希美の目的は徐々に変わっていきます。作戦はゲームとなり、「私と成瀬君」が協力することが楽しくて仕方ない様子です。西崎と成瀬が初めて会った日、「鍋食べよ」と西崎を引き留めた希美でしたが(二人が気まずい状態がいやだ、ともとれますが)、西崎を引き留めず成瀬と二人きりになることに躊躇いがありません。安藤に橋の上で問われた無人島話。「誰かに手をひかれていきたい…成瀬君…」希美の表情の中に成瀬が確かにいたように感じられました。自分の思想に隠された熱情よりも、成瀬と二人で「私たちの」家に帰りたかった。希美の中にいるはずの西崎が徐々に消えていくのです。
そんな中西崎は奈央子を助けることに迷いが生じるのです。西崎の背中を押す希美でしたが、しかし一方で西崎の奈央子を思う気持ちに複雑な自分の気持ちも隠せません。そして希美も迷い始めるのです。
「私は何のために協力しているのだろう、成瀬君はなぜ協力してくれるのだろう」希美は自室で成瀬のメールを見つめながら「いてもたってもいられないほど」愛してくれている成瀬のことと自分の気持ちについて考え始めます。
「私は誰を愛しているのだろう。確かなのはただ手を引いてくれる人に連れられて『家』に帰りたいだけ。成瀬君と歩きたい、クリスマスイブに伝えよう。私は成瀬君と、ただ、一緒にいたいだけだ」
「究極の愛」という激しい思想はもはや希美の中には存在しませんでした。シャルティエ広田を訪れた希美の成瀬に言った「クリスマスイブにね」これは決意の表情のように見えたのです。ただ、西崎に完全が未練を絶たれたわけでもない気がします。(motoさんが証拠として挙げた「奈央子と逃げなよ」を言う目が泳いでいる感じ、など。希美は成瀬と一緒にいたい、その決意表明を自身に誓ったのではないでしょうか?そして作戦中は西崎に対する愛は全く感じられませんでした。希美自身の本当の気持ち『希美のN=成瀬』を知ったのは事件直後だったのでは?と。)
折しも、安藤のプロポーズを知った成瀬はへの希美プロポーズを決意します。奈央子から「助けて、連れ出して」の電話を受けた西崎はあれだけ否定していた略奪の方向に向かっていきます。奈央子から連絡を受けたことを希美に知らせると、「警察に知らせよう」と作戦放棄(すなわち究極の愛の放棄)を提案するも、「俺が行く」(すなわち略奪する)と言い放つのが証拠のような気がしています。
作戦前に3者は究極の愛を放棄していました。希美の作り出した「愛の定義」はすべてが幻想だったのです。
幻想が破壊された時、事件は起きたのです。

                                         論文?は以上です。

この中に安藤がほとんど入ってこないのが悲しいです。あ、でもmotoさんは安藤がお嫌いなのですよね。でも私は成瀬一筋を軸に冗談半分で書いたリレー説改め、シンメトリー説もまだ捨ててはいません(笑)。

motoさん さんのコメント...

しのぶさん、
長文による考察、有難うございます。まだ読めてないけど(ごめんなさい、今晩読むね!)

これだけの大考察なので、一発では書ききれんと思うけど、感じたことは追々書かせて貰うつもりです。

今、本編の方の筆が追い付いてないので、ちょっとそっち優先になってますが、しっかり読み込ませて貰うつもりですよ。

あ、後安藤についてですけどくれぐれも誤解無いよう補足します。
私が安藤が嫌い、と言っているのはもし安藤と同じ密室を作るという行為をする友人が自分の周りにいたら、間違いなくその友人とは絶交するだろう、という事を言っているんです。決して中の役者さんの事であったり、キャラクターへの思い入れからの贔屓目な解釈をしようという意味では無いので、くれぐれもお間違えなきよう。

motoさん さんのコメント...

ここも一杯になりましたので、N研3を立てました。
そちらに移ります。