しのぶさんへ、長文考察についてはざっと感じた事を。>>ゴンドラ以降事件までが素の希美なのではなく、ドレッサー送りまでが素の希美…そうですね、私も杉下が再び壊れた?のはドレッサーがキッカケだと思います。>>苦労は忘れることはできたとしても、自分のした罪の意識は深層の中で生き続ける…この部分は同意。ただ母親に対するトラウマと罪意識、そしてドレッサーによる島時代のリフレインはまだうまく自分の中で論理として整理仕切れていない部分が残っています。>>「助けて成瀬君」、振り出しに戻った希美の中に成瀬へのSOS…ウーン、このシーンに杉下が成瀬に助けを求めてるとはちょっと思えない。成瀬も杉下も久しぶりなもんで、どう会話に入ったらいいか戸惑っている、と私には見えました。>>「シャルティエ広田」でした。この時の希美の心理は、>>① この時代の希美と成瀬を繋ぐ唯一の架け橋>>② 成瀬を介して西崎(奈央子)と希美を繋ぐことができる>>どちらだったのでしょうか。私は表面上は両方なし、深層心理で②に軍配です。>>無意識に成瀬を介して西崎と奈央子が連絡を取れるかもしれないと伝えている…同意です。>>「この口実があれば成瀬君と再び会うことができる」この部分は不同意。串若丸翌朝の杉下と西崎の会話から成瀬と杉下の約束は串若丸以前に成立していたから。それに杉下自身が成瀬と関係を再開させる事に西崎は必要では無いと思います。>>西崎の壮絶な告白に「究極の愛」が作動しはじめ…究極の愛の作動がいつかは判断が難しいですね。>>作戦はゲームとなり…希美の中にいるはずの西崎が徐々に消えていく…ここは私の解釈と逆になってますね。私は成瀬が作戦参加=成瀬杉下への協力=杉下と成瀬の接近が西崎への感情を煽った(『究極の愛』システムの逆作用)と取っていますので。>>奈央子から「助けて、連れ出して」の電話を受けた西崎はあれだけ否定していた略奪の方向に…これは必ずしも略奪に西崎が舵を切った、とは言えないのでは?少なくとの杉下は略奪とは取っていない。だからこそ『自分の幸せを考えなよ』なのでは?一先ず一読段階での感想を!
しのぶさんへ、つらつらしのぶさんさんの論を追いながらドレッサー事件(?)をキッカケとした杉下の心理変化を考えています。しのぶさんの言われる通り、ドレッサー事件で杉下の心理変化が発生した。それはトラウマというべきか母親への罪意識というべきかは微妙です。ですが間違いないのはドレッサーに刺激され、島時代の心理プロセスが杉下の中でリフレインした。つまりは同類への心理的急接近です。杉下が成瀬に心理的に急接近したのは、野望ノートへの書き付け前、堤防での会話でさざなみの経営不振で成瀬の進路が振れ出して以降と見ています。で、ドレッサー事件に関してはすぐ近くに西崎という同類が既に存在していた。そして杉下の心理は西崎に急速にすり寄った。ただここで疑問なのは、この杉下の心理プロセスのリフレインがなぜ起きたのか?です。トラウマの再発、とすると島時代のトラウマは成瀬に還元されていた訳で、なぜ杉下の心理保護システムが呼び出されないのかが分からんです。
motoさん。ご返答ありがとうございます。自分でも何日か前に下書き(と言ってもメモに殴り書きしたもの)したものを書いただげなので、色々となんか違う気がする~と思いながら、それでも一つの可能性を示唆すれば、それが間違っていたとしても見えてくるものってあるかもしれないじゃないですか。そういう意味では書いてよかったと思っています。ちなみにmoto先生にOKもらったところは、放送当時にすでに薄々気付いてたところなのでなんか進歩ないな~自分、とちょっとしょげていたりします。それでも、ドレッサーが契機となったことに同意してもらったのはちょっと意外でした。以前のコメント内容などから予測するにここは却下されるかな~、と思っていたからです。ただ、motoさんもおっしゃるように、ここの希美の心理プロセスが実は私もわからないんです。描写として4話の、完全に開いたドレッサーを背に母親が希美にに深夜、電話をしてくるシーンと、ドレッサーを背に希美が「下は見ない」と布団にうずくまっているシーンが酷似しているので、この連動(繋がり)で母親かな~と考えたんです。(あと、チケットを見るか見ないかの重要な対照はありますが。)あとママに関してはラストシーンまでのキーワードでもあるし、それと、再婚の相談も希美は受けなかったんですよね。すでに後ろめたさはあったのでは?と考えて、なんですけど、やっぱり違うような気もしています。早々になんですが。やっぱり愛が絡まないとね~。公式の頃は安藤派の方々を筆頭に「作戦企画当時希美はさざ波の事などすっかり忘れていた」論が普通に通って、これまでも来ていたような感じですけど、実はそんなことないんじゃないかな~ってね。(これただの思い付きです)あ、だって西崎だって隠されていたわけでしょ。いずれにせよ、これまでのmotoさんの説ほか色々な人の解釈でも収まらない疑問がまだまだ沸いてきちゃうわけです。まとめ作業に取り掛かろうとされているのに、ここに来て「待った」をかけてしまって申し訳ないです。それではまた来ます。
しのぶさんへ、私もここに来て早苗さんの扱いに、以前とは違う感覚が芽生えつつあります。早苗さんは杉下に取ってトラウマであり且つ罪意識の対象なんですよね。父親やゆきとは扱いが違うんです。で、一方で最終話において杉下はさざなみの火で、自分を縛り付けていたものから解放されたと言っている中に早苗さんも含まれている。だから実は島を出て以降の、早苗絡みの描写は杉下の早苗に対するトラウマというよりは、杉下の母親に対する罪意識に根があるんじゃないか?そうした時のドレッサー事件以降の心理プロセスは、どう理解すべきだろう、というのが意外に難問ですね。さざなみの事を忘れていた、なんてことはありえないですね。いえむしろスカイローズガーデンに至る過程において、全てのポイントで杉下の、そしてそれはひいては成瀬という存在が多分に影響している。スカイローズガーデンの事件ははっきり言って成瀬がすべての原因とさえ言ってもいい位です。一つ一つの過程がすべて最終的には成瀬に還元される。今では私はこの物語は、成瀬愼司に翻弄されっぱなしの杉下希美の半生の物語だと思い始めています。
早苗さんに関連してドレッサーがあります。ドレッサーは一般的にはトラウマと取られていますが、どうも違うような気がします。島時代の描写で、早苗とドレッサーを強く結びつける描写って実は無いんです。例の化粧水ビチャビチャはドレッサーに対してやっていない。居間での出来事。早苗さんとドレッサーが一緒に描かれているのは、杉下が母親に大学合格を報告したシーンと早苗からの電話のシーンです。ドレッサーは杉下の早苗さんに対する罪意識と紐付いていると理解した方がいいのかな?と考えています。ゆきとのドレッサーを巡るやり取りはフェイクですね。そうすると奈央子からのドレッサー送り付け事件はどう理解すればいい?
こんばんは。motoさんが希美ママとドレッサーを関連付ける方向にいかれたので、私もその方向でいきます。(確信がないと思考停止する自分がいやだな~)(あ、それとママのドレッサーは観音開きにはなっていなかったのね。)ママを想起させるドレッサーは一人で生きていけない女性の象徴のような気がします。母親に捕まることは、成瀬との約束である自立の誓いを破ることになる。就職活動中、これからの人生設計を考えているさなかに送られてきたドレッサー。逃げた母親に捕まる恐怖がまず心に忍びます、でも希美は本当は母親を許したいのだと思います。でもそれを認めることは成瀬との約束を実現できなくなる、逃げたことに対する罪悪感を認めたくない、そのジレンマと葛藤が希美を苦しめ「逃避」という形で西崎にすり寄る心理プロセスを生んだのではないでしょうか?ドレッサーを送られた夜チケットを見ることができなかったのは西崎がすでに心にいたわけではなく、自立への道を作ってくれたチケットがその葛藤(苦しみ)を生み出す象徴になっていたからでは?ゴンドラで成瀬からも解放されたかのように見えた希美でしたが、このドレッサー事件をきっかけに再び呪縛の対象になった気がするのです。「成瀬に会ってはならない」という機構もどこかで存在していたような気がします。え~と、うまく伝わらないかもしれませんが、西崎も成瀬も、成瀬との再会以降、希美の精神を保護するためにはなくてはならない存在となっていたような(つまりは利用された)気がするのです。(一旦送ります)
motoさんに同意をもらえなかった、「この口実があれば成瀬君と再び会うことができる」この部分なのですが、私が希美だったら、そこまでの計算をするだろうなと、思ったのです。え~と、「希美は西崎が好き」の場合の方がわかりやすいかな。結婚式でシャルティエ広田の事を聞き出した希美は、無意識に成瀬と西崎と自分を繋ぎます。自室に招く約束を取り付け、且つそのことを(成瀬を招く)事前に西崎に話しておけば、隣室の西崎は必ず介入してくると踏んだ、ということです。(大体いつも西崎は部屋にいそうですし)これを成瀬の場合に置き換えると、「二人きり」で会わなくて済む、「会ってはならない」には抵触しない、となるのではないか?と思ったわけです。いずれにせよ、作戦2は西崎より早く、希美の方が思いついたような感じがするのです。あ、でもまず、ドレッサー事件と希美の心理プロセスを片づけなければいけませんね。
しのぶさん、ドレッサーが『一人で生きて行けない女性の象徴』の意見に同意です。ジレンマからの逃避が西崎への心理的接近、という意見は、まだ私には意見出来ないですね。ただ、ドレッサーが杉下の中で早苗さんに対する罪意識とリンクしているなら、奈央子のドレッサーに成瀬システム?が立ち上がらないのは分かる気がする。まだうまく説明出来ないのですが、杉下の母親に対する罪意識は成瀬との誓約から生じているので、トラウマとは異なり成瀬システムでは保護出来ないものなのかな?と。つまりトラウマは成瀬がオブラートしてくれるけど、母親への罪意識はその成瀬が起源のため、成瀬ではオブラート出来ない、という感じです。だからゴンドラでも解消されなかった。そう考えると奈央子のドレッサーで母親への罪意識を直接的に刺激された。成瀬システムではそれを保護出来ない。ではなんで西崎を対象にシステムが逆作用しようとした?うーん、うまく説明出来ない。でもヒントはあるかも。早苗が杉下を訪ねてきた際の杉下の心理をもう一度考え直せば、なんか見えるかも。以前の理解では、早苗というトラウマの出現に成瀬システムでも吸収出来なくて、成瀬への思いがダダ漏れ、と理解していたのだけど、これを早苗が罪意識とした場合にどう見えるか?がわかれば、奈央子のドレッサーの際の杉下の心理が分かるかもしれん。
早苗さんが杉下の部屋を訪ねた際の様子を考えます。仮にこの時の杉下の反応が罪意識に基づくものとした場合、彼女が母親を避けたのは説明出来ると思います。つまりは申し訳なさですね。でも『逢うと島にいる頃に引き戻されそうで』と言っていますから、やっぱり早苗さんはトラウマ。で、それを保護すべく成瀬システム起動→『誰にも頼らんで生きていきたい』ん?何か違うな?違和感がある。
おお、ひまわりさんが安藤説再考に向かわれているようですね!もともとその可能性も完全に排除してしまっていいのか、というわずかな疑問もあったので…。いや私が人様のご意見にすぐ影響されてしまうという優柔不断なものでして(汗)。さて、…西崎と希美ってものすごく似たものどおし、ですよね。(安藤は対極にいるけど、成瀬は中の3人というより、その中間あたりの人、私の中ではそういう位置づけです。)西崎は母親に痛めつけられながらもそれが愛だと信じたい、体の痛みが心の痛みと重なりそれに震えながらも逃れられない、愛したい、愛されたい…。希美は自立したい、母のような女になりたくない、それが成瀬との誓約、でも本当は穏やかでひそやかでいい、愛のある暮らしをもとめていただけ。ただ愛したい、愛されたい…。ならば自立できない女を認めたっていい、でもそれは出来ない、あの日私を解放してくれた人と「約束」したから。あ、今ちょっと思ったのですが、母のような自立できない女は男に捨てられるという恐怖っていうのもあったのかなあ~。希美は西崎の事、西崎の告白以前によく知っていたんですよね。灼熱バードを全部読んだわけだし、目にした根性焼きも母親からDVを受けたってことも想像に難くない。父親と別れた母親が存命していないことも知っている。成瀬が心にいなければとっくに傾倒していてもおかしくない存在ですね。ただどの地点ですり寄ったか、ドレッサーと西崎に何の関係があるのか、は整理しないといけないですよね。ただ共通点で言えば「奈央子」だったりするんですのがう~ん。奈央子は希美の母親でもあり、西崎の母親でもあり、西崎自身だったりもする…、もうちょっと頑張って考えてみます。ところで、母親が希美を訪問するシーンも再考すべきなのだと思うんですが、5話だったかな、洋介から希美への電話が気になるんです。この時の内容は、・母親が再婚した・成瀬の悪いうわさを聞いている(大学に行っていない)この2点でしたが、これ放送当時伏線のようなものだと思っていたのに、回収的な描写がなかったことにがっかりした覚えがあります。だけどこの電話の描写以降物語が一気に「意味不明」な方向に行くんです。それはさておき、洋介の電話ってただのお知らせだったのでしょうか?希美はママに電話でなくて、訪問拒否して、「悪かったな~」と思うと思うんです。一方成瀬に対して、「怒り」というと大げさかな、わだかまりのようなもの、感じなかったのでしょうか。「成瀬君との誓いを守るために私はこんなに頑張ってきたのに、お母さんを捨ててまで、あの頃に戻されないため連絡も絶った。なのに成瀬君は私との約束を反故にしたわけ?」いや理不尽だとは思いますが希美の立場だったらそういう感情もわいてきそうな気がするんですよね。そこからゴンドラ、ドレッサー、西崎不倫告白、成瀬再会と続くわけでして、何か見えてきそうな「気」だけはするのですが…。
早苗に対する杉下の罪意識。杉下が同様に罪意識を抱えているのが成瀬。早苗に対する罪意識は成瀬に端を発している。その意味でこの二人は杉下の中で繋がっている。早苗が杉下の前に現れる。早苗に対する罪意識が刺激される。その原因となった成瀬が想起される。杉下にとっては成瀬も罪意識の対象。成瀬に対する罪意識は自分の衝動に成瀬を巻き込んだ事。そこから生まれた『誰にも頼らん』。でも彼女の発言は『誰にも頼りたくない』の逃避願望。んーなんか上手く繋がらん。
しのぶさん、早苗さんが訪ねてきた時の杉下の心理、いまいち上手く繋がらないんですよね。考えているんですけど、早苗に対する感情と成瀬の想起が上手く繋がらない。なんか勘違いしてるかな?確かに闇落ち成瀬の話を聴いた時の事がどこで回収されてるんでしょうね?私も多少違和感を感じました。後、早苗絡みですが同窓会のために島に帰った際、杉下は母親を遠目ながら働く姿に安堵してるシーンがある。それが早苗の訪問には動揺しまくり、っていうんで?になった記憶があるんです。これはなんだったんだろ?
あ、今思ったんですが、奈央子は自立できない女だと希美は知っていた。そのうえでの西崎の不倫告白、「怒り」」の発端はそんな自立できない女を好きになるのか!ではないのかな~と考えてみました。
連投すみません、そしてまた言葉足らずですみません。希美は自己否定された気分になった、のではないかな~と思いました。ママ訪問時の希美の感情、私も考えてみます。後、motoさんが疑問に思ったシーン、私も同じくです、ただmotoさんが色々隠されている、と仰っていたのでちゃんと意味があるのではないか、制作側のミスなのか、はたまた大人の事情なのかちょっとわからないところでもあります。
しのぶさん、大人の事情って(笑)
カフェで安藤について少し書きましたが、最終的にスカイローズガーデン事件時の希美のNが安藤であったとするには、成瀬ではなかった=さざなみ事件の蒸し返しを一番恐れていたのではない、の証拠集めをしないとなりません。その証拠集めの過程で、こちらで話題になっているドレッサー事件があるので参戦したいと思います。私はこのドレッサー事件、すごくシンプルに捉えていました。ゴンドラ→ドレッサー事件→島で成瀬と再会→成瀬との関係を復活→N作戦2に協力、この過程の希美の心理は一本線でつながると思います。おじいちゃんの「苦労は忘れるのが一番」を引用すると、以下のように希美の心理は変化したのではないかと。部分的にしのぶさんの考察とかぶります。ゴンドラ・・・過去の苦労を忘れて、もっと広く新しい世界に出たいと願うドレッサー・・・過去の苦労(罪)は忘れることはできないと思い知らされる成瀬との再会・・・過去の苦労を忘れるのではなく、過去と向き合いながら今を進めていく発想に出会うN作戦2・・・過去の罪と向き合う一つのきっかけとして、同じように過去の罪と向き合おうとしている西崎に協力することを決める成瀬がさざなみ放火、父親の死、詐欺などの犯罪に手を染めたこと、それらの過去と向き合って「料理人になりたい」という未来に向かって今を進めていること。これが希美にとってのターニングポイントになった。成瀬と再会するまで、希美には過去と向き合うという発想はなかった。だから、過去を乗り越える、忘れる、全く別の世界へ行く方法しかなかった。よって、過去と向き合うこと=母親と会う、ドレッサーが部屋に持ち込まれることに嫌悪した。しかし、成瀬は違った。成瀬も同じように苦しみ犯罪に手を染めるまで闇落ちしたが、料理人になるべく再出発していること、これが成瀬との関係を復活させた希美の最大要因かと。成瀬の傍で一緒に時を前に進めることこそ、希美が過去と向き合う手段だったと思います。そして未来へ、その後はまだ希美にも決めかねていたのかと。男女の関係として成瀬と一緒になる?別の男性と一緒になる?いずれにしても、過去と向きあわなかった時よりも、ずっと前向きに自分の人生を考えられそうだった。あと、早苗さんの訪問。早苗さんを希美は会いたくないほど嫌っているわけじゃない。むしろ母親がどうしているのか気がかりであるし、罪の意識も大きい。しかし、全く別の新しい世界で自分の時間を進めているのに、ここで過去と向き合えるほど希美自身に心のゆとりがない、という心理じゃないですかね。毎日父親に借金を返しながら一歩ずつ過去と距離を離していく、借金に追われるだけでも過去に受けた苦痛と戦っている日々なのに、そこにいきなり母親が来て自分にどうしろと?母に謝る?無理だと思います。ここは論理的とかじゃなくて、自分が希美だったら無理だなと思いました。いったんここであげます。
同窓会で杉下が島に帰った際に母親の働く姿に安堵したシーンは、早苗が野ばら荘を訪れた際の『お母さんに会いたくない訳やない』に繋がっているんだと思います。それでも合うのを避ける心理としては1,早苗に対する罪意識から避ける心理2,早苗の依存性に苦労した過去からの逃避3.その混合このいずれかだと思うんです。 その後に彼女は『島にいた頃に引き戻されそうで』と言っているので、少なくとも『過去からの逃避』である事は間違いない。でその後、その頃には戻りたくない、『誰にも頼らんと生きていきたい』と繋がります。つまり『過去からの逃避』と『誰にも頼らず生きていきたい』が杉下には等価なんですね。この二つはバルコニーでの宣言に繋がっているように見える。でもブログでも検討したとおり、杉下の『誰にも頼らん』はさざなみ炎上以降は『成瀬に頼れん』の変形なんです。そうするとこの時の杉下には『過去からの逃避』と『成瀬に頼れん』が等価という事になる。そして『成瀬に頼れん』心理を隠蔽・保護するための心理機構である『究極の愛』が起動するも早苗の登場というあまりに直接的なストレスに『究極の愛』システムも感情を処理しきれずに西崎が成瀬については問うと涙を流し声を震わせ成瀬への感情だだ漏れ状態に陥った…と、説明するといかにもそのとおりなんですが、どうしても腑に落ちていないのが『過去からの逃避』だとすると、成瀬のさざなみ炎上の暴露に対する杉下の『父親も母親もあの女も…縛るものは誰もおらん』の独白と矛盾するんです。つまり、さざなみの炎上で杉下の中では島での困難の記憶は解放されていたはずなんです。ですから、この独白が正しいとすると(というか与件になるんですが)上記の『逃避』説と矛盾する。そうするとこの時の杉下の心理は『早苗に対する罪意識』が起因のはずなんですが、罪意識起因だとすると上手く『成瀬に頼れん』と結びつかないんですよね。
ひまわりさんゴンドラでの杉下の心理変化については実は私はひまわりさんとは逆の判断です。杉下はこの時自分の限界に気づいたという理解しています。このゴンドラで杉下は成瀬との誓約を果たし、その結果呪縛を逃れました。でもその結果としてその次が彼女の中にない事に気づいた。そうした時、彼女は世界が平面として広い、という事に気づいた。彼女の中では世界は上下の一次元でしかなかったんです(上に行く!)。そして安藤に『怖くない?』と聞いている。つまり彼女は世界が平面に見えた時、その広さにたじろいだんです。成瀬の呪縛から解かれた杉下は素に近いと言えます。素の彼女に強烈な上昇志向があったか?それは無いんです。だからのちに安藤に『日本じゃ勝ち目無い』と言ってますよね。この発言は逆を言えば安藤の能力と張り合う事を放棄しているんです。と、ひねくれ者としてはゴンドラの杉下の心理変化はこんな感じに見えています(笑)こんな状態だと見えている杉下に周囲の状況が残りつつ事が進んでいく杉下の中で何が起こるか?それが今一番の関心で、その取っ掛かりとしてのドレッサーなんですよね。
motoさんはぁ‥一度書いたのを誤って消してしまった。へこむ~(涙)思い出しながら書いてますが、省略しちゃったかも。伝わりにくかったらごめんなさい。まず、早苗との再会を拒む理由が過去からの逃避であれば、火で過去から解放されたという希美の発言と矛盾するという指摘ですが、私は矛盾していないと思います。希美の発言の通り、火によって過去から解放されたの「過去」は、放火前の「過去」に限定されるからです。放火後も、成瀬と罪の共有、成瀬との別れ、大学入学資金獲得の悩み、母との口論、母を捨てて島を出る‥と、辛いことは続きます。よって、希美にとって島という場所は、自分の力ではどうにもできない負の連鎖が起こる場所であり、希美が逃れたかった過去の苦い記憶の象徴ではないかと。仮に自分がお城を放火していたとしても、島という場所では別の負の連鎖が起こったのではないか。そこから逃れられないのではないか。ゆえに、島を出て自分の力で変えられる世界で生きたかった、その代償として誰にも頼らない一人で生きていく決心をした。ここは放火前と後で変化はありません。motoさんのお考えと同じく、放火後は「誰にも」が「成瀬にも」に変わりますが。うん、表面上はそう。でも本心は成瀬には頼りたい。でも頼っちゃいけない。そして成瀬を思い涙するシーンにつながるという解釈です。そして、ゴンドラのシーン。果てしなく広がる平面な世界を見て恐怖と自分の限界を感じた、この部分は同意です。ただ少し解釈が違うかな。上だと思っていたのが平面だったから恐怖を感じたではなく、上に行ったら見えた世界が果てしなく広かった、自分一人でその世界で勝負することに恐怖を感じた、と捉えています。希美の上に行く!は、上に行ってそこから何が見えるか、そこに何があるのか知りたいということだったと思うんですが、違いましたかね。見返してないんで違ったらすみません。だから、ゴンドラは単に位置的な上でしかないですが、上に行きそこから見えた景色が果てしなく広い世界だった、そこで一人で戦うことの怖さを知った。そう私には思えました。そして、つかまってていい?の台詞が出てくる。誰かに頼ることができるのならその世界で勝負し続けられるのだろうか、安藤がその誰かになりえるのだろうか、そんな可能性と期待をうっすら持ったのではないかと。希美のゴンドラに乗るなどの野望が、成瀬との誓約や呪縛と私は捉えていないので、異なった考察になるのでしょうね。私は希美の野望は、成瀬と親しくなる前から存在していたと思っています。お城を追い出されてからの辛い日々、自分自身を奮い立たせるために希美が生み出したものが野望だと思っています。だから、野望を持つことは希美の成瀬抜きの個性と言えると思います。お城を追い出されたから強い上昇志向という形で野望が描かれていますが、本来の杉下希美も明るく前向き思考(妄想癖?)の強い女性だと思います。だから、私の考察も非常に楽観的なのかしら?また、ゴンドラで果たした野望はあくまで位置的に上に行くだけ、地位的に上に行くのは当時の希美にとって達成されてはいません。ゴンドラを降りて、再び就活など上に行くための努力が始まるわけです。よって、ゴンドラ後の希美の心境は、自分の力で上に行けるだけ行ってみよう、そして一人で行ける限界まで上に行けたなら、その時は誰かに頼ってさらにもっと別の世界に行ってみるのもいいんじゃないだろうか‥という感じで、成瀬と野望を語り合った日以上に、恐怖もありつつ期待もあるみたいなワクワクドキドキに包まれていた‥楽観的すぎ?ちなみに頼るっていうのは早苗や奈央子とは違います。自分の力で最大限努力した末の話です。それでも自分一人の力には限界がある。誰かに頼らなければ行けない世界もある。安藤はそれを教えてくれた人なのではないかなぁ。こんだけ前向きにゴンドラ以降日々を過ごせていたなら、ドレッサーが持ち込まれたことで希美が感じた絶望感は半端ないはず。再び過去の罪と負の連鎖の恐怖を感じずにはいられない。長くなりましたが、motoさん、しのぶさんはどうお考えですか?
ひまわりさん!!!同じシーンを見てこれだけ感覚が違うというのがドラマ制作陣してやったり、というところでしょうか。原作者は立体パズルを作りたかったらしいですが、何か私には騙し絵のように感じてしまいます。答えという到達点にたどり着いたと思ったらまた同じ場所に来ている、みたいな感覚です。私は、motoさんとほぼ同じ感想です。motoさんは私の師匠で、影響も受けていますが、ゴンドラに関しては公式でも数少ない確信を持って、「希美の野望の中身は空っぽ」と書きました。ただ、「成瀬に解放された」、というmotoさんの論は「ああ、なるほど~」とのちに感心した次第です。このシーンで私が感じたのは「安藤との別れ」です。希美は成瀬を想いつつ、安藤に惹かれていた時期がある、ゴンドラ前(沖縄あたり?)から安藤の引っ越しぐらいまで、その後その気持ちは自然消滅した、ととっています。このシーンは何度見ても安藤との切ない別れに見えてしまうので涙してしまうのです。なぜ別れに感じるのか、は二人の価値観がまるで違う、ように見えるからです。世界に挑む安藤、自分はその先の野望などまるで持っていない、希美、「安藤とは住む世界が違う」ように見えました。縮まってきた二人の距離が全く離れた、安藤はその距離を縮めるためのサプライズだったのに…だからと言って惹かれる気持ちがすぐに収まるわけでもない、だから引っ越しのシーンで安藤に対して複雑な表情を見せたように感じました。しかし価値観の違いというのは人の気持ちが左右される大きなものだと思うんです。だから安藤に惹かれた気持ちも自然消滅した(出来た)ように感じるのです。motoさん、ママ訪問時の希美の心理はなんとなくまとまってきました。自信はないけど…。今日は遅いのでまた来ます。
ひまわりさん早苗さんに関してですが、それほど大きな差がある訳では無いんです。言葉の用法に起因するかもしれないのですが、私はさざなみ炎上以前を『過去からの逃避』、さざなみ炎上以降を『罪意識』として使い分けています。なぜこのような切り分けをするかというと、彼女の母親への対応が受け身から攻め手へと攻守交替しているから。そしてそれがなぜ起きたかというと、ゴンドラの話でも出てくる彼女の野望と関連しています。確かにひまわりさんのおっしゃる通りに、杉下の野望は成瀬との関係以前から形成されていたものです。ですがその野望が、バルコニー演説、さざなみ炎上、1117Nチケットで成瀬との約束、誓約となった。そしてその成瀬との誓約を実現せんがためには母親を『切り捨てた』が故の罪意識、という解釈です。だからひまわりさんの仰っている解釈は間違いだとは思っていないんです。といかついこの前までは私もひまわりさんとほぼ同じ解釈だったんです。ただ、どうも奈央子のドレッサー送りつけ以降の杉下の心理変化、殊に西崎と成瀬への心理作用とその動きを正確に理解するには早苗に対する二つの感情は意識して切り分けて考えないと理解出来ないように感じて、その前段である早苗さんの訪問時の杉下の心理状態を詳細に切り分けして考えている、という感じです。で、なんですこんな微細な部分に拘っているか?というと、ここの解釈でラスト、杉下が早苗に会いに行った際の理由が変わってしまうからです。私の従来の考えでは、杉下は早苗を赦すことを自らに課して尋ねた、という解釈だったんですが、実は早苗さんに赦されたくて行ったのでは?と感じています。杉下の魂の上昇過程を理解するのが私の目標ですので、このベクトルの違いは私には重大な差異なんですよ(笑)ここで一度落ちます。
しのぶさん、師匠、だなんてそんなの無しで(笑)。そういうしのぶさんの『杉下の野望は空っぽ』説を私はそのまま受け継いでますよ。公式でもはっきり杉下の野望の性格を指摘したのはしのぶさんだけだったと記憶してます。そしてここでの論考の非常に重要な論理的基礎の一つです(笑)。しのぶさんのコメントについてはまた追って書かせてもらいます。ひまわりさん、杉下の野望とゴンドラとの関係についてです。野望の形成はひまわりさんの仰る通り、成瀬との関係が始まる前に形成されたものです。ですが、ゴンドラ後の杉下の心理変化を見ると、彼女の野望が成瀬と結び付けられていると思えるんです。具体的にはゴンドラで俗にいう『冷蔵庫のトラウマ』が解消された。『冷蔵庫のトラウマ』は本当は無くて、あくまで彼女がストレスを感じた際に大量に料理を作ってしまう、という彼女のストレス発散法の結果なのですが、彼女自身がそのストレス発散法に頼る必要性を自分自身が感じなくなった、という風に理解しています。つまり杉下自信がそのストレス源が解消出来た事を認識していたわけです。その解消出来たストレス源とは?つまり成瀬との野望の実現、それに対する彼女の焦燥観なのです。だから野望が全て実現した時、『冷蔵庫のトラウマ』も解消された。続いての杉下の野望の性格ですが私も上で書いたしのぶさんの『空っぽ』説を採っています。その根拠は最後ゴンドラで実現した野望は彼女の『まっすぐな水平線が見たい』、『上に行く』だったものがこの二つが合成されいつの間にか『(物理的に)高いところから見る水平線』にすり替わっているんです。すり替わっていたが故にこのゴンドラで野望が実現した。ですが、すり替わった事自体が実は彼女の野望とはすり替わりを許すほどに実は内容に乏しくてかなり形式的なものだった、という証拠なんですね。それは彼女の就職活動にも現れていて、彼女がこだわったのは建築関係。でも彼女自身は英文科卒でその関連性の無さを面接官からも指摘されています。これらの事から、彼女の野望は実は『空っぽ』だと結論付けました。これらの事から全体として彼女の野望の性格を考えると、島でのどうしようもない現実の中でそこからの逃避先として形成され、本来であれば島を出てしまえば用なしになるはずだった彼女の野望が、成瀬との関係から絶対化されその後も彼女のストレス源となり続けた、というのが今の解釈です。実は彼女の野望についてもカモフラージュがされていて、現代編では彼女は成長途上にある住宅設計事務所の共同経営者として、一応の社会的成功を収めた事でこのあたりの実態を隠蔽されていますね。でも、よくよく考えると彼女が建築業界にこだわったのは、自分が喪失した『Home』、それははっきり言えば心の拠所としての成瀬を慕う心理の代理行為であり、またパートナーが見せてくれた夢に自分を預けたのが実情でしょう。確かに彼女は頑張ったのだと思います。しかしそれは野望の実現というより、1117チケットを数珠に、頑張れエールを念仏として成瀬に対する罪滅ぼしてきな感情の中での仕事ぶりだったのだと思います。だから成瀬の問題が目の前に現れたさいには、あっさり仕事を辞めているんです。
しのぶさん、ゴンドラの時の評価はほぼしのぶさんに同意です。安藤に関して杉下に感じていたものは正直私には評価出来ませんが…。ただ少なくとも杉下が安藤との間に未来を思い描いてはいない、と言っていいと思います。私がそう判断する根拠は、杉下に『瞬間記憶』の描写が無いんです。私はこのドラマがキルケゴールの実在主義哲学がモチーフだととっているんです。で瞬間記憶はキルケゴールの時間論で『瞬間とはえいえんが有限な時間に介入し、何かを生成するその時』。ですのでこの物語では瞬間記憶が、これから何かが始まる、変化するというシーンで挿入されている。そう見た時、ゴンドラのシーンには瞬間記憶の描写が無い。という事は杉下は安藤との間に何か変化、新しい関係というものを観ていない、という判断です。これはラストシーンでNotreのテラスから海を眺め、瞬間記憶が描写されているのと対、対称関係でしょうね。あとは安藤の左に杉下が立っていた事かな。このシーンだけ、杉下の男性に対する立ち位置の演出上、他に無い例外なんですよねー後最期に、ドラマ観についてですが。私の感覚では入れ小細工のイメージかな。もしくはRPGでのダンジョン内での隠しルート。え、こんなところにまだルートがあったの?みたいな。その隠しルート探しをしてる感覚です。
早苗さんが杉下を野ばら荘に尋ねた際の心理分析です。さざなみ炎上を見ての杉下の感情『…縛るものは誰もおらん』を与件とします。この与件から『過去からの逃避』説はない。そうすると『島にいた頃に引き戻されそうで』の杉下の発言は与件から少なくともさざなみ炎上以降の島時代という事になる。これはさざなみ炎上以降に杉下が早苗に抱いていた感情『罪意識』の成立以降となる。そうすると杉下の『罪意識』と『誰にも頼らず生きて生きたい』が杉下の中で等価となる。それはつまり『罪意識』と『成瀬を頼れない』が等価。『成瀬を頼れない』の成立はそもそも彼女自身による『お城放火未遂』がきっかけであり、それがさざなみ炎上に繋がった、という成瀬に対する罪意識が起源。そうすると早苗の登場により早苗に対する罪意識の刺激⇒成瀬に対する罪意識が刺激され、『究極の愛』システムが起動した…そうすると彼女の『島にいた頃に引き戻されそうで』の発言は成瀬との誓約を果たすために、杉下自身が母親を振り切った(監禁騒動)以降の、母親への申し訳ない感情と依存心の強い母親からさえ自分が突き放された事、及び成瀬を心のよすがとしてのみ切り抜けざるを得なかった強烈な孤独感の時代、という事になる。そうすると、島時代で一番辛かったのは、さざなみ炎上以降島を出るまでの間という事になる。
motoさん、しのぶさんお返事ありがとうございました。本当に受け取り方さまざまですよね、すごいドラマだなぁと思います。ゴンドラ=安藤との別れのシーン、原作だとそうなんですよね。でもドラマだとここに仕草表情がプラスされるから、なぜその仕草が出たか、それを考えるとまた違った答えが見えてくる。仕草表情は人物の心理変化に付随して起こるものですから、ドラマでは特に私は大きな謎解きの要素と思っています。しかし、受け取る側によって多彩に答えが変化する原因にもなりますよね。しのぶさんと同じく、ゴンドラ以降の安藤とのシーンに、私は希美の安藤への恋心を感じます。違うのは、それを別れととるか始まりととるか。私は安藤との別れはスカイローズガーデン事件後だと思っているので、ゴンドラはやはり出発点。motoさんのお説通り、瞬間記憶が何かの出発点だとすると、このシーンは何も出発されていないとの結論になるのでしょう。私はまだ瞬間記憶について答えが出ていません。瞬間記憶の他の定義を見つけたいと思います。さて、ゴンドラからN作戦2協力までの希美の心理変化についてに戻ります。この過程がmotoさんとしのぶさんの解釈と違う最も大きな要素は、希美の野望が成瀬と交わした誓約・呪縛と捉えるかどうか、だと思います。自分はそうとっていないので、違う心理変化の過程になる。そこでちょっとお聞きしたいことなんですが、お二人のコメントから推測した希美の心理変化、勝手にまとめてみたんですけど‥違ったら教えてくださいね。島時代までさかのぼって書いてみます。さざなみ放火⇒ それまでの過去から解放される放火後⇒ 島時代でもっとも辛い時代=①+② ①成瀬に頼れない ②野望が成瀬との誓約になり、その実現のため母を捨てた=母への罪悪感が出現新生活スタート⇒ 成瀬との誓約がストレスになる=料理を作りすぎて冷蔵庫がいっぱいゴンドラ⇒ 野望の達成=成瀬との誓約からの解放=冷蔵庫はいっぱいにならない 野望は空っぽであり、平面な世界に恐怖を感じ、自分の限界を知るドレッサー⇒ 母への罪悪感が再度出現成瀬との再会⇒ N作戦2に協力⇒ 最後の二つは、どんな心理だったのか、きっと他の場所にあるのですよね。ごめんなさい、まとめきれず。ここを教えてほしいんです。また、小説ではドレッサー事件後、再び冷蔵庫がいっぱいになりますが、ドラマではいっぱいになりません。ここをふまえて、ドレッサー事件で受けた母への罪悪感(これは希美にとってストレス?)を希美はどのように消化していくのか。料理以外の方法でとなるのかな。成瀬と再会することによってかな。その過程は?そして何のために再び成瀬との関係を復活させた?その後どのような心理変化をたどってN作戦2協力に至ったのか。私はたぶん、さざなみ放火後の早苗さん対応が、逆なのかな。成瀬と交わした野望が原因で母を捨てて島を出たのではなくて、母を捨てて島を出たかったから、成瀬と交わした野望をバネにした。最後の早苗に会いに行くのも同じ構図かな、希美の中にもともとある本心を上手に引き出して背中を押すのが成瀬くん。あと、上のmotoさんのコメントにある、「杉下の魂の上昇過程を理解するために、このベクトルの違いは重大な差異という部分」、ぜひ詳しく聞いてみたいです。
ひまわりさん、遅くなりました。ごめんなさい。安藤に対する感情の見え方はドラマ全体に何を見ているか?何を見たいか?という作品全体に対する視聴者の期待感だと思います。ちょっと難しい表現になりますが、私がドラマに観ている世界観は『構造主義的制約下におけるキルケゴール的実在主義』です。簡単に言えば、トラウマを抱え絶望の淵にある杉下が如何に自らの魂を解放しうるか?という事で、それが私がこのドラマで究極的に理解したい事です。ここの期待感でドラマ全体の見え方がガラッと変わるんだと思います。博愛的精神への期待をお持ちの方々には、例えば『西崎が犯人になったのは奈央子を含む全てのNを嫌疑から除外するため』と見えるでしょうし、私のような立場に立てば、その博愛的精神のように見える物語のなかから、『究極の選択』としてのゲームの成立(外鍵の隠蔽の事)にミステリーとしてのトリックを見出すわけです。杉下の心理変化についてのまとめ、その通りです。で、今私の関心はドレッサーがきっかけとなって如何に杉下の西崎への感情が形成されうるか?というものです。従来、ゴンドラで成瀬から解放された。でも『究極の愛』の精神保護システムは生きつづけており、それが西崎と結びついた。という理解でした。しかし杉下にとって早苗とは単に過去の嫌な記憶、というだけに留まらず、成瀬という存在により杉下の罪意識の対象としての側面が存在する、という事に気付いたとき、成瀬という呪縛が外れた杉下に、ドレッサー以降西崎を対象とした『究極の愛』精神保護システムが如何に立ち上がったか?それは従来の理解であっているのかに疑念が出てきたからです。実は当初このドレッサーの事件のドラマ中での位置づけに苦慮していたんです。早苗に対する罪意識から改めてこのドレッサー事件を位置づけしなおそう、というのが今の関心です。島を出る際の動機に関するひまわりさんの分析、面白いですね。私はお城放火未遂→さざなみ炎上→1117Nチケットの過程で過去の嫌な記憶は成瀬という存在にオブラートされ、改めて成瀬という存在から早苗に対する罪意識が形成された、という理解ですから、これを逆に取った場合、違う世界が見えるのかも知れませんね。もしからしたら安藤の扱いの理解の差も元を辿ればそこに行くのかも知れませんね。最後『ベクトルの差』について私は当初杉下が早苗を尋ねたのは杉下が早苗を赦す事が出来るか?を自らに課して尋ねたととっていたんです。成瀬に最後身を寄せた時、いずれは体の自由が利かなくなり成瀬を『頼った』生活を余儀なくされる。この時の状態を早苗に対する嫌悪を抱えたままの杉下がどう反応するかを杉下自身が予想したとき、杉下は自己嫌悪に陥ると予想した。そのような自己嫌悪を抱えたまま成瀬に頼る事を良しと出来ない自分がいる。だから成瀬の元に行く前に、その自己嫌悪の原因である早苗を赦せるなら、自己嫌悪を回避でき素直に成瀬を頼る事が出来る。そしてそれが成瀬を頼るために条件だ、として早苗のものとに向かった…そして早苗を赦す事が出来たのだから安藤も赦す事が出来、『元気でね』となった…つまり、とにかく成瀬の前にまっさらな精神の状態で、さも赤子が母親を無条件に信じるが如く立ちたい、という心理からの行動だと取っていたんです。子供を見る際の表情の変化がある種その暗示だと取っていたんですね。そしてそれがひいては安藤に対する赦しにもつながるという。でもその後早苗に対しての罪意識の存在が明らかとなったとき、早苗を尋ねた理由が『早苗から赦されるため』という可能性が出てきた。そうすると上の理解は正しくない事になる。このベクトルの逆転は杉下が安藤との関係も含め成瀬の元に戻る決意の私のこれまでの解釈を大幅修正しないといけなくなる可能性が出てくる。だから私には結構シビアな問題なんです。
motoさんベクトルの差についてのコメント、ありがとうございます。なるほど、一点見方が変わると物語としても大幅に変更してくるのですね。それがこの物語の非常に面白いところなんですよね。こういう手の話に弱くて、どっぷりはまってしまう私。あと、こちらのブログもすごい!こうしてさまざまな考察をお聞きしたり、質疑応答している中で、自分の考察にもまた新しいアプローチや発見があって。motoさんのドラマ全体に何をみたいか?で物語の構図が変わってくるというところ、なるほど~と思いました。私は何をみたいんだろう。博愛的精神やmotoさんのような立派なテーマのように、言葉でうまく説明できないです。しいて言うと、生と死ですかね。杉下希美がどう生きて、最後どう死を迎えるか。杉下の「誰にも頼らん!」生き方、死の迎え方。対照的な奈央子の「一人で生きていく力のない」生き方、死の迎え方。でも、いくら生きているときに人に頼らなくても、頼り切っていても、死ぬときってみんな一人なんだよなぁ。その時をどう迎えるか、それが私が見たいことかも。あと「瞬間記憶」の定義、やっぱり私はみなさんと少し異なる印象を持っています。だから「瞬間記憶」という言葉も違って、まださぁ~と調べただけなんでまた変更するかもですが、自分の印象と一番近い言葉は「フラッシュバルブ記憶」というもの。娘が起きてしまった!まだ書きたいことあったけど、ここで中断。
ひまわりさん、遅い時間にコメントありがとう御座います。ひまわりさんのところはお子さんがまだ小さいんでしたよね?育児ご苦労様です。時間が定まらない間は、ご自身の体も大変でしょうが、ご自愛下さい。このブログについてもお褒め頂き、ありがとう御座います。でもそんなに大したものでは無いですよ。なんと言っても動機がどうしようも無い。自分にとって杉下の心理を理解する事は、自分のマリア様の心理を知りたい、あの時マリア様はなぜあんな行動をしたのか?なぜあんな事を言ったのか?という自分の歪み、囚われの原因を知りたい、というどうしようも無い感情の代理行為なんです。そして何処かで杉下と成瀬のような奇蹟を信じたい、というどうしようも無い感情なんです(笑)自分がドラマに観たいものが『生と死』との事ですが、実在主義哲学が行き着くところは結局はそこですよ。自分がどう死にたいか?そのために自分はどう生きるか?という極めて個人的な問題を扱うのが実在主義哲学です。ちなみに実在主義哲学の祖であるキルケゴールという人物もレギーネ・オルセンという女性に強烈な歪みを抱えていた人物です。また、自分の兄弟が相次いで早死にした事から自分の寿命を明確に自覚しながら生きていた人物です。その著作は難解で真意を巧妙に隠し読者を騙す表現手法を多用したそうです。私がドラマをキルケゴールの実在主義になぞらえているのは、物語の構造や描写だけでなく、上記のようなエピソードも踏まえキルケゴールとの親和性を感じ取ったからです。
昨日書こうと思った、物語で繰り返し登場する瞬きとシャッター音のシーン。私がこのシーンで感じた印象に最も近い言葉が「フラッシュバルブ記憶」です。定義はウィキペディアより「個人的に重大な出来事や世界的な重大事件に関する非常に詳細な記憶を意味する。閃光記憶。「写真のフラッシュを炊いた時のように」鮮明な記憶。」また、心理カウンセラー用語辞典より「劇的で感情的な出来事がそっくりそのまま、写真のように焼き付け(閃光)られる記憶。ショッキングな場面で起こりやすいので、後にトラウマになる危険も含まれている。」さらに特徴として、重大な出来事として話題になることが多いために、報道などによって記憶が強化されるそうです。結論から言うと、瞬きとシャッター音のシーンには、そのシャッターを押した人物にとって何らかのトラウマが生まれた瞬間じゃないかと。motoさんの「瞬間記憶は何かが始まる、変化する描写」という定義も答えの一つであると思います。その何かが、私はトラウマだと思っています。ただもう一つ、今迷っている考え方があって。それが特徴に示した部分、「報道などによって強化される」記憶であること。報道がドラマの製作者で、強化されている記憶が視聴者の記憶だとすると、そこには何らかのトリックがありそうなんですよね~。ここはmotoさんが以前指摘されていた、さざなみ放火後のパトカーで希美が成瀬に言った言葉、あれが最後まで引っ張るわりにたいした内容じゃなかったっておちに起因するんですが。これが、過去と現代を行き来する際に用いられる写真の数々、毎回最初のドラマの復習シーン、回想シーンなどで強化され、実はシャッター音がないシーンもあったように錯覚したり、意外な場所にシャッター音が入っていたことは忘れていたりする。だから、もう一つの考えは、このシャッター音も製作者の視聴者に対するある種の騙し、嘘が隠れている場面なのかと。もう、分析し始めるときりがないですね、ひとまず上げます。早苗さんへの罪悪感が芽生える過程や、ドレッサー事件後の希美の心理変化から少し離れました、すみません。また考察続けましょう。
ひまわりさんへ、はぁ、『フラッシュバルブ記憶』と言うんですか。たぶん現象としては仰られているものなんでしょうね。ただ『フラッシュバルブ記憶』の全てがトラウマか?というと違うんだと思うんですね。例えば、『頑張れエール』を見た後の高野。安藤が野ばら荘を出て行った後の杉下。安藤との待ち合わせ時に街中のツリーを見上げたときの杉下。NOTREで成瀬と再会し、海を見渡した際の杉下これらはトラウマ、という表現にそぐわないと思うんです。ですので私は『何かの始まり、変化』と理解したんですね。ただ、『ツリーを見上げたとき』だけはそれでも判らんのですよ。この時になにか杉下に変化、始まりが何かあったか?なんです。シャッター音については気付かんかったな。シャッター音のない『フラッシュバルブ記憶』ってありましたっけ?もしそうだとすると、何かの示唆の可能性が高いですね。ゴンドラでの杉下の立ち位置の操作と通じるものがあるかもしれません。ひまわりさん、『フラッシュバルブ記憶』シーンを羅列って出来ます?シャッター音のある無し含め。何か出てくるかも知れませんよ!一部にはくどすぎ、と言われたあらすじのリピート。これもある種の刷り込みが製作側の意図としてあるでしょうね。人は繰り返し映像を見ることで記憶が強化されますからね。そこに杉下のモノローグでも嘘にならない範囲で被せれば、効果的面ですよ。安藤の外鍵隠蔽についての多くの方の誤解は間違いなく前振りで安藤の鍵を掛けるシーンで杉下の『一番大切な人』モノローグを被せたことで誘導されていますよね。ちょっと話の筋がそれますけど、このドラマ、原作と比較して徹底的に安藤へ誘導するべく造られていますよね。そして西崎の色を徹底的に薄くした。原作では西崎としかない手繋ぎを杉下の感情表現に見せ(実際彼女の感情が込められているけど)何度も安藤と手を繋がせてます。で、原作の手繋ぎが杉下の男の背中に頭を垂れる、に置き換えられている。それも西崎に関しては泥酔してのおんぶですからね。これに気付いている人は殆どいないと思いますよ。
さて、ようやくドレッサー事件に戻ってこれました(笑)早苗さん来訪時の杉下の心理プロセスを詳細辿ったら、早苗に対する罪意識から『究極の愛』のシステムが立ち上がるのは判った。では、ドレッサー事件はどうなの?となる。一つ考えたのは杉下にとってドレッサーはどういう意味を持つか?という事。これは一般的には『ドレッサーのトラウマ』という表現で理解されていますよね。でも、これも冷蔵庫と同じだと思うんです。つまり杉下の中に『ドレッサーのトラウマ』たるものは無い。ドレッサーはあくまでシンボルだと思うんです。では何のシンボルか?という議論になる。これがゆきとのいざこざおよび早苗さんとのシーンに結び付けられて、トラウマを呼び起こすシンボル、というのが世間的な理解だと思います。でも実はさざなみ炎上以前というのはドレッサーって以外と影が薄いんです。たしかにゆきとのいざこざはあったけどあれぐらいでしょ?あとは早苗が造ったカードをドレッサーの引き出しに入れていた事くらい。化粧水びちゃびちゃはドレッサーではありません。むしろ早苗とドレッサーを繋いでいる描写は、杉下が大学合格を母親に報告して『これからは一人で生きていって』と言い放ったシーン(アルバムを見ていた)と、早苗が夜に池園さんの事が相談したくて電話してるシーンなんです。こうした事とさざなみの炎上を見て感じた彼女の『父親も母親もあの女も…縛るものは誰もおらん』発言と考えると、やはり杉下にとってドレッサーは早苗さんに対する罪意識を呼び出すシンボル、ととったほうが正しいように感じます。そうすると奈央子のドレッサー送りつけで杉下の早苗に対する罪意識が刺激され、『究極の愛』が立ち上がった。ただ早苗訪問時とは違いそれは成瀬に対しての感情から切り離されていたが故に西崎と結びついた…ここのプロセスを理解したいのですが、この時の杉下が早苗訪問時と異なるのはゴンドラの経験です。ゴンドラで成瀬の呪縛から逃れた。そうすると杉下の『野望』と『究極の愛』の構造的な関係もしっかり整理しないと、いけないのかな?と。というのは、『究極の愛』が早苗に対する罪意識から起動しているのは成瀬に対する罪意識と繋がっているから。成瀬に対する罪意識はこの段階でも存在しているからこそ、『究極の愛』が立ち上がったわけで、成瀬から完全にフリーになってはいない。そうするとなぜ『究極の愛』が成瀬から外れた状態で立ち上がったのか、そしてそれが西崎と結びついたのかは、漠然とではなく『究極の愛』と『野望』の構造を理解しないといけないような気がします。
motoさんフラッシュバルブ記憶についてコメントありがとうございます。そうなんですよ~、トラウマとするにはまだ分析途中でして。シャッター音のないフラッシュバルブ記憶‥ここは私の説明が言葉足らずだったかもしれません。シーンは確認できたところメモ書きにしてありますが、まずはドレッサー事件について絞っていきましょう。ドレッサーが希美の母に対する罪悪感の象徴である部分、同意です。さざなみ事件前も後もドレッサーが出てくる場面で、希美は母と口論しています。希美にとって母と口論した時、いつもそこにドレッサーがあった。全てドレッサーが見ていた、みたいな印象です。母親は過去の自分に戻ろうとする生き方に希美を引きずり込もうとし、希美はそれに必死に抵抗する。これは希美を部屋に閉じ込めた時も一緒。さざなみ事件の火でゆきへの軽蔑・嫌悪(ゆきのドレッサー)は消えた。過去の自分に執着し壊れていく母の姿も消えた。しかし、その母の生き方と必死に戦い反抗している希美自身の姿は消えなかった。だから罪悪感は残ったまま、むしろ島を出るまで蓄積され続けた。上に行くという願望の方が勝り、島を出るまではおそらく罪悪感もそこまで感じていなかったように思います。しかし、東京へ来てからは罪悪感がストレスの一つになっていったと思います。結局、自分は母に父と同じことをしているのではないかと。杉下希美という人物、表向きでは成瀬慎司に非常に影響を受けているように思えますが、実は同じくらい杉下父に影響を受けていると思います。そしてどこかで父の背中を追いかけている。それを嫌いながらそうなってしまっている。「究極の愛」もある意味、父の思考が反映されているような気がします。motoさんのコメント『そうすると奈央子のドレッサー送りつけで杉下の早苗に対する罪意識が刺激され、「究極の愛」が立ち上がった。』以降が私にはよく理解できませんでした。ドレッサー=早苗への罪悪感はイコールがつながると思うんですが、早苗への罪悪感=究極の愛発動が結びつきません。
こんばんは。motoさんの瞬間記憶、ひまわりさんのフラッシュバルブ記憶、ス、ゴ、イ!なんかやたらに凝った演出だな~ぐらいにしか考えていなかった私には目まいがしそうです。あ、でも私もそのシーンの羅列知りたいです!ただ希美のみに限ってではないところがややこしそうですね~。でも演出意図と意味はかなり見えてきそう~、ワクワク!あと混合説とかはないですかね、過去がフラッシュバックする時と、何かの始まりを示唆する場合とがあるとか。さて、希美の野望について考えてみました。一つはお城を追い出された後、成瀬と語り合った野望、「バルコニー、アラブの富豪、真っすぐな水平線」そして究極の愛が発端で作りだされたのが、「誰にも頼らんと生きていきたい」これは野望というより強迫観念に近いです。成瀬に頼ってはいけない→だれにも頼ってはいけない→だれにも頼らず生きる→一人で生きるさざ波放火前と放火後では随分と重くなっちゃっていますね。(あ、でもバルコニーで一人で生きるとは宣言しているんですね)チケットをみて「上に行く!」はやはり成瀬との誓約で、これも野望かな。母親へのトラウマと罪悪感とを切り離すべく、野望についても火事の前後で分けてもいいかと。ゴンドラで上から見る水平線を見て成瀬との約束が果たされ、解放されたように感じた希美でした。そしてこの時世界の広さにたじろぎ、自分の立ち位置に対する認識もしたはずです。「安藤の夢に乗っかりたい」ほんの一瞬そんなことも感じ、「つかまってていい」、でもこの広い世界に挑もうとする安藤の邪魔をしてはいけない(ここは原作のまま)、自分は安藤のようにはなれない、そう痛感したと思うんです。この時上昇志向は消えたように感じるのです。しかしドレッサーによって母親への罪悪感が喚起された。以前の希美であれば、チケットを見てそこから逃れようとしたでしょう。しかし自分の限界を知り、誰にも頼らず一人で生きることなどできるのだろうか?そこは果てしない孤独と戦う世界であり、自分には到達できないところであると薄々知ってしまった希美には、母への罪悪感を打ち消す術、その余力がなくなってしまったのではないでしょうか?この時「上を見る」、とも「上に行く」とも言わず、ひたすら「下は見ない」と言い続けました。島を出るとき希美は母親より愛(成瀬)をとった。成瀬が母に勝ったと言っていいのかな。でもドレッサー事件ではママが勝ったと言えるのかな。ちょっとうまくまとまりませんでした。また出直してきます。
ひまわりさん、すみません、この部分のプロセス詳細は今日と明日の本編投稿内容でした。自分でもうアップしたつもりでした。簡単に書くと以下になります。早苗は杉下の罪意識の対象。そして彼女にとっての罪意識の対象はもう一人いて、それは成瀬なんです。成瀬に対する罪意識の形成はお城放火未遂とさざなみ炎上です。お城放火未遂で『もやしてしまえば大事な場所を誰にも取られない』という感情を共有し且つ成瀬が代理放火しようとした。そして翌日のさざなみ炎上で杉下は『成瀬が本当にややってしまった、自分を救うために本当にやった』と思ったんです。そして成瀬に対する罪意識が形成された。ですから早苗と成瀬は罪意識で杉下の中で繋がっている。そしてこの経験は杉下のもう一つの特徴を形成しました。彼女の『誰にも頼らん』です。これも実は成瀬が元です。この意識そのものはバルコニー演説で既に出ていましたが、さざなみ以降は実は成瀬に還元されています。さざなみの火を見て彼女は父親と早苗さん、ゆきからの開放感を感じました。つまり成瀬は解放者、救世主なんです。ですが一方でその救世主の行動は放火という犯罪行為であり、そのトリガーは自分の感情を成瀬が共有したから。つまり杉下は救世主たる成瀬を頼ってはいけないという強烈なジレンマを抱えた。だからさざなみ以降の彼女の『誰にも頼らん』=『成瀬にも頼れない』なんです。そして当然『成瀬にも頼れん』も彼女の心を蝕む感情です。そして当然のことながらその後の偽証=罪の共有を経て『究極の愛』が形成された訳です。ですから杉下の『誰にも頼らん』と『究極の愛』は成瀬に対する罪意識から形成されたもので、さらに言えば『究極の愛』は『成瀬に頼れない』と成瀬に対する罪意識を杉下自身に対して隠蔽し、彼女の精神を保護するシステムだと今は理解しています。本来は自身に原因がある自分自身を蝕む感情を、その原因と行動を外部化し成瀬に会わない屁理屈をつける事で彼女の精神を守るシステムです。ですから早苗に対する罪意識が刺激されるとそれは深層心理下の成瀬に対する罪意識を刺激し、且つ『成瀬にも頼れん』も刺激される。その成瀬に対する感情から杉下自身の精神を保護するために『究極の愛』が立ち上がる、という構造です。こんな説明でお判りいただけますでしょうか?多分に言葉足らずのような気がしてます。
しのぶさん、野望と『誰にも頼らん』、早苗さんに対する感情をさざなみ炎上の前後で明確に切り分ける見方は私も全く同意です。確かにいずれもさざなみ前から出ていたフレーズですがやはりさざなみのあとでは全てが成瀬に還元、もしくは成瀬起因に変質してるんですよ。そして気がつきました?一見すると一連の流れのように見えるけど、実はあるタイミングでその意味が全く違う様相を呈する、という構造。これスカイローズガーデンの時の奈央子による心中の前後と同じなんです。最初の頃はさざなみに謎解きなんかない、と思っていたんですがよくよく見るとさざなみの前後でやっぱり全く違うんですよね。だからこのドラマって全部成瀬なんですよ。何から何まで成瀬に杉下が振り回されているドラマに今は見えてます。
しのぶさんしのぶさん、私がいろいろ本編以外のこと書くもんで、motoさんとの論議が中断してしまって申し訳なかったです。ごめんなさい。私の期待と願いですが、このドラマの全ての演出、効果音、演技が意味あるものとしてミステリーの答えにつながっていて欲しいです。なので、シャッター音も製作者の意図であり、その他の演出とも結びついていくものだとしたら。以前motoさんが触れていた、色の考察。服の色だけが際立っている回想シーン、それから現代のセピアがかったシーンと、過去の全ての回想後の現代の鮮やかになったシーン、これがシャッター音と結びつくのではと今思ってます。また後日あげます!
ひまわりさんへもし私の『戻ってこれた』に反応したなら、意味が違いますよ。ドレッサーを理解するのに早苗の訪問時の杉下の心理プロセスを理解する必要を感じてそっちが片付いたから『戻ってこれた』、と言ったまでです。気にされているとしたら、言葉足らずでもうしわけありませんでした
motoさん、しのぶさんやっぱりお二人とは少し違うなぁ。成瀬に翻弄されている、とは全く思えない。逆は少し感じましたけどね。でも最終的には、成瀬も成瀬の意志をしっかり持った男性に成長した気はする。だから、病魔によりまた自分を失いかけていた希美が自分らしさを取り戻した、それは成瀬の力でしょうね。しかし、島からスカイローズガーデンまでは…やはり全てが成瀬に還元されるというのは、私はしっくりこないなぁ。あわせて、早苗さんに対する感情をさざなみ炎上前後で切り分ける理由が弱いように思います。上でmotoさんが放火事件前のドレッサーは影が薄いとのコメントありましたが、そんなことないですよ。私は化粧ビチャビチャもドレッサー場面と思います。いや、化粧ビチャビチャと表現するのがよくないのか(笑)早苗の顔が印象的すぎるからなぁ(^^;正確にいは化粧ビチャビチャ直前です。見直してみると、むしろドレッサーのシーンで最も恐ろしいドレッサーを製作者が意図して作っているシーンだと思います。正直、ドレッサーを意識して自分は見返した時、ドレッサーの写し方に恐怖を感じました。なんとここ、BGMがばっちり合わせてます。その前の少し穏やかなBGMが、このドレッサーが映し出された瞬間、緊張感の漂うBGMにクロスフェードされてます。さらに、カメラワーク。早苗が扉を開いたその隙間に、暗い寝室からばっちりドレッサーの鏡がこちらを見ています。これ、絶対わざとドレッサーが映るように撮ってますよね。そしてこのタイミングにBGMを合わせてる。この不気味な前振りがあるからこそ、早苗の化粧ビチャビチャがより恐ろしく印象に残る。作り方うまいなぁと思います。BGMは表現したい心情が始まる起点から挿入するのが一般的です。そしてこのBGMは化粧品を持って立ち去る希美に、早苗が「やめて!」といった瞬間に終わります。よって、製作者はここで一度シーンを閉じてますね。化粧ビチャビチャは別のBGMを入れて、別の心情を表そうとしています。化粧ビチャビチャとは分けて考えた方がいいかも。ドレッサーの象徴は母への罪悪感。母への罪悪感は母を捨てて島を出たこと。母を捨てて島を出たことは、過去を捨てて別の場所で生きたかったから。この希美の生き方が母の生き方と何度も対立し、口論になった。母の生き方の象徴は高い化粧品・服、それを取り上げようとする希美の生き方、その場面に表れるドレッサー。よって私はドレッサーのシーンはやはり島時代全体で早苗の生き方を否定し、希美が母と口論する場面の象徴、そしてそこから生まれた罪悪感の象徴ととらえたいと思います。全て羅列すると…① 化粧品を母から取り上げるシーン② クレジットカードを母から取り上げるシーン③ 島から出て行くなと部屋に閉じ込められるシーン④ 大学進学を伝え誤るシーン③も実はばっちり映ってました。本当にこの製作者こわい(笑)考えすぎてて、おそろしいわ。希美が帰宅して目にしたもの、無人の母の寝室の小さな照明がぼんやり照らすドレッサー。その後、希美の部屋でドレッサーに変わる鏡みたいなものがあったら面白いなぁ…と思っていたら、やっぱりあった鏡。希美の机の上、そこに座っている母の後ろにちょうど映るように。これって奈央子からのドレッサーをかなり製作者が意識して作ってる、そう思えます。motoさんが書いていた、深夜の電話シーンは外しました。直接希美がドレッサーを見たわけではないので、母への希美の罪悪感という部類では少し違うと思います。長くなりましたが、一連のドレッサー絡みの杉下の心情は成瀬とは切り離した方がすっきりしそうなんですよね~。
追記ですmotoさん、お気づかい頂きすみません。コメントありがとうございましたm(_ _)mあとドレッサー場面、もう一つ加えるべきか否か。初めて成瀬と買い物をして帰った時、アクセサリー売りのおっちゃんの場面。ここは、希美と母以外にも成瀬とおっちゃんがおるから、少しドレッサーの存在もぼやかしてますね。映ることは映りますが、影は薄いです。その代わりか、ここも早苗が手鏡を持って登場。加えるほどのシーンではないかもですが、早苗から高価なものを取り上げるシーンとしては一緒なので、いちお。
早苗とドレッサーのシーンはもう一度見直したほうがいいかな?実はあんまりドレッサーって自分の記憶に薄いんですよね。いずれにせよ研究のいる領域ですね。ただ一つどうしても気にしているのが、杉下の独白『あの火を見てたら〜』なんですよ。そこは彼女の心象を彼女自身が直接的に表明しているシーンなので、ここのセリフは実は他のどんな描写より一番重視してるんですね。そうするとさざなみの前後で彼女を巡る世界が変わったわけですから、一つの解釈として、さざなみ以降が早苗に対する罪意識、それ以前がしがらみの対象として、論を展開してみているんですよ。
こんばんは。ひまわりさん、そうですね、私もそこまで「成瀬」なのかと言われると描写としてはそうでもない気はしていたんですけどね。でも島編、またそれ以降の希美の言動などから察するにやっぱり成瀬は大きかったような気がしているんです。多分にmotoさんの影響も多きいかも(motoさん押し付けてごめんね!)放送時はね、「野ばら荘」からガラッと雰囲気変わったじゃないですか。ああ成瀬は「過去の人」になるのねきっと、なんて思っていたんですよ。でも希美の余命が明かされた時点で、「わかった~!!、これで成瀬大逆転なのだ」(希美は架空の人物ですので、この不謹慎な発想を本当に許してください、すみません、すみません)なんて思っていたら、逆転も何も、全然意味ワカンネ~。わからな過ぎて興味沸く、そして今に至る、って感じでしょうか。だから「安藤説」もね、ひまわりさんのような方に考察、解析してもらいたいんですよ。私は優柔不断なんで、納得すればそうかもしれない、って思ってしまうんじゃないかな~。真実は一つなのか、また別の可能性もあり得るのか、そおいうところも含めて「知りたい」んです。今考察?している内容に関して、なんですけど、元々は私がmotoさんの「西崎説」を有力としたことに端を発しているのかもしれません。これにはちょっとした根拠があって、まず西崎に協力する動機、、ですよね。私は母親と被る奈央子(自立できない、夫への依存が強い、など)を希美は嫌悪していたふしがあると思っていて、親友とかならわかるけど、「人助け」に走るにはこの二人の関係性では説明がつかない、と踏んだんです。(母親と被る=同情、ともとれますが)西崎が奈央子の立場であればまた変わってくると思うんですが。だから西崎に対する「愛」じゃないかと。ただ、母親に対する罪悪感を払拭するための代理行為、とも思えるんですが、この部分で西崎と共通項がある、やはりそこで「愛」に繋がった可能性が大きい。いずれにせよmotoさんの言われる「愛による合理化」が最も納得感が高い、と感じました。二つ目の理由は、「成瀬との再会」の前後に西崎のシーンがあるんです。この一連のシーンで成瀬はどうも利用されているようにしか見えない(もちろんこれらにも裏はあるのかもしれません)、ように感じた事ですかね。以上の理由で有力としながらも、それでもなお受け入れるには疑問が生じるところがある(疑義の内容ははN研2にあります)、ということでひまわりさんに以前まとめていただいた空白の部分をどう埋めていくか、に関心がいっている所です。ただ、瞬きとシャッター音の事とか、早苗ママとドレッサーの関係とか、ひまわりさんの言われている所が後々波紋を呼びそうで(もちろんいい意味で)、こちらのブログ、私としては正直、すごく面白いです。あ、全然私考察していませんね。ちょっと思考停止しないと前に進めないもので。思考停止というのはいわば『逃避』で精神の保護には役に立つものだと思います(汗)。
そうなんですよ、早苗さんに対する罪意識の論を推し進めると、西崎への協力の理由が『同情』もしくは『母親に対する罪滅ぼしの代理行為』という可能性が出てくるんですね。自分で論を展開しておいて自説を否定しかねない状況になり得るんです(汗)でも杉下の『あの火を見てたら…』の独白とは矛盾してはいけないし…でも原作との演出上の差(安藤盛りの西崎下げ)を考えると西崎との二股?説もとっても魅力的…やはりこのドレッサー事件からの杉下の心理変化が肝ですね〜
motoさん台詞を他の描写より一番重要視するという考え方は全く同感です。motoさんのお考えも矛盾はないと思うので成立すると思います。希美の『あの火を見てたら…』の台詞の解釈の仕方だと思うんですよね。『ギリギリの所におって、自分じゃどうにもならんで、辛かった。あの火を見てたら、父親も母親もあの女も全部消えてったんよ。自分を縛るものは誰もおらん、そう思って上を向けた。』私はこの台詞で父親・母親・ユキが加害者、希美が被害者という構図の元で受けた希美の辛い記憶が全て消えていった。その記憶に縛られず上を向いて生きていけると思った、という解釈です。だから、一般的な冷蔵庫のトラウマも消えていった、これはmotoさんやしのぶさんと同じ解釈だと思うんです。早苗に限って言うなら、化粧ビチャビチャ、寝ぼけて天ぷら、あそこはママのお家なんよ~と飛び出す姿が消えていった。しかし、希美の中で自分が加害者で母が被害者になっている場面(上の①~④のドレッサー関連の場面)は、『あの火を見てたら…』の台詞の構図には含まれていない部分だと思うので、ここは切り離して考えています。『あの火を見てたら…』の台詞の解釈から、motoさんが本編で投稿されていたように、早苗に対する心情は「杉下の中ではさざなみ炎上以前と以後では明確に区分されるべきもの」となることは論理上は理解できるんです。ただ、さざなみ炎上で希美を取り巻く世界が変わったとは言え、人の心理って言葉で明確に分類できるほどシンプルなものじゃないと思うんですよね。だから、さざなみ炎上で早苗に対して消えたもの、消えなかったものがあるのは、人間としてはごく当たり前のことのように私は思える。いや、むしろそのほうが人間らしいというか…私はそんな希美が好きなんです。だから、早苗から自分が受けた辛さは消えたけど、自分が早苗に与えた辛さは残っている、という解釈になりました。
ひまわりさん、なんとなくひまわりさんの違和感が理解出来ました。『還元』という表現への解釈の差ですね。私もひまわりさんの言われる通り、さざなみの火で杉下が解放されたのは『呪縛・しがらみ』としての早苗という理解です。早苗の全てについて解放された訳では無い。さざなみの火を境にして杉下が変わったのは、さざなみ以後は彼女は『攻め』(攻撃、という意味ではなく)に転じたんです。その動機は成瀬との誓約です。さざなみ炎上以降、資金的にも行き詰まり、精神的な支えであった成瀬とも距離をおかざるをえない状況で彼女は本当に追い込まれたんだと思います。そんな中、最後の拠り所である成瀬との誓約を実現するために杉下は早苗を『切った』(島脱出宣言→1117Nチケット→父親土下座)。彼女は究極の選択として母親より成瀬をとった訳です。ですがその代償として杉下は早苗への罪意識を抱えた。こういう成瀬と早苗への罪意識の関係を還元と表現しましたが、解りづらかったかもしれませんね。だからドレッサーが杉下の早苗に対する罪意識を呼び出すシンボルであることは全く同意です。俗に言う『ドレッサーのトラウマ』という表現は間違いで、ドレッサーそのものはトラウマではないですよね。
『究極の愛』とは成瀬に対する恐怖と罪意識を杉下自身に対して隠蔽する心理システム。そして『野望』は『究極の愛』で距離を取らざるを得なくなった成瀬との誓約で、その実現は彼との繋がりを確認する代理行為。それゆえその実現は彼女の義務と化し、そしてそれが彼女のストレス源となった。それ故に彼女はストレス発散行為が止まず常に冷蔵庫が一杯の状態が続いた。ゴンドラで成瀬との誓約は達成した。ストレス源は取り除かれその発散行為は止んだ。誓約が達成した事より、成瀬との繋がりの欲求が充足された。それはつまり繋がっているという事への確信を得た?もしこの心理だとすると、この後に杉下に『成瀬に会ってはならない』心理が働かなかったのは彼女が成瀬に会う事にある種の資格の喪失感があって、そのパスが野望の実現だった、という事になる。
長文いきます!motoさん還元という言葉、理解いたしました。motoさんのお考えと自分の考えの違いも分かってきました。要は、さざなみ炎上後、希美の『攻め』が成瀬との誓約を動機としているかどうか、ですね。motoさんが、希美の『攻め』を成瀬との誓約を動機とするなら、成瀬と早苗への罪意識の関係は『還元』と表すとしっくりきますよね。私は前にも書きましたが、成瀬との誓約のために母を捨てて島を出る、とは逆の発想なのでいくら深めてもここは平行線ですね(笑)ドレッサー初登場シーンが非常に印象的に映し出されていることから、奈央子のドレッサー事件に結び付けようと製作者が意図していることが分かりました。ここが私の中では自分の考えの裏付けになりました。ドレッサー事件で希美が感じた何かはこのシーン(さざなみ炎上前)に起因するのだ、という考えです。私の希美の心理変化は以下の通りです。炎上前⇒ 親・ゆきから強烈なトラウマを受ける 母の人生観を否定(ドレッサーの場面) 上昇志向と野望を持ち一人で生きて行くことを誓うさざなみ炎上⇒ 親・ゆきから受けたトラウマから解放される炎上後⇒ 島時代でもっとも辛い時代=①+② ①成瀬に頼れない (自分のせいで成瀬に放火させた罪悪感) ②何度話しても分かり合えない母との人生観の違い (島を出るために母を捨てた罪悪感)新生活スタート⇒遥か遠く見えない上にストレスを感じる =料理を作りすぎて冷蔵庫がいっぱいゴンドラ⇒世界の果てまで自分の足元が繋がっている事を実感 =冷蔵庫はいっぱいにならない ドレッサー事件⇒ 母への罪悪感が再度出現成瀬との再会⇒ 成瀬の罪との向きあい方に惹かれるN作戦2に協力⇒ 西崎の母への罪悪感との向きあい方に協力 =希美自身も母への罪悪感と向き合うきっかけにするざっと、自分の中ではこんな風に繋がってます。今の段階ですのでまた変更するかもですが。確か、N研1でmotoさんや桃さんと成瀬のプロポーズシーンを話していた時にも書いたんですが、もともと私はN作戦2への希美の動機は『母への償い』、母への罪悪感に向き合おうと思ったからだと考えてます。だから、成功した暁には、母の元へ行こうと思っていたと思います。もし、2004年に成瀬なり安藤なりと一緒に時を進めて行くことを望んでいたとしたら、やはり母との和解が先になるからだと思います。ここはラストシーンまでの過程と同じ。なんですけど…やっぱりmotoさんの『全てが成瀬に還元されていく』という考えの起点、さざなみ炎上辺りから私の考えは違う方向で進めているので、だいぶ異なってきます。ここはやっぱり平行線。だからスルーしてもらって結構です(笑)あ、でも良かったらドレッサー登場シーンぜひ見てみてください。製作者の気合い、感じますよ~(^^ その直後に化粧ビチャビチャを強烈に入れることで、ドレッサーの印象が消えるような意図も感じます。だから印象としてはそんなに残らない。私も正直忘れてました。ドレッサーだけを意識して見ないと残らないシーン、でもドレッサーに注目すると、ここは主演ドレッサーなんですよ。長くなりすみません!motoさんのドレッサー事件後の希美の心理変化、コメント書いている間に投稿されていたので、そのお話進めていきましょう。
ひまわりさん確かに西崎と西崎の母親との関係、杉下と早苗の関係性から考えを進める、というルートがあるのは確かなんですよね。あまりその方向は突っ込めてないんですが。実は本音をいうと、なぜ私が早苗さんや父親、ゆきの影響をさざなみ炎上で成瀬に還元される、ととっているか、その上で論を進めているかというと、実はタイトルと関係しているんです。『Nのために』早苗も父親もゆきもNでは無いんです。私がスカイローズガーデンの謎解きの際に『〜にために』というと言葉の三つの用法を区分して、原因、意図、効果(影響)の三つに分けて考えをまとめ、その上で四人の意志がどこにあったか?という推理をしたのはご存知だと思います。これと関連するんですが、結局杉下の15年の半生は原因と意図そしてその効果全てがN=成瀬なのでは無いか?そうであったら面白いな、美しいなという思いである事をバラします(笑)。以前に杉下は成瀬に振り回されっぱなし、と書いたのはそういう意味です。だってそこにSやYが入ってきたら面白く無いじゃ無いですか(笑)
motoさん杉下の15年の半生は全てが「N=成瀬のために」であれば美しい、ですよね~!美しいと思います!!それがmotoさんの願いなんだろうなと、そうなんじゃないかな~とうっすら感じていました(笑)うん、やっぱりこの話は自分自身が何を見たいか、それが大事なんですね。その何かにちゃんと答えが出るように、作者が作っていてくれている、そんな願いが私もあります。きっとNにはまっている人にはあると思います。だから、そこを大切にして読み進めたいですよね。ちなみに「Nのために」のNには小さなSが刻まれてますが、これも慎司のS?早苗のS?はたまたすすむさぁ~んのS?案外Sのイニシャルにひともいますね(笑)周平さん!さて、motoさんのドレッサー事件後の杉下の心理変化について、質問があります。また勝手ながらまとめてみたのですが、いかがでしょう?さざなみ炎上⇒究極の愛が出現=成瀬との離別=ストレス①一番辛い島時代⇒ストレス①の発散行為=野望の実現を目指すこと=早苗への罪悪感=ストレス②新生活⇒野望の実現を目指し続ける=ストレス②=冷蔵庫いっぱいゴンドラ⇒野望の実現=成瀬との心の繋がりを実感=成瀬との再会を肯定ドレッサー事件⇒ 早苗への罪悪感が復活=成瀬への罪悪感が復活=究極の愛発動ここからは私の推測ですが…成瀬との再会を肯定=究極の愛の定義が変化? or 究極の愛の消滅?成瀬と会っていいってことは、究極の愛の『身を引く』とは矛盾するから、会って良いことにするには、杉下の中で究極の愛の定義が変わるか消えるかしないとダメなんじゃ?と思ってしまうんですけど、ここはどうなんでしょう。とすると、『ドレッサーが届く=究極の愛発動』の究極の愛は、少なくとも定義の変化はされていないと発動できない?消滅したとしたら、成瀬への罪悪感もゴンドラで消滅した?早苗への罪悪感も?となってしまうから…やはり定義が変化したのかな。どうでしょうか?
そうでしたね、タイトルロゴにSが刻まれてますね。忘れとった!いや、やはりここはSN両方持つ者同士の愛の物語と理解したいです、つまり周平さんと杉下!(爆)野望実現した状態でのドレッサー後の杉下の心理は難解ですね。早苗に対する罪意識の刺激で究極の愛が立ち上がるところまでは、早苗が訪ねてきた時と同じでいい。何故なら杉下にはまだ潜在的な罪意識が有りますから。ただ野望が叶った事が究極の愛の対象から成瀬が外れてしまう事がまだ説明出来ないんです。もう一つもしかしたら考慮すべき事項があるとすると、早苗は過去ですがドレッサーは今現在の問題という事かな?そこらへんがイマイチまだ整理できんです。
3もいっぱいになりましたね。4を立てたので、そちらに移りましょう!
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50 件のコメント:
しのぶさんへ、
長文考察についてはざっと感じた事を。
>>ゴンドラ以降事件までが素の希美なのではなく、ドレッサー送りまでが素の希美…
そうですね、私も杉下が再び壊れた?のはドレッサーがキッカケだと思います。
>>苦労は忘れることはできたとしても、自分のした罪の意識は深層の中で生き続ける…
この部分は同意。ただ母親に対するトラウマと罪意識、そしてドレッサーによる島時代のリフレインはまだうまく自分の中で論理として整理仕切れていない部分が残っています。
>>「助けて成瀬君」、振り出しに戻った希美の中に成瀬へのSOS…
ウーン、このシーンに杉下が成瀬に助けを求めてるとはちょっと思えない。成瀬も杉下も久しぶりなもんで、どう会話に入ったらいいか戸惑っている、と私には見えました。
>>「シャルティエ広田」でした。この時の希美の心理は、
>>① この時代の希美と成瀬を繋ぐ唯一の架け橋
>>② 成瀬を介して西崎(奈央子)と希美を繋ぐことができる
>>どちらだったのでしょうか。
私は表面上は両方なし、深層心理で②に軍配です。
>>無意識に成瀬を介して西崎と奈央子が連絡を取れるかもしれないと伝えている…
同意です。
>>「この口実があれば成瀬君と再び会うことができる」
この部分は不同意。串若丸翌朝の杉下と西崎の会話から成瀬と杉下の約束は串若丸以前に成立していたから。それに杉下自身が成瀬と関係を再開させる事に西崎は必要では無いと思います。
>>西崎の壮絶な告白に「究極の愛」が作動しはじめ…
究極の愛の作動がいつかは判断が難しいですね。
>>作戦はゲームとなり…希美の中にいるはずの西崎が徐々に消えていく…
ここは私の解釈と逆になってますね。私は成瀬が作戦参加=成瀬杉下への協力=杉下と成瀬の接近が西崎への感情を煽った(『究極の愛』システムの逆作用)と取っていますので。
>>奈央子から「助けて、連れ出して」の電話を受けた西崎はあれだけ否定していた略奪の方向に…
これは必ずしも略奪に西崎が舵を切った、とは言えないのでは?少なくとの杉下は略奪とは取っていない。だからこそ『自分の幸せを考えなよ』なのでは?
一先ず一読段階での感想を!
しのぶさんへ、
つらつらしのぶさんさんの論を追いながらドレッサー事件(?)をキッカケとした杉下の心理変化を考えています。
しのぶさんの言われる通り、ドレッサー事件で杉下の心理変化が発生した。それはトラウマというべきか母親への罪意識というべきかは微妙です。ですが間違いないのはドレッサーに刺激され、島時代の心理プロセスが杉下の中でリフレインした。
つまりは同類への心理的急接近です。杉下が成瀬に心理的に急接近したのは、野望ノートへの書き付け前、堤防での会話でさざなみの経営不振で成瀬の進路が振れ出して以降と見ています。
で、ドレッサー事件に関してはすぐ近くに西崎という同類が既に存在していた。そして杉下の心理は西崎に急速にすり寄った。
ただここで疑問なのは、この杉下の心理プロセスのリフレインがなぜ起きたのか?です。
トラウマの再発、とすると島時代のトラウマは成瀬に還元されていた訳で、なぜ杉下の心理保護システムが呼び出されないのかが分からんです。
motoさん。ご返答ありがとうございます。自分でも何日か前に下書き(と言ってもメモに殴り書きしたもの)したものを書いただげなので、色々となんか違う気がする~と思いながら、それでも一つの可能性を示唆すれば、それが間違っていたとしても見えてくるものってあるかもしれないじゃないですか。そういう意味では書いてよかったと思っています。ちなみにmoto先生にOKもらったところは、放送当時にすでに薄々気付いてたところなのでなんか進歩ないな~自分、とちょっとしょげていたりします。それでも、ドレッサーが契機となったことに同意してもらったのはちょっと意外でした。以前のコメント内容などから予測するにここは却下されるかな~、と思っていたからです。ただ、motoさんもおっしゃるように、ここの希美の心理プロセスが実は私もわからないんです。描写として4話の、完全に開いたドレッサーを背に母親が希美にに深夜、電話をしてくるシーンと、ドレッサーを背に希美が「下は見ない」と布団にうずくまっているシーンが酷似しているので、この連動(繋がり)で母親かな~と考えたんです。(あと、チケットを見るか見ないかの重要な対照はありますが。)あとママに関してはラストシーンまでのキーワードでもあるし、それと、再婚の相談も希美は受けなかったんですよね。すでに後ろめたさはあったのでは?と考えて、なんですけど、やっぱり違うような気もしています。早々になんですが。
やっぱり愛が絡まないとね~。公式の頃は安藤派の方々を筆頭に「作戦企画当時希美はさざ波の事などすっかり忘れていた」論が普通に通って、これまでも来ていたような感じですけど、実はそんなことないんじゃないかな~ってね。(これただの思い付きです)あ、だって西崎だって隠されていたわけでしょ。
いずれにせよ、これまでのmotoさんの説ほか色々な人の解釈でも収まらない疑問がまだまだ沸いてきちゃうわけです。
まとめ作業に取り掛かろうとされているのに、ここに来て「待った」をかけてしまって申し訳ないです。それではまた来ます。
しのぶさんへ、
私もここに来て早苗さんの扱いに、以前とは違う感覚が芽生えつつあります。
早苗さんは杉下に取ってトラウマであり且つ罪意識の対象なんですよね。父親やゆきとは扱いが違うんです。
で、一方で最終話において杉下はさざなみの火で、自分を縛り付けていたものから解放されたと言っている中に早苗さんも含まれている。
だから実は島を出て以降の、早苗絡みの描写は杉下の早苗に対するトラウマというよりは、杉下の母親に対する罪意識に根があるんじゃないか?そうした時のドレッサー事件以降の心理プロセスは、どう理解すべきだろう、というのが意外に難問ですね。
さざなみの事を忘れていた、なんてことはありえないですね。いえむしろスカイローズガーデンに至る過程において、全てのポイントで杉下の、そしてそれはひいては成瀬という存在が多分に影響している。スカイローズガーデンの事件ははっきり言って成瀬がすべての原因とさえ言ってもいい位です。一つ一つの過程がすべて最終的には成瀬に還元される。今では私はこの物語は、成瀬愼司に翻弄されっぱなしの杉下希美の半生の物語だと思い始めています。
早苗さんに関連してドレッサーがあります。ドレッサーは一般的にはトラウマと取られていますが、どうも違うような気がします。
島時代の描写で、早苗とドレッサーを強く結びつける描写って実は無いんです。例の化粧水ビチャビチャはドレッサーに対してやっていない。居間での出来事。
早苗さんとドレッサーが一緒に描かれているのは、杉下が母親に大学合格を報告したシーンと早苗からの電話のシーンです。
ドレッサーは杉下の早苗さんに対する罪意識と紐付いていると理解した方がいいのかな?と考えています。
ゆきとのドレッサーを巡るやり取りはフェイクですね。
そうすると奈央子からのドレッサー送り付け事件はどう理解すればいい?
こんばんは。motoさんが希美ママとドレッサーを関連付ける方向にいかれたので、私もその方向でいきます。(確信がないと思考停止する自分がいやだな~)(あ、それとママのドレッサーは観音開きにはなっていなかったのね。)
ママを想起させるドレッサーは一人で生きていけない女性の象徴のような気がします。母親に捕まることは、成瀬との約束である自立の誓いを破ることになる。就職活動中、これからの人生設計を考えているさなかに送られてきたドレッサー。逃げた母親に捕まる恐怖がまず心に忍びます、でも希美は本当は母親を許したいのだと思います。でもそれを認めることは成瀬との約束を実現できなくなる、逃げたことに対する罪悪感を認めたくない、そのジレンマと葛藤が希美を苦しめ「逃避」という形で西崎にすり寄る心理プロセスを生んだのではないでしょうか?ドレッサーを送られた夜チケットを見ることができなかったのは西崎がすでに心にいたわけではなく、自立への道を作ってくれたチケットがその葛藤(苦しみ)を生み出す象徴になっていたからでは?
ゴンドラで成瀬からも解放されたかのように見えた希美でしたが、このドレッサー事件をきっかけに再び呪縛の対象になった気がするのです。「成瀬に会ってはならない」という機構もどこかで存在していたような気がします。え~と、うまく伝わらないかもしれませんが、西崎も成瀬も、成瀬との再会以降、希美の精神を保護するためにはなくてはならない存在となっていたような(つまりは利用された)気がするのです。(一旦送ります)
motoさんに同意をもらえなかった、
「この口実があれば成瀬君と再び会うことができる」
この部分なのですが、私が希美だったら、そこまでの計算をするだろうなと、思ったのです。
え~と、「希美は西崎が好き」の場合の方がわかりやすいかな。
結婚式でシャルティエ広田の事を聞き出した希美は、無意識に成瀬と西崎と自分を繋ぎます。自室に招く約束を取り付け、且つそのことを(成瀬を招く)事前に西崎に話しておけば、隣室の西崎は必ず介入してくると踏んだ、ということです。(大体いつも西崎は部屋にいそうですし)
これを成瀬の場合に置き換えると、「二人きり」で会わなくて済む、「会ってはならない」には抵触しない、となるのではないか?と思ったわけです。
いずれにせよ、作戦2は西崎より早く、希美の方が思いついたような感じがするのです。
あ、でもまず、ドレッサー事件と希美の心理プロセスを片づけなければいけませんね。
しのぶさん、
ドレッサーが『一人で生きて行けない女性の象徴』の意見に同意です。
ジレンマからの逃避が西崎への心理的接近、という意見は、まだ私には意見出来ないですね。
ただ、ドレッサーが杉下の中で早苗さんに対する罪意識とリンクしているなら、奈央子のドレッサーに成瀬システム?が立ち上がらないのは分かる気がする。まだうまく説明出来ないのですが、杉下の母親に対する罪意識は成瀬との誓約から生じているので、トラウマとは異なり成瀬システムでは保護出来ないものなのかな?と。
つまりトラウマは成瀬がオブラートしてくれるけど、母親への罪意識はその成瀬が起源のため、成瀬ではオブラート出来ない、という感じです。だからゴンドラでも解消されなかった。
そう考えると奈央子のドレッサーで母親への罪意識を直接的に刺激された。成瀬システムではそれを保護出来ない。ではなんで西崎を対象にシステムが逆作用しようとした?
うーん、うまく説明出来ない。でもヒントはあるかも。
早苗が杉下を訪ねてきた際の杉下の心理をもう一度考え直せば、なんか見えるかも。
以前の理解では、早苗というトラウマの出現に成瀬システムでも吸収出来なくて、成瀬への思いがダダ漏れ、と理解していたのだけど、これを早苗が罪意識とした場合にどう見えるか?がわかれば、奈央子のドレッサーの際の杉下の心理が分かるかもしれん。
早苗さんが杉下の部屋を訪ねた際の様子を考えます。
仮にこの時の杉下の反応が罪意識に基づくものとした場合、彼女が母親を避けたのは説明出来ると思います。つまりは申し訳なさですね。
でも『逢うと島にいる頃に引き戻されそうで』と言っていますから、やっぱり早苗さんはトラウマ。で、それを保護すべく成瀬システム起動→『誰にも頼らんで生きていきたい』
ん?何か違うな?違和感がある。
おお、ひまわりさんが安藤説再考に向かわれているようですね!もともとその可能性も完全に排除してしまっていいのか、というわずかな疑問もあったので…。いや私が人様のご意見にすぐ影響されてしまうという優柔不断なものでして(汗)。
さて、…西崎と希美ってものすごく似たものどおし、ですよね。
(安藤は対極にいるけど、成瀬は中の3人というより、その中間あたりの人、私の中ではそういう位置づけです。)
西崎は母親に痛めつけられながらもそれが愛だと信じたい、体の痛みが心の痛みと重なりそれに震えながらも逃れられない、愛したい、愛されたい…。
希美は自立したい、母のような女になりたくない、それが成瀬との誓約、でも本当は穏やかでひそやかでいい、愛のある暮らしをもとめていただけ。ただ愛したい、愛されたい…。ならば自立できない女を認めたっていい、でもそれは出来ない、あの日私を解放してくれた人と「約束」したから。
あ、今ちょっと思ったのですが、母のような自立できない女は男に捨てられるという恐怖っていうのもあったのかなあ~。
希美は西崎の事、西崎の告白以前によく知っていたんですよね。灼熱バードを全部読んだわけだし、目にした根性焼きも母親からDVを受けたってことも想像に難くない。父親と別れた母親が存命していないことも知っている。成瀬が心にいなければとっくに傾倒していてもおかしくない存在ですね。ただどの地点ですり寄ったか、ドレッサーと西崎に何の関係があるのか、は整理しないといけないですよね。ただ共通点で言えば「奈央子」だったりするんですのがう~ん。奈央子は希美の母親でもあり、西崎の母親でもあり、西崎自身だったりもする…、もうちょっと頑張って考えてみます。
ところで、母親が希美を訪問するシーンも再考すべきなのだと思うんですが、5話だったかな、洋介から希美への電話が気になるんです。この時の内容は、
・母親が再婚した
・成瀬の悪いうわさを聞いている(大学に行っていない)
この2点でしたが、これ放送当時伏線のようなものだと思っていたのに、回収的な描写がなかったことにがっかりした覚えがあります。だけどこの電話の描写以降物語が一気に「意味不明」な方向に行くんです。
それはさておき、洋介の電話ってただのお知らせだったのでしょうか?
希美はママに電話でなくて、訪問拒否して、「悪かったな~」と思うと思うんです。一方成瀬に対して、「怒り」というと大げさかな、わだかまりのようなもの、感じなかったのでしょうか。
「成瀬君との誓いを守るために私はこんなに頑張ってきたのに、お母さんを捨ててまで、あの頃に戻されないため連絡も絶った。なのに成瀬君は私との約束を反故にしたわけ?」
いや理不尽だとは思いますが希美の立場だったらそういう感情もわいてきそうな気がするんですよね。
そこからゴンドラ、ドレッサー、西崎不倫告白、成瀬再会と続くわけでして、何か見えてきそうな「気」だけはするのですが…。
早苗に対する杉下の罪意識。杉下が同様に罪意識を抱えているのが成瀬。
早苗に対する罪意識は成瀬に端を発している。その意味でこの二人は杉下の中で繋がっている。
早苗が杉下の前に現れる。早苗に対する罪意識が刺激される。その原因となった成瀬が想起される。杉下にとっては成瀬も罪意識の対象。成瀬に対する罪意識は自分の衝動に成瀬を巻き込んだ事。そこから生まれた『誰にも頼らん』。
でも彼女の発言は『誰にも頼りたくない』の逃避願望。んーなんか上手く繋がらん。
しのぶさん、
早苗さんが訪ねてきた時の杉下の心理、いまいち上手く繋がらないんですよね。
考えているんですけど、早苗に対する感情と成瀬の想起が上手く繋がらない。
なんか勘違いしてるかな?
確かに闇落ち成瀬の話を聴いた時の事がどこで回収されてるんでしょうね?私も多少違和感を感じました。
後、早苗絡みですが同窓会のために島に帰った際、杉下は母親を遠目ながら働く姿に安堵してるシーンがある。それが早苗の訪問には動揺しまくり、っていうんで?になった記憶があるんです。これはなんだったんだろ?
あ、今思ったんですが、奈央子は自立できない女だと希美は知っていた。そのうえでの西崎の不倫告白、「怒り」」の発端はそんな自立できない女を好きになるのか!ではないのかな~と考えてみました。
連投すみません、そしてまた言葉足らずですみません。
希美は自己否定された気分になった、のではないかな~と思いました。
ママ訪問時の希美の感情、私も考えてみます。
後、motoさんが疑問に思ったシーン、私も同じくです、ただmotoさんが色々隠されている、と仰っていたのでちゃんと意味があるのではないか、制作側のミスなのか、はたまた大人の事情なのかちょっとわからないところでもあります。
しのぶさん、大人の事情って(笑)
カフェで安藤について少し書きましたが、最終的にスカイローズガーデン事件時の希美のNが安藤であったとするには、成瀬ではなかった=さざなみ事件の蒸し返しを一番恐れていたのではない、の証拠集めをしないとなりません。その証拠集めの過程で、こちらで話題になっているドレッサー事件があるので参戦したいと思います。
私はこのドレッサー事件、すごくシンプルに捉えていました。
ゴンドラ→ドレッサー事件→島で成瀬と再会→成瀬との関係を復活→N作戦2に協力、この過程の希美の心理は一本線でつながると思います。おじいちゃんの「苦労は忘れるのが一番」を引用すると、以下のように希美の心理は変化したのではないかと。部分的にしのぶさんの考察とかぶります。
ゴンドラ・・・過去の苦労を忘れて、もっと広く新しい世界に出たいと願う
ドレッサー・・・過去の苦労(罪)は忘れることはできないと思い知らされる
成瀬との再会・・・過去の苦労を忘れるのではなく、過去と向き合いながら今を進めていく発想に出会う
N作戦2・・・過去の罪と向き合う一つのきっかけとして、同じように過去の罪と向き合おうとしている西崎に協力することを決める
成瀬がさざなみ放火、父親の死、詐欺などの犯罪に手を染めたこと、それらの過去と向き合って「料理人になりたい」という未来に向かって今を進めていること。これが希美にとってのターニングポイントになった。
成瀬と再会するまで、希美には過去と向き合うという発想はなかった。だから、過去を乗り越える、忘れる、全く別の世界へ行く方法しかなかった。よって、過去と向き合うこと=母親と会う、ドレッサーが部屋に持ち込まれることに嫌悪した。
しかし、成瀬は違った。成瀬も同じように苦しみ犯罪に手を染めるまで闇落ちしたが、料理人になるべく再出発していること、これが成瀬との関係を復活させた希美の最大要因かと。
成瀬の傍で一緒に時を前に進めることこそ、希美が過去と向き合う手段だったと思います。そして未来へ、その後はまだ希美にも決めかねていたのかと。男女の関係として成瀬と一緒になる?別の男性と一緒になる?いずれにしても、過去と向きあわなかった時よりも、ずっと前向きに自分の人生を考えられそうだった。
あと、早苗さんの訪問。早苗さんを希美は会いたくないほど嫌っているわけじゃない。むしろ母親がどうしているのか気がかりであるし、罪の意識も大きい。
しかし、全く別の新しい世界で自分の時間を進めているのに、ここで過去と向き合えるほど希美自身に心のゆとりがない、という心理じゃないですかね。毎日父親に借金を返しながら一歩ずつ過去と距離を離していく、借金に追われるだけでも過去に受けた苦痛と戦っている日々なのに、そこにいきなり母親が来て自分にどうしろと?母に謝る?無理だと思います。
ここは論理的とかじゃなくて、自分が希美だったら無理だなと思いました。
いったんここであげます。
同窓会で杉下が島に帰った際に母親の働く姿に安堵したシーンは、早苗が野ばら荘を訪れた際の『お母さんに会いたくない訳やない』に繋がっているんだと思います。
それでも合うのを避ける心理としては
1,早苗に対する罪意識から避ける心理
2,早苗の依存性に苦労した過去からの逃避
3.その混合
このいずれかだと思うんです。
その後に彼女は『島にいた頃に引き戻されそうで』と言っているので、少なくとも『過去からの逃避』である事は間違いない。
でその後、その頃には戻りたくない、『誰にも頼らんと生きていきたい』と繋がります。
つまり『過去からの逃避』と『誰にも頼らず生きていきたい』が杉下には等価なんですね。
この二つはバルコニーでの宣言に繋がっているように見える。
でもブログでも検討したとおり、杉下の『誰にも頼らん』はさざなみ炎上以降は『成瀬に頼れん』の変形なんです。
そうするとこの時の杉下には『過去からの逃避』と『成瀬に頼れん』が等価という事になる。
そして『成瀬に頼れん』心理を隠蔽・保護するための心理機構である『究極の愛』が起動するも早苗の登場というあまりに直接的なストレスに『究極の愛』システムも感情を処理しきれずに西崎が成瀬については問うと涙を流し声を震わせ成瀬への感情だだ漏れ状態に陥った…
と、説明するといかにもそのとおりなんですが、どうしても腑に落ちていないのが『過去からの逃避』だとすると、成瀬のさざなみ炎上の暴露に対する杉下の『父親も母親もあの女も…縛るものは誰もおらん』の独白と矛盾するんです。
つまり、さざなみの炎上で杉下の中では島での困難の記憶は解放されていたはずなんです。ですから、この独白が正しいとすると(というか与件になるんですが)上記の『逃避』説と矛盾する。
そうするとこの時の杉下の心理は『早苗に対する罪意識』が起因のはずなんですが、罪意識起因だとすると上手く『成瀬に頼れん』と結びつかないんですよね。
ひまわりさん
ゴンドラでの杉下の心理変化については実は私はひまわりさんとは逆の判断です。
杉下はこの時自分の限界に気づいたという理解しています。
このゴンドラで杉下は成瀬との誓約を果たし、その結果呪縛を逃れました。
でもその結果としてその次が彼女の中にない事に気づいた。そうした時、彼女は世界が平面として広い、という事に気づいた。彼女の中では世界は上下の一次元でしかなかったんです(上に行く!)。そして安藤に『怖くない?』と聞いている。つまり彼女は世界が平面に見えた時、その広さにたじろいだんです。
成瀬の呪縛から解かれた杉下は素に近いと言えます。
素の彼女に強烈な上昇志向があったか?それは無いんです。だからのちに安藤に『日本じゃ勝ち目無い』と言ってますよね。この発言は逆を言えば安藤の能力と張り合う事を放棄しているんです。
と、ひねくれ者としてはゴンドラの杉下の心理変化はこんな感じに見えています(笑)
こんな状態だと見えている杉下に周囲の状況が残りつつ事が進んでいく杉下の中で何が起こるか?それが今一番の関心で、その取っ掛かりとしてのドレッサーなんですよね。
motoさん
はぁ‥一度書いたのを誤って消してしまった。へこむ~(涙)思い出しながら書いてますが、省略しちゃったかも。伝わりにくかったらごめんなさい。
まず、早苗との再会を拒む理由が過去からの逃避であれば、火で過去から解放されたという希美の発言と矛盾するという指摘ですが、私は矛盾していないと思います。
希美の発言の通り、火によって過去から解放されたの「過去」は、放火前の「過去」に限定されるからです。放火後も、成瀬と罪の共有、成瀬との別れ、大学入学資金獲得の悩み、母との口論、母を捨てて島を出る‥と、辛いことは続きます。
よって、希美にとって島という場所は、自分の力ではどうにもできない負の連鎖が起こる場所であり、希美が逃れたかった過去の苦い記憶の象徴ではないかと。仮に自分がお城を放火していたとしても、島という場所では別の負の連鎖が起こったのではないか。そこから逃れられないのではないか。
ゆえに、島を出て自分の力で変えられる世界で生きたかった、その代償として誰にも頼らない一人で生きていく決心をした。ここは放火前と後で変化はありません。motoさんのお考えと同じく、放火後は「誰にも」が「成瀬にも」に変わりますが。うん、表面上はそう。でも本心は成瀬には頼りたい。でも頼っちゃいけない。そして成瀬を思い涙するシーンにつながるという解釈です。
そして、ゴンドラのシーン。果てしなく広がる平面な世界を見て恐怖と自分の限界を感じた、この部分は同意です。
ただ少し解釈が違うかな。上だと思っていたのが平面だったから恐怖を感じたではなく、上に行ったら見えた世界が果てしなく広かった、自分一人でその世界で勝負することに恐怖を
感じた、と捉えています。
希美の上に行く!は、上に行ってそこから何が見えるか、そこに何があるのか知りたいということだったと思うんですが、違いましたかね。見返してないんで違ったらすみません。だから、ゴンドラは単に位置的な上でしかないですが、上に行きそこから見えた景色が果てしなく広い世界だった、そこで一人で戦うことの怖さを知った。そう私には思えました。
そして、つかまってていい?の台詞が出てくる。誰かに頼ることができるのならその世界で勝負し続けられるのだろうか、安藤がその誰かになりえるのだろうか、そんな可能性と期待をうっすら持ったのではないかと。
希美のゴンドラに乗るなどの野望が、成瀬との誓約や呪縛と私は捉えていないので、異なった考察になるのでしょうね。
私は希美の野望は、成瀬と親しくなる前から存在していたと思っています。お城を追い出されてからの辛い日々、自分自身を奮い立たせるために希美が生み出したものが野望だと思っています。だから、野望を持つことは希美の成瀬抜きの個性と言えると思います。
お城を追い出されたから強い上昇志向という形で野望が描かれていますが、本来の杉下希美も明るく前向き思考(妄想癖?)の強い女性だと思います。だから、私の考察も非常に楽観的なのかしら?
また、ゴンドラで果たした野望はあくまで位置的に上に行くだけ、地位的に上に行くのは当時の希美にとって達成されてはいません。ゴンドラを降りて、再び就活など上に行くための努力が始まるわけです。
よって、ゴンドラ後の希美の心境は、自分の力で上に行けるだけ行ってみよう、そして一人で行ける限界まで上に行けたなら、その時は誰かに頼ってさらにもっと別の世界に行ってみるのもいいんじゃないだろうか‥という感じで、成瀬と野望を語り合った日以上に、恐怖もありつつ期待もあるみたいなワクワクドキドキに包まれていた‥楽観的すぎ?
ちなみに頼るっていうのは早苗や奈央子とは違います。自分の力で最大限努力した末の話です。それでも自分一人の力には限界がある。誰かに頼らなければ行けない世界もある。安藤はそれを教えてくれた人なのではないかなぁ。
こんだけ前向きにゴンドラ以降日々を過ごせていたなら、ドレッサーが持ち込まれたことで希美が感じた絶望感は半端ないはず。再び過去の罪と負の連鎖の恐怖を感じずにはいられない。
長くなりましたが、motoさん、しのぶさんはどうお考えですか?
ひまわりさん!!!
同じシーンを見てこれだけ感覚が違うというのがドラマ制作陣してやったり、というところでしょうか。
原作者は立体パズルを作りたかったらしいですが、何か私には騙し絵のように感じてしまいます。答えという到達点にたどり着いたと思ったらまた同じ場所に来ている、みたいな感覚です。
私は、motoさんとほぼ同じ感想です。motoさんは私の師匠で、影響も受けていますが、ゴンドラに関しては公式でも数少ない確信を持って、「希美の野望の中身は空っぽ」と書きました。ただ、「成瀬に解放された」、というmotoさんの論は「ああ、なるほど~」とのちに感心した次第です。
このシーンで私が感じたのは「安藤との別れ」です。希美は成瀬を想いつつ、安藤に惹かれていた時期がある、ゴンドラ前(沖縄あたり?)から安藤の引っ越しぐらいまで、その後その気持ちは自然消滅した、ととっています。このシーンは何度見ても安藤との切ない別れに見えてしまうので涙してしまうのです。なぜ別れに感じるのか、は二人の価値観がまるで違う、ように見えるからです。世界に挑む安藤、自分はその先の野望などまるで持っていない、希美、「安藤とは住む世界が違う」ように見えました。縮まってきた二人の距離が全く離れた、安藤はその距離を縮めるためのサプライズだったのに…
だからと言って惹かれる気持ちがすぐに収まるわけでもない、だから引っ越しのシーンで安藤に対して複雑な表情を見せたように感じました。しかし価値観の違いというのは人の気持ちが左右される大きなものだと思うんです。だから安藤に惹かれた気持ちも自然消滅した(出来た)ように感じるのです。
motoさん、ママ訪問時の希美の心理はなんとなくまとまってきました。自信はないけど…。今日は遅いのでまた来ます。
ひまわりさん
早苗さんに関してですが、それほど大きな差がある訳では無いんです。
言葉の用法に起因するかもしれないのですが、私はさざなみ炎上以前を『過去からの逃避』、さざなみ炎上以降を『罪意識』として使い分けています。
なぜこのような切り分けをするかというと、彼女の母親への対応が受け身から攻め手へと攻守交替しているから。そしてそれがなぜ起きたかというと、ゴンドラの話でも出てくる彼女の野望と関連しています。
確かにひまわりさんのおっしゃる通りに、杉下の野望は成瀬との関係以前から形成されていたものです。ですがその野望が、バルコニー演説、さざなみ炎上、1117Nチケットで成瀬との約束、誓約となった。
そしてその成瀬との誓約を実現せんがためには母親を『切り捨てた』が故の罪意識、という解釈です。
だからひまわりさんの仰っている解釈は間違いだとは思っていないんです。といかついこの前までは私もひまわりさんとほぼ同じ解釈だったんです。
ただ、どうも奈央子のドレッサー送りつけ以降の杉下の心理変化、殊に西崎と成瀬への心理作用とその動きを正確に理解するには早苗に対する二つの感情は意識して切り分けて考えないと理解出来ないように感じて、その前段である早苗さんの訪問時の杉下の心理状態を詳細に切り分けして考えている、という感じです。
で、なんですこんな微細な部分に拘っているか?というと、ここの解釈でラスト、杉下が早苗に会いに行った際の理由が変わってしまうからです。
私の従来の考えでは、杉下は早苗を赦すことを自らに課して尋ねた、という解釈だったんですが、実は早苗さんに赦されたくて行ったのでは?と感じています。
杉下の魂の上昇過程を理解するのが私の目標ですので、このベクトルの違いは私には重大な差異なんですよ(笑)
ここで一度落ちます。
しのぶさん、
師匠、だなんてそんなの無しで(笑)。そういうしのぶさんの『杉下の野望は空っぽ』説を私はそのまま受け継いでますよ。公式でもはっきり杉下の野望の性格を指摘したのはしのぶさんだけだったと記憶してます。そしてここでの論考の非常に重要な論理的基礎の一つです(笑)。
しのぶさんのコメントについてはまた追って書かせてもらいます。
ひまわりさん、
杉下の野望とゴンドラとの関係についてです。
野望の形成はひまわりさんの仰る通り、成瀬との関係が始まる前に形成されたものです。ですが、ゴンドラ後の杉下の心理変化を見ると、彼女の野望が成瀬と結び付けられていると思えるんです。具体的にはゴンドラで俗にいう『冷蔵庫のトラウマ』が解消された。
『冷蔵庫のトラウマ』は本当は無くて、あくまで彼女がストレスを感じた際に大量に料理を作ってしまう、という彼女のストレス発散法の結果なのですが、彼女自身がそのストレス発散法に頼る必要性を自分自身が感じなくなった、という風に理解しています。
つまり杉下自信がそのストレス源が解消出来た事を認識していたわけです。その解消出来たストレス源とは?つまり成瀬との野望の実現、それに対する彼女の焦燥観なのです。だから野望が全て実現した時、『冷蔵庫のトラウマ』も解消された。
続いての杉下の野望の性格ですが私も上で書いたしのぶさんの『空っぽ』説を採っています。その根拠は最後ゴンドラで実現した野望は彼女の『まっすぐな水平線が見たい』、『上に行く』だったものがこの二つが合成されいつの間にか『(物理的に)高いところから見る水平線』にすり替わっているんです。すり替わっていたが故にこのゴンドラで野望が実現した。
ですが、すり替わった事自体が実は彼女の野望とはすり替わりを許すほどに実は内容に乏しくてかなり形式的なものだった、という証拠なんですね。
それは彼女の就職活動にも現れていて、彼女がこだわったのは建築関係。でも彼女自身は英文科卒でその関連性の無さを面接官からも指摘されています。これらの事から、彼女の野望は実は『空っぽ』だと結論付けました。
これらの事から全体として彼女の野望の性格を考えると、島でのどうしようもない現実の中でそこからの逃避先として形成され、本来であれば島を出てしまえば用なしになるはずだった彼女の野望が、成瀬との関係から絶対化されその後も彼女のストレス源となり続けた、というのが今の解釈です。
実は彼女の野望についてもカモフラージュがされていて、現代編では彼女は成長途上にある住宅設計事務所の共同経営者として、一応の社会的成功を収めた事でこのあたりの実態を隠蔽されていますね。
でも、よくよく考えると彼女が建築業界にこだわったのは、自分が喪失した『Home』、それははっきり言えば心の拠所としての成瀬を慕う心理の代理行為であり、またパートナーが見せてくれた夢に自分を預けたのが実情でしょう。確かに彼女は頑張ったのだと思います。しかしそれは野望の実現というより、1117チケットを数珠に、頑張れエールを念仏として成瀬に対する罪滅ぼしてきな感情の中での仕事ぶりだったのだと思います。
だから成瀬の問題が目の前に現れたさいには、あっさり仕事を辞めているんです。
しのぶさん、
ゴンドラの時の評価はほぼしのぶさんに同意です。安藤に関して杉下に感じていたものは正直私には評価出来ませんが…。
ただ少なくとも杉下が安藤との間に未来を思い描いてはいない、と言っていいと思います。私がそう判断する根拠は、杉下に『瞬間記憶』の描写が無いんです。
私はこのドラマがキルケゴールの実在主義哲学がモチーフだととっているんです。で瞬間記憶はキルケゴールの時間論で『瞬間とはえいえんが有限な時間に介入し、何かを生成するその時』。ですのでこの物語では瞬間記憶が、これから何かが始まる、変化するというシーンで挿入されている。
そう見た時、ゴンドラのシーンには瞬間記憶の描写が無い。という事は杉下は安藤との間に何か変化、新しい関係というものを観ていない、という判断です。
これはラストシーンでNotreのテラスから海を眺め、瞬間記憶が描写されているのと対、対称関係でしょうね。あとは安藤の左に杉下が立っていた事かな。
このシーンだけ、杉下の男性に対する立ち位置の演出上、他に無い例外なんですよねー
後最期に、ドラマ観についてですが。
私の感覚では入れ小細工のイメージかな。もしくはRPGでのダンジョン内での隠しルート。え、こんなところにまだルートがあったの?みたいな。
その隠しルート探しをしてる感覚です。
早苗さんが杉下を野ばら荘に尋ねた際の心理分析です。
さざなみ炎上を見ての杉下の感情『…縛るものは誰もおらん』を与件とします。
この与件から『過去からの逃避』説はない。
そうすると『島にいた頃に引き戻されそうで』の杉下の発言は与件から少なくともさざなみ炎上以降の島時代という事になる。これはさざなみ炎上以降に杉下が早苗に抱いていた感情『罪意識』の成立以降となる。そうすると杉下の『罪意識』と『誰にも頼らず生きて生きたい』が杉下の中で等価となる。それはつまり『罪意識』と『成瀬を頼れない』が等価。
『成瀬を頼れない』の成立はそもそも彼女自身による『お城放火未遂』がきっかけであり、それがさざなみ炎上に繋がった、という成瀬に対する罪意識が起源。
そうすると早苗の登場により早苗に対する罪意識の刺激⇒成瀬に対する罪意識が刺激され、『究極の愛』システムが起動した…
そうすると彼女の『島にいた頃に引き戻されそうで』の発言は成瀬との誓約を果たすために、杉下自身が母親を振り切った(監禁騒動)以降の、母親への申し訳ない感情と依存心の強い母親からさえ自分が突き放された事、及び成瀬を心のよすがとしてのみ切り抜けざるを得なかった強烈な孤独感の時代、という事になる。
そうすると、島時代で一番辛かったのは、さざなみ炎上以降島を出るまでの間という事になる。
motoさん、しのぶさん
お返事ありがとうございました。
本当に受け取り方さまざまですよね、すごいドラマだなぁと思います。
ゴンドラ=安藤との別れのシーン、原作だとそうなんですよね。でもドラマだとここに仕草表情がプラスされるから、なぜその仕草が出たか、それを考えるとまた違った答えが見えてくる。
仕草表情は人物の心理変化に付随して起こるものですから、ドラマでは特に私は大きな謎解きの要素と思っています。しかし、受け取る側によって多彩に答えが変化する原因にもなりますよね。
しのぶさんと同じく、ゴンドラ以降の安藤とのシーンに、私は希美の安藤への恋心を感じます。違うのは、それを別れととるか始まりととるか。私は安藤との別れはスカイローズガーデン事件後だと思っているので、ゴンドラはやはり出発点。motoさんのお説通り、瞬間記憶が何かの出発点だとすると、このシーンは何も出発されていないとの結論になるのでしょう。私はまだ瞬間記憶について答えが出ていません。瞬間記憶の他の定義を見つけたいと思います。
さて、ゴンドラからN作戦2協力までの希美の心理変化についてに戻ります。
この過程がmotoさんとしのぶさんの解釈と違う最も大きな要素は、希美の野望が成瀬と交わした誓約・呪縛と捉えるかどうか、だと思います。自分はそうとっていないので、違う心理変化の過程になる。
そこでちょっとお聞きしたいことなんですが、お二人のコメントから推測した希美の心理変化、勝手にまとめてみたんですけど‥違ったら教えてくださいね。島時代までさかのぼって書いてみます。
さざなみ放火⇒ それまでの過去から解放される
放火後⇒ 島時代でもっとも辛い時代=①+②
①成瀬に頼れない
②野望が成瀬との誓約になり、その実現のため母を捨てた=母への罪悪感が出現
新生活スタート⇒ 成瀬との誓約がストレスになる=料理を作りすぎて冷蔵庫がいっぱい
ゴンドラ⇒ 野望の達成=成瀬との誓約からの解放=冷蔵庫はいっぱいにならない
野望は空っぽであり、平面な世界に恐怖を感じ、自分の限界を知る
ドレッサー⇒ 母への罪悪感が再度出現
成瀬との再会⇒
N作戦2に協力⇒
最後の二つは、どんな心理だったのか、きっと他の場所にあるのですよね。ごめんなさい、まとめきれず。ここを教えてほしいんです。
また、小説ではドレッサー事件後、再び冷蔵庫がいっぱいになりますが、ドラマではいっぱいになりません。ここをふまえて、ドレッサー事件で受けた母への罪悪感(これは希美にとってストレス?)を希美はどのように消化していくのか。料理以外の方法でとなるのかな。成瀬と再会することによってかな。その過程は?そして何のために再び成瀬との関係を復活させた?その後どのような心理変化をたどってN作戦2協力に至ったのか。
私はたぶん、さざなみ放火後の早苗さん対応が、逆なのかな。
成瀬と交わした野望が原因で母を捨てて島を出たのではなくて、母を捨てて島を出たかったから、成瀬と交わした野望をバネにした。
最後の早苗に会いに行くのも同じ構図かな、希美の中にもともとある本心を上手に引き出して背中を押すのが成瀬くん。
あと、上のmotoさんのコメントにある、「杉下の魂の上昇過程を理解するために、このベクトルの違いは重大な差異という部分」、ぜひ詳しく聞いてみたいです。
ひまわりさん、遅くなりました。ごめんなさい。
安藤に対する感情の見え方はドラマ全体に何を見ているか?何を見たいか?という作品全体に対する視聴者の期待感だと思います。
ちょっと難しい表現になりますが、私がドラマに観ている世界観は『構造主義的制約下におけるキルケゴール的実在主義』です。
簡単に言えば、トラウマを抱え絶望の淵にある杉下が如何に自らの魂を解放しうるか?という事で、それが私がこのドラマで究極的に理解したい事です。
ここの期待感でドラマ全体の見え方がガラッと変わるんだと思います。
博愛的精神への期待をお持ちの方々には、例えば『西崎が犯人になったのは奈央子を含む全てのNを嫌疑から除外するため』と見えるでしょうし、私のような立場に立てば、その博愛的精神のように見える物語のなかから、『究極の選択』としてのゲームの成立(外鍵の隠蔽の事)にミステリーとしてのトリックを見出すわけです。
杉下の心理変化についてのまとめ、その通りです。
で、今私の関心はドレッサーがきっかけとなって如何に杉下の西崎への感情が形成されうるか?というものです。
従来、ゴンドラで成瀬から解放された。でも『究極の愛』の精神保護システムは生きつづけており、それが西崎と結びついた。という理解でした。
しかし杉下にとって早苗とは単に過去の嫌な記憶、というだけに留まらず、成瀬という存在により杉下の罪意識の対象としての側面が存在する、という事に気付いたとき、成瀬という呪縛が外れた杉下に、ドレッサー以降西崎を対象とした『究極の愛』精神保護システムが如何に立ち上がったか?それは従来の理解であっているのかに疑念が出てきたからです。
実は当初このドレッサーの事件のドラマ中での位置づけに苦慮していたんです。
早苗に対する罪意識から改めてこのドレッサー事件を位置づけしなおそう、というのが今の関心です。
島を出る際の動機に関するひまわりさんの分析、面白いですね。
私はお城放火未遂→さざなみ炎上→1117Nチケットの過程で過去の嫌な記憶は成瀬という存在にオブラートされ、改めて成瀬という存在から早苗に対する罪意識が形成された、という理解ですから、これを逆に取った場合、違う世界が見えるのかも知れませんね。もしからしたら安藤の扱いの理解の差も元を辿ればそこに行くのかも知れませんね。
最後『ベクトルの差』について
私は当初杉下が早苗を尋ねたのは杉下が早苗を赦す事が出来るか?を自らに課して尋ねたととっていたんです。成瀬に最後身を寄せた時、いずれは体の自由が利かなくなり成瀬を『頼った』生活を余儀なくされる。この時の状態を早苗に対する嫌悪を抱えたままの杉下がどう反応するかを杉下自身が予想したとき、杉下は自己嫌悪に陥ると予想した。そのような自己嫌悪を抱えたまま成瀬に頼る事を良しと出来ない自分がいる。だから成瀬の元に行く前に、その自己嫌悪の原因である早苗を赦せるなら、自己嫌悪を回避でき素直に成瀬を頼る事が出来る。そしてそれが成瀬を頼るために条件だ、として早苗のものとに向かった…
そして早苗を赦す事が出来たのだから安藤も赦す事が出来、『元気でね』となった…
つまり、とにかく成瀬の前にまっさらな精神の状態で、さも赤子が母親を無条件に信じるが如く立ちたい、という心理からの行動だと取っていたんです。
子供を見る際の表情の変化がある種その暗示だと取っていたんですね。そしてそれがひいては安藤に対する赦しにもつながるという。
でもその後早苗に対しての罪意識の存在が明らかとなったとき、早苗を尋ねた理由が『早苗から赦されるため』という可能性が出てきた。そうすると上の理解は正しくない事になる。このベクトルの逆転は杉下が安藤との関係も含め成瀬の元に戻る決意の私のこれまでの解釈を大幅修正しないといけなくなる可能性が出てくる。だから私には結構シビアな問題なんです。
motoさん
ベクトルの差についてのコメント、ありがとうございます。
なるほど、一点見方が変わると物語としても大幅に変更してくるのですね。それがこの物語の非常に面白いところなんですよね。こういう手の話に弱くて、どっぷりはまってしまう私。
あと、こちらのブログもすごい!こうしてさまざまな考察をお聞きしたり、質疑応答している中で、自分の考察にもまた新しいアプローチや発見があって。
motoさんのドラマ全体に何をみたいか?で物語の構図が変わってくるというところ、なるほど~と思いました。私は何をみたいんだろう。博愛的精神やmotoさんのような立派なテーマのように、言葉でうまく説明できないです。
しいて言うと、生と死ですかね。杉下希美がどう生きて、最後どう死を迎えるか。杉下の「誰にも頼らん!」生き方、死の迎え方。対照的な奈央子の「一人で生きていく力のない」生き方、死の迎え方。
でも、いくら生きているときに人に頼らなくても、頼り切っていても、死ぬときってみんな一人なんだよなぁ。その時をどう迎えるか、それが私が見たいことかも。
あと「瞬間記憶」の定義、やっぱり私はみなさんと少し異なる印象を持っています。だから「瞬間記憶」という言葉も違って、まださぁ~と調べただけなんでまた変更するかもですが、自分の印象と一番近い言葉は「フラッシュバルブ記憶」というもの。
娘が起きてしまった!まだ書きたいことあったけど、ここで中断。
ひまわりさん、遅い時間にコメントありがとう御座います。
ひまわりさんのところはお子さんがまだ小さいんでしたよね?
育児ご苦労様です。時間が定まらない間は、ご自身の体も大変でしょうが、ご自愛下さい。
このブログについてもお褒め頂き、ありがとう御座います。でもそんなに大したものでは無いですよ。なんと言っても動機がどうしようも無い。
自分にとって杉下の心理を理解する事は、自分のマリア様の心理を知りたい、あの時マリア様はなぜあんな行動をしたのか?なぜあんな事を言ったのか?という自分の歪み、囚われの原因を知りたい、というどうしようも無い感情の代理行為なんです。そして何処かで杉下と成瀬のような奇蹟を信じたい、というどうしようも無い感情なんです(笑)
自分がドラマに観たいものが『生と死』との事ですが、実在主義哲学が行き着くところは結局はそこですよ。自分がどう死にたいか?そのために自分はどう生きるか?という極めて個人的な問題を扱うのが実在主義哲学です。
ちなみに実在主義哲学の祖であるキルケゴールという人物もレギーネ・オルセンという女性に強烈な歪みを抱えていた人物です。また、自分の兄弟が相次いで早死にした事から自分の寿命を明確に自覚しながら生きていた人物です。
その著作は難解で真意を巧妙に隠し読者を騙す表現手法を多用したそうです。
私がドラマをキルケゴールの実在主義になぞらえているのは、物語の構造や描写だけでなく、上記のようなエピソードも踏まえキルケゴールとの親和性を感じ取ったからです。
昨日書こうと思った、物語で繰り返し登場する瞬きとシャッター音のシーン。
私がこのシーンで感じた印象に最も近い言葉が「フラッシュバルブ記憶」です。
定義はウィキペディアより
「個人的に重大な出来事や世界的な重大事件に関する非常に詳細な記憶を意味する。閃光記憶。「写真のフラッシュを炊いた時のように」鮮明な記憶。」
また、心理カウンセラー用語辞典より
「劇的で感情的な出来事がそっくりそのまま、写真のように焼き付け(閃光)られる記憶。ショッキングな場面で起こりやすいので、後にトラウマになる危険も含まれている。」
さらに特徴として、重大な出来事として話題になることが多いために、報道などによって記憶が強化されるそうです。
結論から言うと、瞬きとシャッター音のシーンには、そのシャッターを押した人物にとって何らかのトラウマが生まれた瞬間じゃないかと。motoさんの「瞬間記憶は何かが始まる、変化する描写」という定義も答えの一つであると思います。その何かが、私はトラウマだと思っています。
ただもう一つ、今迷っている考え方があって。それが特徴に示した部分、「報道などによって強化される」記憶であること。
報道がドラマの製作者で、強化されている記憶が視聴者の記憶だとすると、そこには何らかのトリックがありそうなんですよね~。ここはmotoさんが以前指摘されていた、さざなみ放火後のパトカーで希美が成瀬に言った言葉、あれが最後まで引っ張るわりにたいした内容じゃなかったっておちに起因するんですが。
これが、過去と現代を行き来する際に用いられる写真の数々、毎回最初のドラマの復習シーン、回想シーンなどで強化され、実はシャッター音がないシーンもあったように錯覚したり、意外な場所にシャッター音が入っていたことは忘れていたりする。
だから、もう一つの考えは、このシャッター音も製作者の視聴者に対するある種の騙し、嘘が隠れている場面なのかと。
もう、分析し始めるときりがないですね、ひとまず上げます。
早苗さんへの罪悪感が芽生える過程や、ドレッサー事件後の希美の心理変化から少し離れました、すみません。また考察続けましょう。
ひまわりさんへ、
はぁ、『フラッシュバルブ記憶』と言うんですか。たぶん現象としては仰られているものなんでしょうね。
ただ『フラッシュバルブ記憶』の全てがトラウマか?というと違うんだと思うんですね。
例えば、
『頑張れエール』を見た後の高野。
安藤が野ばら荘を出て行った後の杉下。
安藤との待ち合わせ時に街中のツリーを見上げたときの杉下。
NOTREで成瀬と再会し、海を見渡した際の杉下
これらはトラウマ、という表現にそぐわないと思うんです。ですので私は『何かの始まり、変化』と理解したんですね。
ただ、『ツリーを見上げたとき』だけはそれでも判らんのですよ。この時になにか杉下に変化、始まりが何かあったか?なんです。
シャッター音については気付かんかったな。シャッター音のない『フラッシュバルブ記憶』ってありましたっけ?もしそうだとすると、何かの示唆の可能性が高いですね。ゴンドラでの杉下の立ち位置の操作と通じるものがあるかもしれません。
ひまわりさん、『フラッシュバルブ記憶』シーンを羅列って出来ます?
シャッター音のある無し含め。何か出てくるかも知れませんよ!
一部にはくどすぎ、と言われたあらすじのリピート。
これもある種の刷り込みが製作側の意図としてあるでしょうね。人は繰り返し映像を見ることで記憶が強化されますからね。そこに杉下のモノローグでも嘘にならない範囲で被せれば、効果的面ですよ。
安藤の外鍵隠蔽についての多くの方の誤解は間違いなく前振りで安藤の鍵を掛けるシーンで杉下の『一番大切な人』モノローグを被せたことで誘導されていますよね。
ちょっと話の筋がそれますけど、このドラマ、原作と比較して徹底的に安藤へ誘導するべく造られていますよね。そして西崎の色を徹底的に薄くした。原作では西崎としかない手繋ぎを杉下の感情表現に見せ(実際彼女の感情が込められているけど)何度も安藤と手を繋がせてます。で、原作の手繋ぎが杉下の男の背中に頭を垂れる、に置き換えられている。それも西崎に関しては泥酔してのおんぶですからね。これに気付いている人は殆どいないと思いますよ。
さて、ようやくドレッサー事件に戻ってこれました(笑)
早苗さん来訪時の杉下の心理プロセスを詳細辿ったら、早苗に対する罪意識から『究極の愛』のシステムが立ち上がるのは判った。
では、ドレッサー事件はどうなの?となる。
一つ考えたのは杉下にとってドレッサーはどういう意味を持つか?という事。
これは一般的には『ドレッサーのトラウマ』という表現で理解されていますよね。
でも、これも冷蔵庫と同じだと思うんです。つまり杉下の中に『ドレッサーのトラウマ』たるものは無い。ドレッサーはあくまでシンボルだと思うんです。
では何のシンボルか?という議論になる。
これがゆきとのいざこざおよび早苗さんとのシーンに結び付けられて、トラウマを呼び起こすシンボル、というのが世間的な理解だと思います。
でも実はさざなみ炎上以前というのはドレッサーって以外と影が薄いんです。
たしかにゆきとのいざこざはあったけどあれぐらいでしょ?
あとは早苗が造ったカードをドレッサーの引き出しに入れていた事くらい。化粧水びちゃびちゃはドレッサーではありません。
むしろ早苗とドレッサーを繋いでいる描写は、杉下が大学合格を母親に報告して『これからは一人で生きていって』と言い放ったシーン(アルバムを見ていた)と、早苗が夜に池園さんの事が相談したくて電話してるシーンなんです。
こうした事とさざなみの炎上を見て感じた彼女の『父親も母親もあの女も…縛るものは誰もおらん』発言と考えると、やはり杉下にとってドレッサーは早苗さんに対する罪意識を呼び出すシンボル、ととったほうが正しいように感じます。
そうすると奈央子のドレッサー送りつけで杉下の早苗に対する罪意識が刺激され、『究極の愛』が立ち上がった。ただ早苗訪問時とは違いそれは成瀬に対しての感情から切り離されていたが故に西崎と結びついた…
ここのプロセスを理解したいのですが、この時の杉下が早苗訪問時と異なるのはゴンドラの経験です。ゴンドラで成瀬の呪縛から逃れた。そうすると杉下の『野望』と『究極の愛』の構造的な関係もしっかり整理しないと、いけないのかな?と。
というのは、『究極の愛』が早苗に対する罪意識から起動しているのは成瀬に対する罪意識と繋がっているから。成瀬に対する罪意識はこの段階でも存在しているからこそ、『究極の愛』が立ち上がったわけで、成瀬から完全にフリーになってはいない。そうするとなぜ『究極の愛』が成瀬から外れた状態で立ち上がったのか、そしてそれが西崎と結びついたのかは、漠然とではなく『究極の愛』と『野望』の構造を理解しないといけないような気がします。
motoさん
フラッシュバルブ記憶についてコメントありがとうございます。
そうなんですよ~、トラウマとするにはまだ分析途中でして。
シャッター音のないフラッシュバルブ記憶‥ここは私の説明が言葉足らずだったかもしれません。シーンは確認できたところメモ書きにしてありますが、まずはドレッサー事件について絞っていきましょう。
ドレッサーが希美の母に対する罪悪感の象徴である部分、同意です。
さざなみ事件前も後もドレッサーが出てくる場面で、希美は母と口論しています。希美にとって母と口論した時、いつもそこにドレッサーがあった。全てドレッサーが見ていた、みたいな印象です。
母親は過去の自分に戻ろうとする生き方に希美を引きずり込もうとし、希美はそれに必死に抵抗する。これは希美を部屋に閉じ込めた時も一緒。
さざなみ事件の火でゆきへの軽蔑・嫌悪(ゆきのドレッサー)は消えた。過去の自分に執着し壊れていく母の姿も消えた。しかし、その母の生き方と必死に戦い反抗している希美自身の姿は消えなかった。
だから罪悪感は残ったまま、むしろ島を出るまで蓄積され続けた。上に行くという願望の方が勝り、島を出るまではおそらく罪悪感もそこまで感じていなかったように思います。しかし、東京へ来てからは罪悪感がストレスの一つになっていったと思います。結局、自分は母に父と同じことをしているのではないかと。
杉下希美という人物、表向きでは成瀬慎司に非常に影響を受けているように思えますが、実は同じくらい杉下父に影響を受けていると思います。そしてどこかで父の背中を追いかけている。それを嫌いながらそうなってしまっている。「究極の愛」もある意味、父の思考が反映されているような気がします。
motoさんのコメント
『そうすると奈央子のドレッサー送りつけで杉下の早苗に対する罪意識が刺激され、「究極の愛」が立ち上がった。』
以降が私にはよく理解できませんでした。ドレッサー=早苗への罪悪感はイコールがつながると思うんですが、早苗への罪悪感=究極の愛発動が結びつきません。
こんばんは。
motoさんの瞬間記憶、ひまわりさんのフラッシュバルブ記憶、ス、ゴ、イ!
なんかやたらに凝った演出だな~ぐらいにしか考えていなかった私には目まいがしそうです。
あ、でも私もそのシーンの羅列知りたいです!ただ希美のみに限ってではないところがややこしそうですね~。
でも演出意図と意味はかなり見えてきそう~、ワクワク!
あと混合説とかはないですかね、過去がフラッシュバックする時と、何かの始まりを示唆する場合とがあるとか。
さて、希美の野望について考えてみました。
一つはお城を追い出された後、成瀬と語り合った野望、「バルコニー、アラブの富豪、真っすぐな水平線」
そして究極の愛が発端で作りだされたのが、「誰にも頼らんと生きていきたい」これは野望というより強迫観念に近いです。成瀬に頼ってはいけない→だれにも頼ってはいけない→だれにも頼らず生きる→一人で生きる
さざ波放火前と放火後では随分と重くなっちゃっていますね。(あ、でもバルコニーで一人で生きるとは宣言しているんですね)チケットをみて「上に行く!」はやはり成瀬との誓約で、これも野望かな。
母親へのトラウマと罪悪感とを切り離すべく、野望についても火事の前後で分けてもいいかと。
ゴンドラで上から見る水平線を見て成瀬との約束が果たされ、解放されたように感じた希美でした。そしてこの時世界の広さにたじろぎ、自分の立ち位置に対する認識もしたはずです。「安藤の夢に乗っかりたい」ほんの一瞬そんなことも感じ、「つかまってていい」、でもこの広い世界に挑もうとする安藤の邪魔をしてはいけない(ここは原作のまま)、自分は安藤のようにはなれない、そう痛感したと思うんです。この時上昇志向は消えたように感じるのです。
しかしドレッサーによって母親への罪悪感が喚起された。以前の希美であれば、チケットを見てそこから逃れようとしたでしょう。しかし自分の限界を知り、誰にも頼らず一人で生きることなどできるのだろうか?そこは果てしない孤独と戦う世界であり、自分には到達できないところであると薄々知ってしまった希美には、母への罪悪感を打ち消す術、その余力がなくなってしまったのではないでしょうか?この時「上を見る」、とも「上に行く」とも言わず、ひたすら「下は見ない」と言い続けました。
島を出るとき希美は母親より愛(成瀬)をとった。成瀬が母に勝ったと言っていいのかな。でもドレッサー事件ではママが勝ったと言えるのかな。
ちょっとうまくまとまりませんでした。また出直してきます。
ひまわりさん、
すみません、この部分のプロセス詳細は今日と明日の本編投稿内容でした。
自分でもうアップしたつもりでした。
簡単に書くと以下になります。
早苗は杉下の罪意識の対象。そして彼女にとっての罪意識の対象はもう一人いて、それは成瀬なんです。
成瀬に対する罪意識の形成はお城放火未遂とさざなみ炎上です。
お城放火未遂で『もやしてしまえば大事な場所を誰にも取られない』という感情を共有し且つ成瀬が代理放火しようとした。そして翌日のさざなみ炎上で杉下は『成瀬が本当にややってしまった、自分を救うために本当にやった』と思ったんです。そして成瀬に対する罪意識が形成された。
ですから早苗と成瀬は罪意識で杉下の中で繋がっている。
そしてこの経験は杉下のもう一つの特徴を形成しました。彼女の『誰にも頼らん』です。
これも実は成瀬が元です。この意識そのものはバルコニー演説で既に出ていましたが、さざなみ以降は実は成瀬に還元されています。
さざなみの火を見て彼女は父親と早苗さん、ゆきからの開放感を感じました。つまり成瀬は解放者、救世主なんです。ですが一方でその救世主の行動は放火という犯罪行為であり、そのトリガーは自分の感情を成瀬が共有したから。つまり杉下は救世主たる成瀬を頼ってはいけないという強烈なジレンマを抱えた。だからさざなみ以降の彼女の『誰にも頼らん』=『成瀬にも頼れない』なんです。そして当然『成瀬にも頼れん』も彼女の心を蝕む感情です。
そして当然のことながらその後の偽証=罪の共有を経て『究極の愛』が形成された訳です。
ですから杉下の『誰にも頼らん』と『究極の愛』は成瀬に対する罪意識から形成されたもので、さらに言えば『究極の愛』は『成瀬に頼れない』と成瀬に対する罪意識を杉下自身に対して隠蔽し、彼女の精神を保護するシステムだと今は理解しています。
本来は自身に原因がある自分自身を蝕む感情を、その原因と行動を外部化し成瀬に会わない屁理屈をつける事で彼女の精神を守るシステムです。
ですから早苗に対する罪意識が刺激されるとそれは深層心理下の成瀬に対する罪意識を刺激し、且つ『成瀬にも頼れん』も刺激される。その成瀬に対する感情から杉下自身の精神を保護するために『究極の愛』が立ち上がる、という構造です。
こんな説明でお判りいただけますでしょうか?多分に言葉足らずのような気がしてます。
しのぶさん、
野望と『誰にも頼らん』、早苗さんに対する感情をさざなみ炎上の前後で明確に切り分ける見方は私も全く同意です。確かにいずれもさざなみ前から出ていたフレーズですがやはりさざなみのあとでは全てが成瀬に還元、もしくは成瀬起因に変質してるんですよ。
そして気がつきました?一見すると一連の流れのように見えるけど、実はあるタイミングでその意味が全く違う様相を呈する、という構造。これスカイローズガーデンの時の奈央子による心中の前後と同じなんです。
最初の頃はさざなみに謎解きなんかない、と思っていたんですがよくよく見るとさざなみの前後でやっぱり全く違うんですよね。
だからこのドラマって全部成瀬なんですよ。何から何まで成瀬に杉下が振り回されているドラマに今は見えてます。
しのぶさん
しのぶさん、私がいろいろ本編以外のこと書くもんで、motoさんとの論議が中断してしまって申し訳なかったです。ごめんなさい。
私の期待と願いですが、このドラマの全ての演出、効果音、演技が意味あるものとしてミステリーの答えにつながっていて欲しいです。なので、シャッター音も製作者の意図であり、その他の演出とも結びついていくものだとしたら。以前motoさんが触れていた、色の考察。服の色だけが際立っている回想シーン、それから現代のセピアがかったシーンと、過去の全ての回想後の現代の鮮やかになったシーン、これがシャッター音と結びつくのではと今思ってます。また後日あげます!
ひまわりさんへ
もし私の『戻ってこれた』に反応したなら、意味が違いますよ。
ドレッサーを理解するのに早苗の訪問時の杉下の心理プロセスを理解する必要を感じてそっちが片付いたから『戻ってこれた』、と言ったまでです。
気にされているとしたら、言葉足らずでもうしわけありませんでした
motoさん、しのぶさん
やっぱりお二人とは少し違うなぁ。成瀬に翻弄されている、とは全く思えない。逆は少し感じましたけどね。でも最終的には、成瀬も成瀬の意志をしっかり持った男性に成長した気はする。だから、病魔によりまた自分を失いかけていた希美が自分らしさを取り戻した、それは成瀬の力でしょうね。
しかし、島からスカイローズガーデンまでは…やはり全てが成瀬に還元されるというのは、私はしっくりこないなぁ。あわせて、早苗さんに対する感情をさざなみ炎上前後で切り分ける理由が弱いように思います。
上でmotoさんが放火事件前のドレッサーは影が薄いとのコメントありましたが、そんなことないですよ。私は化粧ビチャビチャもドレッサー場面と思います。いや、化粧ビチャビチャと表現するのがよくないのか(笑)早苗の顔が印象的すぎるからなぁ(^^;正確にいは化粧ビチャビチャ直前です。
見直してみると、むしろドレッサーのシーンで最も恐ろしいドレッサーを製作者が意図して作っているシーンだと思います。正直、ドレッサーを意識して自分は見返した時、ドレッサーの写し方に恐怖を感じました。
なんとここ、BGMがばっちり合わせてます。その前の少し穏やかなBGMが、このドレッサーが映し出された瞬間、緊張感の漂うBGMにクロスフェードされてます。さらに、カメラワーク。早苗が扉を開いたその隙間に、暗い寝室からばっちりドレッサーの鏡がこちらを見ています。これ、絶対わざとドレッサーが映るように撮ってますよね。そしてこのタイミングにBGMを合わせてる。この不気味な前振りがあるからこそ、早苗の化粧ビチャビチャがより恐ろしく印象に残る。作り方うまいなぁと思います。
BGMは表現したい心情が始まる起点から挿入するのが一般的です。そしてこのBGMは化粧品を持って立ち去る希美に、早苗が「やめて!」といった瞬間に終わります。よって、製作者はここで一度シーンを閉じてますね。化粧ビチャビチャは別のBGMを入れて、別の心情を表そうとしています。化粧ビチャビチャとは分けて考えた方がいいかも。
ドレッサーの象徴は母への罪悪感。母への罪悪感は母を捨てて島を出たこと。母を捨てて島を出たことは、過去を捨てて別の場所で生きたかったから。この希美の生き方が母の生き方と何度も対立し、口論になった。母の生き方の象徴は高い化粧品・服、それを取り上げようとする希美の生き方、その場面に表れるドレッサー。
よって私はドレッサーのシーンはやはり島時代全体で早苗の生き方を否定し、希美が母と口論する場面の象徴、そしてそこから生まれた罪悪感の象徴ととらえたいと思います。
全て羅列すると…
① 化粧品を母から取り上げるシーン
② クレジットカードを母から取り上げるシーン
③ 島から出て行くなと部屋に閉じ込められるシーン
④ 大学進学を伝え誤るシーン
③も実はばっちり映ってました。本当にこの製作者こわい(笑)考えすぎてて、おそろしいわ。希美が帰宅して目にしたもの、無人の母の寝室の小さな照明がぼんやり照らすドレッサー。その後、希美の部屋でドレッサーに変わる鏡みたいなものがあったら面白いなぁ…と思っていたら、やっぱりあった鏡。希美の机の上、そこに座っている母の後ろにちょうど映るように。これって奈央子からのドレッサーをかなり製作者が意識して作ってる、そう思えます。
motoさんが書いていた、深夜の電話シーンは外しました。直接希美がドレッサーを見たわけではないので、母への希美の罪悪感という部類では少し違うと思います。
長くなりましたが、一連のドレッサー絡みの杉下の心情は成瀬とは切り離した方がすっきりしそうなんですよね~。
追記です
motoさん、お気づかい頂きすみません。コメントありがとうございましたm(_ _)m
あとドレッサー場面、もう一つ加えるべきか否か。
初めて成瀬と買い物をして帰った時、アクセサリー売りのおっちゃんの場面。
ここは、希美と母以外にも成瀬とおっちゃんがおるから、少しドレッサーの存在もぼやかしてますね。映ることは映りますが、影は薄いです。その代わりか、ここも早苗が手鏡を持って登場。
加えるほどのシーンではないかもですが、早苗から高価なものを取り上げるシーンとしては一緒なので、いちお。
早苗とドレッサーのシーンはもう一度見直したほうがいいかな?
実はあんまりドレッサーって自分の記憶に薄いんですよね。
いずれにせよ研究のいる領域ですね。
ただ一つどうしても気にしているのが、杉下の独白『あの火を見てたら〜』なんですよ。
そこは彼女の心象を彼女自身が直接的に表明しているシーンなので、ここのセリフは実は他のどんな描写より一番重視してるんですね。
そうするとさざなみの前後で彼女を巡る世界が変わったわけですから、一つの解釈として、さざなみ以降が早苗に対する罪意識、それ以前がしがらみの対象として、論を展開してみているんですよ。
こんばんは。
ひまわりさん、そうですね、私もそこまで「成瀬」なのかと言われると描写としてはそうでもない気はしていたんですけどね。でも島編、またそれ以降の希美の言動などから察するにやっぱり成瀬は大きかったような気がしているんです。多分にmotoさんの影響も多きいかも(motoさん押し付けてごめんね!)
放送時はね、「野ばら荘」からガラッと雰囲気変わったじゃないですか。ああ成瀬は「過去の人」になるのねきっと、なんて思っていたんですよ。でも希美の余命が明かされた時点で、「わかった~!!、これで成瀬大逆転なのだ」(希美は架空の人物ですので、この不謹慎な発想を本当に許してください、すみません、すみません)なんて思っていたら、逆転も何も、全然意味ワカンネ~。わからな過ぎて興味沸く、そして今に至る、って感じでしょうか。
だから「安藤説」もね、ひまわりさんのような方に考察、解析してもらいたいんですよ。私は優柔不断なんで、納得すればそうかもしれない、って思ってしまうんじゃないかな~。真実は一つなのか、また別の可能性もあり得るのか、そおいうところも含めて「知りたい」んです。
今考察?している内容に関して、なんですけど、元々は私がmotoさんの「西崎説」を有力としたことに端を発しているのかもしれません。これにはちょっとした根拠があって、まず西崎に協力する動機、、ですよね。私は母親と被る奈央子(自立できない、夫への依存が強い、など)を希美は嫌悪していたふしがあると思っていて、親友とかならわかるけど、「人助け」に走るにはこの二人の関係性では説明がつかない、と踏んだんです。(母親と被る=同情、ともとれますが)西崎が奈央子の立場であればまた変わってくると思うんですが。
だから西崎に対する「愛」じゃないかと。
ただ、母親に対する罪悪感を払拭するための代理行為、とも思えるんですが、この部分で西崎と共通項がある、やはりそこで「愛」に繋がった可能性が大きい。いずれにせよmotoさんの言われる「愛による合理化」が最も納得感が高い、と感じました。
二つ目の理由は、「成瀬との再会」の前後に西崎のシーンがあるんです。この一連のシーンで成瀬はどうも利用されているようにしか見えない(もちろんこれらにも裏はあるのかもしれません)、ように感じた事ですかね。
以上の理由で有力としながらも、それでもなお受け入れるには疑問が生じるところがある(疑義の内容ははN研2にあります)、ということでひまわりさんに以前まとめていただいた空白の部分をどう埋めていくか、に関心がいっている所です。
ただ、瞬きとシャッター音の事とか、早苗ママとドレッサーの関係とか、ひまわりさんの言われている所が後々波紋を呼びそうで(もちろんいい意味で)、こちらのブログ、私としては正直、すごく面白いです。
あ、全然私考察していませんね。ちょっと思考停止しないと前に進めないもので。思考停止というのはいわば『逃避』で精神の保護には役に立つものだと思います(汗)。
そうなんですよ、早苗さんに対する罪意識の論を推し進めると、西崎への協力の理由が『同情』もしくは『母親に対する罪滅ぼしの代理行為』という可能性が出てくるんですね。
自分で論を展開しておいて自説を否定しかねない状況になり得るんです(汗)
でも杉下の『あの火を見てたら…』の独白とは矛盾してはいけないし…
でも原作との演出上の差(安藤盛りの西崎下げ)を考えると西崎との二股?説もとっても魅力的…
やはりこのドレッサー事件からの杉下の心理変化が肝ですね〜
motoさん
台詞を他の描写より一番重要視するという考え方は全く同感です。motoさんのお考えも矛盾はないと思うので成立すると思います。
希美の『あの火を見てたら…』の台詞の解釈の仕方だと思うんですよね。
『ギリギリの所におって、自分じゃどうにもならんで、辛かった。あの火を見てたら、父親も母親もあの女も全部消えてったんよ。自分を縛るものは誰もおらん、そう思って上を向けた。』
私はこの台詞で父親・母親・ユキが加害者、希美が被害者という構図の元で受けた希美の辛い記憶が全て消えていった。その記憶に縛られず上を向いて生きていけると思った、という解釈です。
だから、一般的な冷蔵庫のトラウマも消えていった、これはmotoさんやしのぶさんと同じ解釈だと思うんです。早苗に限って言うなら、化粧ビチャビチャ、寝ぼけて天ぷら、あそこはママのお家なんよ~と飛び出す姿が消えていった。
しかし、希美の中で自分が加害者で母が被害者になっている場面(上の①~④のドレッサー関連の場面)は、『あの火を見てたら…』の台詞の構図には含まれていない部分だと思うので、ここは切り離して考えています。
『あの火を見てたら…』の台詞の解釈から、motoさんが本編で投稿されていたように、早苗に対する心情は「杉下の中ではさざなみ炎上以前と以後では明確に区分されるべきもの」となることは論理上は理解できるんです。ただ、さざなみ炎上で希美を取り巻く世界が変わったとは言え、人の心理って言葉で明確に分類できるほどシンプルなものじゃないと思うんですよね。だから、さざなみ炎上で早苗に対して消えたもの、消えなかったものがあるのは、人間としてはごく当たり前のことのように私は思える。いや、むしろそのほうが人間らしいというか…私はそんな希美が好きなんです。だから、早苗から自分が受けた辛さは消えたけど、自分が早苗に与えた辛さは残っている、という解釈になりました。
ひまわりさん、
なんとなくひまわりさんの違和感が理解出来ました。
『還元』という表現への解釈の差ですね。
私もひまわりさんの言われる通り、さざなみの火で杉下が解放されたのは『呪縛・しがらみ』としての早苗という理解です。早苗の全てについて解放された訳では無い。
さざなみの火を境にして杉下が変わったのは、さざなみ以後は彼女は『攻め』(攻撃、という意味ではなく)に転じたんです。その動機は成瀬との誓約です。さざなみ炎上以降、資金的にも行き詰まり、精神的な支えであった成瀬とも距離をおかざるをえない状況で彼女は本当に追い込まれたんだと思います。そんな中、最後の拠り所である成瀬との誓約を実現するために杉下は早苗を『切った』(島脱出宣言→1117Nチケット→父親土下座)。彼女は究極の選択として母親より成瀬をとった訳です。ですがその代償として杉下は早苗への罪意識を抱えた。
こういう成瀬と早苗への罪意識の関係を還元と表現しましたが、解りづらかったかもしれませんね。
だからドレッサーが杉下の早苗に対する罪意識を呼び出すシンボルであることは全く同意です。俗に言う『ドレッサーのトラウマ』という表現は間違いで、ドレッサーそのものはトラウマではないですよね。
『究極の愛』とは成瀬に対する恐怖と罪意識を杉下自身に対して隠蔽する心理システム。
そして『野望』は『究極の愛』で距離を取らざるを得なくなった成瀬との誓約で、その実現は彼との繋がりを確認する代理行為。それゆえその実現は彼女の義務と化し、そしてそれが彼女のストレス源となった。それ故に彼女はストレス発散行為が止まず常に冷蔵庫が一杯の状態が続いた。
ゴンドラで成瀬との誓約は達成した。ストレス源は取り除かれその発散行為は止んだ。
誓約が達成した事より、成瀬との繋がりの欲求が充足された。それはつまり繋がっているという事への確信を得た?
もしこの心理だとすると、この後に杉下に『成瀬に会ってはならない』心理が働かなかったのは彼女が成瀬に会う事にある種の資格の喪失感があって、そのパスが野望の実現だった、という事になる。
長文いきます!
motoさん
還元という言葉、理解いたしました。motoさんのお考えと自分の考えの違いも分かってきました。要は、さざなみ炎上後、希美の『攻め』が成瀬との誓約を動機としているかどうか、ですね。motoさんが、希美の『攻め』を成瀬との誓約を動機とするなら、成瀬と早苗への罪意識の関係は『還元』と表すとしっくりきますよね。
私は前にも書きましたが、成瀬との誓約のために母を捨てて島を出る、とは逆の発想なのでいくら深めてもここは平行線ですね(笑)
ドレッサー初登場シーンが非常に印象的に映し出されていることから、奈央子のドレッサー事件に結び付けようと製作者が意図していることが分かりました。ここが私の中では自分の考えの裏付けになりました。ドレッサー事件で希美が感じた何かはこのシーン(さざなみ炎上前)に起因するのだ、という考えです。私の希美の心理変化は以下の通りです。
炎上前⇒ 親・ゆきから強烈なトラウマを受ける
母の人生観を否定(ドレッサーの場面)
上昇志向と野望を持ち一人で生きて行くことを誓う
さざなみ炎上⇒ 親・ゆきから受けたトラウマから解放される
炎上後⇒ 島時代でもっとも辛い時代=①+②
①成瀬に頼れない
(自分のせいで成瀬に放火させた罪悪感)
②何度話しても分かり合えない母との人生観の違い
(島を出るために母を捨てた罪悪感)
新生活スタート⇒遥か遠く見えない上にストレスを感じる
=料理を作りすぎて冷蔵庫がいっぱい
ゴンドラ⇒世界の果てまで自分の足元が繋がっている事を実感
=冷蔵庫はいっぱいにならない
ドレッサー事件⇒ 母への罪悪感が再度出現
成瀬との再会⇒ 成瀬の罪との向きあい方に惹かれる
N作戦2に協力⇒ 西崎の母への罪悪感との向きあい方に協力
=希美自身も母への罪悪感と向き合うきっかけにする
ざっと、自分の中ではこんな風に繋がってます。今の段階ですのでまた変更するかもですが。確か、N研1でmotoさんや桃さんと成瀬のプロポーズシーンを話していた時にも書いたんですが、もともと私はN作戦2への希美の動機は『母への償い』、母への罪悪感に向き合おうと思ったからだと考えてます。だから、成功した暁には、母の元へ行こうと思っていたと思います。もし、2004年に成瀬なり安藤なりと一緒に時を進めて行くことを望んでいたとしたら、やはり母との和解が先になるからだと思います。ここはラストシーンまでの過程と同じ。
なんですけど…
やっぱりmotoさんの『全てが成瀬に還元されていく』という考えの起点、さざなみ炎上辺りから私の考えは違う方向で進めているので、だいぶ異なってきます。ここはやっぱり平行線。だからスルーしてもらって結構です(笑)
あ、でも良かったらドレッサー登場シーンぜひ見てみてください。製作者の気合い、感じますよ~(^^ その直後に化粧ビチャビチャを強烈に入れることで、ドレッサーの印象が消えるような意図も感じます。だから印象としてはそんなに残らない。私も正直忘れてました。ドレッサーだけを意識して見ないと残らないシーン、でもドレッサーに注目すると、ここは主演ドレッサーなんですよ。
長くなりすみません!motoさんのドレッサー事件後の希美の心理変化、コメント書いている間に投稿されていたので、そのお話進めていきましょう。
ひまわりさん
確かに西崎と西崎の母親との関係、杉下と早苗の関係性から考えを進める、というルートがあるのは確かなんですよね。あまりその方向は突っ込めてないんですが。
実は本音をいうと、なぜ私が早苗さんや父親、ゆきの影響をさざなみ炎上で成瀬に還元される、ととっているか、その上で論を進めているかというと、実はタイトルと関係しているんです。
『Nのために』
早苗も父親もゆきもNでは無いんです。
私がスカイローズガーデンの謎解きの際に『〜にために』というと言葉の三つの用法を区分して、原因、意図、効果(影響)の三つに分けて考えをまとめ、その上で四人の意志がどこにあったか?という推理をしたのはご存知だと思います。
これと関連するんですが、結局杉下の15年の半生は原因と意図そしてその効果全てがN=成瀬なのでは無いか?そうであったら面白いな、美しいなという思いである事をバラします(笑)。
以前に杉下は成瀬に振り回されっぱなし、と書いたのはそういう意味です。だってそこにSやYが入ってきたら面白く無いじゃ無いですか(笑)
motoさん
杉下の15年の半生は全てが「N=成瀬のために」であれば美しい、ですよね~!美しいと思います!!それがmotoさんの願いなんだろうなと、そうなんじゃないかな~とうっすら感じていました(笑)
うん、やっぱりこの話は自分自身が何を見たいか、それが大事なんですね。その何かにちゃんと答えが出るように、作者が作っていてくれている、そんな願いが私もあります。きっとNにはまっている人にはあると思います。だから、そこを大切にして読み進めたいですよね。
ちなみに「Nのために」のNには小さなSが刻まれてますが、これも慎司のS?早苗のS?はたまたすすむさぁ~んのS?案外Sのイニシャルにひともいますね(笑)周平さん!
さて、motoさんのドレッサー事件後の杉下の心理変化について、質問があります。
また勝手ながらまとめてみたのですが、いかがでしょう?
さざなみ炎上⇒
究極の愛が出現=成瀬との離別=ストレス①
一番辛い島時代⇒
ストレス①の発散行為=野望の実現を目指すこと=早苗への罪悪感=ストレス②
新生活⇒
野望の実現を目指し続ける=ストレス②=冷蔵庫いっぱい
ゴンドラ⇒
野望の実現=成瀬との心の繋がりを実感=成瀬との再会を肯定
ドレッサー事件⇒
早苗への罪悪感が復活=成瀬への罪悪感が復活=究極の愛発動
ここからは私の推測ですが…
成瀬との再会を肯定=究極の愛の定義が変化? or 究極の愛の消滅?
成瀬と会っていいってことは、究極の愛の『身を引く』とは矛盾するから、会って良いことにするには、杉下の中で究極の愛の定義が変わるか消えるかしないとダメなんじゃ?と思ってしまうんですけど、ここはどうなんでしょう。
とすると、『ドレッサーが届く=究極の愛発動』の究極の愛は、少なくとも定義の変化はされていないと発動できない?消滅したとしたら、成瀬への罪悪感もゴンドラで消滅した?早苗への罪悪感も?となってしまうから…やはり定義が変化したのかな。
どうでしょうか?
そうでしたね、タイトルロゴにSが刻まれてますね。忘れとった!
いや、やはりここはSN両方持つ者同士の愛の物語と理解したいです、つまり周平さんと杉下!(爆)
野望実現した状態でのドレッサー後の杉下の心理は難解ですね。早苗に対する罪意識の刺激で究極の愛が立ち上がるところまでは、早苗が訪ねてきた時と同じでいい。何故なら杉下にはまだ潜在的な罪意識が有りますから。
ただ野望が叶った事が究極の愛の対象から成瀬が外れてしまう事がまだ説明出来ないんです。
もう一つもしかしたら考慮すべき事項があるとすると、早苗は過去ですがドレッサーは今現在の問題という事かな?
そこらへんがイマイチまだ整理できんです。
3もいっぱいになりましたね。4を立てたので、そちらに移りましょう!
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