2015年5月11日月曜日

杉下の『究極の愛』の本当の意味

杉下が自ら定義する究極の愛

〝罪の共有…共犯じゃなくて共有。誰にも知られずに相手の罪を自分が半分引き受けること…誰にもってのはもちろん相手にも…罪を引き受け、黙って身を引く〟

この定義は成瀬との関係性において形成されたものです。
さざなみ放火事件で成瀬が放火したと勘違いした杉下が、成瀬を守りたい一心で捜査機関に対して成瀬と一緒にいた、という嘘のアリバイ工作をし、且つ自分が成瀬との関係性において嘘を付くような間柄ではない、という演出をする為に成瀬との接触さえ断つ、という行為の経験から来ています。

杉下にとっての究極の愛とはなんだったのでしょうか。
オフィシャルサイトで注目すべきコメントが幾つか有りました。

桜さんのコメント
>>自分中に在る成瀬くんへの想いに、希美ちゃん自身が名付けた言葉が「究極の愛」

tomatotoさんのコメント
>>成瀬くんへの想いを昇華するため、黙って身を引くこと、罪の共有が究極の愛だと希美は自分に思い込ませた。

桜さんの成瀬への思いに対する命名という説に全く同感。tomatotoさんの杉下の心理作用を含めた説明にも、唸るものがあります。

このお二人のコメントを参考に、私なりの解釈を加えさせていただくと、こうなります。

『成瀬に会いたい、一緒にいたいという自身の気持を抑圧する方便、心理機構に杉下自身が命名したもの』が「究極の愛」

だととっています。

つまり成瀬が好きで会いたい、一緒にいたいにも関わらず、接触する事が成瀬の利益にならない。会えない、会ってはならない、というネガティヴな表現では杉下自身の気持ちが持たなくなる。よって積極的な表現が必要とされ、さも自らの意志としてそうしているんだ、という変換が必要だった為に杉下が無意識に生み出した心理上の防御機構だった、という解釈です。

少し前の投稿『杉下は西崎に何を観ていたのか』の中で、〝火で杉下を解放してくれた成瀬に心が縛り付けられる事となった〟と書いた理由は、ここにあります。

安藤がいみじくも『灼熱バード』の感想を求められた際、〝究極の愛、って言っている時点でヤバいでしょ〟と言っている通り、その西崎の問に答える杉下は、やはり無意識に成瀬に対するトラウマを抱えていたと取るのが正しいと思います。





1 件のコメント:

motoさん さんのコメント...

『成瀬に会いたい、一緒にいたいという自身の気持を抑圧する方便、心理機構に杉下自身が命名したもの』が「究極の愛」

この解釈は大筋では変更はないのですが、少し違う要素も含まれると考えています。
それは、彼女の子供じみた、ヒロイックな妄想癖が少なからず影響していると考えています。

おそらく、安藤が”やばい”と表現したものの中には、”危険”という要素もありつつ、”子供っぽい”というニュアンスも含まれていると考えるようになりました。現実主義者で合理主義者である安藤から見たら、西崎と杉下は子供っぽく見えたものと思います。

ドラマの演出的には、「究極の愛」を語らせる事で杉下と成瀬が会わない理由を見せているのですが、これは多分に成瀬に対する杉下が抱えるトラウマを糊塗=隠ぺいする効果があると思います。

冷静に考えるならば、杉下と成瀬が島を離れた後も連絡を取らない、というのは合理的説明が付かないのです。確かにさざなみの嫌疑から成瀬を護る、自分が成瀬を庇うような関係ではない、という偽証を担保する為に事件後杉下が成瀬との接触を断ったことは意味がありますが、島を離れ東京での生活が開始した以降、二人が仮に接触を再開したとしても、島時代までのことまでが覆される、となるわけではないはずです。実際、同級生の結婚式で再開して以降に、二人があう事に躊躇している様子は有りません。

杉下が「究極の愛」を語った頃と、スカイローズガーデンの直前の状況についていえば、さざなみ事件については何か変化があったわけではないのです。

こう考えると、杉下が「究極の愛」を語った頃に成瀬と接触をとらなかった事情というのは、単にさざなみの偽証を担保するため、とは言えず、それ以外の理由が杉下の中にあった、と見た方がよく、かつ杉下自身がその理由を成瀬と連絡を取らない理由にしたくない、という心理があった為に”会わないのはさざなみの偽証を担保するため”というある種の自身の心理の糊塗した理由を作り出す必要があって、このような定義となったと考えた方がいい、というのが今の解釈です。