2015年11月1日日曜日

杉下の『究極の愛』は『成瀬に対する罪』を杉下自身に対して隠蔽する心理システム

杉下の『究極の愛』は罪の共有であり、これ自体はさざなみの事件処理を契機に杉下に形成されたものです。
一方、彼女の独立心は実はその起源はお城放火未遂の際の『何もいらん』です。この時杉下は自分を救ってくれる存在が成瀬である事を自覚しながら、一方で成瀬が自分のためなら、簡単に崩れそうな吊橋を渡ってしまうのを観た。自分を救う=成瀬が危険を冒す様を見てしまった。だから成瀬を巻き込む事を恐れた杉下は成瀬を遠ざける=『何もいらん』を言わざるを得なくなった。自分を救ってくれると確信した存在を、その存在を護る手段として遠ざけざるを得ないという強烈なジレンマを抱えた。それが翌日のさざなみの火事で成瀬が本当にやった!と誤解した。『大事な場所』に対する同じ感情を共有していた杉下はその導火線は自身のお城放火未遂だという強い後悔=罪を抱え込んでしまったんです。ですから、『何もいらん』がさざなみで『成瀬に対する罪』プラス『成瀬に頼ってはいけない』になり、『成瀬に頼ってはいけない』が『誰にも頼れない』が形成されたた訳です。ですから、彼女の独立心は人を頼る事に対する罪意識及び驚怖なんです。

ですから、以後の杉下の独立心はバルコニーでの『誰にも頼らん』宣言が起源ではなく、この『誰にも頼れん』が起源であり、『究極の愛』とセットなんですね。

で、実は『究極の愛=罪の共有』は杉下の『成瀬に対する罪』を杉下自身から隠蔽するためのものだったと、今は取っています。

頼れる存在に対する、頼る事に対する罪意識。なら、会わなければいい。会わなければ頼る事もないし罪意識を感じる事もない…

こんな強烈なジレンマと自身の後悔及び罪意識から彼女の精神を保護するために『究極の愛=罪の共有』でオブラートしたものなんです。

0 件のコメント: