2016年2月28日日曜日

杉下の早苗に会う心理 その一

杉下の早苗に対する赦し赦されの関係のベクトルが当初の理解から逆転していました。
当初は杉下が早苗を許すことが出来るか?が彼女が早苗に会いに行った理由として理解していましたが、それは誤りで、早苗への赦しを内包した早苗からの赦しを得たいという心理です。
このベクトルの逆転は、その後に続く安藤を赦す心理の出処としては、問題にはなりませんでしたが、成瀬との関係についても影響無いか?というと、そうとは言えないと思うんです。

というのは、赦し赦されの関係について、『赦されたい』に『赦したい』は内包されるけれど、その逆は存在しないんです。

問題になるのは当初理解でのこの部分。
『成瀬に頼り切る生活にいずれなる自分を自己嫌悪せず受け入れる為には自分が早苗を赦す事が出来るか?が杉下が自らに課した課題』
この理解はベクトルの逆転で成立しないんです。

つまり成瀬との関係性において、自分が早苗から赦される必要を杉下が感じた、そう感じたものは何か?なんです。

その何か、杉下が成瀬に抱えていた罪意識を乗り越えて成瀬の元に帰り得たのは、成瀬に対する冒涜観念だと思うんです。一般的には『自分の気持ちに素直になって』と理解されているけど、これは違うと踏んでいます。

つまり成瀬に対する罪を抱えた杉下が、成瀬を前に彼に罪を抱えたままであること、その事が罪であると認識した。だから成瀬のために自らが抱えた罪も捨て去った。それは自分のためでは無く、ひとえに成瀬のため。彼女が成瀬の元に還ったのは、残された時間を全身全霊彼を幸せにしようという彼女の壮絶な覚悟の上の事だと考えます。
医師に対して『誰も悲しませずに死ぬことは出来ないのか?』と問い、『誰も悲しませずに生きられないのと同様、誰も悲しませずに死ぬ事などできない』と諭された。
この言葉を受けて、彼女は選択したのです。悲しませることが不可避であるなら、自分の残りの時間を誰のために使うのかを。誰の幸せのために残りの時間を使うのかを。それが彼女には成瀬であったわけです。

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