初期の判断では、成瀬に身を寄せる決意をした彼女が、いずれその病状が進んだ時、成瀬に頼り切る事になる。それはある意味生活能力の欠如した、他人に依存、拘束する早苗と同じ状態であり、それを嫌悪していた杉下は、自分を許せなくなる。
成瀬のために全ての時間を使うことを決意した彼女には、そんな自己嫌悪さえ成瀬のためにしたく無かった。だから自らが早苗を許すことが出来るか、それを確かめに、早苗を許すために早苗の元を尋ねた。
そして自らの深いトラウマであった早苗を赦せたから、その後に安藤も赦すことができた…
こういう解釈でした。
ですが、杉下の早苗に対する感情を詳しく分析すると、杉下にとっては早苗は成瀬との誓約を守るために切り捨てた、罪意識の対象である事が判ったんです。
そうすると、杉下は早苗の元に赦される為に訪れた事になる。
とすると、ここで困った事が起きたんですね。では安藤を赦せた心理は何処から来たのか?
杉下と早苗の間の、赦しのベクトルが逆転した事により、杉下が安藤を赦せた心理の出処が不明になってしまったんです。
この問題を暫く考えていました。そして漸く答えを得ました。
杉下は、早苗から赦される事で、安藤を赦せたのです。
赦しの心理とは面白いもので、赦される、赦されたいという心理には必ず相手に対する赦し、赦したいという双方向の感情が伴う事に気付きました。
つまり、赦されたいと願う相手に対してはその内に必ず相手を赦したいという逆ベクトルの関係を内包している、ということなんです。
自分のことは相手から赦されたいけれど、自分は相手を赦さない
こんな心理は赦し、赦されにはあり得ないんですね。
ですから、杉下が早苗から赦されたいと早苗の元へ向かった心理には杉下自身が早苗を赦したいという心理を内包しており、杉下が早苗から赦されたいと実感できた時、彼女自身が早苗を赦すことが出来たと感じた。だから安藤を赦す事が出来た…
ですから、赦し赦されのベクトルの逆転は安藤への赦しの心理とは矛盾しない、という結論に至りました。
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