杉下は、成瀬に対する冒涜観念の故に成瀬の元に還った。
病で迷惑が掛る事が掛る事が明白であるにも関わらず、それでも自分に寄り添う意志を表明した成瀬の申し出を固辞する事への冒涜感。
つまり自分が成瀬に迷惑を掛ける事を嫌がる感情をより、それでも彼が自分に寄り添いたい、という彼の感情を蔑ろしする事を恐れた訳です。
そのような杉下ががその後どう考えるか。
彼の望み、感情を全身全霊で受け止め、彼を全身全霊で愛そうと考えたのだと思います。
そのために障害となるものは全て捨て去ろうとした。
彼の前にまっさらな存在として立つために。
それは成瀬に抱えた罪意識であり、
野口夫妻への罪意識であり、
西崎、早苗に対する罪意識であり、
安藤への憎悪、嫌悪感です。
だから早苗に赦される事を欲し、安藤にエールを送った…
全てはN=成瀬のために
だから、この局面においてもやはり杉下は成瀬という存在に歪み、そのためにエゴイスティックな選択をしているんですね。
ですが、その突き抜けた先に彼女が到達したのは自分と関わった全ての人と出来事への感謝の念であり、人としての清らかさであった。その到達点がラストシーンだったのだろうと思うんです。
杉下の、成瀬に歪みに歪んだ人生の到達点としての、魂の奇跡の領域への上昇。成瀬の元での杉下の至福。
やはり、このドラマは奇跡を描いたドラマなのです。
成瀬との関係性において早苗に赦される事を欲した杉下ではあるけれど、早苗との関係性において一番の障害は、杉下が早苗に対して『ごめんなさい』と言えるか?だった。
『ごめんなさい』と言う事を欲したのは成瀬との関係性から来ている。
では、その言葉を発するのを阻害しているものは何か?
単純に考えると、俗に言う母親に対して抱えているとされるトラウマ、と答えそうだけど、彼女が早苗の前から逃げ出した心理ってもっと複雑なように感じるんです。
『ごめんなさい』を言いに行った相手の前から逃げ出す心理って、二つあると思います。
一つは赦されないかもしれない、という可能性に対する恐怖ですよね。
二つ目は過去に負った心的外傷がフラッシュバックする可能性への恐怖。
この時の杉下は『早苗から赦されないかもしれない可能性への恐怖』と見ています。その根拠は、杉下にとって早苗は直接的にフラッシュバックを呼び覚ます存在ではないからです。
トラウマとしての早苗はさざなみの火で成瀬という存在にオブラートされた。
しかし早苗の野ばら荘訪問時の杉下の反応から、早苗は成瀬と接触出来ない一番辛い時期を呼び覚ます存在ではあり続けている。
でも、杉下が早苗を訪ねた時は、成瀬の前に立つために早苗を訪ねた訳です。そうすると一番辛い時期を呼び覚ます存在に恐怖した、とは言えないと思うんです。
つまりフラッシュバックに対する恐怖から逃げ出したのではない、という結論になります。
2016年2月28日日曜日
杉下の早苗に会う心理 その一
杉下の早苗に対する赦し赦されの関係のベクトルが当初の理解から逆転していました。
当初は杉下が早苗を許すことが出来るか?が彼女が早苗に会いに行った理由として理解していましたが、それは誤りで、早苗への赦しを内包した早苗からの赦しを得たいという心理です。
このベクトルの逆転は、その後に続く安藤を赦す心理の出処としては、問題にはなりませんでしたが、成瀬との関係についても影響無いか?というと、そうとは言えないと思うんです。
というのは、赦し赦されの関係について、『赦されたい』に『赦したい』は内包されるけれど、その逆は存在しないんです。
問題になるのは当初理解でのこの部分。
『成瀬に頼り切る生活にいずれなる自分を自己嫌悪せず受け入れる為には自分が早苗を赦す事が出来るか?が杉下が自らに課した課題』
この理解はベクトルの逆転で成立しないんです。
つまり成瀬との関係性において、自分が早苗から赦される必要を杉下が感じた、そう感じたものは何か?なんです。
その何か、杉下が成瀬に抱えていた罪意識を乗り越えて成瀬の元に帰り得たのは、成瀬に対する冒涜観念だと思うんです。一般的には『自分の気持ちに素直になって』と理解されているけど、これは違うと踏んでいます。
つまり成瀬に対する罪を抱えた杉下が、成瀬を前に彼に罪を抱えたままであること、その事が罪であると認識した。だから成瀬のために自らが抱えた罪も捨て去った。それは自分のためでは無く、ひとえに成瀬のため。彼女が成瀬の元に還ったのは、残された時間を全身全霊彼を幸せにしようという彼女の壮絶な覚悟の上の事だと考えます。
医師に対して『誰も悲しませずに死ぬことは出来ないのか?』と問い、『誰も悲しませずに生きられないのと同様、誰も悲しませずに死ぬ事などできない』と諭された。
この言葉を受けて、彼女は選択したのです。悲しませることが不可避であるなら、自分の残りの時間を誰のために使うのかを。誰の幸せのために残りの時間を使うのかを。それが彼女には成瀬であったわけです。
2016年2月4日木曜日
早苗が杉下の罪意識の対象だとした時、安藤を赦せた杉下の心理
早苗は杉下の罪意識の対象でした。
初期の判断では、成瀬に身を寄せる決意をした彼女が、いずれその病状が進んだ時、成瀬に頼り切る事になる。それはある意味生活能力の欠如した、他人に依存、拘束する早苗と同じ状態であり、それを嫌悪していた杉下は、自分を許せなくなる。
成瀬のために全ての時間を使うことを決意した彼女には、そんな自己嫌悪さえ成瀬のためにしたく無かった。だから自らが早苗を許すことが出来るか、それを確かめに、早苗を許すために早苗の元を尋ねた。
そして自らの深いトラウマであった早苗を赦せたから、その後に安藤も赦すことができた…
こういう解釈でした。
ですが、杉下の早苗に対する感情を詳しく分析すると、杉下にとっては早苗は成瀬との誓約を守るために切り捨てた、罪意識の対象である事が判ったんです。
そうすると、杉下は早苗の元に赦される為に訪れた事になる。
とすると、ここで困った事が起きたんですね。では安藤を赦せた心理は何処から来たのか?
杉下と早苗の間の、赦しのベクトルが逆転した事により、杉下が安藤を赦せた心理の出処が不明になってしまったんです。
この問題を暫く考えていました。そして漸く答えを得ました。
杉下は、早苗から赦される事で、安藤を赦せたのです。
赦しの心理とは面白いもので、赦される、赦されたいという心理には必ず相手に対する赦し、赦したいという双方向の感情が伴う事に気付きました。
つまり、赦されたいと願う相手に対してはその内に必ず相手を赦したいという逆ベクトルの関係を内包している、ということなんです。
自分のことは相手から赦されたいけれど、自分は相手を赦さない
こんな心理は赦し、赦されにはあり得ないんですね。
ですから、杉下が早苗から赦されたいと早苗の元へ向かった心理には杉下自身が早苗を赦したいという心理を内包しており、杉下が早苗から赦されたいと実感できた時、彼女自身が早苗を赦すことが出来たと感じた。だから安藤を赦す事が出来た…
ですから、赦し赦されのベクトルの逆転は安藤への赦しの心理とは矛盾しない、という結論に至りました。
初期の判断では、成瀬に身を寄せる決意をした彼女が、いずれその病状が進んだ時、成瀬に頼り切る事になる。それはある意味生活能力の欠如した、他人に依存、拘束する早苗と同じ状態であり、それを嫌悪していた杉下は、自分を許せなくなる。
成瀬のために全ての時間を使うことを決意した彼女には、そんな自己嫌悪さえ成瀬のためにしたく無かった。だから自らが早苗を許すことが出来るか、それを確かめに、早苗を許すために早苗の元を尋ねた。
そして自らの深いトラウマであった早苗を赦せたから、その後に安藤も赦すことができた…
こういう解釈でした。
ですが、杉下の早苗に対する感情を詳しく分析すると、杉下にとっては早苗は成瀬との誓約を守るために切り捨てた、罪意識の対象である事が判ったんです。
そうすると、杉下は早苗の元に赦される為に訪れた事になる。
とすると、ここで困った事が起きたんですね。では安藤を赦せた心理は何処から来たのか?
杉下と早苗の間の、赦しのベクトルが逆転した事により、杉下が安藤を赦せた心理の出処が不明になってしまったんです。
この問題を暫く考えていました。そして漸く答えを得ました。
杉下は、早苗から赦される事で、安藤を赦せたのです。
赦しの心理とは面白いもので、赦される、赦されたいという心理には必ず相手に対する赦し、赦したいという双方向の感情が伴う事に気付きました。
つまり、赦されたいと願う相手に対してはその内に必ず相手を赦したいという逆ベクトルの関係を内包している、ということなんです。
自分のことは相手から赦されたいけれど、自分は相手を赦さない
こんな心理は赦し、赦されにはあり得ないんですね。
ですから、杉下が早苗から赦されたいと早苗の元へ向かった心理には杉下自身が早苗を赦したいという心理を内包しており、杉下が早苗から赦されたいと実感できた時、彼女自身が早苗を赦すことが出来たと感じた。だから安藤を赦す事が出来た…
ですから、赦し赦されのベクトルの逆転は安藤への赦しの心理とは矛盾しない、という結論に至りました。
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