2015年4月29日水曜日

杉下は西崎に何を観ていたのか

野ばら荘時代に杉下は西崎を愛していた。N作戦2における杉下のNは西崎でした。
杉下は西崎に何を観ていたのでしょうか。

杉下は西崎がDVの被害者であることに大雨の日に気付きました。彼の肌に無数に刻まれた根性焼きの跡を観てしまったからです。
そして西崎の『灼熱バード』を読み、炎にたじろぐ西崎を見て『灼熱バード』の鳥が西崎本人である事を知った。

母親の歪んだ愛情と、歪んでいると判りつつもそれにすがらなければ生きられなかった西崎。火事がそこから西崎を解放したものの、よすがとした母親を見殺しにした自覚が西崎をさらに母親へ縛り付ける事となった。

一方杉下
共に家を追い出された母親の言動に追い込まれ、どうにもならなくなった時、家を焼こうとした。それは成瀬に止められたけれども、似た境遇にあった成瀬が自宅に放火した(と思った)火を見て、自分を縛り付ける者(父親、愛人、母親)から解放されたが、今度は解放してくれた成瀬に心が縛り付けられる事となった。

つまり杉下は西崎に自分とのシンパシーを感じ、それに惹かれていったのです。

成瀬に心を寄せた経過もそうですが、とにかく杉下は自らと似た境遇にある者への心理的接近を取る傾向があります。しかも自分だって苦しいのに、その心理的接近を図った相手への自己犠牲的献身により、更にドツボにハマる。そのドツボにはまった中で、更に相手への心理作用が強化されてしまう、という行動パターンを繰り返しています。

2015年4月23日木曜日

杉下は安藤が外鍵をかけた理由を認識し得たか

Nのために 論考

今日は杉下は、事件当時安藤が外鍵をかけた理由を認識し得たか、という部分について考えます。

先の『杉下は何故救急への通報を打ち切ったのか』の投稿で検討した通り、杉下は救急への通報を中断した時点では安藤が外鍵をかけた事は認識出来ても、その理由までは理解出来ていません。

安藤が外鍵をかけた理由を認識しうるとすると、以下の場面に限られます。
安藤が部屋に入ってきた後、西崎が「逃げられなかった」と安藤に告げた時。

以下は杉下のモノローグで


西崎は安藤に「逃げられなかった」と言った。
安藤と西崎は鉢合わせたんだ。
二人でどのような会話を?それは判らない。でもその鉢合わせが安藤が外鍵をかけたきっかけだ。
西崎と会ったことで安藤は鍵を掛けた。その目的は西崎を野口宅から出さない為。安藤は奈央子がDVを受けていることは知っている。そうすると西崎を野口宅から出さないのは奈央子の不倫相手が西崎であると安藤が理解したから。
今日の食事会はシャルティヒロタ。そのシャルティヒロタで成瀬が働いていることを安藤は知っている。三人が合っている事も安藤は知っている。安藤は私と成瀬が付き合っているかを気にしていた。
もし安藤が成瀬が食事会の給仕としてくる、と感づいたとしたら?

でもそれで何故鍵をかけて閉じ込める必要がある?

閉じ込めたらなにがしか西崎と野口の間で事が起こることは想像できるだろう。
事を起こしたかった?なんのために?閉じ込められた私たちがやろうとする事とは?外部との連絡!

その状況で、誰を頼ろうとするかを測ろうとしたのか!
西崎は野口ともめているだろうことは予測できるはず。西崎は安藤に連絡は取れない。だから、安藤は私が成瀬と安藤のどちらを頼るかを知ろうとしたんだ!成瀬に対する嫉妬!



2015年4月20日月曜日

西崎は何故野口が部屋を出て来たのか理解し得たか

Nのために論考

N作戦2では杉下が野口を部屋に引き止め、一人でいる奈央子を西崎が連れ出す計画であった。

それが計画通り進まず、野口が部屋を出てきて西崎と悶着となり事件に発展した。
野口が部屋を飛び出してきたのは、安藤の壁地行きを阻止するため、野口に暴力を起こさせ警察沙汰にしようとした杉下が計画をバラしたから。

杉下は事件直後、「私があんなこと言ったから…私が野口さんにあんなこと言ったから」と呟いている。それを西崎も聴いていた。

杉下は自分が何を野口に言ったのかまでは喋っていない。

しかし、野口が奈央子の名を叫びながら部屋を飛び出してきている事、野口が西崎に対して奈央子の不倫の相手である前提の言葉をぶつけている事、及び杉下のつぶやきで、杉下が野口に対して西崎が奈央子を連れ出そうとしている、という内容の挑発を行った事は西崎に認識可能であった。

2015年4月19日日曜日

西崎は外鍵をかけたのが安藤であるといつ認識したか


Nのために 論考

西崎は安藤が部屋に入ってきた時点で安藤に対して、「逃げられなかった」と説明している。
これは(安藤が鍵をかけたせいで)「逃げられなかった」、という状況説明である。

安藤は西崎と顔を合わした時点で西崎、杉下、成瀬の三人による何がしかの計画に気付いており、”杉下の同級生も噛んでいるのか?”と西崎に問いただしている。
それに対して西崎は成瀬が杉下の究極の愛の相手である事を安藤にこたえた。

野口との玄関でのもみ合いの中、外に脱出しようとした西崎は外鍵が掛かっており脱出できない事を理解する。

この時点で既に西崎は安藤が成瀬への嫉妬から外鍵をかけた事を認識していた。

杉下は何故救急への通報を打ち切ったのか

Nのために 論考

杉下は野口の死亡後、奈央子が自殺を図る前、奈央子に退出を要求され、西崎を誘い野口宅を出ようとした。その際救急へ通報しかけたが、外鍵が掛かっている事に気付き、その通報を中断した。

何故、この時杉下は救急への通報を中断したのか。

もし鍵が掛かってなかったとしたらどう展開するであろう。

奈央子は杉下が野口に言い寄っていると誤解し、杉下を野口から引き離すのが本来の目的であり、西崎に接近した理由であったことが野口殴打後の話で杉下にも理解出来たはず。
そして一方で西崎を野口から守った事から杉下にも、奈央子が仮に警察が入ってきたとしても二人に罪を被せる意思はないだろうという推測は可能。

西崎も自分も何もしていない事から、真実を証言すれば三人の証言が揃い、問題にならない。
これが杉下の判断。

問題は外鍵が掛かっており、密室内であったという事。

この時点で鍵をかけうるのは早めに到着していた安藤。つまり杉下はこの時点で安藤が鍵をかけた、少なくともその可能性がある事に気がついた。

例えで内部の人間の証言が一致しても、外鍵の影響を調べられる。そうすれば安藤が鍵をかけたことが明るみになる。
安藤は計画の存在は知らないし、この時点で西崎が事前に鉢合わせたことを杉下は知らない。

とすると、杉下には安藤が鍵をかけた可能性に気付けてもその理由は推し量れない。

そうであるなら、この時杉下が通報をためらったのは、安藤が事件への関与でその将来への影響を懸念したから、という事になる。



2015年4月18日土曜日

安藤はなぜ外鍵を掛けたのか?



安藤のモノローグとして

「西崎に出会う前」
俺の海外赴任を賭けた勝負に野口はどんな手で反撃してくる?
局面は以前に杉下に初勝利したときと全く同じ。
杉下が野口のブレーンで今頃どう指したものか考えているんだろう。
杉下が反撃の手を用意できていなければおれの勝ちだが、負けず嫌いな杉下がその後に手を考えていないわけがない。たぶんこの勝負は俺の負け。
それでもいいと思っている。
プロジェクトへの参加は自分自身のチャンス。杉下にプロポーズもする。
その意向は野口にも伝えた。
ゴンドラの上で彼女は”つかまってていい?”と聴いてきた。
以前遊びに来ていた同級生とは付き合ってないという。
杉下は無人島で一人はいやだなともいった。
同期の忘年会で”彼女”と呼ばれてもいやそうではなかった。
大丈夫。杉下はプロポーズに応えてくれる。

「西崎にであってから」

なぜ西崎がいる?
西崎は野口に花を届けるという。
杉下の同級生も来るという。そいつが杉下の究極の愛の相手だという。
三人は何をする気だ?
三人は以前杉下の部屋で会っていた。それは今日の為か!

西崎は何のために野口の部屋に行く?
奈央子は不倫しているという。
最近携帯も取り上げられ、外鍵も掛けられ、奈央子は監禁状態だ。
西崎が奈央子の不倫相手なのか?それで奈央子を救出に来たということか?
そして杉下とその同級生は西崎の協力者!

このまま三人の計画が成功し、西崎が奈央子を連れ出したら?
当然今日の食事会はキャンセル。勝負もお預け。
しかし会社の人事はわからん。勝負とは別に移動命令がでる可能性はある。
そうしたら杉下にプロポーズする機会もない。
いや、杉下は同級生と付き合ってない、といったが西崎によれば究極の愛の相手だという。
計画が成功した後では、俺が割り込む余地などなくなるだろう。
何が究極の愛だ。そんなものただの自己満足だ。

西崎に奈央子を連れ出されては困る。
どうする?
そうだ、外鍵をかけよう。
そうすれば西崎は外に出られない。そうすれば野口とひと悶着起こる。
後ほどやってくる同級生と、既に来ていることが判っている俺と。
杉下、お前はどちらを頼る?

2015年4月13日月曜日

安藤の指輪に対する杉下の涙の本当の訳

安藤のプロポーズに渡された指輪を見て、一人涙する杉下。

この時の杉下の認識を掘り下げて考えてみます。

この時、杉下は安藤の気持ちに応えられない自分に涙した、というのが表面上の解釈。
しかし本当の意味は、このことにより、事件の真相の一端を理解したからだと思うのです。

杉下は野口に対して安藤の僻地行き阻止の行動を取ります。それは安藤と野口の間の賭け。
安藤が野口に負けたら、安藤を大規模プロジェクトの要員として送り込む、と言うもの。
これを杉下は僻地行き、という表現から左遷、と理解した。
それを阻止しようと西崎の奈央子救出を野口にバラし、挑発する事で警察沙汰としようとした。

これが事件のトリガーとなった訳です。

しかし十年後、安藤が事件当日にプロポーズするつもりでいた、と知った。
つまり安藤は将棋に負けてもいい、その際には杉下に結婚を申し込むつもりでいた、という事に思い至ったということです。つまり安藤にとっては僻地行きは左遷でもなんでもない、むしろチャンスと取っていた。
その気づきのヒントは野口が面白がって、杉下に安藤についていくかどうかを尋ねた部分。安藤は自分が野口に負けた際には杉下へプロポーズする意思を伝えてあった訳です。それは成瀬にも伝わっている。

ですからこの時の杉下の涙は、自分が安藤の僻地行きを安藤の考えとは全く逆に、自身の狭い了見で左遷と勘違いしてしまったが故に事件のトリガーを引いてしまった事への後悔と自己嫌悪、および野口夫妻と西崎、成瀬への謝罪と理解したほうがいいのです。

2015年4月10日金曜日

杉下の『N』=西崎の証左かもしれない描写 その三

『Nのために 論考』

今日は杉下のスカイローズガーデンにおける『N』=西崎の証左かもしれない描写の第三弾。

泥酔した杉下が西崎に背負われた背中で発した”西崎さんは悪くないよ”

このシーンも『N』=西崎としてみると、その証左と取りうる。

杉下自身が成瀬への気持ちを自覚した、早朝デートのシーン。
自転車の荷台に座る杉下が成瀬の背中を見つめ、そして頭を成瀬の背中に垂れる。成瀬の背中に絶対的な安心感を得て、自身の感情を自覚し、荷台から成瀬の腰に掴まりなおす。

杉下にとっての男の背中は愛する男の象徴です。

安藤との間には安藤の背中に頭を垂れるシーンは存在しない。

そう考えると、西崎とのこのシーンも背中、頭を垂れるという状況において同じであり、西崎がこの時の杉下の『N』との証左となりうるシーンです。

2015年4月5日日曜日

杉下の『N』=西崎の証左かもしれない描写 その二


『Nのために 論考』

杉下の『N』が西崎であり、しかも事件発生前から杉下が究極の愛を遂行していた、というのが私の結論です。その結論では、杉下の西崎への想いは描写されない、もしくは隠蔽される事になります。

しかし杉下の『N』=西崎 としてドラマを見返すと、その証左かもと思える表現は存在します。

今日はその二つ目

作戦実行前、西崎の部屋で杉下が『自分の幸せを考えなよ』の描写

杉下のNが必ずしも西崎でなくともセリフとしては成立するのだが、このシーンにおける杉下の視線がしきりに泳いでいるように見える。
この後別途検討するが、杉下は西崎への気持ちを整理させて成瀬と新しい関係を築こうとしているのであり、その終局に置いて自分の究極の愛の対象が幸せで無い、という状態がいたたまれずに発した言葉のようにも見える。


作戦を三人で練っている時の杉下の西崎に対する視線。
この時の杉下の視線については、西崎の崩れ落ちる橋に対する成瀬の回答の際の杉下の反応などはオフィシャルサイトでも議論があり、杉下の成瀬に対する気持ちをの表現として認識されていたが、同じ一連のシーンで、杉下のN=西崎として見直すと、西崎の発言にも成瀬の発言同様非常によく反応している。取りようではあるが、これも証左の一つと取りうる。


二回目の打ち合わせの後の、成瀬に対する、『困っている時に助けてもらうと嬉しいよ』

杉下が困っているという表現はおかしい。困っているのはあくまで西崎であり、杉下ではない。この時杉下は西崎の困っている、を自身の困っていると同義として発言している。

このように、非常に細かい部分で、その前提で観察しないと気付かないレヴェルで細かい描写が入っている。
杉下のN=西崎、と7話以降の杉下と西崎のシーンにを追うと、ここでの主張がご理解いただけると思うと。

杉下の『N』=西崎の証左かもしれない描写 その一

『Nのために 論考』

杉下の『N』が西崎であり、しかも事件発生前から杉下が究極の愛を遂行していた、というのが私の結論です。その結論では、杉下の西崎への想いは描写されない、もしくは隠蔽される事になります。

しかし杉下の『N』=西崎 としてドラマを見返すと、その証左かもと思える表現は存在します。

今日はその一つ目

奈央子の不倫相手が自分だと西崎が伝えた時の杉下の怒りの反応

この部分、普通に見れば島時代、父親が愛人を家に迎えて家を追い出された過去を持つ杉下の貞操観、結婚観に基づく拒否反応と取れます。
しかし杉下の『N』=西崎 として改めて見たとき、その貞操観・結婚観に抵触する行動をとったのが他ならぬ自分が愛する人であるという事実に対する強烈なショック、とも見ることが出来るのでは無いでしょうか。

2015年4月2日木曜日

杉下の『N』


『Nのために 論考』


前回までで、オフィシャルサイトの投稿締め切り時点での私の認識の到達点までを説明させて頂きました。

このドラマで最後まで明かされる事の無かったスカイローズガーデンでの杉下の『N』=成瀬と結論しました。

それはただ単にラストシーンからの類推でなく、キャラクターへの思い入れでもなく、冷静にミステリーとしてのトリックの挿入可能性を検証して、四人の行動原理を分析した結果の論理的帰結としての結論であり自信を持って主張出来るものでした。その結果としての杉下の魂の上昇プロセスについてもキルケゴールの実在主義哲学のエッセンスを織り込んで表現出来たと思っていました。

しかし、「3月16日の衝撃」でも書きましたが、とんでもない可能性に気が付き、今ではそれは確信となりました。
まだ全ては解明出来ていません が、間違いありません。

私は自説のスカイローズガーデンでの杉下の『N』=成瀬、の見解を撤回します。

杉下の『N』=西崎、です。

オフィシャルサイトで私の意見、解釈、見解に賛同頂いた方々、本当に申し訳有りません。
また同じくオフィシャルサイトで私が意見差し上げた方々、生意気言ってすみませんでした。

安藤の外鍵の隠蔽取引説の奥に、もう一つのバックドアの存在の可能性に気付いてしまったのです。

それは杉下自身が定義する「究極の愛」と関係します。

〝罪の共有…共犯じゃなくて共有。誰にも知られずに相手の罪を自分が半分引き受けること…誰にもってのはもちろん相手にも…罪を引き受け、黙って身を引く〝

確かに杉下の『N』=西崎説は一部のネタバレサイトで展開されていた論であるのは自分も承知していました。でもその何れもが罪の共有関係に着目していて、結局は成瀬も安藤も罪の共有者、みたいな自分の頭で考えてないだろ、といったものばかりだったので無視していたんです。

私が重視したのは罪の共有よりも、後段。〝相手にも気がつかれずに、黙って身を引く〝という部分です。

想像してみてください。
もし杉下が、彼女自身が定義した究極の愛をスカイローズガーデンの事件の前から遂行しつつあったとしたら?
その対象は状況証拠として一番相応しいのは三人のうち誰か?

安藤、成瀬では、〝相手にも気づかれずに、黙って身を引く〝という定義にそぐわないでしょう。
そうするとこの定義に一番似つかわしい相手は西崎という事になる。

自分でかつて偉そうに言い切りました。『ミステリーにおいて論理的可能性は必然』と。

ですが、ここで困った事が発生する事になるんです。杉下が本当に『究極の愛』を完璧に実施していたとしたら、ドラマで描写されない。つまり、論理的可能性としての必然がその定義の故に描写し得ず、それゆえその存在を証明できない、というパラドックスを生み出すんです。

単に西崎というだけでなく、論理的必然としてパラドックスが発生した事に愕然しました。
そんなオチがあったんかい、としばらく体の震えが治りませんでした。










2015年4月1日水曜日

魂の解放

『Nのために 論考』

私の主テーマは杉下の魂が如何にして解放されうるか、というものでした。

現代編のドラマ中での位置づけは、余命1年の杉下の魂の解放過程と捕らえています。
異常な状況下に置かれた杉下の抑圧されていた成瀬への思いが正常さを取り戻し上昇するプロセス。
2つの事件を昇華させる部分。

そのプロセスを解くための分析だったわけです。
以下、オフィシャルサイトの投稿が締め切られた時点での解釈を以下に掲載します。
なお、文章の美しさを上げる為、投稿した内容から若干の表現の変更をしています。

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以下、杉下のモノローグとして

「成瀬が現れる前」

沢山の嘘をつき、人を傷つけた。
私は救われないだろう。救われたいとも思わない。
サンクチュアリは高みに上昇して、もう手が届かない処。
それで大事なサンクチュアリが守れたのだから。私にはそれで十分。
あとは静かにこの世を去れればいい。


「成瀬が現れた時」

私を守る為に、私から離れたはずなのに。どうしてそこにいるの?
私は成瀬と近づいてはいけない存在なのに。どうしてそこにいるの?
サンクチュアリの成瀬が、どうして私より下にいるの?


「成瀬との会話の後」

サンクチュアリなんてなかった。唯の虚飾と妄想、私の勘違い。
醜であったスカイローズガーデンも同じなのか?

サンクチュアリの一部であった母と奈央子に本質的な差はあるのか?
奈央子の罪をかぶった西崎と、私を制し代わりに火をつけようとした成瀬に本質的な差はあったのか?
火をつけようとした私と、外鍵をかけた安藤との間に本質的な差はあったのか?
私の嘘に乗った成瀬と、4人の間の取引には本質的な差はあったのか?

何もない。
たまたまの組み合わせでサンクチュアリは美しく見え、スカイローズガーデンは醜く見えただけ。
二つは、互いに打ち消しあい、霧消した。

それでも消えずに残ったものがある。
いづれの時でも成瀬が私を助けてくれたとの確信と、私が成瀬を助けようとした熱情。
私にはこの2つが真実。

今、三度生身の成瀬が私の傍らに立っている。サンクチュアリの住人としてでなく、同じ目線上に。私を救うために。
私は恐れている。再び彼を災難に巻き込むのではないかと。
でも、こうも思う。成瀬の申し出を拒むのは、彼に対する冒涜ではないか、とも。

私は彼を尊敬する。狂おしいほど愛おしくもある。同じ目線上にいる筈なのに、気高くさえ感じる。冒涜する気など全くない。
ならば、私は救われてもいいのだろうか?
私は救われる価値などないと、救われてはならないと思っていた。
私は、救われなどしてもいいのだろうか?


「主治医との会話後」

私が死んだ時、一番悲しんでくれる人は誰?
成瀬だ。
例え私が彼の申し出を受け入れても、拒んでも、どちらであっても同じだけ悲しんでくれる。

同じように悲しんでくれる人は他にもいるかもしれない。
でも、私にはもう時間がない。残された時間をどう使うのかを選択しなければならない。

自らの時間を、自らの意思で、誰の為に使うのか。

私は残された時間の全てを成瀬の為に捧げる。死んだ時に成瀬が私の為に流してくれる涙の分以上の何かを成瀬に与えたい。
それが私が彼の為に出来る唯一の事。そうすることで私もきっと救われる。救われたい。

生きたい。もっと長く、少しでも長く。
もしかしたら、父も似た事を考えたのかな?


「母親との再会前」

私はいずれ一人で動けなくなる。
成瀬に頼りきる生活になる。
頼りきる?
それは私が嫌悪した母と同じではないか。
私はその時、自分を嫌悪するに違いない。

そんな私にでも、成瀬は無償無限の愛を注いでくれる。
真っ白な心は真っ白な心で受けなければ。

私はそれを彼から受けてよいのだろうか?私にそんな資格はあるのか?
私は、私自身を許せるだろうか?
私は、母を許せるのだろうか?


「成瀬の前に立ち」

私は今、心に一点の曇りもなくあなたの前に立つことが出来る。あなたに私の全てを委ねる事が出来る。
まるで、母親にすがる赤子のように。

ようやくここへ辿りついた。
残された時間は僅かだが、私は幸せだ。
これまで沢山の事があった。傷つき、逆に人を傷つけもした。
私は全ての事を受け入れる。それら全てが私がここにたどり着く為に必要だった事だから。

今ならすべての人、出来ごとに心からの感謝と祈りを捧げる事が出来る。
私は幸せだ。ありがとう。

崩れ落ちる橋 への二人の答え

『Nのために 論考』
今日はラストシーンにも大きく影響するエピソードとして、西崎は何故杉下の病気を安藤で無く成瀬に伝えたのか?について触れておきます。


西崎の『崩れ落ちる橋』の質問に対する二人の回答。
安藤の"なんでもする!"と成瀬の"呼ばれれば、渡る"の選択。
西崎の判断基準は何だったのでしょう?
成瀬の方が弱い、と一見思える。
西崎の質問には"他の選択肢が無い中で"という暗黙の前提が置かれていて、それでも渡るか?ジャンプ出来るか?という事を問うたのだと思うのです。"奇跡を信じられるか?"と。

これについては、やはりキルケゴールの実在主義哲学で読み解く必要があると思うのです。
キルケゴールの哲学ではこの"理屈を超えた何かを信じられるか?"というのが、真理概念、自由概念の重要なキーとなってます。
また実在哲学では自由には必ず責任が伴うものとされています。

安藤の回答は、その暗黙の前提を了解していない回答。他の選択肢を探す、という含みがある。
更にはこの「他の選択肢」には、スカイローズガーデンでの外鍵のような利己的なギャンブル行為も含まれ得る、という匂いが漂うんですね。
一方成瀬の回答は、その暗黙の前提を了解した上での回答で、"それでも渡る"という宣言になる。
つまり、西崎はあえて前提を隠した上で、その前提を踏まえた回答が出来るかをテストしたんだと思う。

成瀬は奇跡を信じて飛び込める、杉下に対する責任を自ら引き受ける男、というふうに西崎は判断したのだと思います。

16/01/18 追記
結局西崎は何判断基準にしたのか?という事なんです。
この時西崎は杉下がキルケゴールのいう『悪魔的絶望』にあると観たのです。
キルケゴールのいう『悪魔的絶望』とは神による救済さえ拒絶する心理状態です。
これを救うためには、杉下が自分が『救われうる存在』であると、『救われていい存在』であるときづく、気付かせる事ですが、これを『救済を拒絶する者』に起こす事はある意味奇蹟なのです。
奇蹟を起こす方法はたった一つしか有りません。『今にも崩れそうな吊り橋を渡る』意外に方法が無い。
答えは渡る、か渡らないか、それ以外の答えは存在しない。しかし安藤の答えは『なんだってする』。
つまり、存在しない他の可能性を模索するというもの。それはつまり目の前にある唯一の可能性である吊り橋を『渡れ無い』という意味です。つまり安藤は奇蹟を信じる事が出来ないのです。
奇蹟を起こすべく、働きかける対象(杉下)に対して奇蹟を信じない者(安藤)がいくら働きかけても、奇蹟など起きるはずが無い。だから安藤は失格、と西崎は判断した事になります。