杉下は西崎に何を観ていたのでしょうか。
杉下は西崎がDVの被害者であることに大雨の日に気付きました。彼の肌に無数に刻まれた根性焼きの跡を観てしまったからです。
そして西崎の『灼熱バード』を読み、炎にたじろぐ西崎を見て『灼熱バード』の鳥が西崎本人である事を知った。
母親の歪んだ愛情と、歪んでいると判りつつもそれにすがらなければ生きられなかった西崎。火事がそこから西崎を解放したものの、よすがとした母親を見殺しにした自覚が西崎をさらに母親へ縛り付ける事となった。
一方杉下
共に家を追い出された母親の言動に追い込まれ、どうにもならなくなった時、家を焼こうとした。それは成瀬に止められたけれども、似た境遇にあった成瀬が自宅に放火した(と思った)火を見て、自分を縛り付ける者(父親、愛人、母親)から解放されたが、今度は解放してくれた成瀬に心が縛り付けられる事となった。
つまり杉下は西崎に自分とのシンパシーを感じ、それに惹かれていったのです。
成瀬に心を寄せた経過もそうですが、とにかく杉下は自らと似た境遇にある者への心理的接近を取る傾向があります。しかも自分だって苦しいのに、その心理的接近を図った相手への自己犠牲的献身により、更にドツボにハマる。そのドツボにはまった中で、更に相手への心理作用が強化されてしまう、という行動パターンを繰り返しています。
2 件のコメント:
ここは訂正が必要ですね。
事件時の杉下のNは成瀬です。ですが、事件前の時点で杉下に西崎に対する感情があったのは間違いない。
ドラマでは杉下の西崎に対する感情を徹底的に隠蔽する演出がされています。
世間では心地のいい解釈だけが流通していますが、謎解きとしては何故事件がおきたのか?という事を考える際に、杉下が西崎に抱いていた感情、そして成瀬にはそれがどう見えていたのか?7話から8話の描写をしっかり理解しないと、ドラマの楽しみが半減しちゃうんですよね
6年も前の自分のコメントを読んで、今気づいた点があります。
彼女の西崎に対する感情となぜ彼女が西崎に心理的な接近をしたのかは、ここまでの考察から変化はないんですが、彼女の本質の一端ともいえる部分に気づきました。
彼女のにはどこか、子供じみたヒロイックなモノに憧れる癖が有るんですね。
彼女に子供じみた妄想癖がある事は以前にも指摘しました(本文にもどこかで言及しているはずです)。彼女の『野望』はアラブの石油王から油田を譲られるとか、テラスから演説するとか、高い所から水平線を見る事とか、安藤から”子供っぽい”と揶揄われていますが、その内容を見るとやはりヒロイックな面がある。
彼女の”究極の愛”もある意味この子供じみたヒロイックな精神構造が作り上げた妄想と取れる面がある。これらの妄想は、いずれも杉下本人がヒロインなんですね。
スカイローズガーデンの悲劇は、彼女が自身の定義する”究極の愛”を実践する場であった、という点はこれまでに検証した事ではありますが、その中で彼女自身が彼女のヒロインになろうとする子供じみた精神指向性が事件の遠因であったと考えられるのです。
そう考えると、いくつかの点に合点がゆくんですね。
一つは西崎が成瀬に話したラプンツェルの例え話です。ラプンツェルはグリム童話に収録の話して、読者は子供です。
二つ目はN作戦2の作戦計画はN作戦に比べ随分と雑な理由です。これは早い段階から各所で指摘されているのですが、なぜこれほどまで雑だったのかは、杉下も西崎もある種自身の役割に”酔っていて”計画の精緻に気が回っていなかった為、と解釈出来ます。
三つめが、主題歌「Silly」のタイトル、歌詞の意味です。Sillyとは”子供じみた”様子を表現する意味が含まれています。また歌詞中にも「大人になり切れなくて…」というフレーズがある。
このように考えると、このドラマはある意味、『杉下の子供じみた、ヒロイックな妄想癖の顛末』とも表現できるのかな、という感じです。
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