2015年3月31日火曜日

製作者の意図、目標

『Nのために 論考』

今日はドラマの謎解きを少し離れて、このドラマでの製作者の意図、目標について触れておきたいと思います。

製作側の意図は下記3点と思ってます。
1.物語の構造にこだわりにこだわったこと
2.視聴者をだまくらかす事
3.杉下を幸せにする事

構造については、既に書かせて貰いましたが、さざなみ事件とスカイローズガーデン事件を、同一ポジションの登場人物に原因・意図・行動・結果・時間を反転させた対構造を作り上げた。
その上で、さざなみは”偶然と勘違いと思いやりによる美”を、スカイローズガーデンでは”必然とエゴと打算による醜”を弁証法的に作り出し、杉下に二重の苦しみを負わせた。

視聴者のだまくらかしについては、スカイローズガーデンの安藤の外鍵の隠蔽の先にある、4人の取引を隠蔽し、杉下の成瀬を守る意図を視聴者に隠した。

そして現代編での、杉下の魂の解放、ラストシーン。
杉下に幸せを与える、苦しみから解放する。
死期を迎えようとする人間には、自分が頼れると思う存在、その存在が近くに居てくれる、という信頼が最後の拠り所だと思うのです。
杉下の最後の幸せとして、杉下が頼れる成瀬の元に。
それが製作者の目標だったと思います。

2015年3月30日月曜日

安藤の外鍵を掛けた行為の隠蔽工作 4人の行動原理・利益

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『Nのために 論考』

安藤の外鍵の隠蔽行動の4人の行動原理及び利益を下記に解説します。
ここで大事なのは、安藤を保護する意図は無くとも、西崎、杉下、成瀬が安藤の外鍵を隠蔽する事により、それぞれの利益が達成される、という部分です。
これがトリックである、というという事の証左となります。つまり安藤の外鍵を掛けた行為を隠蔽する事がそれぞれの利益を守る上で共通の手段であり、その一点において暗黙の取引が成立したのです。

安藤の行動原理・利益
自分が行った外鍵を掛ける行為により、事件の凄惨化に繋がった事から、その責が自分に及ぶ事を恐れた為。

西崎の行動原理・利益
奈央子を独占する事。
西崎には奈央子を独占するために自分が野口をやった事にしたい。
外鍵の隠蔽に失敗すると、安藤が鍵を掛けた理由を語ることになる。
西崎は安藤に会っている。計画も感づかれた。杉下の究極の愛の相手が計画に入っている事も喋った。安藤にこれらを喋られると、計画が存在した事が白日となりその状況では犯行への杉下・成瀬の関与も疑われ、奈央子の独占が出来なくなる。

成瀬の行動原理・利益
杉下を嫌疑から除外する事。
外鍵の隠蔽に失敗すると、安藤が鍵を掛けた理由を語ることになる。
安藤が杉下へプロポーズしようとしている事を知っており、西崎が安藤へ”逃げられなかった”と告げた段階で成瀬は西崎が安藤に会った事を理解している。
安藤が鍵を掛けた理由を語られると計画が存在した事が白日となりその状況では犯行への杉下の関与も当然疑われる。その状況では進展によってどのように転ぶか判らない。成瀬自身は事実を見ていないので、杉下を護れない。であるなら西崎が罪を被る覚悟である以上、西崎の利益に乗る=西崎を切り捨てることが杉下を護ることになる。よって安藤の外鍵を隠蔽する。

杉下の行動原理・利益
成瀬のさざなみ放火事件の蒸し返しを防ぐ事。
安藤が西崎も含め三人で会っていた事を知っている。(ケーキを見られた)
成瀬が部屋にいる際電話もぶち切りした。
そして西崎が安藤と事件前に会っている事もわかった。
安藤に鍵を掛けた理由を語られると、偶然であったとの偽証が通らなくなる。
偶然でない=計画があった=自分と成瀬の関係を詮索される=成瀬のさざなみ放火事件が蒸し返される。
これは杉下にとっては避けなければならない事態。そのために杉下は成瀬をかばったのだから。だから安藤の外鍵を隠蔽する。

16/01/18 追記
安藤の隠蔽意図を修正します。
安藤が口を噤んだのは杉下を殺害の嫌疑から除外する意図です。その意味で成瀬と同じ、としてよい。これはいかにも自己の保身から、と見える裏に隠された安藤の行動意図ですね。安藤は真相が奈央子による心中であり、自分が喋ると杉下に嫌疑がかかる事に気づいていたんです。

杉下の行動意図は成瀬の保護ですが、その理由はさざなみの蒸し返しだけでは無いですね。作戦の参加者として彼自身が逮捕・起訴の対象にもなります。

トリックの場所

『Nのために 論考』

このドラマで使われたトリックについて書きます。
このドラマをご覧になった方の内、トリックが挿入されているということに気づかれた方はどれだけいらっしゃるでしょうか。殆どの方がトリックが挿入されていたという事自体に気づかれていないのではないでしょうか。

しかしこのドラマがミステリーである以上、トリックは存在しているし、事実挿入されていました。

それは何か。何処に挿入されていたのか。

それは安藤が外鍵を掛けた事の、4人による捜査機関に対する隠蔽行為です。これがトリックです。

この部分、杉下が安藤を庇う為に成瀬にも口止めした、と思われている方が殆どの筈です。
オフィシャルサイトでも安藤派は勿論、中間派、成瀬派もこの部分の杉下の行動は安藤を庇うのが意図、ということで一致していました。

杉下は野口との将棋において自分の手で安藤の人事が決まるという状況に追い込まれ、安藤の僻地行きの阻止行動を取ります。野口に懇願し、それがダメだとなったら西崎による奈央子救出作戦を野口にバラし徴発した。野口に自分へ手を挙げさせ、警察沙汰にする為です。そして悲劇が発生し、安藤を庇う為に外鍵の隠蔽を計った。

これが一般的な理解であると思います。確かにこう書くと杉下の行動は一貫して安藤を庇う為の行動と見える。

製作者はトリックを何処に挿入するのか?
殆どの人間が、疑問に思わず、しかし論理的必然性を持ち得ない場所。
状況証拠は一杯ある、でも良く考えると論理的な必然性は成立せず、あまつさえそれを前提とせずとも同じ行動を起こし得る場所。

確かに野口に対する行動は安藤の僻地行き阻止が目的です。
ですが事件以降の行動は安藤の保護ではありません。行動対象が野口から捜査機関に変わっているのですから、杉下の行動原理も変わっていると考えるとべきなのです。

安藤の外鍵の隠蔽行動は杉下、成瀬、西崎、安藤四人による取引が暗黙的に成立したからです。
四人にそれぞれ個別の行動原理が存在し、それぞれ個別の利益が存在していた。そのそれぞれの利益を達成する条件が安藤の外鍵を捜査機関に隠蔽する事だったのです。

それを理解するには四人の行動原理、それぞれの利益がなんであったのか、を理解する必要があります。それは明日以降詳述する事にします。

なお、ここで視聴者は製作者のミスリードの狙いにまんまとはまったわけですが、ここで威力を発揮したのが、昨日ミステリーとしての仕掛けとして書いた『一番大切な人の事だけ考えた』というミスリードの誘導です。

杉下の野口に対する安藤の僻地行き阻止行動も、作品全体としてみると謎解きの一部なんですが、それは後日触れる事にします。

2015年3月29日日曜日

ミステリーとしての仕掛け その二 「一番大切な人のことだけ考えた」(2)

お『Nのために』論考

昨日に引き続き、ドラマのミステリーとしての仕掛けについて言及したいと思います。

昨日は「一番大切な人のことを考えた」の、ステレオタイプを利用したミスリード効果について書きました。

今日はレトリックの操作についてです。

私がここで言っている〝操作〝とは?
『真の目的が別であっても、それを達成する為の必須条件、中間目的も同様に"大切"と表現しうる』

というものです。

私は安藤の外鍵の隠蔽は4人の間での取引が成立したのですが、その際の杉下のN=成瀬と判断しました。杉下にとっての外鍵を隠蔽する理由は自分と成瀬の関係がさざなみまで辿られる事を恐れたのです。つまり成瀬の放火事件の蒸し返しを避けるためです。

成瀬を保護するには安藤の外鍵の隠蔽が条件、だから大切なのは安藤、という論理展開になります。


これは実はドラマではなく原作でのミスリードのテクニックに関連するのですが、原作では最終盤で、守ってあげたのは安藤、と杉下が断言しているんです。
この表現を見たと思われる方に安藤派、中間派が多いと感じました。

言葉通りに取れば作品全体が安藤との恋愛物語、と取れるんですが、もし原作者が条件として大切、という意図で安藤〜を使ったんであれば、これもミスリード を誘う為の表現になるんです。
使用目的は最初のミスリードの誘導と同じですが、最初のものは映像表現としてふんだんに安藤の為的状況を演出して、その裏にある取引をミスリードさせる。キャッチとして打ち出す事で刷り込みをする、という前側でのタネ撒きをした。

原作では事後的な表現で安藤が大事としているから、条件としての表現で事後的な刷り込みを行なった、という事です。

16/01/18 追記
原作に関する記述で一部訂正します。
『野口に作戦をバラしたのは安藤のため』というのが正しい表現ですね。でも大勢には影響は無い。実際上記のように取っている方が多いですから。

後、成瀬に関しては、正確にはさざなみの蒸し返しだけではありません。作戦の存在がバレればその計画の一味として成瀬も逮捕・起訴の対象になります。それにプラスしてさざなみ、というのが正しい表現ですね。

2015年3月27日金曜日

ミステリーとしての仕掛け その二 「一番大切な人のことだけ考えた」(1)

『Nのために』論考

昨日に引き続き、ドラマのミステリーとしての仕掛けについて言及したいと思います。

これだけ判りやすさを避けたドラマの中でこの「一番大切な人のことだけ考えた」が非常に印象が強い言葉で、ここだけが明確に表現されているように感じられる言葉です。

この「一番大切な人のことだけ考えた」もタイトル同様、ミステリーとしての仕掛けだったと思います。

これはステレオタイプを利用したミスリード及び真の目的の前提条件も”大切”と表現しうるレトリック操作の為の言葉です。

今日はステレオタイプを利用したミスリードについて書きます。

これはスカイローズガーデンでの安藤に関する杉下の行動描写の部分で効果を発揮します。
公式サイトのファンメッセージで杉下の"N"は成瀬か安藤か、といった成瀬派、安藤派、中間派といったものが存在しました。

ステレオタイプとして

大切な人=守るべき人=愛する人

スカイローズガーデンで守られた人=安藤
そこから三段論法で、安藤が大切な人であり、安藤が愛された人、という構図が形成されていました。

これを素直に受け取った人たちが安藤派です。
一方ラストシーンでは杉下は成瀬と島へ帰りました。この帰結から安藤は杉下の上昇志向のシンボルとして若しくは弟を思うような気持ちで護られた、その意味で大切な人だったと理解したのが成瀬派です。
中間派はスカイローズガーデンでの時点では安藤としていますので、この部分だけとれば安藤派と同じ理解としてよいでしょう。

結局この三派はいずれも「一番大切な人のことだけ考えた」という言葉とラストシーンとのギャップにどう折り合いをつけるか、という処で苦慮していた訳です。

杉下に安藤の僻地行き阻止の為の行動を取らせ、危険を冒して西崎による奈央子救出計画を野口にバラし、安藤の外鍵の隠蔽を成瀬に依頼した。

杉下の行動は一貫して安藤を護る為の行動であり、安藤が大切な人であった、と全ての人に印象付けることに成功したわけです(この部分までは成瀬派も同じです)。

私は”大切な人=安藤”とは取っていません。
これも後ほど詳述することになりますが、安藤の外鍵の隠蔽は4人による取引が成立したからです。その取引には、一般的な意味での”大切な人=安藤”というロジックは存在しません。(一般的でない、レトリック操作によって”大切な人=安藤”という表現が成立するのですが、その部分は次回触れます)

ですので、「一番大切な人のことだけ考えた」はステレオタイプを利用したミスリードであると断言出来ます。

2015年3月26日木曜日

ミステリーとしての仕掛け その一 タイトル

『Nのために 論考』

ドラマがキルケゴールの実在主義哲学がモチーフである、という主張と証左は昨日までに書かせて頂きました。

今日からは物語のミステリーとしての仕掛けについて、いくつか書かせてもらいます。

まずはタイトルから

原作者である湊かなえが意図して使用したかどうかは不明ですが、『Nのために』というタイトルそのものが、トリックというか、ある種のミスリードを誘う道具であった、少なくともそういう効果があった、と見ています。

つまり、”~のために”という言葉の多義性をついたものです。

一般的に、日常使用するなかで”~のために”という表現は行動者の意図と理解されているケースが圧倒的に多いのではないでしょうか。

例えば”子供のために”と表現すれば、行動者の意図は子供を利する意図に基づいた行動と取るのが一般的です。

ですが、よくよくこの”~のために”という言葉の意味を掘り下げると、最低3つの、明確に区分すべき使用方法があると思います。

ひとつが、行動者の行動の原因としての”~のために”
ひとつが、行動者の行動の意図としての”~のために”
ひとつが、行動者の行動の結果・効果としての”~のために”

具体例をひとつ挙げて説明します。
スカイローズガーデンでの安藤のNは杉下です。つまり安藤にとっては”杉下のために”。

安藤は杉下が困った際に誰を頼るのかを確認する事を目的に外鍵を掛けた。それが事件の凄惨化の要因となった。

これを上記の原因・意図・結果を個別に分析すると、
原因=杉下(杉下が誰を頼るか)
意図=安藤自身(自分が知りたい)
結果・効果=事件の凄惨化(自分を含めた誰もを利することになっていない)
というものです。

安藤にとっての”杉下のために”は自身の行動の原因だけを言っていることになります。

タイトル自体がその言葉の多義性を利用した、原因・意図・結果をすり替え誘導することを狙った仕掛けである、というのが私の主張です。

2015年3月25日水曜日

キルケゴールの思想に対する証左


本日でひとまず、ドラマがキルケゴールの実在主義哲学がモチーフになっている、という主張の証左を終えようと思います。

本日はキルケゴールの哲学内容と関連する部分について述べます。

キルケゴールの思想上の特徴は

人の有限な時間性
主体的真理の追究及び実践
絶望とキリストによる魂の救済

です
杉下及び杉下の父親の寿命への意識は上記の人の有限な時間性についての証左。

キルケゴールはキリストによる救済を拒絶する真理状態を”悪魔的絶望”と読んでいます。これは現代編での成瀬が現れる前の、誰の助けも得ようとしない頑なな杉下の真理状態に対応しています。

魂の救済、及びそのプロセスは映像表現として難しい部分がありますが、絶望状況にあった杉下が成瀬と再会してから以降、島で成瀬に身を任せるまでの部分が対応していると思います。

成瀬の申し出には”甘えられない”という表現で成瀬の申し出を保留しました。これはキルケゴールが魂の救済過程の初期に現れるとした”怖れと慄き”。手を差し伸べている救済者に対して、身を任せられない心理状況です。

母親との和解では、再会の直前で逃げ出すという事をしています。これは魂の救済のプロセスで陥りうるとした”躓き”と表現される部分。

島で成瀬に身を預ける段階が魂の救済


主体的真理の発見・気付きについては残念ながら映像表現をしようの無い部分なので状況からの推測になります。

成瀬との再会の後、主治医に”誰も悲しませずに死ぬことはできないのか?”と聞いている事から、成瀬との会話が杉下の頑なな心を解き、主体的真理への胎動が生まれ、主治医から”誰も悲しませずに死ぬことなで出来ない”と諭された事で主体的真理の発見・気付き・希求が発生したと理解しました。

高野と会った際の杉下の表情はこれまでとは変わって、明るく、服装も黒のモノトーンから白黒のツートンとなっていた事。それ以前には子供を見ると涙ぐんでいたのが、弟の子供の写真を愛おしく見ている事などから、この間に杉下の認識の変化があった事が判ります。


西崎の”崩れ落ちそうな橋”については、キルケゴールが人間の可能性に対する不安を谷を引き合いに説明しています。その証左と判断しています。

写真&シャッター音は、キルケゴールの時間論との関連ですが、キルケゴールは瞬間を”永遠が有限な時間に介入して、何かを生成するその時”と表現していますので、その表現であったと。これから何かが起こる、変化が発生する、というシーンで必ずありましたね。

以上で、ドラマがキルケゴールの実在主義哲学がモチーフとなっている、という説明については終了いたします。

16/01/18 追記
瞬き&シャッター音については、その全てが『瞬間記憶』では無い、というのが現在の解釈です。
一部にフラッシュバックとしての描写があります。
現代編で、高野が杉下宅を訪ね、インターフォン越しに高野を認めた際の瞬き&シャッター音はその後に続く『一瞬で蘇る〜』杉下のモノローグからフラッシュバックである事が判ります。

物語の弁証法的展開

『Nのために 論考』
引き続きドラマがキルケゴールの実在主義哲学である、との私の見解の証左を解説してゆきます。
今日は物語の弁証法的展開についてです。

キルケゴールは弁証法を駆使してその思想を展開して行きました。 これはキルケゴールの時代、ヘーゲル哲学が持て囃された事に対するアンチテーゼとして同じ弁証法を駆使して、ヘーゲル哲学が描かない、論理的には説明しえない個人の問題を描こうとしたためです。
弁証法においてはテーゼに対するアンチテーゼという形で二つの対称性・対照性を統合(ジンテーゼ)する、という方法がとられます。 
この物語は、描写としては相互に入り組んだ編集がされており、解りづらいのですが、三部で構成されています。
第一部がさざなみ放火事件に代表される青景島編。
第二部がスカイローズガーデン殺人事件事件に代表される東京編。
第三部がラストシーンが代表する現代編。
対称性・対照性についての証左でも触れましたが、さざなみを”偶然と勘違いと思いやりによる美”=テーゼとし、スカイローズガーデンを”必然とエゴと打算による醜”=アンチテーゼとし、その二つの事件を現代編に於いて統合=ジンテーゼとする、という構造です。
 

2015年3月23日月曜日

『Nのために 論考』対称性・対称性 さざなみ放火事件とスカイローズガーデン殺人事件 その三

さざなみとスカイローズガーデンでの対称性・対照性の付記として、さざなみにおける杉下の誤解による、杉下の認識のねじれについて触れておきます。

事実関係に基づくポジションについては、昨日投稿した通りなのですが、杉下の行動を理解するうえで、彼女の認識を理解しておく事が必要です。

さざなみにおける杉下の誤解は、さざなみ放火犯は成瀬だ、というものです。
これには伏線があります。

その前日に杉下が苦しみの余り、追い出された実家(父親と愛人が住む)を放火しようとしました。
成瀬がそれを止めたのですが、杉下の苦しみを見かねた成瀬が、〝杉下を犯罪者にしたくない、俺がやる〝と代理放火をしようとした事実がある。
成瀬の代理放火は杉下が止めたのですが、成瀬も翌日にはさざなみを出て行く予定であり、二人が共通して抱えていたのが、〝燃やしてしまえば、大事な場所を誰にも取られない〝という思いでした。
そしてさざなみが燃えている現場を見つめる成瀬を見つけた杉下は、成瀬が本当にやった、自分の代わりに本当にやったと勘違いしてしまった。

この結果、杉下は自身の認識として、自分が夏恵のポジション=事実を知る人、であり、かつスカイローズガーデンでの安藤に似たポジション(事件のトリガーとなる行為をした)だ、という認識であった、という事です。

ここでの誤解が後の15年に影響を与えます。



2015年3月22日日曜日

対称性・対称性 さざなみ放火事件とスカイローズガーデン殺人事件 その二

さざなみとスカイローズガーデンの二つを構造的に分析した結果を詳述します。
各ポジションでの各キャラクターの行動、動機、結果、時制がなにがしか逆転している事がお判り頂けると思います。

私は、オフィシャルサイトへのメッセージ投稿でも書きましたが、将棋における〝同一駒配置の手番組違い〝だと表現しました。静的なシンメトリー性と、動的なベクトルの逆転現象及び結果の違いを表現する方法として一番適切なように思えたからです。


犯人
さざなみ:成瀬父
行動は自殺目的の放火
行動動機は成瀬の進学資金を捻出する為
結果は夏恵に救助され生存

スカイローズガーデン:奈央子
行動は野口殺害
行動動機は野口との揉み合いで危機に陥った西崎を助けるため
結果は自殺、死亡

嫌疑を受けた人
さざなみ:成瀬
行動は〝自分はやってない(誰がやったのかも知らない)〝
行動動機は犯人である父親の保護
結果は自分及び父親双方とも逮捕されず

スカローズガーデン:西
行動は〝自分がやった〝
行動動機は犯人である奈央子の保護
結果は逮捕、服役

捜査機関に対して隠蔽行動を取った人
さざなみ:杉下
行動は無かった事をあった事をとする偽証〝成瀬と会っていた〝
行動動機は自身が犯行を疑った、嫌疑を受けた成瀬の保護
結果は成瀬との別れ

スカイローズガーデン:成瀬
行動はあった事を無かった事をとする偽証〝鍵はかかっていなかった〝
行動動機は杉下を嫌疑から除外する為
結果は杉下との別れ

事実を知る人
さざなみ:夏恵
行動は証拠隠滅、犯人を知っている事自体を隠す
行動動機は成瀬親子の保護
結果は声を失う

スカイローズガーデン:杉
行動は成瀬への外鍵隠蔽依頼(あった事を無かったことにする)
行動動機は成瀬の保護。偶然を装う事でさざなみ放火事件まで蒸し返される事を恐れた。
結果は病による余命宣告

実を知りたい人
さざなみ: 高野
行動は スカイローズガーデン関係者へのインタビュー。タイミングは事後
行動動機は夏恵が声を失う事になってしまったさざなみ放火事件の真相解明
結果は夏恵が事実を知る人であり、自分の行動が夏恵を苦しめていた事の理解

スカイローズガーデン:安藤
行動は外鍵を掛ける事。タイミングは事前
行動動機は危機状況で杉下が助けを求めるのは自分かどうかを知るため
結果はその他三人から事件の真相を隠されている。仲間ハズレ、疎外。


対称性・対称性 さざなみ放火事件とスカイローズガーデン殺人事件 その一

さて、今日は物語で提示された対称性・対照性の内、特にさざなみ放火事件とスカイローズガーデン殺人事件については詳述したいとおもいます。

私がこのドラマにはまった一番のポイントであり、私の謎解きのスタート地点でもあります。

二つに事件では、同じ役割を担ったキャラクターがそれぞれに配置されたいました。
しかし、それを動的に観察すると、相互に原因・意図・行動・結果・時間を反転させた対構造となっているんです。さらにはさざなみにおいては勘違いからその構造にねじれが発生してしまい、さらに解りづらくなっています。

これはかなり複雑な構造で、製作者が徹底的に作り込んだ部分です。ドラマの真相を理解する上でも重要です。

その上で、さざなみは”偶然と勘違いと思いやりによる美”を、スカイローズガーデンでは”必然とエゴと打算による醜”を描き出している、というのが2つの事件の対称性・対照性です。


2015年3月20日金曜日

対称性・対照性

ドラマがキルケゴールの実在主義のモチーフである根拠を述べてゆきます。 
次は対称性・対照性についてです。 
 これも皮肉(イロニー)と併せ、多くの例があります。 
キルケゴールは弁証法を駆使してその思想を展開して行きました。
これはキルケゴールの時代、ヘーゲル哲学が持て囃された事に対するアンチテーゼとして同じ弁証法を駆使して、ヘーゲル哲学が描かない、論理的には説明しえない個人の問題を描こうとしたためです。
弁証法においてはテーゼに対するアンチテーゼという形で二つの対称性・対照性を統合(ジンテーゼ)する、という方法がとられます。 
 対象性・対照性の例を挙げてゆきます。 
他にも見つけられた人はがいらっしゃれば、ぜひ教えて下さい。

 お城と幽霊屋敷
杉下は〝お城〝と呼ばれていた実家を追い出されて、地元の子供からも〝幽霊屋敷〝と呼ばれていた集落の一番外れにある古びた一軒家に居を移すことを余儀なくされました。

 スカイローズガーデンと野ばら荘 
名称も空と地、実際の居住環境としても一方はタワーでセキュリティも万全なマンションであるのに対して、もう一方は築70年にもなるオンボロ格安アパート

 杉下と西崎
さざなみが燃え上がる炎を見て、苦しみから救われた杉下と、母親からの炎によるDvとその母親が亡くなった原因も火災であるという強烈な炎に対するトラウマを抱えた西崎。

 さざなみ放火事件とスカイローズガーデン事件
製作者の意図により作り出された対称性と対照性を持つ二つに事件。対称性と対照性が多重構造として形成されていています、これについては別途詳述するつもりです。

2015年3月19日木曜日

皮肉の例その二


引き続き、ドラマで描写された皮肉の例をあげます

さざなみ放火事件の後、声が出なくなった夏恵を思い、真実を知りたがった高野であったが、さざなみ放火事件の真相を知っていたのが他ならぬ夏恵であり、証拠隠滅までしていたという事

さざなみ放火事件で放火を疑われた成瀬が放火犯では無かった事。あまつさえその前日に杉下が自宅に放火しようとした際に取り上げたオイルを処分していた事。及び杉下がその後15年にわたり必死に成瀬を庇おうとした行為が単なる勘違いであったという事

さざなみ放火事件で病院へ向かおうとする高野のパトカーの中で奨学金の申込書を成瀬に渡す際に杉下が成瀬に囁いた言葉が視聴者が期待した〝愛してる〝ではなく、〝成瀬くんなら何にだってなれるよ〝である事

スカイローズガーデン殺人事件の真相は、野口夫妻の歪んだ夫婦愛の故の心中であった事


西崎が夫のDVから助けようとした奈央子の真意は、奈央子が野口に言い寄ろうとしていると勘違いをした杉下を、野口から引き離して欲しいという事であった、という西崎の勘違い

企業社会に於いて、僻地への赴任が必ずしも左遷でない、むしろチャンスである事を理解出来ない杉下と、その杉下が誤った認識により野口へ挑発行為を行い事件の凄惨化のトリガーを引いた事。


血の付いたブランケットを右手に持ち、左手に持ったものはナイフでなく携帯電話で、視聴者の予想を裏切り、凶行には全く関わっていない成瀬


愛する人が犯罪を犯したら一緒に警察へ行くと宣言していた安藤が、杉下が自分と成瀬のどちらを頼るか?という事を知りたいが為に事件の凄惨化につながった外鍵を掛ける、という行為に及び、かつ自分の行為については証言を躊躇った事


高校時代に経験したどん底からの脱出の為に形成された杉下の〝上に行く〝強迫観念と、その結果としてたどり着いた、平凡さに心の平静を求める心理状況


他にも気付かれた皮肉があれば、皆さんより教えていただきたいです。

16/01/18
安藤が自分の行為について口を噤んだのは、杉下に嫌疑が掛からないよう、作戦の存在を隠蔽するためです。当初の解釈では自身の保身の為、と判断していましたが、それは違います。
彼は事件の真相が奈央子による心中だと理解していました。しかし計画の存在が警察にバレると杉下に殺人の嫌疑がかかる事になるため、それを回避する意図で口を噤んだのです。

皮肉の例 その一

ドラマがキルケゴールの実在主義をモチーフとしていると判断した根拠について個々に述べてゆきます。

このドラマでは皮肉(イロニー)、対象性が非常に多用されていました。

キルケゴールの思想の道具立ては皮肉の多用と弁証法の駆使です。
対称性及び弁証法については後日別途触れるつもりですが、皮肉の多用についてはキルケゴールがソクラテスの影響を受けているそうです。またキルケゴールが生きた時代も後期ロマン主義の時代に重なっています。

皮肉の例を列挙します。


自身の寿命はあと3年だから自分の思い通り生きる、と宣言し家族を放り出した父親が、現在でもピンシャンで生きているにも拘らず、その父親の暴挙で辛酸を舐めた杉下が、本当に余命宣告を受けてしまった事。


父親の暴挙と母親の贅沢発作により、今日食べるものにさえ事欠いた事が杉下の食へのトラウマ(冷蔵庫の中を満たさないと、という強迫観念)を形成した。そのようなトラウマを経験した杉下を襲った病が、食べる事さえ困難となる胃がんであったという事。


食べるに事欠き、父親の愛人に土下座までして得た食事が、愛ある母親の作る料理より断然美味いという現実

続く

16/01/18 追記
食へのトラウマ=冷蔵庫のトラウマは、現在の解釈では存在しない、と判断しています。
冷蔵庫、もしくは食が彼女の心的外傷を直接的には形成しえないからです。
冷蔵庫が冷蔵庫を満杯にするのは、彼女の行動特性の結果と見ています。
調理に没頭して食を大量に作る事が彼女のストレス発散法で、その結果で冷蔵庫が満杯になる、というのが現在の解釈です。

2015年3月17日火曜日

解釈の解説1 キルケゴールの実在主義

私はドラマ『Nのために』はキルケゴールの実在主義がモチーフになっていると判断しました。 
根拠は以下のとおりです。 

 皮肉、対象性の多用
 物語の弁証法的展開 
 杉下、及び杉下の父親の寿命への意識 
 西崎の”崩れ落ちそうな橋” 
 随所に織り込まれた写真&シャッター音、瞬間記憶 
現代編での成瀬が現れる前の、誰の助けも得ようとしない頑なな心理状態 
巧妙なトリックの挿入による視聴者への真意の隠蔽と騙し 

 ひとつひとつの解説は別途投稿いたします。

私の『Nのために』の解釈

ここから数回に分けて、ドラマの『Nのために』の私のなりの解釈を述べさせて頂く。

ただし、ここで述べる事が現在の解釈とイコールでない部分も含まれる事はご了解頂きたい。

なお、これからの投稿はドラマ公式サイトのメッセージへ投稿した内容を踏襲する。
内容については保存しておいたテキストデータから再掲する


『Nのために』の簡潔な総括

杉下と成瀬の15年の純愛物語。

キルケゴールの実在主義哲学をモチーフとし、余命宣告を受けた杉下が彼女自信の心象として対局にある二つの事件を弁証法的に解消し、主体的真理に目覚め、魂を解放させてゆく過程を綴ったラブストーリー。

但しその結末のみを提示し、事象と結末とのギャップの解消は視聴者側への謎掛けとした。
使った仕掛けは、

タイトル『~ために』という言葉の多義性による、原因と結果、意図のすり替え誘導。(イニシャル操作含む)

キャッチコピー「一番大切な人のことだけ考えた」というフレーズによるステレオタイプの利用と、真の目的の前提条件も"大切"とし得る表現上のレトリック操作。

存在さえ意識させないトリックの巧妙な挿入と視聴者への隠蔽。

この結果、視聴者側では成瀬のライバルとしての安藤がクローズアップされることとなり、その安藤の扱いを消化しきれない状況を発生させ、多様な"解釈"を誘発させる事を狙ったミステリー。

16/01/18 追記
現在でもキルケゴールの実在主義がベースである、との持論には変更がありません。
ただ、それだけでは無い、とも考えています。トラウマを構造主義的制約と捉えることもできるんです。
ですので、現在は『構造主義的制約下におけるキルケゴール的実在主義哲学』がモチーフと考えています。

2015年3月16日月曜日

3月16日の衝撃

立ち上げたばかりのこのブログですが、その実非常に短命で終わるかもしれない、と思っています。

このブログを立ち上げた動機でもあるのですが、今日、とんでもない可能性に気がついてしまったんです。

まだ直感、インスピレーション段階なので未検証ですが、自分で書くのもちょっと怖いくらいの可能性です。

それについては、書ける時が来たら順を追って投稿したいと思います。

ご挨拶

このブログは湊かなえ原作、14年第四四半期にTBSにて放映されたドラマ 『Nのために』について気付いた事を書き記す目的で管理者が建てたブログです。

公式サイトのメッセージ投稿が15年2月末日をもって打ち切られたので、新たに発見した事項など公表する場として建てました。

範囲はドラマ及び原作とします。

湊かなえ総論は扱いません。
『Nのために』を理解するための範囲において他作品についても触れる可能性は排除しません。

自由な意見交換希望。