2015年3月25日水曜日

物語の弁証法的展開

『Nのために 論考』
引き続きドラマがキルケゴールの実在主義哲学である、との私の見解の証左を解説してゆきます。
今日は物語の弁証法的展開についてです。

キルケゴールは弁証法を駆使してその思想を展開して行きました。 これはキルケゴールの時代、ヘーゲル哲学が持て囃された事に対するアンチテーゼとして同じ弁証法を駆使して、ヘーゲル哲学が描かない、論理的には説明しえない個人の問題を描こうとしたためです。
弁証法においてはテーゼに対するアンチテーゼという形で二つの対称性・対照性を統合(ジンテーゼ)する、という方法がとられます。 
この物語は、描写としては相互に入り組んだ編集がされており、解りづらいのですが、三部で構成されています。
第一部がさざなみ放火事件に代表される青景島編。
第二部がスカイローズガーデン殺人事件事件に代表される東京編。
第三部がラストシーンが代表する現代編。
対称性・対照性についての証左でも触れましたが、さざなみを”偶然と勘違いと思いやりによる美”=テーゼとし、スカイローズガーデンを”必然とエゴと打算による醜”=アンチテーゼとし、その二つの事件を現代編に於いて統合=ジンテーゼとする、という構造です。
 

1 件のコメント:

motoさん さんのコメント...

この、現代編での統合(ジンテーゼ)が実はこの物語の最大の謎だと理解しています。
結論は視聴者に提示されています。杉下は最後、成瀬の元に身を委ねた。つまり杉下のN=成瀬、という事です。
ですが、アンチテーゼ=スカイローズガーデンでの杉下の行動はテーゼ(さざなみ)やジンテーゼと反する様に見える。

ですから、この矛盾を解消する、表面には現れていない杉下の真実を探り、糸を手繰り寄せる事がこの物語の本当の謎解きなのです。
この論考ではそういった視点で論を展開しています。