成瀬に対するトラウマ自体は解消されたのですが、この心理機構はしぶとく生き続け、それが向かう先を求め続けていたんです。
そして行き着いた先が、西崎だった。
投稿『杉下は西崎に何を観ていたのか』で検討した通り、杉下は西崎に心理的に寄り添っていました。それが成瀬が計画に協力する表明をした事と自身が成瀬へのトラウマが解消した事で一気にその心理機構が西崎に対する感情と結びついてしまったのです。
しかし一方で成瀬のトラウマを解消できた杉下には、この西崎に対する感情が何処か歪んでいる、という事も理解出来ていた筈です。西崎が成瀬を説得する際に話した〝歪んだ場所にいると歪んでいることにさえ気付かない〟の発言に反応していました。成瀬のトラウマが解消されたからこそ、その歪みに気づいたのです。
では成瀬に対してはどうだったのか。
成瀬に対しては、トラウマ形成前の、苦しいながらも共に野望を語り合った頃の感情の復活です。
成瀬との再開し、成瀬と過ごした楽しかった日々を思い出し、その頃と変わらぬ成瀬が愛おしくてたまらない。吊り橋を渡ると言ってくれた成瀬の当時と変わらぬ自分への気持ちも解った。
何としても再び成瀬とに関係を再開させる為、成瀬に自分の気持ちを猛アピールし、計画成功後に再び成瀬を自室に招く為に部屋を見回した。
つまり、N作戦2に挑む際の杉下の魂胆はこうです。
西崎の奈央子救出(=人妻略奪という罪)に協力(=罪の共有)し、且つ自身の西崎に対する感情は、西崎が〝杉下の究極の愛の相手〟と思っている成瀬と自分の共同作業でカモフラージュ(相手にも知られず)した上で、作戦終了後には本気で成瀬と関係を再開させる(=西崎から黙って身を引く)
4 件のコメント:
N作戦2に挑む際の杉下の魂胆は、この通りですが、成瀬に対する感情については、微妙に違うかな、という印象ですね。
こちら(https://ronkouforn.blogspot.com/2015/05/blog-post_15.html?showComment=1697597210637#c7737596662369802781)で書いた通り、ゴンドラで杉下は成瀬を諦めた事からストレスから解放され、冷蔵庫を食べ物で満たす癖から解放されました。
ですから、島に帰った際に成瀬と会話して後、成瀬が2回目の作戦会議のため杉下の部屋を訪れるまでの期間の、杉下の心理はもう少し突っ込んで考えてみてもいいかな、と思えてきました。
今思い出したのですが、杉下がゴンドラで成瀬からのフェリーチケットのプレッシャーから解放されたのは、成瀬が闇落ちした、と弟から聞いた後なんですよね。
杉下にとって成瀬は”何にだってなれる”はずの存在で、そのためにお互いが”頑張る”事を誓い合った仲であるはずなのに、成瀬がそこから脱落してしまった、という事を知った後だった訳です。
リクルートスーツに身を包んだ杉下がチケットを見つめ、成瀬を思いやる描写がありますが、この時杉下は自分が成瀬に抱いた”成瀬なら何にだってなれる”という評価は幻想だったという事に気づいたのだと思うのです。
並行して進む自らの就職活動も思うに任せない状況が続き、自分自身の能力にも疑問符を抱かざるを得ない状況。
そのような状況を経てゴンドラで感じた安藤の能力の高さと、感じた世界観の変化から、杉下は自身と成瀬に懸けた自身の幻想を手放す事が出来た。
杉下にとって、ゴンドラはそのようなイベントであったのだと考え直しました。
そう考えると、なぜ制作者が杉下がさざなみ炎上後に奨学金の書類を成瀬に渡すシーンで、成瀬の耳元で囁く杉下のセリフを隠したのか、が判った気がします。
あのシーン、みんな杉下が成瀬に”愛してる”かもしくはそれに類する言葉を発したと取ったと思うのです。
もし、あのシーンで、”成瀬君なら何にだってなれるよ”をそのまま描写してしまうと、このゴンドラにおける杉下の心理変化に気づかれる可能性が出てしまうんですね。
制作者としては、杉下が料理で冷蔵庫を満たす理由をミスリードさせたままにしたいけれども、”成瀬君なら何にだってなれるよ”をそのまま描写すると、視聴者にゴンドラで杉下が料理を作るのをやめると宣言した理由、そしてそれまで彼女が料理を作ってします癖の本当の理由に気づかれる可能性がある。だから、”成瀬君なら何にだってなれるよ”を隠ぺいしたんですね。
そうすると、改めて整理しないといけないのは、なぜ二人は東京で連絡を取り合わなかったのか?という部分は、二人が改めて接近するようになった心理を考えるうえで、避けて通れないですね。
ここは再度論理を精緻に積み上げる必要がありますね。
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