とある場所で、安藤に連れられて初めて乗ったゴンドラのシーンで、杉下に瞬間記憶の描写が無かった事の指摘が有りました。
私は気が付かなかったのですが、面白いネタなのでつまみ食いしてみます。
その方の論では、瞬間記憶は無意識で記憶して置かずにはいられない状況で瞬間記憶がなされる、というもの。で、問題のシーンは、杉下がそれを見る事を望んでいた景色であり、その景色は杉下が意識して記憶に止めようとしたであろう。だから瞬間記憶の描写は無かった、というものでした。
私は、瞬間記憶はキルケゴールの時間論の表現だったと取っています。キルケゴールによれば、瞬間とは『永遠が有限な時間に介入し何かを生成するその時』 です。
ドラマの中では、その後に何か新しい展開が始まる、もしくはそのきっかけの際に瞬間記憶が描写されていました。
そういった観点で改めてゴンドラのシーンを、ドラマ全体の中で位置付けて見るとどう見えるか?
あのシーンは野望ノートに記載された野望と関連します。
野望ノートに記載された杉下の野望は
バルコニーで演説する
豪華客船でアラブの富豪に出会う
真っ直ぐな水平線が見たい
この三つでした。
演説は成瀬が連れ出した早朝デートの際に実現しました。
富豪はダイビングのボートで野口夫妻と親しくなる事で実現。
で、最後に残った水平線がゴンドラで実現した。
つまり杉下が島時代に抱いた野望はこのゴンドラで全て達成されたのです。
で、ここで問題にしたいのは杉下の野望の性格です。
公式サイトでしのぶ様が1月14日に指摘していますが、『杉下の野望は実は空っぽ』なのです。
いみじくも杉下自身が成瀬に語っている通り、『つまらん現実に押し潰される』事に抗うための方便でしかなかった。
だから全ての野望がゴンドラの時実現したものの、その次が存在しない、新たな何かが生まれる事がない。ある意味終局。だから瞬間記憶が描写されなかったのです。
島時代のトラウマから解放されたものの、空っぽの野望の先が展望されない、だから瞬間記憶が描写されなかったのです。
で、ここにいたり、一つ発見があります。
このシーンで何も展望がない、故に瞬間記憶が描写されなかった、という事は、実はこの時すでに杉下は安藤との間に先の未来を見ていない、という事です。
よくこのシーンは安藤への気持ちを表すもの、というコメントを見ましたが、実は安藤とはその先を杉下は見ていなかったんですね。
参照
キルケゴールの思想に対する証左
ゴンドラで杉下が解放されたもの
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