ドラマ内で杉下は何度か狡賢さを発揮していますね。
一つは父親への土下座。二つ目は奈央子のボンベに手を掛けた事。
皆さんは杉下のこの行動の源泉をどこに求められているでしょうか?
恐らくは彼女の『生きるためにはなんだってやってやる!』というゆきに対する土下座の後、洋介と食事する際のモノローグに求めていらっしゃると思うんです。
私も当初はそこに求めていました。
ですが、最近は違うな、と思っています。
もし彼女の狡賢さが『生きるためにはなんだってやってやる!』であるなら、もっと違う場面、例えば母親の贅沢発作で支払いに行き詰まり、自分のバイトで貯めた貯金を使わざるを得ない状況に追い込まれた際などに出ていても可笑しくない。でも、杉下は泣く泣くですが、社会的規範にそう形で事を処理している。これが杉下の狡賢さの起源に対する従来の見方に疑義が生じた部分です。
そう考えたとき、杉下がその狡賢さを発揮した状況を見直しました。
最初の父親への土下座は成瀬のNチケットを発見したあとです。このNチケットで杉下の野望の実現は成瀬との誓約になった。つまり、父親への土下座は成瀬との約束を護る為の手段だったわけです。
また、奈央子のボンベに手を掛けたのも、野望『アラブの富豪と出会う』の実現の為に野口家との接点を造る手段です。これも野望の実現が成瀬との誓約であるから彼女の狡賢さが発揮されたと見える。
この行為については後に西崎に自分の親との類似性を口にし、自己嫌悪を見せていますので、自分でも意識していなかったと思うのですが、状況から考えると、成瀬にその行動の源泉が還元されるのです。
ですので、彼女の狡賢さは一見親に対するトラウマから生じたように見えますが、その実それが発揮されているのは常に成瀬との誓約を実現する際に見せており、その源泉も成瀬との誓約に還元される、というのが現在の私の見方です。
参照
杉下の野望の本質
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