…続き
西崎はそれに答えなかった。西崎は話の方向を変えた。
「結局、安藤も含めた俺たちの青春というのは、杉下希美という非常に魅惑的な女性に翻弄されっぱなしの青春だった。そう思うのだが、違うか?」
「あなたが杉下に観たものは何だったんです?」
「母性だ。自分の実の母親についぞ感じることの無かった、俺の中で欠落していた母性だ」
西崎はマフラーに口元を隠すように視線を下に向けた。
「もし、彼女のような人が自分の母親であったなら、自分はどんな人間になっていただろう、そんな事を幾度も考えたよ」
「母親…」
西崎は自嘲気味に続けた。
「可笑しいだろう?自分より年下の女性に、理想の母性を観ていたんだから…君には何が観えた?」
「判りません。自分が何かをしてあげる事で、悲しみの中の彼女が笑ってくれるのであれば、それで良かった。それが自分の勇気の源泉だった」
「君たち二人を見ていて、初めてそのような形の愛が有るんだと思い知ったよ。周りから見ていて、余りにももどかしい愛。それでいて絶対に揺るがない愛」
「ただお互いがその手の事に奥手なだけです。買いかぶりです」
「違うな。杉下には君の存在は絶対なんだ。盲目的とさえ言っていい。あれ程人に頼る事に頑なな杉下が、唯一助けを求める事が出来るのが君だ。君達二人には他のどんな人間にも立ち入れない領域がある」
「それは世間では歪みとかトラウマと言うんですよ。結局俺と杉下、そして西崎さんは似た者同志なんだ」
「安藤くんにはわからんだろうなぁ。我々歪んでいるものの心理は」
高松行きの長距離バスが発着場に入ってきた。待っていた乗客が脇をすり抜けて次々と乗り込む。
「そろそろ時間なんで…行きます」
「あゝ」
乗車口の前まで進み、そのまま乗り込もうとしたが、ちょっと立ち止まって、顔を西崎へ向けた。視線は下に落としたまま、西崎を見なかった。
「杉下には島に一緒に還ろう、と言ってあります。先に島で待っています」
「杉下も追っかけ還るさ…杉下を幸せにしてやってくれ」
その言葉に俺は西崎へ視線を向け、小さく頷いた。
西崎は〝それじゃあ〟と言い残し、踵を返した。俺はバスに乗り込み、フロントガラス越しに遠ざかる西崎の背中を一瞥して、長時間の乗車に備えてバックからカフェオレの缶を二つ出してシートに着いた。
程なくバスは発車した。心の中は複雑だった。新たな出発の地、そして程なく迎える事になるであろう杉下の命の終局の地への旅立ちが自分にとってどんな意味を持つのか、測りかねていた。
fin
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