2015年11月2日月曜日

【二次作品】成瀬と西崎の会話 その一

 東京駅八重洲口のバスターミナルに着いた。時刻は二十時十五分を少し廻ったところだ。どれだけも片付いていない荷物を徹夜で梱包して漸く送り出したのが今日の午前中。午後は役所や郵便局、その他諸々の諸手続きをこなして、漸く部屋を出たのが七時近く。部屋の鍵は不動産屋が最後の確認に来た際に引き渡した。
 島を出て十五年。途中幾度か住まいを移したが、それでも島にいたのと大差ない時間をこの街で過ごした。島の時間には物心つく前の幼少期も含まれるから、実質的にはこっちでの時間の方が長いと言っていいかもしれない。でも、特別何か思い入れがある訳ではない。多すぎる人、多すぎる車、多すぎる情報、多すぎる明かり、多すぎる情念。何もかもが濃密過ぎる。刺激が多くて飽きない、という意味では若い時分には有難かったけれど、三十も過ぎればそれが絶対的な価値を持ち得ないという事位は判る。今この街を離れ島に戻る事をこの街の人がどう思うか、島の人がどう思うか。人によっては負けて帰った、と取るだろう。ではそう思っている人は勝者なのか?そうではないだろう。人の幸せなど人それぞれ。他人の価値基準で自分を測る事ほど愚かしい事はない。自分には自分の価値基準が有り、その価値基準に沿ったその時々の選択の連続として今がある。そしてそれは死ぬまで続く。死ぬときに、良い人生だったと言えるよう、今とこれからを生きるしか無い。自分はそう信じる。そして杉下にもそうであって欲しい。
 
「なぜ杉下がいない」
 背後から大きな声がした。〝杉下〟という単語に引っ掛かりを覚え、とっさに振り返った先に、西崎が壁に背を預けて立っている。『ああ、面倒くさい奴に捕まった』そう思った。昨日西崎にメールを送ったのを後悔した。そんな気持ちが自分の顔に出たのだろう、西崎は先ほどより明らかに不機嫌そうに語気を強めて言った。
「なぜ杉下を連れていない」

続く…

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