2015年7月31日金曜日

『杉下希美を愛してやまない人祭』開催のお知らせ


お知らせにも同じものをアップしたのですが、気がつかれない方もいるかも、と思い、本編でも挙げておきます。

普段謎解きにばかりの話題で、ひょっとすると敷居が高く感じられている方もいるかな?と思い、ちょっと砕けた企画をしてみようかと、思い立ちました。

8月4日 杉下希美の33歳の誕生日に合わせて、杉下希美が大好きな方に思いをぶちまけて貰おう、と専用の投稿ページをアップします。

テーマは自由。とにかく熱い思いを書き込んでいただければと。
是非、趣旨にご賛同いただける方の熱いコメントをお待ちしております。

8月4日の0時にアップする予定です。


2015年7月30日木曜日

安藤の名前が『のぞみ』である事の必要性


私が杉下のN=安藤を取らない理由のシリーズ第五段。これが最後になります。

安藤と杉下の名前、『のぞみ』に関する考察です。
実はこれ、ネタ募集でnao様から頂いたものです。あまりこの論考では、こういった方面からのアプローチをして来なかったのでnao様、有難うございます!

まず名前の同一性からです。本当は原作まで遡るべきかもしれませんが、謎解きという観点から行くと原作を持ち込むと間違えるので、やめておきます。あくまでドラマ内という事で。
これは、成瀬に対しては杉下と同じ『のぞみ』という名前から、女性と誤認させる伏線という理解になります。では成瀬にとってもう一人の『のぞみ』を女性と誤認させる事にドラマとしてどのような意味があるか。

もしもうひとりの『のぞみ』が男だと成瀬が2回目の杉下の部屋での作戦会議に判っていたら?
日時はクリスマスイブ、状況はハイソ夫妻の自宅での食事会へ若い男女がゲストで招かれる。その男女は同じアパートで学生時代を過ごした…
普通のセンスであれば、その男女をカップルと取ります。成瀬は杉下の気持ちが安藤にあるのか西崎にあるのか、疑念を持つでしょう。成瀬が杉下に安藤との関係を問うたら?杉下は親しい友人と答えるでしょう。でも成瀬はもう一つ聞かざるを得ない。では西崎に協力するのはなぜ?と。
これを杉下に成瀬が問うたら?ミステリーの崩壊です。杉下の西崎への感情を問うような描写は厳禁です。

ですが、成瀬が安藤を男と認識したのち、杉下がレストランを訪れています。その際、なんで問わなかったのか?という反論があるでしょう。その時、聞けるじゃないか、と。

この時の問題は、安藤が男とである、という事とその安藤がプロポーズしようとしている、という事を同時に知ったという部分がポイントです。この状況で成瀬としては自身が安藤に習いプロポーズするべきか悩んでいる状況です。その状況で杉下の気持ちが誰にあるのか?を問えないでしょう。またドラマの演出としては成瀬の安藤に対するライバル心をうかがわせる心理描写と、それへの杉下の反応を見せる、という部分に意味があった。だからシャルティエヒロタであった時は、成瀬は問えない。

つまり、ミステリーとしてみた時、成瀬にはもうひとりの『のぞみ』は女である、と誤認していて貰う必要があった。そのために安藤の名前は『のぞみ』である必要性があった、というのがドラマ全体での位置付けになります。

続く…

2015年7月29日水曜日

杉下の父親について


杉下の父親についての、皆さんの評価はどのようなものでしょうか?

想像するに、身勝手な自分本位のどうしようもない父親、という評価が一般的ではないかと思います。

私は多少違う見方です。
彼は自分の寿命は後三年、と明確に意識していました。残された自分の時間を強烈に意識したのです。
実在主義哲学では、実在が有限な時間的存在である、とされています。つまり『死に向かって今と未来を生きる』存在。
限られた時間を意識すれば意識するほど、その時間をどう使うか、その使い方に自らが納得できるか、という事を考える。
富も名声もあの世へは持っていけない。死ぬ時は常に孤独。誰も寄り添ってはいない。死の間際に自分が幸せであったと思って臨むことが出来るか?それが非常に問題になる。

杉下の父親は強烈にそれを意識したんです。
娘婿として会社を継ぎ、家族の為、従業員の為身を粉にして働いたに違いありません。自分を抑圧し周囲の幸せを優先して生きてきたんだと思います。如何に倫理的に生きるか、腐心したでしょう。でも彼は絶望した。如何に倫理的に生きようともそれで満足し得ない自分が存在していた。その中で自らの限られた時間を意識した時、今いる絶望から抜け出す為に実在的選択をした。実在的選択とはつまり究極の選択、『あれか、これか』を行ったのです。

彼が夏祭りを見守る際に見せた孤独の表情は、悲しみに満ちていました。
ですから、結果として彼の行為はエゴイスティックではあったけれども、無責任であるとか身勝手という表現だけでは説明しきれない、実在主義的選択の一つの形であったと思うのです。

参照
解釈の解説1 キルケゴールの実在主義
魂の解放

2015年7月28日火曜日

やっぱり解けない安藤と成瀬の会話の謎


やっぱり何度考えても、成瀬が安藤に言った発言が解せません。

「杉下があの時考えていたのは安藤さんの事だと思います。あなたを守ろうとしていました」
「あなたが杉下のそばに居てくれてよかった」

前者は少なくとも嘘は言っていない。それは確かです。成瀬は杉下が安藤の僻地行き阻止のため杉下が行動したのは理解出来ていますし、それが杉下の誤解に基づくものである事も分かっていました。(もっとも僻地行きが焦点となっていたという事までは無理)。

でも、嘘はないにせよ、なんでこんなことを言ったの?という疑問が未だに解消でき無い。
安藤はこの直前に、『君から何も聞けなければ事件のことは吹っ切るつもりで居た』と言っています。つまり成瀬は、わざわざ安藤の後ろ髪を引くような事を事を言った、という事になる。じゃあ成瀬の意図は何?という事になる。

すんなりとは入ってこないのですが、あえて言えば、杉下に対して保険を掛けた?という見方です。

この時の状況として、成瀬が杉下のNだと思っていた西崎には杉下を受け入れる意思はない。だからこそ西崎は成瀬に杉下を助けるよう連絡して来た。しかし成瀬はあえて杉下に選択権を委ねた。可能性として杉下は自分を頼らないかもしれない。もし杉下がそういう判断をしたなら、最後に杉下を委ねる先として安藤には依然吹っ切ってもらっては困る。だから後ろ髪を引いた…

という推論はしうるのですが…これはなんだかな〜という感じです。自分に強引な事はできないから、ダメな時は安藤よろしく!みたいですよね。

さらにわからないのが、「あなたが杉下のそばに居てくれてよかった」なんです。
成瀬は、こんな事言えるほど安藤の事知らないでしょう?
成瀬が知っている事といえば、勤め先と野ばら荘にいた事とプロポーズしようとしていた事と鍵を掛けた事ぐらい。服役中の西崎から色々なエピソードを聴いた、という禁じ手を持ってきてもいいけど、それにしたって…

だからどうしてもこのシーンは私には破綻しているように見える。誰かこの問題を説明出来る方いませんか?

参照
成瀬は安藤に嘘は言っていなかった 前言の撤回
成瀬は杉下が計画をバラしたのを誤解が原因だと気付いていた

独白


私がこのドラマにのめりこんだのは、自分の経験を物語の出来事に重ねているからです。状況も前後関係も因果も決して類似と呼べるほどのものでは有りません。でも重ねてしまうんです。

私には中学の時好きでどうしようも無かった異性がいます。私は今でもその方に囚われています。歪んでいます。
期間は杉下と成瀬の時間より確実に長いとだけ言っておきます。

その方とは交友関係が違うし、ロクに会話した事も有りません。
ですが勇気を振り絞って二年近く溜め込んだ思いをぶつけました。どうやらその方も似た感情を持っていてくれたようです。
どうやら、というのは私はその方から直接気持ちを聴けていないんです。その方は私には人を通じてしか気持ちを伝えてきませんでした。通う方向も別々な、違う高校への進学が決まりました。

結局何も無く、その方の気持ちも直接確認もできないまま迎えた卒業式の日。式も終わって学校を出た先で卒業生がたむろしている中、その方が立っていました。私は告白した日のように勇気を振り絞ってその方に近づきました。その方は私が近づいた途端に嗚咽を始め、全く会話になりませんでした。私はその方の肩に手をかけて、高校へ進んでも繋がっていたい、といった意味の事を言った記憶が微かに残っています。
私はこの出来事を杉下と成瀬のフェリーでのエールの交換のシーンに重ねてしまいました。

卒業式から二ヶ月程したのち、その方の駅から自宅までの途中の本屋の店頭で待ち伏せしました。
この時私はその方から突き放されました。恥ずかしい、という名のシカトです。私はその方から声をかけては貰えませんでした。一度は私が後を追ったのですが、二度目はもうその方を追えませんでした。
結局その方は脳内恋愛のキャラクターに私の名前をつけたんだ、そう思いました。非常に堪えました。
私はこの出来事を、西崎が奈央子から受けた拒絶と重ねてしまいました。

続く…

作品の思想的バックボーン 再考 その二

前項からの続き…

例えば杉下が成瀬に奨学金を譲った行為です。
表面的にとれば、杉下が成瀬の将来を慮っての行為です。

ですが、こうとも取れるのではないでしょか?
成瀬に感情的に縛り付けられている杉下が自らの利益として行動を選択した行為。

つまり歪みにより成瀬に縛り付けられている杉下には、自らの利益と成瀬の利益を同一視しているが故の選択、という解釈です。

後段の”自らの利益と成瀬の利益を同一視しているが故の選択”は実在主義で説明可能です。私がエゴと表現している事と同義です。

しかし、前段”歪みにより成瀬に縛り付けられている杉下”の部分は全て実在主義で説明していいのか?という疑問を抱いています。

実在主義は突き詰めれば無限大の自由と無限大の自己責任になります。
そんな実在主義に対する反発として構造主義が存在します。
構造主義とは非常に単純化すれば、人間は実在主義がいうほどに自由ではない。実在さえ気がつかない諸々の制約が存在する、という考え方です。

判りやすい例では、各言語における虹の色の数を上げることが出来ます。
日本では虹は七色ですが、アメリカでは虹は六色です。
この認識は実在が実在たる前から既に刷り込みされています。

もし、このような刷り込みが、ある種の歪みにより実在を制約しているとしたら?西崎が成瀬に作戦への協力を要請した『歪んだ場所にいると、歪んでいる事にさえ気付かない』ように、実在において歪みにより利他的行為が、利己的行為と同一視されていた場合、それはある種の博愛的行為に見えるのではないか?

もしそうであるなら、それは美しく見えるかもしれないが、非常に悲しいものに思えるんです。

ですので、このドラマの思想的バックボーンとなっていると思うものを改めて記すと、このような表現になります。

『歪みという名の構造主義的制約下にあって、それでも実在としてあらねばならぬ存在のキルケゴール的実在主義』

追記
私は哲学を専門にはしていません。キルケゴールの著作を数冊と解説本を読んだ程度の知識です。
構造主義に関しては思想史として言語分析を発端として起こった、という程度の知識です。
ですので非常に浅はかな知識で書いている事をお断りしておきます。専門的議論には到底耐えられません。

参照
キルケゴールの思想に対する証左
私の『Nのために』の解釈
エゴと『あれか、これか』

安藤の名前が『のぞみ』である事の必要性 その二

前項からの続き…

名前に関しては、もう一つの観点が有ります。
安藤の外鍵の隠蔽のトリックを隠蔽する、ある種の誘導を行う、という効果です。
キャラクターの名前にある種のメッセージを込める、というのは従来からよく行われる手です。このドラマではそれを逆手に取った。
安藤と杉下の名前がともに『のぞみ』であり、かつ双方の一字づつをとると『希望』になる。そこに製作者が杉下にとって安藤とは自身の上昇志向のシンボル、もしくは代理として大事であった、という誘導を狙ったのです。一見するとスカイローズガーデンの事件での杉下の行動とラストシーンにはギャップが存在する。視聴者はそのギャップの解消を図ろうとする。その際、このような操作を事前にしておく事で、安藤の外鍵の隠蔽にトリックが仕込まれている事自体を隠蔽する効果があるんですね。

似たような操作は、安藤が鋸をろくに使えない、という描写にも認められます。この描写により安藤の生活力欠如→杉下の弟分(名前の呼び捨て含む)という刷り込みをする事で、家族を守るような無償の愛、という方向に誘導しようとする意図です。

いや、nao様ありがとうございます!
安藤の名前が『のぞみ』である必要性が、ドラマ全体の中で位置付けできました。名前については全く謎解きに関係しないだろう、答えが出ようのない推測のネタ程度と思っていたんですが、しっかりその必然性が存在したんですね。う〜ん、自分では謎解きはほぼ終わったと思っていたんですが、まだ出てくるんですね!

追記
推測ネタという単語を出したついでに、安藤のイニシャル=A.N について感じていた事を。
これは英語の否定の接頭辞のANではないか?と思っているんです。
つまり、杉下、成瀬、西崎の存在をテーゼとした時の、アンチテーゼとしての存在。
歪みを持つ存在に対する、アンチテーゼとしての歪みを持たない存在。これが安藤の名前に関して、真に製作者が込めた意味ではないかと私は詮索しています。

ま、これについてはティーブレイクネタ、という事で。

参照
成瀬が『N作戦2』に協力することにした理由
杉下の安藤の外鍵隠蔽行動

2015年7月27日月曜日

作品の思想的バックボーン 再考

私は『Nのために』はキルケゴールの実在主義が思想的バックボーンになっていると思っていました。

しかし、ここまで論考を進めて来た過程で、ちょっと違うのでは?という感覚も芽生えています。

それはキルケゴールの実在主義だけではない、キルケゴールの実在主義+αという感覚です。
ではその+αが何であるのか?

今この作品は何を描いていたのかな、と考えるに
『歪んだ愛の諸形態』
『歪みを抱えた者同士の接触が生む悲劇』
『歪みを抱えた者と抱えていない者との断絶』
『歪みを抱えた者の魂の救済』
のように思えるんです。

『歪んだ愛の諸形態』とは、野口夫妻の間の愛、西崎母子の間の愛、杉下-成瀬の間の愛。
『歪みを抱えた者同士の接触が生む悲劇』とは、奈央子-西崎-杉下の接触による事件の引き寄せ。
『歪みを抱えた者と抱えていない者との断絶』とは、安藤と杉下、西崎間の断絶。具体的には安藤が事件の真相を教えてもらえない事象です。
そして『歪みを抱えた者の魂の救済』とは野口夫妻の死に際の言葉、西崎が自ら犯人になる選択、夏江が声を出して泣けた事、杉下のラストシーンに向けた魂の上昇過程です。

ある種の博愛的な部分を期待されている向きも過去に見ましたが、ここまで観てきてどうも博愛主義的美しさの眞逆に有るのではないか?と感じています。

博愛的に見える行動も、その実その行動をする人間が逃れられない何かに縛り付けられているが故の行動なのでは?と思えるのです。

続く…

2015年7月25日土曜日

杉下が安藤に事件の真相を語らないのは愛されていたから?


杉下のN=安藤説を私が取らない理由の第四段です。

杉下が安藤に事件の真相を語らないのは、安藤が愛されていたから、という論が一般的です。

でも、それは本当でしょうか?

最終話で、事件から現代編へ切り替わる際の、スナップのスタックとして描写された、各キャラクターのその後のトップで、野ばら荘を訪れた安藤に、杉下が会うのを拒絶しているシーンがあります。

このシーン、表現としてはスナップのスタックとして、ごくサラッと挿入されています。
実はこのシーン、ドラマ全体の謎解きに決定的に影響するシーンです。
ある意味爆弾シーンなんです。

このシーンについて私は今まで言及された論を見た事が有りません。
俗にいう成瀬派、安藤派双方がこのシーンを説明でき無い。

説明でき無いのはなぜか?
安藤と杉下の関係、より具体的には安藤の外鍵の隠蔽行動に対する杉下の動機、目的に対する一般的解釈が間違っているからです。

成瀬派にしろ安藤派にしろ、外鍵の隠蔽は安藤を杉下が保護する意図で行われた、という解釈です。そこから安藤の将来が大事であり、真相を教えられない。では合わないのはなぜ?
誰にも邪魔されず、広い世界へ羽ばたいて欲しい、と思っていたなら、なぜこの時それを言わない?

安藤と杉下は事件の関係者間で、唯一その後も接触がある事になんら問題がない関係です。そうであるのに杉下は拒絶した。
さざなみでは、杉下は成瀬の事について偽証するような関係性でない、という事を装うために、成瀬との接触を断ちましたが、この時の安藤にはさざなみのような制約は無い。

それではなぜ?杉下は拒絶したのか?と考えると、一番スッキリするのは、『安藤が嫌われたから』

安藤がした行為は自分本位な理由から密室を作り出した、というものです。普通の感覚で考えてください。

あなたは、いたずらでトイレの外から閂を掛けた友人を、許せますか?その人間性に疑問を抱きませんか?その後、その友人と付き合いたいと思いますか?そのような人物と秘密を共有出来ますか?

高野と安藤の会話で視聴者は強い刷り込みをされています。しかし真相は上記の通りで、安藤は嫌われ、信用を無くしたから真相を教えてもらえないのです。

参照
安藤が真相を誰からも教えてもらえない理由
作戦の失敗について杉下の怒りが西崎へ向いていない事
杉下の安藤の外鍵隠蔽行動
杉下はなぜ事件後、安藤の訪問を拒絶したのか?

2015年7月24日金曜日

安藤の指輪に杉下が涙する理由


私が杉下のN=安藤説を取らない理由シリーズの第三論点です。

安藤の指輪を見て、涙する杉下のシーンの解釈です。

安藤派は病気を理由に、安藤の気持ちを受ける事ができない、安藤の邪魔になってはいけないと判断し、身を引き事にした、その悲しみの涙、という解釈ですですね。ここの解釈から、病気で無ければ安藤を選択していた、という論も出ている。その延長上として、迂回的ですが事件時の杉下のN=安藤、という論拠と成っている。

成瀬派は、ここのシーンに説明ができていない。代案を提示出来ていないんです。精々が安藤が言った『将来結婚したくなるかも…』の発言に、余命を考えたら、そんな事も夢想できない自分に悲しくなった、というぐらいでしょうか?

私の解釈はすでに開示済みですが、簡単に説明します。

安藤の僻地行きを左遷と取っていた杉下が、実は左遷でなく安藤自身がチャンスと取っていたのに自分の狭い了見で事件のトリガーを引いてしまったという事を思い知った事による、罪の意識の涙です。

ここでのポイントは安藤の僻地赴任が左遷ではない、という事に気付けるかどうかです。ですのでこのシーンも杉下のN=安藤とせずとも説明ができるんです。

参照
みんな『安藤の僻地行き』の意味を取り違えている
安藤の指輪に対する杉下の涙の本当の訳

2015年7月23日木曜日

杉下の安藤の外鍵隠蔽行動


私が『杉下のN=安藤』を取らない理由の第二論点です。

杉下の安藤の外鍵の隠蔽行動です。

『杉下のN=安藤』を取られる方は、第一論点である僻地行き阻止行動からの一連として、この隠蔽を理解されています。いえ、物語を見た、ほとんど全ての方はこの一連については、杉下は安藤のために行動した、安藤を守る意図で行われた、と理解されています。

その理解のあらすじはこうです。
安藤が外鍵をかけた事を知った杉下は、安藤の将来を慮って、成瀬に鍵はかかっていなかったとの口裏合わせを依頼した。偽証できたのは成瀬に自分が背負いきれない罪を共有して貰ったから。成瀬は杉下の気持ちが安藤にある事を知り、隠蔽の依頼を受け入れ、事件後杉下から身を引いた…

しかし真相は違います。これはトリックです。
この外鍵の隠蔽は、四人による暗黙の取引なのです。
その全容についてはすでに詳しく述べさせていただいていますので、そちらにゆずります。ここでは『杉下のN=安藤』とした時に説明し得ない事項を二つだけ挙げておきます。

なぜ杉下自身は捜査機関からの聴取に対して自ら鍵に言及しないのか?それほどまで安藤が大事な保護すべき対象であれば、自身でそれを証言しないのか?もし何か別の要因があるとすれば、それは別の誰かに対する配慮、という事になり、『一番大切な人の事だけ考えた』と矛盾する。

三人(杉下、成瀬、西崎)の偽証(非計画性、偶然性の主張)は杉下に取って安藤を保護する意図と言えるのか?仮にそうだとして、西崎の要求は拒否したにもかかわらず、成瀬の指示は受け入れたのはなぜか?どちらであっても偽証の内容は変わらない。安藤を保護する意図であるなら、西崎が要求した時点で受け入れていたはず。杉下のN=安藤であるなら、『一番大切な人の事だけ考えた』のであるから、成瀬の存在が杉下の行動の決定要因とはならない。

参照
『杉下のN=安藤』を採用しない理由
トリックの場所
安藤の外鍵を掛けた行為の隠蔽工作 4人の行動原理・利益

2015年7月21日火曜日

安藤の僻地赴任阻止行動の杉下の源泉


私が『杉下のN=安藤』を取らない理由の第一論点です。

杉下が行った、安藤の僻地赴任阻止の行動の源泉は何か?です

杉下の行動目的は安藤の僻地赴任阻止です。
ですが、問題は『杉下のN=安藤』で無ければ、この行動が説明出来ないのか?
『杉下のN≠安藤』でも同じ行動が説明し得るのではないか?が問題なのです

俗に言う安藤派の方にとっては、杉下の安藤に対する恋愛感情の発露そのもの。
成瀬派と呼ばれる方には、杉下にとっての安藤は杉下自身の上昇志向の分身、代理的な存在。だから野口に激しく抵抗した、といった解釈です。洋介の分身説(弟分)もありました。

私はちょっと違う角度からアプローチします。

杉下は島時代に、何と闘っていたのか?何にもがいていたのか?です。
私は杉下の島時代は『大人の身勝手さ、自分の手の届かない処で本人の努力に関係なく人の将来が閉ざされる事への抵抗(レジスタンス)と脱出(エクソダス)』の時代と取っています。

父親の身勝手から経済的に困窮し、それでも頑張って貯めたアルバイトの貯金は生活能力皆無な母親のために吐き出さざるを得なくなった。大学に行きたいという希望は父親がにべもなく拒否し、母親は自分本位に杉下を縛り付けようとする。

こういったものと杉下は闘っていた。

ですから杉下には『本人の努力の外の力による、人の将来を弄ぶ行為及び人』全般に対する激烈な反発心があったと考えていいと思います。それは対象が本人か他人か、それを行う人が誰かに関係なく。

杉下の上昇志向は本人自身がそこから抜け出す為に自らを鼓舞する必要から形成されたもの、ある意味結果です。

ですので野口に対する杉下の激しい抵抗は、それが安藤との関係性における発露という見方より、杉下の原体験からの直接的な発露と取ったほうが、シンプルに理解できます。

このように理解すれば、杉下が安藤に抱いていた感情という、ちょっとした演出でどのようにもとり得る不確かな議論を経ずとも、このときの杉下の行動が説明出来ますし、より杉下という人物の根底に迫った理解が出来ます。

ですので、この安藤の僻地赴任阻止行動が『杉下のN=安藤』の論拠とはなり得ないのです。

ただし注意頂きたいのは、この時の杉下は野口の『僻地行き』の意味を誤解していた、という点です。

参照
『杉下のN=安藤』を採用しない理由
みんな『安藤の僻地行き』の意味を取り違えている

作戦の失敗について杉下の怒りが西崎へ向いていない事


これはネタ募集!でいただいた匿名様からのメッセージに対する回答です。
掲載した場所が期間限定の場所なので、本編へ移す事にしました。同じく疑問を持たれる方が後からでも読めるよう、場所を移します。

Q&A形式で記載します。原文そのままです。
一応、末尾にここでの議論のベースになる参照先も載せておきます。

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Q.
motoさまは、チェーンの外鍵をかけ事件の凄惨性を導いた安藤に対する希美ちゃんの怒り・嫌悪感を指摘していらっしゃいますね。私も、そのことに納得しています。
ただ、私の感覚からすると、希美ちゃんが安藤以上に怒りや嫌悪感を覚えるはずなのは西崎さんのような気がするのです。
N作戦2の話し合いの時に成瀬くんが言ったように、また、奈央子が西崎さんに「助けて」と電話してきた後 希美ちゃん自身が提案したように、これは「警察に相談すべき」問題だったのです。それなのに西崎さんは、「自分が助ける」と固執した。そのうえ、花を買うのに手間取り大幅な遅刻をするという失態を犯し、希美ちゃんを追い詰めてしまった。更に、安藤への余計な挑発。
つまり、N作戦2の失敗の原因は西崎さんにあり、西崎さんの誤った判断さえなければ、希美ちゃんは計画をばらすことも、事件で深い罪の意識を背負うこともなかったと思うのです。希美ちゃんのN=西崎さんだったから、成瀬くんを失うことになっても、西崎さんへの怒りや嫌悪は湧いてこなかったのでしょうか?私には、西崎さんに会わなければよかったと思ったことは一度もないという希美ちゃんの気持ちが分かりません。
motoさまは、どう思われますか?
よろしかったら、お考えをお聞かせください。

A.
杉下が怒り、嫌悪を向ける先がなぜ西崎でないのか?
これについては、ここでお答えします。安藤の行為と西崎の行為の性質が異なるからです。
ご指摘の西崎の部分は失敗、ミスです。
ですが安藤の外鍵を掛ける行為は、その人間性に疑問を抱かざるを得ない行為です。まず動機が安藤の成瀬への嫉妬(事件時、杉下はこれ以上認識できていません)という自己本位なものである上、その方法が密室を作り出すという危険極まりない行為です。

例えば、
待ち合わせをした友人が道を間違えて約束の時間に遅れて、予定していた電車に遅れた場合。

途中で立ち寄ったトイレで友人にいたずらで外から閂を掛けられ、なんとか脱出して電車に間に合った場合。

匿名さんはどちらの友人に怒りを覚えますか?
これは、こういったレベルの問題なのです。結果に対する影響度だけで人の感情は測れません。
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参照先
N作戦2における杉下の魂胆
安藤が真相を誰からも教えてもらえない理由

2015年7月20日月曜日

『杉下のN=安藤』を採用しない理由


ここまで論考をお読みいただいている方には自明かも知れません。
私は杉下のNは計画段階までは西崎、事件以後は成瀬という説を取っています。安藤は入っていません。

しかし杉下のN=安藤というのは有力説として流布しています。ここから数回に渡って、私が杉下のN=安藤説を採用しない理由を説明します。

なお、私の関心はミステリーとしての謎解きに有るのであり、各キャラクターに対する感情面での思い入れは有りません。これはこの論考で首尾一貫しています。
私が杉下のN=安藤を採用しないのは、杉下に安藤への感情を前提せずとも、主要な論点について、説明できるからです。

先づ初めに、杉下のN=安藤説の論拠だろうと私が認識している主要な論点を列挙します。後日、各項について述べる予定です。

1.杉下の野口に対する僻地行き阻止行動
2.杉下の安藤の外鍵隠蔽行動
3.安藤の指輪への杉下の涙
4.安藤が事件の真相を教えられない理由
5.製作者が込めたと推測されている杉下と安藤の名前について

参照
杉下のN 再度の整理

杉下の立ち位置のくせ その2


杉下の立ち位置に関する考察、その2です。

前回は安藤を除いたキャラクターを対象に杉下の立ち位置に関する演出ルールを推理してみました。

そのルールは四つありました。

今日の安藤編では、それぞれのシーンが、どこに該当するか、ではなく、四つのルールから外れたシーンに言及したいと思います。

それは、ゴンドラで二人で昇る朝日に向かい、水平線を眺めたシーンです。

この時、杉下は風にあおられて、安藤の左腕を掴みました。
左腕です。つまり杉下は安藤の左に立っていた。
先のルールで行くと、左に陣取るケースは二つ。テーブルの角に座る場合(ルール3)とわだかまりがある場合(ルール2)です。
ルール3はテーブルへの着座時という条件が付きますので、対象外。そうするとルール2、となりそうですが、はて?この時杉下は安藤に対するわだかまり、と呼べるものがあったでしょうか?
私には見つけられません。
もし、安藤に対して心を開いているなら、杉下は安藤の右にいたはず。でもそうではない、という事は?

これはある種の製作側からのサジェスチョンだったのでは無いでしょうか?つまり、他のシーンでは安藤がドラマ内で背負った役回りとして、さも杉下に安藤への気がある、という刷り込み、カモフラージュをしたけど、本当のことを言えば、杉下は安藤に気は無いんだよ、というものです。

ただ、これについては、先に言った通りどうとでも演出して如何様にも見せることができる領域の問題なので、謎解きの根拠にする意思はないです。

あくまでティーブレイク用の話題としての提供です

参照
杉下の立ち位置のくせ

2015年7月18日土曜日

杉下のN 再度の整理


自分の備忘録であれば、このまま放置でもいいかな?と思ったのですが、ここを読んでいただいている方がいらっしゃる事が判った以上、改めてスカイローズガーデンにおける杉下のNについて、ちゃんと整理してまとめておくべきだろう、と考えました。

ただ、単に現在の到達点だけを記したのでは面白みに掛けるので、認識の経過も合わせて書こうと思います。

第一段階
杉下のN=成瀬
これはオフィシャルサイトが2月末で閉まった段階での結論です。
この当時の私の主たる関心は杉下の魂の解放プロセスでした。それを読み解くのに、どうしても解消しなければならなかった障害が、ラストシーンとスカイローズガーデンでは杉下は安藤を護った、という一般的な認識との矛盾でした。
ラストシーンは与件ですから、どうしてもスカイローズガーデン側を崩さないといけない。そうやってもがいていたら、安藤の外鍵の隠蔽が4人による暗黙の取引である、というトリック破りでクリアできた。そこでこの段階では杉下のN=成瀬と結論付けました。

第二段階
杉下のN=西崎
第一段階の後、残りの問題をつらつら考えていたら、どうしても解けない問題にぶち当たったんです。成瀬が10年間杉下と接触を断ち続けた問題です。
『偶然』の偽証を通すために一定期間成瀬が杉下との接触を断つ必要性は認識出来たのですが、それが10年間継続する必然性が見出せなかった。
そうするとこれは西崎絡みだと考えた時、杉下が偽証した理由が必ずしも成瀬のさざなみ蒸し返し阻止とは言い切れない。一番大事な人が傷つかない方法=西崎の奈央子への気持ちを護る、という行動を杉下がとる可能性を排除出来ない。
杉下のN=西崎として考えると、成瀬が接触を絶った十年にも必然性が設定出来そうであり、かつ杉下の『究極の愛』の〝相手にも知られず身を引く〟がまさにミステリー的にマッチする、という事に気付いたんです。それが3月16日でした。
このアイデアに気付いて、直ぐ立ち上げたのがこのブログです。このブログは、杉下のN=西崎を証明する目的で立ち上げたんです。
このアイデアは非常に強力でした。杉下のN=成瀬では、見えていなかった領域にまで視線が及び、物語の視界がそれまでの何倍にも拡がりました。杉下の『究極の愛』の本当の姿や、杉下の作戦に込めた魂胆など、ほとんどの問題はこれで方がついた、障害はなさそうだ、というところまで行きましたが、最後の最後で越えられない壁があったんです。それは、『杉下が西崎の偽証の要求を受け入れ無かった』という、初めから分かっていた事。
西崎であっても成瀬であっても、偽証内容に差はない。ですが西崎の要求にはノーであるのに成瀬の指示にはイエス。これは成瀬のためであれば偽証を受け入れる事が出来る、という事なんです。こうして杉下のN=西崎もすんでのところで頓挫しました。

第三段階 現在の認識
これは第一段階と第二段階の途中で得られた認識のハイブリッドとなります。ですが恐らく最終段階だと思います。これまでの謎解きの全ての障害を乗り越える事ができる唯一の論理です。

作戦計画段階から事件発生まで N=西崎
西崎の奈央子救出(=人妻略奪という罪)に協力(=罪の共有)し、且つ自身の西崎に対する感情は、西崎が〝杉下の究極の愛の相手〟と思っている成瀬と自分の共同作業でカモフラージュ(相手にも知られず)した上で、作戦終了後には本気で成瀬と関係を再開させる(=西崎から黙って身を引く)

事件発生後 N=成瀬
成瀬のさざなみ放火事件の蒸し返しを阻止し、成瀬を護る意図で偽証。

事件の前後で、杉下のNは西崎から成瀬に変わっています。これは人によってはご都合主義的に思われるかもしれませんが、安藤の外鍵の隠蔽と同じく、何から何をまもるのか?のうちの何から、という部分が事件の前後で変わってきますから、その護るべき対象も変化する事は不思議では有りません。


参照
困った
結局杉下は誰のために偽証したのか?
N作戦2への杉下の魂胆
杉下の『N』
安藤の外鍵を掛けた行為の隠蔽工作 4人の行動原理・利益
なぜ多くの人が杉下が守ろうとしたは安藤と取り違えたのか

ゴンドラで瞬間記憶の描写がない事について


とある場所で、安藤に連れられて初めて乗ったゴンドラのシーンで、杉下に瞬間記憶の描写が無かった事の指摘が有りました。

私は気が付かなかったのですが、面白いネタなのでつまみ食いしてみます。

その方の論では、瞬間記憶は無意識で記憶して置かずにはいられない状況で瞬間記憶がなされる、というもの。で、問題のシーンは、杉下がそれを見る事を望んでいた景色であり、その景色は杉下が意識して記憶に止めようとしたであろう。だから瞬間記憶の描写は無かった、というものでした。

私は、瞬間記憶はキルケゴールの時間論の表現だったと取っています。キルケゴールによれば、瞬間とは『永遠が有限な時間に介入し何かを生成するその時』 です。
ドラマの中では、その後に何か新しい展開が始まる、もしくはそのきっかけの際に瞬間記憶が描写されていました。

そういった観点で改めてゴンドラのシーンを、ドラマ全体の中で位置付けて見るとどう見えるか?

あのシーンは野望ノートに記載された野望と関連します。
野望ノートに記載された杉下の野望は

バルコニーで演説する
豪華客船でアラブの富豪に出会う
真っ直ぐな水平線が見たい

この三つでした。

演説は成瀬が連れ出した早朝デートの際に実現しました。
富豪はダイビングのボートで野口夫妻と親しくなる事で実現。
で、最後に残った水平線がゴンドラで実現した。

つまり杉下が島時代に抱いた野望はこのゴンドラで全て達成されたのです。

で、ここで問題にしたいのは杉下の野望の性格です。
公式サイトでしのぶ様が1月14日に指摘していますが、『杉下の野望は実は空っぽ』なのです。

いみじくも杉下自身が成瀬に語っている通り、『つまらん現実に押し潰される』事に抗うための方便でしかなかった。

だから全ての野望がゴンドラの時実現したものの、その次が存在しない、新たな何かが生まれる事がない。ある意味終局。だから瞬間記憶が描写されなかったのです。

島時代のトラウマから解放されたものの、空っぽの野望の先が展望されない、だから瞬間記憶が描写されなかったのです。

で、ここにいたり、一つ発見があります。
このシーンで何も展望がない、故に瞬間記憶が描写されなかった、という事は、実はこの時すでに杉下は安藤との間に先の未来を見ていない、という事です。

よくこのシーンは安藤への気持ちを表すもの、というコメントを見ましたが、実は安藤とはその先を杉下は見ていなかったんですね。

参照
キルケゴールの思想に対する証左
ゴンドラで杉下が解放されたもの

杉下の立ち位置のくせ


公式サイトであげていた話題で、ここでまだ書いてなかった事項がありましたので、書かせてもらいます。

こういったどうとでも演出可能な方法を頼りに謎解きのをしたくなかったので、あえて入れてなかったのですが、まあ軽い読み物、ネタとしてはいいかな?と思い、書く事にしました。

杉下のポジショニングに関して、ある一定のルールに基づいて演出されていた事に気付かれた方、いらっしゃいます?

今日はそんな杉下の癖について

ルール1
恋愛感情を持っている異性の右に立つ。
高松デートの帰りのフェリー内で頭を預けたシーン(成瀬)
野望ノートを書き付けるシーン(成瀬)
バルコニーでの演説シーン(成瀬)
さざなみでの手繋ぎ(成瀬)
結婚式二次会(成瀬)
結婚式二次会後の四阿で手すりに腰をかけてのシーン(成瀬)
N作戦2におじける西崎を鼓舞するシーン(西崎)
シャルティエヒロタで作戦変更を成瀬に伝えるシーン(成瀬)
スカイローズガーデンで成瀬が入室した以後(成瀬)
NOTREでの手繋ぎ(成瀬)

ルール2
恋愛感情があっても、わだかまりがあれば相手の左に立つ
野ばら荘から駅まで成瀬を送るシーン(成瀬)ー西崎の作戦参加要請が申し訳ない
成瀬のプロポーズを固辞するシーン(成瀬)ープロポーズを固辞して申し訳ない

ルール3
テーブル角では相手の左、もしくは正面
四阿で成瀬から将棋を教わるシーン(成瀬)
大家宅で雑煮を振る舞うシーン(大家)
自室に誰かが訪ねてきた場合(不特定)

ルール4
恋愛感情が無くても、心を開いている相手の右に立つ
洋介と父の愛人から分けてもらった食事を摂るシーン(洋介)
洋介が母親に食べ物の出所をバラしたシーン(洋介)
大家から『辛い事は忘れる事』と諭された時(大家)

ここでは敢えて安藤については書きませんでした。
安藤に対しては、上記のルールを、視聴者へ刷り込みをしたうえで、ミスリードを誘う為の演出がなされたと思っているからです。安藤については、別稿で触れる事にします。

2015年7月17日金曜日

謎解きの終焉:スカイローズガーデンの事件を招き寄せてしまったもの


私はスカイローズガーデンの事件を、さざなみとの対比で『必然とエゴと打算』と形容しました。

打算とは、偽証を通すために行われた四人による暗黙的な安藤の外鍵の隠蔽工作です。
エゴとは、事件の凄惨化を招いた安藤の外鍵を掛ける行為及び西崎、杉下、成瀬の事件処理における究極の選択です。
では、必然とは?

スカイローズガーデンの事件は、起こるべくしておきた事件だと思っています。それぞれの要因は相互に関連しつつも、もし、これが無ければ相互に独立し、事件には至らなかったはずです。そういった、すべての要因を結びつけ、必然へと至らしめたものが有りました。それは何でしょう?

それは『究極の愛』という名の、杉下の精神保護機構です。
これが全ての要因を結びつけた結節点となってしまった。

杉下の『究極の愛』とは杉下が成瀬に対して抱えたトラウマから杉下自身を守る為に作られた保護機構です。
しかしその保護機構はゴンドラで成瀬に対するトラウマが解消された後も生き残り、N作戦2を作戦として成立させてしまった。つまり西崎と成瀬を、杉下を媒介として引き寄せてしまったんです。

実は、このドラマで私が一番のミステリー、解かれるべき謎は『事件を呼び込んでしまったものは何だったのか』では?と思っています。

杉下のNも大事なミステリーですが、それがわかっただけでは、スカイローズガーデンがなぜ必然となったのかは分かりません。
ミステリーでは、結局これが事件の主たる要因なんだ!というのを提示しないといけない。
そう考えた時、このドラマでは、全ての伏線を結節させたものとしての、杉下の『究極の愛』という心理機構こそが最大のミステリーだったと思うのです。

もっとも、湊かなえの作品は種明かしがないので、〝提示しないといけない〟という表現も可笑しいのですが。

ここまで至り、私の謎解きもほぼ終了したようです。

参照
対称性・対称性 さざなみ放火事件とスカイローズガーデン殺人事件 その一
エゴと『あれか、これか』
杉下の『究極の愛』の本当の意味
N作戦2における杉下の魂胆

2015年7月16日木曜日

エゴと『あれか、これか』


私は幾つかの投稿で、スカイローズガーデンにおける事件処理を各登場人物各々の『エゴ』と表現しました。エゴイズムというとあまり良い語感ではありません。利己的、独善的と言ったニュアンスを帯びます。しかし、あえて私がここで『エゴ』と表現するのには理由があります。『エゴ』とはつまり自分にはこれが一番だという価値に基づく行動だと認識しているのです。そういう認識に立つならば、例えその行為が他利的行為であっても『エゴ』と表現していいと思っています。

一方、キルケゴールの実在主義においては、自己とは『自己に関係するところの関係』として規定されています。つまり自分に関係する事柄に対して自分がどのような関係を設定するかで自分が規定される、ということです。

ここで問題にしたいのは、自分に関係する事項に対して自分がどのような関係を設定するか、という部分です。それを規定するのも自分です。つまり自分を規定するのは自分自身の選択、という事です。

キルケゴールの著作に『あれか、これか』というものがあります。簡単に言えば人間は究極においては二者択一の選択を強いられる、というものです。究極の選択。どちらを取るかで、自己が規定される。それを決めるのも自分。当然この時自己が何を選択するかは、自己が一番利益と感じるものです。

この究極の選択の行為及びその結果とは、エゴと等価だというのが私の判断です。

スカイローズガーデンにおける西崎の行動を上記で分析してみます。西崎は奈央子を殺人犯にしたくない。そのために自らが殺人犯になる決意をする。これは他利的行為です。しかし究極の選択においては西崎が無実である事と、奈央子が殺人者とされる事を比較した時、西崎には奈央子が殺人者とされる事の方が耐えられない。ならば奈央子が殺人者とならない方法=自分が殺人者となる。
これはやはり『エゴ』と等価なのです。

スカイローズガーデンの処理においては、各登場人物が各々に究極の選択をした。西崎は自分が殺人者となった。杉下は成瀬のために西崎を切り捨てた。成瀬は杉下のために西崎を切り捨てた。それぞれがそれぞれにとって一番利益となるものを選択し、他を取らなかった。

私がスカイローズガーデンの事件処理がをそれぞれの『エゴ』による、と表現したのは、上記の論理からです。

あえてこのような説明をここで行ったのは、『エゴ』という表現が必ずしも上記のように伝わらず、違った意味で捉えられると主張が正確に伝わらないのでは?と危惧したからです。

用語の解説として、サラッとお読み頂ければ。

2015年7月13日月曜日

杉下が安藤へエールを送る事が出来た心理変化


杉下は島へ帰る前に電話で安藤と会話します。

杉下 『思った通りに生きてる?』
安藤 『生きてる!完璧じゃ無いけど、悪く無い』
杉下 『よかった(涙)』

杉下は事件後、安藤に対して嫌悪と不信を抱いていました。
高野の動きを知るため、安藤と会っていた間も、その心理に変化は有りません。それは西崎との会話で明らかです。

その杉下が島へ帰る前、上記の会話を安藤と交わした。

すでにさざなみの件は決着し、高野の動向を安藤から得る必要は無い。それではなぜ必要の無い安藤との会話を持ったのか?

そこには杉下の心理変化があったと見るべきだと思います。
そのキーは母親との和解です。杉下は高松へ出かけ、危うい場面も有りましたがなんとか和解する事ができた。母親を許す事ができた。母親は杉下の強烈なトラウマを形成した重要な人物ですが、これを許す事ができた。
だから安藤も母親同様に許す事ができた。安藤を嫌悪の対象としてではなく、かつての親しい友人として再度受け取り直す事が出来た。だからこそ、自分にはもう追う事に意味を持ち得無い価値観に対するある種の郷愁を感じつつ、依然その中にある友人へエールを送る。そんな風にこのシーンは見えます。

参照
安藤が真相を誰からも教えてもらえない理由
杉下の『安藤には元気なとこだけ…』はどんな心理か
なぜ杉下は安藤と会ったのか

2015年7月12日日曜日

杉下の『安藤には元気なとこだけ…』はどんな心理か


杉下と西崎が会った際、杉下は安藤について「元気なとこだけ覚えていてほしい」と言っています。
一部では、西崎が『崩れ落ちそうな吊り橋』の質問で安藤には杉下の病気を伝えない事にした理由とされ、また一部では安藤に気持ちのある杉下の『安藤の邪魔になりたくない』という心理の表明とされていました。

私は、安藤は杉下と西崎に安藤は嫌われた、という立場を取っています。
この立場でこの杉下の言葉を理解すると、杉下にとって安藤との関係は事件の際に終了しており、それ以降杉下は安藤との関係について新たな何かを重ねる意志がない、という風に取れます。
安藤が自分の病気の事を知ったら、何かをしようとする、それに関わる気はない。だから病気の事を知られたくないし、安藤が知った際には『西崎さんがなだめて』自分とは接触させないで欲しい、という展開になるのかな、と。

ここの解釈は立場によりどのようにも取り得るよう、演出されていると思います。ただ、安藤が誰からも真相を教えてもらえない理由を全ての表現と矛盾なく説明するには、安藤が嫌われた、という立場を取るしかなく、その立場に立つと、このシーンはこのような取り方になる、ということです。

参照
安藤が真相を誰からも教えてもらえない理由

2015年7月10日金曜日

なぜ杉下は安藤と会ったのか


杉下は事件の凄惨化に繋がった安藤の外鍵をかけた行為に、不信と嫌悪を覚えました。
それでもなぜ安藤に会ったのか?

安藤からのメールに、すぐさま削除しようとしました。杉下が安藤を受け入れていないからです。しかしその操作の前に間髪入れずに高野が安藤に会いに来たというメールが届きます。
高野は未解決のさざなみの放火事件を駐在として担当し、成瀬と杉下に疑惑を感じていました。その高野がスカイローズガーデンの安藤に接触した…

杉下は高野が何を追っているのか、その情報を安藤から引き出したくて安藤に会ったんです。その後も含めて都合三回、杉下は安藤に会っていますが、全ては高野が追っているものを安藤経由で情報を得る目的で安藤と会った、と見た方がすんなりと理解出来ます。

ですので、安藤の指輪に涙するシーン、これは私は元から安藤のプロポーズで事件の真相が一つ明らかとなり、罪の意識に苛まれての涙だったわけですが、公式サイト2月28日のsora様の投稿の『杉下は安藤の指輪をはめない』指摘も、この解釈であれば、すんなりと通るんですね。

参照
安藤が真相を誰からも教えてもらえない理由
安藤の指輪に対する杉下の涙の本当の訳

2015年7月9日木曜日

安藤が真相を誰からも教えてもらえない理由


安藤が真相を誰からも教えてもらえない理由、それがようやく判りました。難しく考えすぎました。
そう、もっと単純なんです。そして答えはすでに作中でも描写されていましたし、自分自身でも投稿していました。

安藤は、嫌われたんです。杉下と西崎から。信頼を失ったんです。だから何も真相を教えてもらえないんです。

安藤が出所した西崎を訪ねたシーン。西崎の『君とは関わる気は無い』と言われています。
スナップのスタックとして描写された事件後に安藤が杉下を訪ねたシーン。杉下は安藤に会うのを拒絶しています。

このシーン、もっと素直に取ればいい。つまり説明不要の、二人の安藤に対する本心の表明なんです。

スカイローズガーデンにおいて、杉下及び西崎は成瀬も含めて計画段階から事件の処理全般で、『自分以外の誰かの利益』を実現するために行動した事を相互に理解している。
西崎にとっては奈央子、成瀬にとっては杉下、杉下にとっては計画段階では西崎であり、事件直前は安藤、事件後は成瀬です。

そういった事件全体を俯瞰した際、安藤の外鍵を掛ける行為だけは、どのように見ても『自分の利益=杉下の自分への気持ちを試す』を意図をした行動で、西崎と杉下には許容でき無い行動だった。だから西崎と杉下は安藤に対して不信と嫌悪を抱いた。それ故、安藤には何も真相を語らないのです。

これに気がついた時、なんと人間の思い込み、もしくは外部からの意図的な刷り込み効果というのが強力か、実感しました。
私は基本的にすべての描写に懐疑を持って謎解きをしているんですが、そんな私でも、この単純な、人としていたって当たり前の感情を把握しかねていたのですから。
オフィシャルサイトで、理由を教えてもらえないのは安藤が皆んなに大事にされていたから、という論が出てくるのも、如何に刷り込みの効果が効いているかの証左でしょう。

こう考えると、なぜ杉下と安藤の事件後の接触が粗であったのかがすんなりと理解出来ます。

参照
安藤が真相を誰からも教えてもらえない理由をまだ見つけられない その二
杉下はなぜ事件後、安藤の訪問を拒絶したのか?
安藤と成瀬があったシーンの評価
なぜ多くの人が杉下が守ろうとしたは安藤と取り違えたのか

2015年7月7日火曜日

西崎のN=杉下だと、凄くドラマの設定として美しいのだが…



西崎のN=奈央子です。
ですが、もし西崎のN=杉下であるなら、凄くドラマの設定して美しい、と夢想してしまいます。

もし西崎のNが杉下なら、成瀬、西崎、安藤のNが全て杉下という事になり、なおかつ西崎が安藤は杉下を庇う意図から、自らの外鍵を掛ける行為ほか作戦の存在を自ら捜査機関には喋らない事を認識し得た場合、ドラマ冒頭で西崎が弁護愛に語ったとされる『全てはNのために。俺たちがやった事はそういう事だ』という文言が、一般的なドラマの作りとしては非常に美しいように見えるんですね。
全ての男性キャラが、たった一人のヒロインを皆んなして護る、というメローな構造です。
そうであれば、西崎のいう、〝俺たち〟の中には安藤も入ってきて、なんか丸く収まる的な。

ですが、今のところ西崎のN=奈央子をひっくり返す証拠、もしくは論理的整合性を持って成り立ちうる可能性がないんですよね。杉下の西崎に関する感情は何がしかの証拠と気づき、推論で論が成立するんですが。

本当に西崎のNが杉下なら、面白いな、と期待する面もありつつ、それだとドラマで一貫して貫かれていた、テーマがぶっ飛んでしまいそうで、やっぱりそれは無いんだろうな。

でも、公式サイトでも有った、〝西崎は全てのNを護るため自らの犯人になった〟的な論は、基本的にはタイトルによる原因と意図と効果・結果のすり替え誘導によるものと理解していますが、この『全てはNのために…』のくだりへの、ある種の期待から来ているのかもしれません。

参照
『すべてはNのために 俺たちがやった事は…』のNって誰?
『すべてはNのために 俺たちがやった事は…』の俺たちって誰?
安藤のNは杉下と言っていいのか? その二
ミステリーとしての仕掛け その一 タイトル

2015年7月5日日曜日

成瀬は杉下が計画をバラしたのを誤解が原因だと気付いていた


 成瀬はスカイローズガーデンでの事件のほぼ全容が理解出来ていました。野口が書斎から出て、西崎と揉めたのも杉下が野口から安藤の事で、追い込まれて計画をバラしたのも理解していた。

しかし、当初の検証ではそれが杉下の〝勘違い〟によるものである事までは成瀬は認識出来ていないだろう、と思っていたのですが、追加の検討をした結果、成瀬は事件当時すでにそれが杉下の勘違いに起因している事に気が付いていた事が判りました。
この事に杉下が気が付いたのは十年後です。しかし成瀬は事件当時すでに気が付いていたんです。

成瀬がオーナーシェフにデザートの変更意図を確認しているシーンが有ります。
この時、オーナーシェフが安藤が杉下へ場合によってはプロポーズするらしい、と成瀬に説明しています。そのためのメニュー内容変更が野口からの連絡である事もオーナーシェフが説明している。
つまり、野口は安藤と杉下を祝う意図があったという事であり、それはまた成瀬も認識している訳です。
そうすると、野口は安藤について杉下を追い込むような立場では無く、杉下が安藤の件で追い込まれて計画をバラしたのが、実は杉下が何かの勘違いをしてしまったが故、と認識に出きるんですね。

う〜ん、このドラマの謎は深い。まさか成瀬はここまで認識出来たとは。成瀬は、この事件の全体像を、誰よりもよく理解しているんですね。唯一、杉下が偽証をする意図が、成瀬自身を守る為である、という事以外は。

参照
事件に対する成瀬の認識の到達度の検証
安藤の指輪に対する杉下の涙の本当の訳