ドレッサーは冷蔵庫と同じく『ドレッサーのトラウマ』という表現で一般的にはトラウマと理解されています。ですがこれも冷蔵庫と同じくで実はトラウマではないと思うんです。ドレッサーそのものが彼女に心的外傷を負わすものでは無いですよね。
ただ、冷蔵庫はあくまで彼女のストレス発散行為(大量の料理を作ってしまう、ヤケ食いならぬヤケ作り?)の結果ですが、ドレッサーは何がしか彼女の記憶を呼び出すシンボルだとは思います。
ではそれは何かというと?
一つの可能性としては島時代のドレッサーに関連した苦労という見方。具体的にはゆきのドレッサーを壊した上で父親に鏡の破片を向けた事。ドレッサーを壊した事を理由に食事を分けてもらう際にゆきに土下座を強要された事。母親の贅沢病の発作とそれに起因する経済的苦境及び母親の依存性による束縛。
でもこれは後に杉下自身が『父親も母親もあの女も…縛るものは誰もおらん』とさざなみの火を見て感じた訳で、彼女は自身の呪縛から解放された、ととっている。そうすると上記ではない事になる。
そうするとドレッサーとは何を呼び出すシンボルか?と考えると早苗に対する罪意識だと思うんです。象徴的なのが杉下が大学に受かった事を母親へ報告するシーン。ドレッサーの前でアルバムをめくる早苗に向かって『これからは一人でやって行くけん、お母さんも一人でやって』と告げる。つまり杉下は早苗を『捨てた』。これに対する罪悪感なんですね。
よく考えるとさざなみ炎上で以降、成瀬の1117Nチケットで野望の実現が成瀬との誓約になり、これまでの彼女の受け身での現実適応的行動が積極的手段に替わっている。母親への進学宣言であり、父親への公衆の面前での土下座がそれ。しかしその結果として彼女が抱えたのは母親への罪意識だったんです。
だから同窓会で島へ帰った時、遠目から明るく働く早苗を見て安堵しつつ、いざ彼女が目の前に現れる(早苗の野ばら荘訪問)と『会いたくないと訳やない』と言いつつ避けてしまう、という行動になったんです。
そして彼女は上記の発言の後に『島におるころに引き戻されそうで怖い』と言っている。
一見すると、苦労が呼び出されるから、と見えますがそれは上記で否定されていますから、苦労では無いんです。では彼女のいう島にいた時とはいつかというと、さざなみ炎上から島を出るまでの期間という事になる。
経済的的にも行き詰まり、心の支えであった成瀬とも距離をとらざるをえなくなり、挙句は母親さえ切り捨てざるを得なかった、絶対的な孤独な期間。彼女が本当に辛かったのはこの期間で、その時期を呼び出すシンボルでもあるんです。
参照
冷蔵庫のトラウマは存在しない
杉下が一番辛かった時期
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