この二派の主張は真っ向から対立しており、相容れないもののように見える。
また俳優などのインタビュー記事などでも“視聴者に解釈を委ねる”的な情報も流れており、さもその二派両方の解釈はそれはそれで成立するんだ、といった雰囲気が醸成されていた。
しかし、よく両派の論を見比べると、一致点も存在している。
それは『スカイローズガーデンでは杉下は自らの意思で安藤を護った』、つまり『杉下のN=安藤』と安藤派だけでなく、成瀬派もこの点について認めているんです。
これは奇妙な現象です。
杉下のNが明かされていないにも関わらず、その意見を異にする二つの系統双方が、『杉下のN=安藤』との一致を見ている。ドラマの謎とされている部分について見解が一致しているにも関わらず、その他の部分の解釈が真っ向から対立している。
なぜこのような事象が発生するのか?
それは、この『杉下のN=安藤』という、ドラマを見た殆どの方が一致している正にこの見解が間違っているからです。
『杉下のN=安藤』はトリックです。その詳細は次回以降詳述させてもらいます。
そして、この『杉下のN=安藤』説を脱却出来たとき、このドラマの本当の面白さが目の前に広がります。それはこのトリック破りの何倍もの面白さです。皆さんにぜひその世界を知って頂きたい。それがこの講座の本意です。
今は、ここから先の議論で必要な心構えだけ述べさせてもらいます。
一つ、キャラクターへの思い入れは捨てる。
一つ、全ての描写へ懐疑の眼を向ける
一つ、このドラマがミステリーである事を認める
一つ、ミステリーにおいては論理的可能性は必然である事を受入れる
続く…
0 件のコメント:
コメントを投稿