2015年8月6日木曜日

独白 その二

前項からの続き…

その後、程なくして私は高校で自分が周囲に馴染めない事に気付きました。人間関係が打算と力関係で形成される、という事が観えて、それがどうしようも無く嫌だった。授業も殆ど出なくなった。辞めるすんでのところまで行った。孤独でした。
でも、なんとか持ちこたえる事が出来たのは、自分がその方に抱いていた感情は純粋だったという確信を、『打算と力関係で形成される人間関係』に対するアンチテーゼに建てる事が出来たからです。
そうしてなんとかやり過ごし、進学して狭い田舎とつらい時代から脱出する事が出来た。
その方自身が何かをしてくれたわけでは無い。でもこの時その方は私の中でマリア様になってしまいました。そして歪んでしまったんです。
この経験を私は島時代、成瀬をよすがとしてなんとか島を出た杉下に重ねています。

大学一回生の冬、中学を卒業して四年弱の頃、その方に会いました。その方との関係を再開させたかった。ですがダメでした。四年前には戻れませんでした。既にその方には別の方がいたんです。私は自分の気持ちを伝える事さえ出来ませんでした。
私は苦悶しました。その方の前では泣くまい、と必死に耐えていました。ですが余程酷い顔をしていたんでしょう。その方にとっては怖い経験だったようです。それは最近になってから人を通じて知りました。その方は歪んでしまった私そのものに怖さを観たのかもしれません。
私はその方を見送ってから人目も憚らず泣き崩れました。
その一年半後、地元の成人式で再度その方と顔を合わせましたが、話しかける事さえ出来ませんでした。その前に会った時と同じでした。その方の前では必至に耐え、その後やはり同じように泣き崩れました。それがその方との最後でした。ちなみにキルケゴールの著作と出会ったのもこの時期です。
再開までの期間がほぼ杉下が成瀬と関係を再開させようとした期間と同じでした。
そしてもはやかつての様には戻れない、という現実を目の当たりにした安藤と同じものを感じました。
それは若しかしたら、歪んだ者と、歪んでいない者との断絶だったのかもしれません。

私は伴侶と子供がいます。その方も同じようです。どこにお住まいか知りません。ですが私は未だに奇蹟を信じる、信じたい気持ちを持ち続けています。未だにその方が自分をどう思っていてくれていたのかを知りたい。その方は自分にとっては輝いていた青春の象徴であり、また意気地の無いダメな自分の象徴でもあります。怒りの対象でもあれば、慈しみの対象でもある。未だに昇華でき無い。その方が突然目の前に現れたら、今でもまともで居られる自信も無い。時間では癒される事の無い永遠になってしまいました。
私は成瀬が杉下との永遠を信じていたのと同じものをその方に感じています。そんな奇跡は起き無いと頭では判っているのですが。

このドラマの各キャラクターの経験が、何がしか自分と重なるものを感じた事が、このドラマにハマった理由です。そしてそれは自らが歪んでいる、と自覚しているが故です。

おそらくドラマの謎解きにはまったのは、その方が自分をどう思っていたのかを知りたい、という欲求の代理行為だったのではないかと感じています。

このドラマにはまったのは、おそらく三十代から四十代の方でしょう。そして自分の若かりし日の経験をなにがしかドラマの出来事に重ねている。そして心のどこかで奇蹟を信じたい、そんな願望を持っている人達なのではないでしょうか?

だから、このドラマにハマった人は程度の差はあれ、やはりなにがしか歪んだ人なのだろうと思います。

暴論です。スルーして下さい。

8 件のコメント:

OA さんのコメント...

誰かを深く長く愛したことで生じた歪みであるならば、それを持たない・理解できない人よりも、それを知っている人間のほうが、はるかに魅力的ではないでしょうか。

私は、歪み自体は大した問題ではないと思います。問題なのは、歪みのある場所・発生した場所に留まり、自分を損ない、それを全うしようとする意志と作業だと思っています。

moto様の「私は伴侶と子供がいます。~」からの数行の下りは、事件の真相と杉下の心を知りたいと願う安藤の心の叫びのようにも聞こえました。
安藤は、成瀬との対面シーンでの成瀬の言葉に救われましたよね。

最後は皆、事件から解放されました。歪みが生じた場所に何年も心を囚われ、苦しんだ後に、やっと明るい場所へ旅立って行けた。

moto様にもきっとそんな日が来ます。私がそうだったように。

これからもブログを楽しみにしています!

motoさん さんのコメント...

OAさん
優しい言葉を頂き有難う御座います。
私は実はこんな闇を抱えた人間です。時折、巨大な闇に飲み込まれる感覚を持ちます。表面上は平静を装っていますが、そんな時は全くダメです。
私も若い時には時間がいずれ解決してくれる、と期待していたんです。ですがダメでした。中学を出て30年経ちましたが、歳を経るごとに、それは自分の中に確実に存在し続けており、且つその存在の巨大さを思い知らされる。
OAさんの言われるそんな日が来るんですかね?

OA さんのコメント...

来ます、必ず。闇から出る日が。
moto様がそう望む限り、必ず来ます。
巨大な闇も抜け出てしまえば、キラキラした宝物になるのではないでしょうか。
その日を楽しみに待っててください。

motoさん さんのコメント...

OAさん
心強いお言葉、有難う。
苦しいのは事実なんですが、実は自分が本当にこの苦しさから逃れたいと願っているのかどうかに自信がないんですよ。
私の歪み具合がわかるでしょう(笑)

アフロ1 さんのコメント...

ソロ~ッと、おじゃまします…。

その人(=彼女)のとったひとつひとつの行動の真意(理由)を知りたくて、そこに永遠や奇跡を信じたい気持ちがあるのですよね。
その人が自分(=motoさん)の中でマリア様になったため、頭の中でその人の行動を肯定的に解釈し信じようとする。でもやはり真意は分からないから、とてつもなく苦しむ。
でも、自分が本当にこの苦しさから逃れたいと願ってないのかも知れないとおっしゃってたのは、
今でもその人をマリア様のままの位置づけにしておきたいからであり、きっと自分の悩みもがいた年月も否定したくないから・・
ですよね。

…本当にごめんなさい。私なりに解釈したmotoさんです。あまり、突っ込んで欲しくないだろう独白にコメントしましたm(__)m

OAさんのおっしゃる様、
誰かを深く長く愛したことで生じた歪み(永遠や奇跡を信じる歪み)なら、 それを知っている人のほうが、はるかに魅力的だと私も思います。
歪みを持つ人は『相変わらず回りくどい系』の人間なのかも知れませんね(安藤以外のNも回りくどい系…)
そして結局、その歪みによって精神の均衡がとれ救われているのかも知れませんね。
闇を抜け出す必要はない。それも、ありなのかなと思いました。

OA さんのコメント...

その気持ち、わかります。
闇にいる人間はそこから出ていくことをなかなか望んだりしないものですよね。
そこに留まるか留まらないかは、自分の選択次第。
moto様が出たいと思ったときにそうするのが一番ですよ。

motoさん さんのコメント...

アフロ1さん おはようございます。

アフロ1さんの推察通りです。完璧です。
歪んだ者の心理が完璧に理解出来るアフロ1さんもやっぱり…(笑)

ちなみに私は伴侶から、説明が回りくどくて解らない、と言われております

motoさん さんのコメント...

OAさん、暖かい言葉ありがとうございます。
じっくり自分の心を見守ってみます。

こんなひねくれ者に付き合っていただき、ありがとう。

投稿時間が僅差で、OAさんのコメントに気付きませんでした。
遅れてごめんなさい。