西崎が弁護士に語ったとされる『すべてはNのために 俺たちがやった事は…』についての続編です。
昨夜見た通り、俺たち=西崎、杉下、成瀬です。
では、Nは何でしょう?西崎は奈央子と答えています。彼にとってこれは真です。
で、ここで問題にしたいのは、杉下、成瀬も含めて奈央子、といっていいのか?という事です。なぜこんな事を問題にしているか、というと西崎が事件の真相をどう理解しているか、という事の一端を示すからです。
杉下、成瀬も含めてN=奈央子というとのは、1つの考え方。実際、西崎は杉下に『罪の共有』を要求しています。基本的にその方向性で事件が三人の間で処理された訳ですから。
でも、そうであるなら西崎はNの部分をわざわざイニシャルで表現する必要は無い筈なんですね。
『すべては奈央子のために…』という表現でいい筈なんです。
そうすると、西崎はこの時の認識として杉下及び成瀬にそれぞれ奈央子でない、別のNがいた可能性を認識していると言えます。
では西崎は夫々のNは誰と認識していたのでしょう。
まず成瀬についてですが、これはN=杉下と認識していた。そもそも成瀬は西崎とも増して野口とも関係性がありません。唯一杉下を経由して繋がっていた訳ですから。そして実際成瀬は杉下に殺害への嫌疑が掛からない方向性での処理をする、そのための補強案さえ提示している訳ですから。
次は杉下です。
奈央子か?
西崎は基本的に杉下は奈央子が好きで無いという事を知っています。ですから奈央子ではない。
自分か?
杉下に対して罪の共有を求めた際に自ら『愛は無いかもしれないが…』と杉下に言っていますから、自分である、とも思っていません。
安藤か?
これは三人の間で、暗黙として安藤の外鍵の隠蔽が偽証の必須条件である事が認識されていましたから、安藤はあくまで手段と見ていました。
最後に成瀬です。
西崎は自らが『罪の共有』を杉下に求められた時、杉下が拒否されています。しかし成瀬の提案、指示は杉下は受け入れた。西崎であっても成瀬であってもやる事は変わりません。計画性の否定と偶然の主張です。この行為を杉下には、自分に対しては受け入れ出来なくとも、成瀬に対してなら受け入れ出来る様を見ています。
また西崎は成瀬が杉下の罪の共有相手である事も知っています。内容は知らずとも、杉下が成瀬との関係性を捜査機関に対して隠蔽する必要性がある、だからこそ偽証を受け入れた、という事も理解出来ています。
ですから、杉下にとってのNは成瀬だ、と西崎も取っていた、と理解していいと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿