西崎が成瀬に電話した際の説明として、「杉下本人は誰の助けも求めていない」と言っています。
西崎の金銭的な協力も、その他の協力も断っています。安藤のプロポーズを断った下りから、安藤の助けも拒絶するのは明白です。成瀬がプロポーズした際の「親にも世話になりたくない?」の描写から、親に世話になる事も拒絶する意思が明白です。
つまり、誰からの助けも拒絶する心理状態です。それは成瀬に対しても同様で、成瀬のプロポーズに「もし一緒になっとったら〜」とやんわりとした拒絶の意思を示しています。
この助けに対する拒絶の心理は、杉下が成瀬に対してもバルコニーで宣言した「誰にも頼らん」とは起源が違います。それは西崎との会話で杉下自身が否定しています。
一方で西崎が安藤に『崩れ落ちそうな橋』の問いをした際、ホスピスの申し込み用紙に緊急連絡先を記載することが出来ない杉下が描写されています。すごい孤独です。
この時杉下は間違いなく絶望していました。
杉下にとってのスカイローズガーデン殺人事件は、自分が生み出した〝究極の愛〟が結節点となって発生した事件です。更には野口を挑発した事で直接的なトリガーを引いてしまった。
この事件で野口夫妻は心中し、真の犯人である奈央子を庇うために西崎が服役し、本来野口家とは全く関係のない、自分に想いを寄せてくれている成瀬まで共謀に巻き込んだ挙句、その成瀬さえ失うことになってしまった。自分が存在しなければ、という自己否定的感情と関係した人々への罪の意識は相当であったはずです。
そこに更自身の病気と余命宣告。これは杉下は罪深い自分への罰と受け取った筈です。
それが自分は救われてはならないという絶望の感情となっていた訳です。
そのように十年を過ごしてきた上に、安藤のプロポーズにより野口を挑発した行為が、そもそもしないで済んだ事だ、という事が解って、杉下の絶望度は一層増すこととなってしまった。
※「安藤の指輪に対する杉下の涙の本当の訳」参照
絶対的な絶望、孤独の中でも、助けを拒絶する心理。
これが私がドラマがキルケゴールの実在主義哲学をモチーフにしている、とした根拠の一つです。
キルケゴールは、絶望が最高度に高まった心理状態の一つの様相として、(神による)救済を拒絶する状態を〝悪魔的絶望〟と呼んでいます。この〝悪魔的絶望〟に杉下はあったのです。
※投稿『キルケゴールの思想に対する証左』参照
11 件のコメント:
この辺りの分析が、杉下にとっての10年の意味、若しくはこの10年をどの様に過ごしてきたのか?を紐解く鍵だと思います。
杉下は社会人になって早々にパートナーに誘われる形で事業(M & N)を起こし、10年で相応の成功を収めました。都心に居を構え、メディアにも注目される存在です。
これは彼女の上昇志向のなせる業だったのでしょうか?
ですが本編にも書いた通り、彼女はスカイローズガーデンにおいて深い罪意識を抱えている事は明らかです。10年ぶりに再会し、終わった事という安藤に対して拒絶反応を示しています。彼女にはスカイローズガーデンは今もそこにある彼女の罪として存在しているのです。
では彼女はこの10年をどう生きてきたのでしょうか?それはドラマの中では描かれていません。唯一あるのは事業のパートナーが、杉下が辞めると告げたときに、”二人で頑張ってここまで大きくしてきた”という翻意を促した言葉だけです。
では、杉下の10年がどこにも描かれていないのか?というと、実はヒントがあるんです。それは主題歌「SilLy」の歌詞です。これこそ杉下がどうやって10年を過ごしてきたのか、を示しているんです。
Siilyの様子が杉下の10年だと仮定したら、恐らく杉下は自身の身を磨り潰すように生きてきたのだと思います。パートナーが知らないような、いわば”枕営業”的な行為も想像されます。それは野心というよりは、自暴自棄、やけくそといった意味合いが多分に感じられるのです。
そこに彼女の野心といったものは感じられず、パートナーと独立したことさえ、恐らく彼女としては失敗する事を前提とした選択だったのだろう、と思われます。
このような形で彼女の10年を見ないと、西崎との会話、彼女が孤独を自覚しながら援助を拒む理由などを説明出来がたいと思います。
杉下の、成瀬に会う前の心理については、やはり主題歌の『Silly』の内容に触れる必要があると思います。
ここで『Slly』の歌詞を掲載します。
難しいことが多すぎる愛
今日も変わらず降り続いている 雨が
吐息の隙間で名前を呼ばれ
逢えない日の孤独 掻き消されるんだ
Rainy day oh Rainy day
軋む波動にのまれて
Oh it's so silly
何かを求め 確かめたくて 今日を生きてる(another life, another life)
Oh it's so silly
騙せるのなら 現実なんて 必要じゃない
逃れられない哀しみに Oh it's so silly
強がり隠した涙の痕に
気付かないそぶり 肌を重ねる 夜は
浅い眠りを繰り返しながらも
隣の存在(おもみ)を確かめているんだ
Rainy day oh Rainy day
大人になりきれなくて
Oh it's so silly
救いを求め 満たされたくて 今日を生きてる(another life, another life)
Oh it's so silly
許されるなら この愛だけを抱きしめたい
逃れられない痛みでも Oh it's so silly
意味のない 何もない明日は
見てない 解らない振りで
逃げ出してる So Silly
震える 罪のないそれを 失えばいい
歪む 気持ちは あなたが欲しい
Oh it's so silly
何かを求め 確かめたくて 今日を生きてる(another life, another life)
Oh it's so silly
騙せるのなら 現実なんて 必要じゃない
逃れられない哀しみに
傷もいまでは愛しくて
Oh it's so silly
この歌詞は杉下がスカイローズガーデンの後、どの様に生きてきたのかを謳っています。
具体的には、成瀬を恋焦がれる思いと事件への強い自責の念に駆られ、心は晴れず、未来に対する希望もなく現実逃避に走り、SEXの間だけそれらを紛らわす事は出来るけれども、行為が終われば、そのようなSEXに流れる自分に自己嫌悪に陥る。杉下の10年とは、このような10年だったのです。
検証して行きましょう。
まず、この歌詞は女性の一人称で語られています。状況としては或る夜における男女のSEXの場面です。男女のSEXの場面であるのは、『肌を重ねる夜』から判ります。また女性の一人称である点ですが、これは『軋む波動にのまれて』から判断出来ます。『軋む波動』とは具体的には男性によるピストン運動による女性が感じる快感です。軋むとは男性の動きによりベッドが連続的に鳴る状況であり、その鳴るタイミングに合わせ女性側の快感が高まる事を表現しています。男性の場合、その快感は爆発的なものであり、『波動』と表現されるモノではありません。ですので、この歌詞は女性の視線の歌詞と言えます。
この女性が誰か?が次の問題です。ドラマの主要な女性は三人、夏江、奈央子、杉下が候補となりますが、これは杉下と言えます。この女性は『あなたが欲しい』と思う相手と『逢えない』状況にある事から、夏江と奈央子が除外されます。二人は愛する相手と逢えない、といった状況には無かったからです。
それでは、杉下が恋焦がれる『あなた』とは誰か?それは成瀬です。『あなた』に対して『歪む』と表現しています。『あなた』は3人の候補がいます。成瀬、西崎、安藤です。このドラマの中で杉下が精神的に『歪』みを抱えている相手が『あなた』になるわけですが、杉下は安藤に対して歪みを持っていません。彼との間に歪みを抱える事になるような逸話がないのです。これは西崎に対しても同じです。彼そのものは歪みを抱える存在ではありますが、杉下が西崎に対して歪みを生じさせる逸話はないのです。ですが成瀬に関しては歪みを生じさせたであろう逸話が多くあります。お城放火未遂、さざなみ炎上、頑張れチケット、頑張れエール。これらは杉下が成瀬に対して強烈に歪みを生じさせたエピソードです。ですので、この歌詞で『欲しい』『あなた』は成瀬であり、『難しいことが多すぎる愛』の対象も成瀬であるのです。
スカイローズガーデンの事件への強い自責の念については、歌詞中には多くは語られていませんが『許されるならこの愛だけを抱きしめたい』と言っています。『この愛』とは成瀬に対する思いですが、それだけを心に抱いているのは『許され』ないと彼女は言っている訳です。つまり成瀬に対する思いの他にも彼女の心の中に重くのしかかるモノがある訳です。それはつまりスカイローズガーデンの事件であり、その自責の念である訳です。
この彼女の事件に関する自責の念を理解するには、なぜスカイローズガーデンが発生してしまったのか、について深い理解をしないと、判ってもらえないと思いますが、それをここで始めてしまうと、とても文章として纏まらないので、割愛します。
とにかく、彼女の中には成瀬に対する思いの他にスカイローズガーデンに対する強い自責の念がある事を理解して頂きたい。
そんな心持の彼女の心は晴れる事がない。であるので、『雨が』『今日も変わらず降り続いている』。ここで彼女の『涙』が雨に喩えられているのです。
『意味のない 何もない 明日は見てない 解らない振りで逃げ出してる』とし、未来に対して希望を持つどころか、現実からの逃避に走っている事を吐露しています。
SEXの行為中だけ、それらの思いが『掻き消され』て紛らわすことが出来る。だけれども行為の後、『隣の存在を確かめ』る事で現実に引き戻され、愛のないSEXに依存する自分をまた責める気持ちになってしまう。『大人になりきれな』い故にSEXに至る自分の行動・動機と自分がSEXに求める精神性のギャップを処理出来ない事を吐露しているのです。
このような気持ちを抱えながら、杉下はこの10年を過ごしてきたのです。
そして、この部分に彼女が10年の後にたどり着いていた社会的地位に関する秘密が隠されていると見ています。
この夜、杉下が『肌を重ね』ていたのは誰か?という部分です。相手がドラマには登場していない人物であるのは明らかです。彼女は10年の短期間でパートナーと立ち上げた設計事務所が業界から注目を浴びる存在にまでになり、その副所長という事でメディアにも取り上げられる程の地位になっていた。都心のマンションに居を構える程になっていた。パートナーと「二人で頑張っ」たという、その「頑張」りの中に杉下のこのような生活が多分に含まれる可能性があるのです。つまり、『肌を重ね』た相手は顧客であったり、業者であったり、仕事を回してもらう大手の事務所の責任者であったり、と一種の“枕営業”とも言える行為であった可能性が濃厚です。目の前のトラブル・困難をこのような形で処理してきた結果としての10年後のポジションがあったのです。
10年後の杉下の地位を、彼女の上昇指向に求める論がありますが、それは間違いです。それはこの歌詞の中で彼女の言葉で否定されています。先にも触れましたが、彼女は未来に希望もなく、現実から逃避している事を吐露しています。
このような考察から、杉下の10年を凡そ再構成できると見ています。
彼女は事件後、内定を貰った建設会社へ入社して程なく、パートナーから誘われて事業(N&M)を起こします。しかしそれは決して彼女の野望や上昇指向といったモノではなく、ある意味”やけっぱち”と言えるような選択だった。彼女はスカイローズガーデンの事件について、強い自責の念を抱いて、それは安藤との会話でも“忘れられない”と語っている事から明らかです。未来に対して希望を持っての選択でもない。そのような彼女が自身の経済的・社会的成功を目指す、という理由からパートナーと事業を起こすとは考え難い。彼女は自責の念からあえて困難な状況に身を置くという選択をしたのだと思うのです。ある種の罪の意識、罪滅ぼし的な選択だったと思うのです。
そして様々な困難に見舞われたであろう事が予想されます。顧客との間、施工業者・部材の納入業者との間、仕事を回して貰う同業大手との間。資金繰りに関しては金融機関や場合によっては個人的なスポンサーを得る必要もあったでしょう。
それらの問題を彼女は『肌を重ねる』事で切り抜けてきたのです。
そのような解決方法をとったのも、彼女が事業の成功を目指してのモノであったのか、は疑問です。これも独立時と同じように、自らの身をやつすように、その方法を選択したと思われます。若しくはそのような形が繰り返された結果、行為の間だけは自身の苦悩を忘れられる、という現象に気づき、その後に後悔が訪れる事も理解しながら一時の苦しみの忘却を求め、流されたと表現してもいいかもしれません。
そうやって過ごして来たら、いつの間にか事業が大きくなり、やり手の事業家として世間から認知されていた。杉下はそうやって10年を過ごしてきたのだと推測出来るのです。
未来に対して希望を持たず、現実からの逃避に走っている杉下が、どのような心持でその日その日を過ごしてきたのか?が語られているのが、サビ部分の歌詞になります。
1番:何かを求め 確かめたくて 今日を生きてる(another life, another life)
2番:救いを求め 満たされたくて 今日を生きてる(another life, another life)
ここで共にコーラスで”another life"と入ります。”もう一つの生活・生き方・人生"とはつまり彼女の空想の中の存在です。これは”現実の生活・生き方・人生”である『意味のない 何もない明日(=現実生活)』との対置であり、そこから『逃げ出』す方法が”もう一つの生活・生き方・人生"を空想/妄想する事だったと考えられます。
その空想から得るものとは、一つは”求めたものが確かなモノ”で”救われて、満たされた”精神状態です。彼女は空想にそういったモノを求めた。それは正に西崎が小説を書くことに求めたものと同じものだった訳です。
求めたものとは成瀬です。救いとはスカイローズガーデンの罪意識からの解放であり、求めた成瀬が自身の元に戻る事と合わせて得られる精神的充足。これが彼女の空想の中身だと言えます。
杉下が訪れた成瀬の申し出を断る部分に関しては、今は違う見方をしています。
彼が訪れる前の彼女の心理とはSillyで歌われているように、成瀬への思慕・渇望に満ちていたものである、という点においては変わらない。それは彼女が成瀬の申し出に対して『甘えられん』と返している点です。この言葉に、杉下の心の中には”甘えたい”というものがある事の証です。ですのでその点については、Sillyの歌詞と矛盾はない。
でも彼女は成瀬の申し出に対しては、拒絶というか、最終的には成瀬の元に戻ったので、それは留保と表現した方がよいのかもしれませんが、この時点では受け入れしなかった。
当時、この断りは彼女の”悪魔的絶望”ゆえ、と考えていたのですが、今は違う見方です。彼女が悪魔的絶望と周囲に見える状況であり、またそうであったと考えるのですが、唯一の例外が成瀬に対してだったとみています。
杉下は高野を含め全ての関係者(成瀬、西崎、安藤)と会っています。それは何れも相手からのアプローチによるものです。安藤とはSNSで安藤側が杉下と接触を取りました。西崎に関しては、彼の元を訪ねたのは杉下でしたが、その前段で西崎が興信所を使い彼女の住所を突き止め、現金書留を送っています。高野は西崎が送ろうとした現金書留に記載された住所を見た安藤から教えられた(安藤が高野に杉下の住所を教えた描写は無い)もので、高野が彼女の居所へ訪ねたものです。
つまりここまでにあった3人に対しては彼女は接触できるような情報を開示もせず、自ら接触を図るような行動はとっていないのです。
ここで、安藤については異議がある人がいるかもしれません。安藤とは連絡を取れるようにしていたのではないか?SNSで連絡を取れるようにしていたし、電話番号も知っていたのでは?と思われる方も居るでしょう。
実はこれにはトリックがあります。安藤は彼女の電話番号は知りません。
まづ、高野は彼女の電話番号を知らなかった。成瀬も知らなかった。これは杉下が事件後自分の電話番号を替えているからです。
そのうえで高野は前触れなしに、杉下を訪れます。もしこの時高野が彼女の電話番号を知っているのなら、自宅をいきなり訪れる前に電話で連絡を取ろうとするでしょう。しかしそのような行動を取っていないと思われるのは、杉下がインターフォンで高野の姿を確認した際の表情から明らかです。
高野が安藤から杉下の住所を教えられたのは明白です。もし安藤がその時点で杉下の電話番号を知っているのであれば、住所とともに高野に教えたはずです。ですので安藤は杉下の電話番号を知らないのです。
では、なぜ安藤は杉下に対してSNSでメッセージが遅れたのか、というとSNSのもつ自動マッチング機能です。このような条件であれば、安藤はSNSで杉下と接触が可能です。
・安藤は学生時代から携帯電話番号を変更していない
・安藤はSNSにそのが育成時代から使用している携帯電話番号で登録している
・杉下は携帯電話番号を変更していたが、その携帯の連絡先に安藤の携帯電話を登録していた。その状態でSNSアカウントを作成した
このような条件であれば、SNSの自動マッチングで、安藤が杉下の携帯電話番号を知らずとも、メッセージが遅れ、音声通話も出来るのです。
つまり、安藤に対して杉下は自分の携帯電話番号を教えていない、つまり連絡が付くような手段を杉下側は提供していないのです。
傍証があります。安藤は杉下を仲間とのデイキャンプに誘います。彼は車で迎えに行くのですが、その待ち合わせは街中でした。安藤は西崎の部屋で杉下の住所を確認しそれを高野にも提供しています。にも拘らず待ち合わせ場所が街中に設定されるという事は、杉下は安藤に対して住所を教えていない、という傍証となるのです。
ですので、彼女は上記3人に対して自分の接触ルートを自ら明かす行動を取っていません。
しかし唯一の例外が成瀬に対してです。成瀬は高野から杉下の電話番号を教えられました。高野は上述の通り杉下を訪れるまで杉下の電話番号を知りません。ですから高野は杉下自身から電話番号を教えられた訳です。
それはなぜか?杉下は高野が成瀬を探している事を知っています。ですから、高野が成瀬に行き着いた際に、成瀬に自分の電話番号が伝わる事を期待しての行動だったと推測できます。
つまり成瀬に関しては杉下は連絡を取りたいと自らの情報を開示する行動を取っているのです。これはSillyの歌詞にある通り、彼女の成瀬に対する渇望がとらせた行動と言えると思います。
そうすると彼女は成瀬を渇望し、またその「甘え」たいという気持ちがありながら、成瀬の申し出には留保せざるを得なかった事情は、その際の成瀬との会話に引っ掛かりがあったからと考えるのが妥当でしょう。それはなにか?と言えば、成瀬がさざなみの放火が自分の父親がやったものだ、という事を明かした事と言えます。
これはただ単に事件の真相を明かしたというのみに留まりません。成瀬が杉下の勘違いを利用し続けてきた事の独白でもあるのです。
ドラマの中では杉下がさも、成瀬が放火犯でないという事に安堵し、あの火を見た事による自身の解放されたような心理を語っていますが、しかしよくよく考えると、成瀬が彼女の誤解をその場で解かなかったがゆえに奨学金の譲渡があり、金銭的な苦境に陥り、「究極の愛」なるスカイローズガーデンの事件を引き起こす原因となった妄想を生み、その結果野口夫妻が共に死亡し、さざなみが未解決であった故に杉下は成瀬を護る為スカイローズガーデンでも偽証を行い、西崎が罪を被った。その罪意識が彼女の心に強くのしかかり挙句の果てが余命宣告であったのです。
こういったことの発端となったさざなみ炎上、およびその成瀬が、杉下の勘違いを利用し続けていたという事実を知らされたとき、いくら成瀬からの申し出とは言え、素直に受け入れることなど出来ないでしょう。
その直前に杉下は成瀬の野望”結婚した相手より後に死ぬ”について「一緒になっとったら、成瀬君の野望、かなえられたのにね」と言っています。これに対して成瀬はさも”痛い”といった顔をしていますが、これは成瀬への杉下からのせめてもの仕返しだったのです。
Sillyに関して、もう少し話をしたいと思います。
Sillyはスカイローズガーデン以降の10年間を杉下がどのように生きてきたのか、それを歌っていると言いましたが、もっと絞り込んでいつ頃の様子なのか?という点を考えたいと思います。
全体として10年間の様子を歌っているとも思っているのですが、情景が具体的であることから、その意味ではもっと年代を絞り込んでもいいかも、とも思っています。
もし具体的時期を絞り込めるとしたら、その手掛かりは何でしょうか?
歌詞の最後に『傷もいまでは愛しくて』とあります。時期を絞れるとすると、この部分だけでしょう。
最初はこの『傷』は杉下の心の傷だと考えていました。心の傷はいくつも杉下は抱えているので、その事だと考えていたんですね。
確かにそのままでも間違いではないとも思うんです。実際杉下は西崎や奈央子とは異なり体に外傷がなかったからです。ですが、彼女も身体的傷を負っている事に気づいたんです。それは、彼女が胃がんにより胃の全摘を行っています。その手術痕が残っているはずなんですね。
歌詞の『傷』がこれを指している可能性に気づいたんです。
確かに他にこの『傷』が手術痕だとする積極的な痕跡は歌詞中にはないんですが、これを否定できるものもない。そうするとここでの『傷』は彼女の心の傷と手術痕両方にかかっている、と見てもいいように思いました。
そうすると、彼女が胃の全摘手術を受けたのが現代編の3年前と高野に喋っており、かつ『今では』という表現からその手術からある程度時間が経過した後、という事になります。このことからこの歌の具体的な状況の時期は、現代編の直前、癌の再発により余命宣告を受ける前後ころなのかな?という風に考えています。
Sillyの傷が手術痕である、それを含むと考えると、すっと理解できた部分があるんです。
それは2番冒頭の『強がり隠した涙の痕に 気付かないそぶり』の部分です。
成瀬への思いと、罪の意識だけで捉えていた時は、これの理解に苦慮していたんです。
『強がり』が涙を流した事にかかるのか?気づかないそぶりにかかるのか、それとも肌を重ねるに掛かるのか、日本語の構造のあいまいさもあって、なかなか罪の意識、成瀬への思いとのうまい落ち着きを見つける事が出来ないで来たんです。
ただ、傷が手術痕で、この歌の時期が余命宣告の時期からそう遠くない頃と気づくと、これが意外とすんなりと理解できたんですよ。
癌の進行による体の痛みで流した涙の痕を、彼女は強がって隠したものの、それは彼女の顔には残っていて、相手はそれに気づいているはずであるのに気づかないふりをして行為をしている。そういう状況であったのです。
このようにSillyの『傷』を理解すると、『隣の存在(おもみ)を確かめているんだ』の部分、そしてその後の『大人になりきれなくて』の部分についても、これまでの解釈とちょっとニュアンスが変わってくる気がします。
『隣の存在(おもみ)を確かめているんだ』は、死への不安を抱え、寝てしまうと次にはもう目を覚ますことがないのではないか?という不安を抱える彼女が、まだ自分は生きている、という事をベッドの隣にいる情事の相手の存在で確認している、という状況を歌っているのであり、『大人になりきれなくて』は、恐らく死を自覚しているにも関わらず、その覚悟がまだできていない自分の状況を言っていると取れるのです。
このように見てくると、この歌の状況というのは、余命宣告を受けた後の、現代編の直前の頃の状況と言えそうです。
Sillyの中で、自分がまだ納得のいっていない部分もう2か所あるんです。
『騙せるのなら 現実なんて 必要じゃない』
『震える 罪のないそれを 失えばいい』
この2か所です。
『騙せるのなら~』は素直にとればさざなみ炎上の自らの偽証と関係するんだろうな、と見える。
私も当初は、さざなみ炎上に関する偽証を通し続ける、それで成瀬を護る。その決意や思いを表現したものだと考えていたんですが、何か違うように思えてきました。
騙すべき事象も、騙す対象も現実(=Real)の中に存在している訳で、そのリアルが必要ではない、不要だとなると、騙す行為そのものも存在しえない訳で、やっぱり言語としておかしい。詩的表現だ、と言われればそれまでですが。
しかし、(another life)とセットで考えたら、ちょっと見え方が変わってきました。
another life とは彼女の空想の中の世界にあり、彼女が現実から逃避する先です。とするなら、ここでいう『騙』す対象は彼女自身という事になります。つまり彼女は空想の世界に浸り続けたいと願っていて、そこにはRealの世界は必要ない、騙すべき対象は彼女自身という事になるのです。
そして最後に意味不明なのが『震える 罪のないそれを 失えばいい』なのですが、”それ”がいまだに判らない。"それ"は何を指しているんでしょうか?また『震える』は何にかかっているのか?もよく理解できないんです。
普通に考えれば、『震える』は”それ”を修飾している言葉で、”それ”は罪がなく、かつ震えている状態のもの、となり、またそれは彼女が失う、つまり手放してしまったほうがよいもの、となります。
”それ”が指し示しているものの候補としては、その直後の『歪む気持ち』なのですが、そうすると、「震えている歪む気持ち」となってしまい、どうも何を言っているのかが不明なんですね。『歪む気持ち』自体には罪がない、とか、『歪む気持ち』を手放してしまう、とい表現であるなら、これは判るんですが、『歪む気持ち』が震えている、という表現が判らない。
そうすると、『震える』は『それ』を修飾している訳でなく、文としては以後から独立している、と考えた方がいいようです。
『それ』とは歪む気持ちであり、その歪む気持ちは『失えばいい』、つまり手放してしまった方がいいものだ、と言っています。
つまり、歪む気持ちが原因で『震える』と取ることが出来ます。
『歪む気持ち』を保持し、失ってしまった方がいい対象は杉下ですから、『震え』ているのもまた杉下という事でしょう。
『震える』というのが何を表しているのかは微妙ではありますが、恐らく心をかき乱されている事、くらいの意味だと考えます。
であるならば、ここの意味は、歪みゆえの成瀬を求める気持ちに罪があるわけではないけれども、それが杉下の心をかき乱す。そうであるなら、成瀬を求める気持ちを手放してしまった方がいい、それは判っているのだけれど、成瀬を求める気持ちを止められない、といったニュアンスでしょうか。
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