2015年9月15日火曜日

このドラマにはまった人

私のマリア様は今の自分の足を引っ張っている。
決して今の自分を救ってくれる存在ではない。

本来向けるべき方向に意識を向ける事を阻んでいる。
かつてのようには、自分に力を与えてはくれない。
情けない自分の原因にもし、自分が逃げ込む先にもしている。
それではいけないことは解っている。
自分の中の巨大な暗黒が時折襲い掛かって来て、とても辛い。
それでもそれを焼ききる、吹っ切る事さえ出来ない。
離れる事さえ怖くて、そこで安住を得ている自分。

現実からも、未来からも逃避している。絶望している。

かつては自分を支え、自らの今を形成した価値観、思いが今の自分を苦しめる。今更それを捨て去るのはこれまでの自分を否定する事。そしてその価値観はある特定の個人と結びついていて、その個人から精神的に離れる事に対する躊躇いと怖れ。葛藤を抱えつつ思慕したい思い。それが自分とその人との繋がりであるから。
それまでの自分を否定した相手を自らが否定出来ない心理。

このドラマにはまり、未だに謎解きを続けている人、関心を持ってこのブログを訪れる人は、みんな同じ問題を抱えている。
ドラマの登場人物の行動を理解するには、自らの経験に基づく理由を見つけなければならない。もし、自らの価値観に疑問を持たない人ならば、通り一編の解釈を与えて、このドラマから離れていく。でも自らの価値観に疑問を持つが故にそれが正しいのか自信が持てない。他人の見え方を知りたくなる。でも知った処で個別に異なる経験に依存する理由付けは当然自分と異なる。そして再び自らの価値基準に疑問を持ち、自分の本当の姿を掘り下げざるを得ない。
その作業に耐えられない人は、途中で挫折し、最後に残るのは自分が深い闇を抱えている自覚に到達した人だけ。

その自覚にたどり着くほどに、ラストシーンは以前にも増して美しいものである事に気付く。そして、その度に自らの闇の本質に否応無く気付かされるドラマ。それがこのドラマの本当なのかもしれません。

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