2015年9月25日金曜日

杉下の野望の本質

杉下の野望の性格について考えます。

家を追い出された後の杉下は懸命に現実対応をしようとしていましたよね。洋介との会話でも、今までが夢、と言っています。もしこの段階で母親も現実的対応を見せていたら、杉下の野望は生まれていないんでは?と考えています。

では野望はどこから来たか?と考えると現実的対応を出来ない母親のプレッシャーとゆきさんの土下座要求以降からだと取っています。高校生として出来る現実的対応以上のものを必要とされた反動、空想上の逃避先としての野望です。
ですので、その野望には現実性が乏しい。
バルコニーでの演説は成瀬が早々に実現してくれましたが、本来であれば、どのような立場で、といった、演説するに足るポジションに関する構想が伴って具体化されるものですが、彼女の場合、それがない。自分の空想上のシチュエーションさえ揃って仕舞えば、それで満足なんですね。具体的であるなら、その次というものが当然あるべきにも関わらず、それが存在しない。
だから基本的に彼女の野望は中身が空っぽと言っていい。
その点については安藤が早々に、アラブの富豪と出会う、という野望について指摘しています。
また、これも安藤からのの問いで何になりたい?と聞かれ『何になれるかわからんけど…』と答えている。
ですから、彼女の野望は本来彼女が島を脱出出来た時点で用無しになる筈だったのです。

ですが、大学に入ってからも彼女が野望実現に邁進したのは、バルコニーでの初心表明、Nチケットおよび頑張れエールでそれが成瀬との約束になったからです。
特に重要なのはNチケットで、この時進学を諦めかけていた杉下が成瀬のNチケットで行動する勇気を得た。『上をみる、上に行く』=野望の実現=成瀬との約束=成瀬と自分の繋がり、という図式が出来上がった瞬間だと取っています。
これは、先の安藤との会話で小馬鹿にされた杉下が『真面目に聴いてくれた人がいる』と反発したり、『約束だから』とつぶやいたりしている事で明らかです。
つまり杉下にとって野望の実現は成瀬と自分との繋がりの確認行為であり、野望そのものの内容は実は大して重要では無いのです。
この野望そのものの内容は重要で無いからこそ、『上に行く』が『物理的に高い処に行く』に変換され、『まっすぐな水平線が見たい』が、『高い処から水平線を見る』に変換されて、ゴンドラのシーンに繋がる、と理解しています。

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