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2015年6月29日月曜日

杉下の『成瀬くん、ごめん』と『甘えられん』


成瀬が杉下から血で染まったブランケットを引き取り、部屋に入った時、杉下は成瀬の背中に向かって『成瀬くん、ごめん』とつぶやきます。この『成瀬くん、ごめん』という杉下の気持ちを考えます。

この時杉下が成瀬に抱いていた気持ちは、以下のものだったと推測されます。

一つ目は、心中の現場に立ち入っていない成瀬を引き込んでしまった事。
二つ目は、そもそも野口や奈央子と全く関係のない成瀬を、作戦に巻き込んだ事。
三つ目は、その結果として未解決であるさざなみの放火事件がこれを契機として再び成瀬を放火犯の嫌疑に晒す危険を発生させる事になる事。
四つ目は、二つ目とも関連しますが、成瀬の自分への感情を結果として利用する形で成瀬を事件に巻き込んでしまった事。杉下自身には勿論成瀬に対する感情が有り、作戦後は成瀬との関係の再開を目論んでいたのですが、作戦そのものは杉下の西崎への感情が発端となっている。だから杉下には成瀬を〝理用した〟という感覚がある。

この四点に対する、成瀬への罪の意識が『ごめん』の表現になっているんです。

で、実はここでの『ごめん』の理由が、そのまま十年後、成瀬のプロポーズへの返答、『甘えられん』に繋がっている。
この『甘えられん』という表現は〝甘えたいんだけれども〟という前提があって初めて成立する表現です。西崎や安藤に対しては使っていない表現です。
病気で余命宣告を受け不安で仕方ない、本当は成瀬に甘えたい、頼りたいけれど成瀬に対する罪の意識がそれを許さない、だから『甘えられん』。逆に言えば、病気が成瀬に対する甘えたい感情を生み出しているのです。

ここで注目したいのが西崎への拒絶と成瀬への拒絶では杉下の拒絶の理由が異なる、という部分です。勿論杉下には西崎にも罪の意識があるのは間違いない。しかし西崎の金銭その他の援助の申し出に対しては間接的に『病気の事は別』という表現で病気を理由としてあげています。
しかし成瀬に対する拒絶は、病気が理由には入っていません。成瀬は杉下が病気である事を解ってプロポーズをしています。そして杉下は結果として成瀬の元に行った。拒絶の理由が病気であるならば、その事実が時間の経過で変わる訳がないので、杉下は成瀬の元には行けない。この時の拒絶の理由は病気以外のものであり、それは何か?と考えると、上記の成瀬に対する罪の意識であり、この罪の意識が何かで解消したため、最終的に成瀬の元に行く事が出来た、と考えます。

では、その何かとは?
それは成瀬のプロポーズを拒絶する事に対する『冒涜観念』だと思います。冒涜観念が成瀬に対する罪意識を解消させ、成瀬の元に行く事が出来たんです。

参照
杉下は成瀬の何に〝悪魔的絶望〟を抜け出す光を見たのか

2015年6月5日金曜日

杉下は成瀬の何に〝悪魔的絶望〟を抜け出す光を見たのか


杉下はキルケゴールのいう、最高度の絶望状態の一様相としての、誰からの助けも拒絶する〝悪魔的絶望〟の状態に有りました。

杉下を救う為に西崎が最後の切り札とした、成瀬の申し出にさえ「甘えられん」と一旦拒絶しています。

しかし、杉下は成瀬との会話後、主治医に対して「誰も悲しませずに死ねないのか?」とそれまでの頑なだった心境の変化を見せています。

この心境の変化は、やはり成瀬との会話による影響です。成瀬との会話に〝悪魔的絶望の中、死を迎える事の罪深さ〟に思い至った何かが有ったのです。それは何だったのでしょうか?

それは成瀬の申し出を拒絶することに対する成瀬への冒涜観念です。

成瀬との会話により、杉下の心に何層にも被さっていたかさぶたが剥がされていきます。

先ずさざなみの真犯人が成瀬で無い、という事が明かされ、成瀬と接触してはならない、という感情が破壊されます。それと同時に、成瀬が火で自分を救ってくれた、という幻想も破壊されました。この二つが作り出した、『究極の愛』という名の心理機構の存在意義さえ破壊された。そして『究極の愛』が破壊されたことにより、それが形成されたさざなみ放火事件に対するある種の美的感覚、美意識も破壊された。

ここまでくると、自身の『究極の愛』が引き寄せたスカイローズガーデン殺人事件とはなんだったのか、という思いに至る。美であったさざなみが作り出した『究極の愛』が引き起こした醜であるスカイローズガーデン。しかしさざなみの美性が否定された時、スカイローズガーデンの醜性も否定された。

では、結局二つの事件は自分にとって何だったのか、それでも自分の中に間違い無く存在するものとはなんであったのか?という問いに突き当たる。

一つは、自分が何に変えても成瀬を守ろうとした感情です。
そしてもう一つが、成瀬が何に変えても自分を守ろうとしてくれた、という確信。

杉下にとっては、この二つが真理なのです。

自身の成瀬への感情と成瀬の自分への想い。それをはっきりと自覚した。

そこで再び成瀬の発言が被る。「杉下の人生や、杉下の好きに生きたらええ」。

この言葉で、杉下はスカイローズガーデンの原因となった「究極の愛」の相手が西崎である、という事を成瀬が知っていた事、そのために十年間も成瀬が自分との接触を絶った事、そしてそれでもなおかつ今自分の余命を知りつつ再び自分を救う為に現れたという事を理解した。

これを拒絶するのは、成瀬に対する冒涜では無いか?そう考えたのです。
勿論杉下は成瀬を冒涜する気などありません。そうであるなら、自分は成瀬に救われてもいいのかもしれない。

これが後の魂の上昇のきっかけとなったのです。

参照
『キルケゴールの思想に対する証左』
『魂の解放』
『成瀬がN作戦2に協力することにした理由』
『N作戦2における杉下の魂胆』

2015年6月2日火曜日

成瀬に会う前の杉下の心理状況

成瀬が十年ぶりに成瀬が訪ねた頃の杉下の心理状況は、どのようなものだったのでしょう。

西崎が成瀬に電話した際の説明として、「杉下本人は誰の助けも求めていない」と言っています。
西崎の金銭的な協力も、その他の協力も断っています。安藤のプロポーズを断った下りから、安藤の助けも拒絶するのは明白です。成瀬がプロポーズした際の「親にも世話になりたくない?」の描写から、親に世話になる事も拒絶する意思が明白です。

つまり、誰からの助けも拒絶する心理状態です。それは成瀬に対しても同様で、成瀬のプロポーズに「もし一緒になっとったら〜」とやんわりとした拒絶の意思を示しています。
この助けに対する拒絶の心理は、杉下が成瀬に対してもバルコニーで宣言した「誰にも頼らん」とは起源が違います。それは西崎との会話で杉下自身が否定しています。

一方で西崎が安藤に『崩れ落ちそうな橋』の問いをした際、ホスピスの申し込み用紙に緊急連絡先を記載することが出来ない杉下が描写されています。すごい孤独です。

この時杉下は間違いなく絶望していました。
杉下にとってのスカイローズガーデン殺人事件は、自分が生み出した〝究極の愛〟が結節点となって発生した事件です。更には野口を挑発した事で直接的なトリガーを引いてしまった。
この事件で野口夫妻は心中し、真の犯人である奈央子を庇うために西崎が服役し、本来野口家とは全く関係のない、自分に想いを寄せてくれている成瀬まで共謀に巻き込んだ挙句、その成瀬さえ失うことになってしまった。自分が存在しなければ、という自己否定的感情と関係した人々への罪の意識は相当であったはずです。

そこに更自身の病気と余命宣告。これは杉下は罪深い自分への罰と受け取った筈です。
それが自分は救われてはならないという絶望の感情となっていた訳です。

そのように十年を過ごしてきた上に、安藤のプロポーズにより野口を挑発した行為が、そもそもしないで済んだ事だ、という事が解って、杉下の絶望度は一層増すこととなってしまった。
※「安藤の指輪に対する杉下の涙の本当の訳」参照


絶対的な絶望、孤独の中でも、助けを拒絶する心理。

これが私がドラマがキルケゴールの実在主義哲学をモチーフにしている、とした根拠の一つです。
キルケゴールは、絶望が最高度に高まった心理状態の一つの様相として、(神による)救済を拒絶する状態を〝悪魔的絶望〟と呼んでいます。この〝悪魔的絶望〟に杉下はあったのです。
※投稿『キルケゴールの思想に対する証左』参照