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2016年1月14日木曜日

ゴンドラで杉下は成瀬を諦めた

私はスカイローズガーデン当時の杉下の心に二人の男性が居た、という立場を取っています(以後、二股説とします)。
その二人とは西崎と成瀬です。
そして杉下の作戦に挑む際の魂胆は

『西崎の奈央子救出(=人妻略奪という罪)に協力(=罪の共有)し、且つ自身の西崎に対する感情は、西崎が〝杉下の究極の愛の相手〟と思っている成瀬と自分の共同作業でカモフラージュ(相手にも知られず)した上で、作戦終了後には本気で成瀬と関係を再開させる(=西崎から黙って身を引く)』

です。

ずっと杉下の心に、成瀬以外の人物が滑り込んでくるプロセスを考えていました。『究極の愛』という精神保護システムを形成しなければいけないほど、成瀬に歪んだ杉下。街中で見掛け脊髄反射で後を追ってしまう。西崎の『そいつとか、罪の共有』に感情をダダ漏れさせ、洋介の『成瀬さんの悪いウワサ』に心配でチケットを見詰める…
それなのに?

彼女の様子が変わるのはやはりゴンドラの前後なんですよ。ゴンドラ以降、Nチケットを見ない。ドレッサー事件の際にも『下は見ない』と何度も唱えるけれど、チケットは出番なし。まして『上を向く』『上に行く』は出ない。

やはりゴンドラの一件で彼女の価値観、そしてそしてそれは成瀬との関係に影響を及ぼす何かに変化があったのは間違いが無い。

このゴンドラで彼女の野望が叶った、と理解していました。それは決して間違いでは無いけれど、必ずしもポジティブなものばかりでは無かったのでは?という事に気付いたんです。

杉下はゴンドラで『こんな処、一人じゃ来れなかった』と言います。でも成瀬に対する宣言は『誰にも頼らず、上目指す』。つまり成瀬への宣言に違反した形での野望実現なんです。

野望実現が彼女の成瀬との関係再開の為の資格条件です。『さざなみの熱りが冷めるまで』だった彼女の『究極の愛』の時間条件が長期化の中でいつしか『野望が実現するまで』にすりかわった。だから彼女は野望の実現に邁進した。沖縄で奈央子のボンベを締めた行為も、成瀬との約束に起因しているんです。それゆえゴンドラに乗る事にも拘った。

それが、自らの宣言に違反した形での野望実現ですから、彼女は成瀬との関係再開の資格を喪失したとように感じたんです。それはつまり成瀬を諦める、気持ちにケリをつけるという心理になった。

こう理解すれば、野望が実現したにもかかわらず彼女が成瀬に積極的接触しようとしない事も、奈央子のドレッサーにチケットを見ない事もスッと入ってきます。
ストレス源であった成瀬を諦める事で冷蔵庫は満杯にする必要は無くなり、そして、成瀬以外の男性が杉下の中に入って来るのに、支障が無くなるんです。

参照  
N作戦2における杉下の魂胆
杉下の『究極の愛』の構造
ゴンドラで杉下が解放されたもの
野望と『成瀬を頼れん』の関係
冷蔵庫のトラウマは存在しない
杉下の『究極の愛』の時間条件

2015年12月18日金曜日

野望と『成瀬を頼れん』の関係

ゴンドラ以降、杉下に『成瀬を頼れん(禁止)』の心理が見られない事について思考を巡らせていたんですが、漸く解決がつきました。結局、この『成瀬を頼れん(禁止)』も『究極の愛』と紐付いている事がわかりました。

『成瀬を頼れん(禁止)』と『究極の愛』は成立は異なりますが、実質一体化していたんです。『究極の愛』が成瀬との接触を抑制する心理システムですから、成瀬と接触しなければ『成瀬を頼る』事もない。ですから『究極の愛』が杉下の表層心理上、『成瀬を頼れん(禁止)』を隠蔽していた事になります。

ですからゴンドラで野望が実現する事で『究極の愛』が成瀬に対して効かなくなると、この『成瀬を頼れん(禁止)』も効かなくなった。この『成瀬を頼れん(禁止)』が『誰にも頼らん(意志)』の根源ですから、他の人物への依存への抑制もはずれることになった。
それが安藤に対する『捕まってていい?』で有り就職に関しての奈央子のへの答『どこもダメだったら(野口に相談する)』の発言になっている。

そう考えると、ゴンドラで杉下の世界観が変わり、彼女が自分の限界を自覚したのは、景色を見て、ではなく野望実現によりこの『誰にも頼らん(意志)』が解消したが故、という見方も出来るんです。

参照
杉下の『究極の愛』の時間条件

2015年12月17日木曜日

杉下の『究極の愛』の時間条件

杉下の『究極の愛』がスカイローズガーデン時には成瀬に対して働いていない理由について、結構真面目に検討して、一つの発見がありました。

杉下の『究極の愛』の変換因子の中には実は時間に関する条件が存在したんです。

杉下の『究極の愛』の心理変換機構は以下の構造です。

A-1.(入力)成瀬が好きで堪らない
A-2.(制御因子)成瀬に遭うのは成瀬の利益にならない
A-3.(変換)成瀬に逢えない
A-4.(出力)悲しい
B-1.(入力)悲しい
B-2.(制御因子)成瀬が好きで堪らない
B-3.(変換)成瀬に遭うのは成瀬の利益にならない
B-4.(出力)成瀬に遭わない、遠ざける

そして
A-2.B-3.『成瀬に遭うのは成瀬の利益にならない』
B-4.『成瀬に遭わない、遠ざける』

の変換因子は実は時間に関する条件が存在していたんですね。

つまり
A-2.B-3.『(今は)成瀬に遭うのは成瀬の利益にならない』
B-4.『(熱りが冷めるまで暫くは)成瀬に遭わない、遠ざける』
これが島を出るまでの杉下の感情。

そしてそれが長期化する中で(熱りが冷めるまで暫くは)が(『野望』が実現するまで)にいつの間にか、すり替わったんです。だからゴンドラ後はシステムが呼び出されたにも関わらず、『成瀬にあってはいけない』という抑制が働いていないんですね。
そしてこれは杉下自身も気付いていなかったのでしょう。もし自分で気づいていたなら、ゴンドラの後自ら成瀬と接触を取ろうとした筈です。でも自らは動いていない。
だからこの心理は杉下自身も知らない深層下の心理なんですね。

参照
杉下の『究極の愛』の構造 その1~2

2015年12月3日木曜日

早苗の訪問時の杉下の心理プロセス その二

…続き

このように説明すると、非常にきれいにつながるんです。一見この通りだと思える。
でも、一つ障害があって、この心理プロセスがトラウマ起源とすると、成瀬のさざなみ炎上の暴露に対する『父親も母親もあの女も…縛るものは誰もお らん』の杉下の独白と矛盾する。この独白はさざなみ炎上で杉下はトラウマ(と思われているもの)から解放された、と言っているわけです。つまりト ラウマをトリガーとする心理プロセスとして理解してはいけない、という事になるんですね。

そうすると、この時の杉下の心理プロセスのトリガーとなったのは何か?というと杉下の早苗に対する罪意識だと思います。

先に検討した通り、実は杉下は早苗に対して罪意識を抱えていた。それは成瀬との誓約を守るために早苗を捨てた事です。杉下の中ではさざなみ炎上以 前と以後では明確に区分されるべきものなのです。
ですので、『島に居た頃にひきもどされそうで』の島時代とはさざなみ炎上から島を出るまでの期間という事になる。
そこから心理プロセスを進めると杉下の『罪意識』と『誰にも頼らず生きていきたい』が等価でありそれはつまり『罪意識』と『成瀬を頼れない』が等価。
『成瀬を頼れない』の成立はそもそも杉下自身による『お城放火未遂』を発端とした成瀬に対する罪意識が起源。

そうすると早苗の登場で早苗に対する罪意識の刺激→成瀬に対する罪意識が刺激され『究極の愛』システムが起動した…

こういう風に理解すれば、杉下の独白とも矛盾せず、『究極の愛』システムの起動による成瀬への感情の発露も説明がつくと思います。


参照
早苗に対する杉下の罪意識

fin

2015年12月2日水曜日

早苗の訪問時の杉下の心理プロセス その一

早苗が訪問した際、杉下は西崎の前で怯え、成瀬への想いをダダ漏れさせました。
この時の杉下の心理プロセスを詳述してみたいと思います。

このシーン、杉下の中での早苗の存在というものがよくあらわされていますよね。

まづ、杉下にとっては早苗は思慕の対象である、という事。
これは杉下の『お母さんに逢いたくない訳やない』という発言に現れています。
また杉下が同窓会(=成瀬父葬儀)の為に島へ戻った際、河岸で働く早苗を遠目から確認して安堵している描写と繋がっています。

二つ目が、『逢うと島にいた頃に引き戻されそうで』という発言から垣間見える逃避対象である、という事。
それは早苗は杉下を苦しめた存在であり、彼女のトラウマだから、というのが以前の理解でした。
ここを出発点として成瀬への感情に繋がる心理プロセスを検討すると以下になります。

島にいた頃には戻りたくない、『誰にも頼らんと生きて活きたい』とありますので、『島時代からの逃避』と『誰にも頼らず生きていきたい』が杉下に とっては等価。そしてその『誰にも頼らず生きていきたい』はさざなみ炎上で『成瀬に頼れん』の変形であり、そのことからこの時の杉下の心理は『島時代からの逃避』 と『成瀬に頼れん』が等価。
そしてこの『成瀬に頼れん』心理を杉下に隠蔽・保護するための心理機構である『究極の愛』が起動するものの、早苗の登場という直接的なストレスに 『究極の愛』システムも感情を処理しきれずに西崎が成瀬について問うと涙を流し声を震わせ成瀬への感情ダダ漏れ状態に陥った…

続く…

2015年11月1日日曜日

杉下の『究極の愛』は『成瀬に対する罪』を杉下自身に対して隠蔽する心理システム

杉下の『究極の愛』は罪の共有であり、これ自体はさざなみの事件処理を契機に杉下に形成されたものです。
一方、彼女の独立心は実はその起源はお城放火未遂の際の『何もいらん』です。この時杉下は自分を救ってくれる存在が成瀬である事を自覚しながら、一方で成瀬が自分のためなら、簡単に崩れそうな吊橋を渡ってしまうのを観た。自分を救う=成瀬が危険を冒す様を見てしまった。だから成瀬を巻き込む事を恐れた杉下は成瀬を遠ざける=『何もいらん』を言わざるを得なくなった。自分を救ってくれると確信した存在を、その存在を護る手段として遠ざけざるを得ないという強烈なジレンマを抱えた。それが翌日のさざなみの火事で成瀬が本当にやった!と誤解した。『大事な場所』に対する同じ感情を共有していた杉下はその導火線は自身のお城放火未遂だという強い後悔=罪を抱え込んでしまったんです。ですから、『何もいらん』がさざなみで『成瀬に対する罪』プラス『成瀬に頼ってはいけない』になり、『成瀬に頼ってはいけない』が『誰にも頼れない』が形成されたた訳です。ですから、彼女の独立心は人を頼る事に対する罪意識及び驚怖なんです。

ですから、以後の杉下の独立心はバルコニーでの『誰にも頼らん』宣言が起源ではなく、この『誰にも頼れん』が起源であり、『究極の愛』とセットなんですね。

で、実は『究極の愛=罪の共有』は杉下の『成瀬に対する罪』を杉下自身から隠蔽するためのものだったと、今は取っています。

頼れる存在に対する、頼る事に対する罪意識。なら、会わなければいい。会わなければ頼る事もないし罪意識を感じる事もない…

こんな強烈なジレンマと自身の後悔及び罪意識から彼女の精神を保護するために『究極の愛=罪の共有』でオブラートしたものなんです。

2015年10月13日火曜日

杉下の『究極の愛』が西崎に働いた経過 その3

…続き
このような形で、システムの要素のうち(制御因子)と本来(出力)である条件が先に揃ってしまった。元々杉下は西崎に対して心理的シンパシーを感じており、且つ串若丸での西崎の話から更なる心理的接近を強いられた。そのような心理状態でシステムの(出力)と(制御因子)が条件を成立させ、杉下の『究極の愛』の精神保護機構が逆回転を起こし、西崎に対する感情の盛り上がりが発生した、と理解しています。

周囲の条件が揃う事で気持ちが盛り上がる、という心理は十分ありうる事です。
特に若い頃には自分の周囲が特定の誰かとの関係を取りざたするだけで、その相手の事を意識する、という心理はいくらでもあります。

杉下の場合、かなり複雑な心理を抱えていますので、上記のような単純な条件ではありませんが、状況さえそろえば同様の現象は起こりえますし、まさにこの時、それが起きた。
そう判断しています。

参照
ゴンドラで杉下が解放されたもの
西崎の「罪って、どんな罪だ」に対する杉下の戸惑いの表情
杉下の『究極の愛』の構造

2015年10月12日月曜日

杉下の『究極の愛』が西崎に働いた経過 その2

…続き
この段階で、入力側の“成瀬”はゴンドラ以降の心理変化で外れています。

そして成瀬の作戦参加表明によりシステムの(制御因子)と(出力)が条件として揃ってしまった。
まづ最初の条件が、串若丸で泥酔した杉下が西崎に負ぶわれて帰った事。このとき杉下は西崎の背中に頭を垂れました。杉下にとって男の背中に頭を垂れる行為は特別な意味があります。成瀬との早朝デートで成瀬への感情を自覚した際、成瀬の背中に頭を垂れました。どちらかというと不可抗力と思えますが、これが彼女の心に残ります。

二つ目の条件が、西崎の不倫及び奈央子を助けたい、という気持ちを知ってしまった事。
杉下にとって夫婦関係にある男女間に恋愛感情を持って割り込む事は罪です。つまり西崎が罪を犯そうとしている事を知ってしまった。そして作戦が具現化する事でそれが具体的罪、及びそれへの協力が『罪の引き受け』と杉下の中で位置づけられたのです。

三つ目の条件が成瀬の作戦参加です。
トラウマが外れた杉下は成瀬と再び関係を再開させたい、と願っていました。成瀬との関係の再開=西崎からの離脱=西崎から身を引く、と杉下の中で位置づけられました。

つづく…

2015年10月11日日曜日

杉下の『究極の愛』が西崎に働いた経過

杉下の『究極の愛』という名の精神保護機構が、なぜ西崎を対象に働いたのか、そのプロセスを検討します。

安藤に乗せてもらったゴンドラにより杉下の心理変化が発生します。その内の一つが、この『究極の愛』という精神保護機構が働く対象から成瀬が外れたんです。これには杉下自身が暫く気付いていません。成瀬の作戦参加を知らせるメールで、漸く『逢ってはいけない』という心理が働かない事に気付きました。
そして、この時から杉下の『究極の愛』の精神保護機構が西崎を対象に働き出した、と見ています。

なぜ『究極の愛』が西崎を対象に動きだしたのか、というとシステムの環境がそろってしまったのです。
杉下の『究極の愛』のシステム構造は下記の通りです。

(入力)成瀬が好きで堪らない
(制御因子)誰にも知られず相手の罪を引き受ける
(出力)黙って身を引く

つづく…

2015年10月10日土曜日

杉下の『究極の愛』の構造 その2

次に起きたのがが汎化・美化作用です。
具体的にはB-4.(出力)が『成瀬に遭わない、遠ざける』→『身を引く』になった。
またA-2.(制御因子)『成瀬に遭うのは成瀬の利益にならない』が、それが形成された具体的行動である、『成瀬の罪を庇う偽証』→『相手の罪を引き受ける』、『成瀬との関係性の否定』→『黙って』というふうに汎化されました。
多少の要素の組み換えを含みつつ、そこに美化(=究極の)が加わり、『相手にも知られず』という修飾が加わった。
その結果として『成瀬の罪を相手にも知られず半分引き受け、黙って身を引く』という『究極の愛』が完成しました。
この汎化・美化により、上記の変換機構は以下のような表現になりました。

A-1.(入力)成瀬が好きで堪らない
A-2.(制御因子)誰にも知られず相手の罪を引き受ける
B-4.(出力)黙って身を引く

これは大学に進み成瀬との関係が長期に渡って途絶えた事に対する反応だと思います。このような形に汎化・美化をさせないと、成瀬に対する気持ちで杉下の心が持たなかったのだろうと推察します。

このように杉下の精神を保護する為に形成された心理機構ですが、それでも杉下を護りきれない時が有ったんですね。早苗さんが野ばら荘を訪れた際の反応です。
成瀬の事を『元気で幸せやったらええな』といいつつ、成瀬に対する思いを変換しきれずに、上記の変換プロセス中の4.のところで杉下の悲しみがあふれ出す光景を見ると、いかに杉下が成瀬を求めているか、があらわされていると思います。

原作で西崎が言っています。「杉下の心の中には、そいつしかいないんじゃないか?ってやつがいる」
原作では具体的には描写されませんでしたが、ここの表現が早苗さんが野ばら荘を訪れたさいの描写になっていると取っています。


参照
杉下の『究極の愛』の本当の意味

2015年10月9日金曜日

杉下の『究極の愛』の構造

杉下の『究極の愛』とは溢れる杉下の成瀬に対する感情から杉下自身の精神を保護する為に形成された精神保護機構です。その自分の中にあるシステムに杉下自身が付けた名前が『究極の愛』。

今日はその詳細な構造について書きたいと思います。

そのシステムは以下のような構造です。

A-1.(入力)成瀬が好きで堪らない
A-2.(制御因子)成瀬に遭うのは成瀬の利益にならない
A-3.(変換)成瀬に逢えない
A-4.(出力)悲しい
B-1.(入力)悲しい
B-2.(制御因子)成瀬が好きで堪らない
B-3.(変換)成瀬に遭うのは成瀬の利益にならない
B-4.(出力)成瀬に遭わない、遠ざける

Aは通常の心理作用です。ですがこれではいずれ強すぎる成瀬への思いから杉下の精神が持たなくなる。そのためにもう一段の変換を強いられた。それがBの変換機構です。

注目して欲しいのは4.の出力が後段の入力になっており、また前段とは制御と変換が前段と後段で入れ替わっている事です。
この二段階の変換機構が成瀬との棚田での別れ以降に杉下の中に形成された。
お気付きの通り、A-4.とB-1.、A-2.とB-3.、A-1.とB-2は同じです。
ですので単純化されて、A-3からB-3は隠蔽されたんですね。

そして単純化された心理変換機構が以下のとおりです。
A-1.(入力)成瀬が好きで堪らない
A-2.(制御因子)成瀬に遭うのは成瀬の利益にならない
B-4.(出力)成瀬に遭わない、遠ざける

つづく…

2015年7月18日土曜日

杉下のN 再度の整理


自分の備忘録であれば、このまま放置でもいいかな?と思ったのですが、ここを読んでいただいている方がいらっしゃる事が判った以上、改めてスカイローズガーデンにおける杉下のNについて、ちゃんと整理してまとめておくべきだろう、と考えました。

ただ、単に現在の到達点だけを記したのでは面白みに掛けるので、認識の経過も合わせて書こうと思います。

第一段階
杉下のN=成瀬
これはオフィシャルサイトが2月末で閉まった段階での結論です。
この当時の私の主たる関心は杉下の魂の解放プロセスでした。それを読み解くのに、どうしても解消しなければならなかった障害が、ラストシーンとスカイローズガーデンでは杉下は安藤を護った、という一般的な認識との矛盾でした。
ラストシーンは与件ですから、どうしてもスカイローズガーデン側を崩さないといけない。そうやってもがいていたら、安藤の外鍵の隠蔽が4人による暗黙の取引である、というトリック破りでクリアできた。そこでこの段階では杉下のN=成瀬と結論付けました。

第二段階
杉下のN=西崎
第一段階の後、残りの問題をつらつら考えていたら、どうしても解けない問題にぶち当たったんです。成瀬が10年間杉下と接触を断ち続けた問題です。
『偶然』の偽証を通すために一定期間成瀬が杉下との接触を断つ必要性は認識出来たのですが、それが10年間継続する必然性が見出せなかった。
そうするとこれは西崎絡みだと考えた時、杉下が偽証した理由が必ずしも成瀬のさざなみ蒸し返し阻止とは言い切れない。一番大事な人が傷つかない方法=西崎の奈央子への気持ちを護る、という行動を杉下がとる可能性を排除出来ない。
杉下のN=西崎として考えると、成瀬が接触を絶った十年にも必然性が設定出来そうであり、かつ杉下の『究極の愛』の〝相手にも知られず身を引く〟がまさにミステリー的にマッチする、という事に気付いたんです。それが3月16日でした。
このアイデアに気付いて、直ぐ立ち上げたのがこのブログです。このブログは、杉下のN=西崎を証明する目的で立ち上げたんです。
このアイデアは非常に強力でした。杉下のN=成瀬では、見えていなかった領域にまで視線が及び、物語の視界がそれまでの何倍にも拡がりました。杉下の『究極の愛』の本当の姿や、杉下の作戦に込めた魂胆など、ほとんどの問題はこれで方がついた、障害はなさそうだ、というところまで行きましたが、最後の最後で越えられない壁があったんです。それは、『杉下が西崎の偽証の要求を受け入れ無かった』という、初めから分かっていた事。
西崎であっても成瀬であっても、偽証内容に差はない。ですが西崎の要求にはノーであるのに成瀬の指示にはイエス。これは成瀬のためであれば偽証を受け入れる事が出来る、という事なんです。こうして杉下のN=西崎もすんでのところで頓挫しました。

第三段階 現在の認識
これは第一段階と第二段階の途中で得られた認識のハイブリッドとなります。ですが恐らく最終段階だと思います。これまでの謎解きの全ての障害を乗り越える事ができる唯一の論理です。

作戦計画段階から事件発生まで N=西崎
西崎の奈央子救出(=人妻略奪という罪)に協力(=罪の共有)し、且つ自身の西崎に対する感情は、西崎が〝杉下の究極の愛の相手〟と思っている成瀬と自分の共同作業でカモフラージュ(相手にも知られず)した上で、作戦終了後には本気で成瀬と関係を再開させる(=西崎から黙って身を引く)

事件発生後 N=成瀬
成瀬のさざなみ放火事件の蒸し返しを阻止し、成瀬を護る意図で偽証。

事件の前後で、杉下のNは西崎から成瀬に変わっています。これは人によってはご都合主義的に思われるかもしれませんが、安藤の外鍵の隠蔽と同じく、何から何をまもるのか?のうちの何から、という部分が事件の前後で変わってきますから、その護るべき対象も変化する事は不思議では有りません。


参照
困った
結局杉下は誰のために偽証したのか?
N作戦2への杉下の魂胆
杉下の『N』
安藤の外鍵を掛けた行為の隠蔽工作 4人の行動原理・利益
なぜ多くの人が杉下が守ろうとしたは安藤と取り違えたのか

2015年7月17日金曜日

謎解きの終焉:スカイローズガーデンの事件を招き寄せてしまったもの


私はスカイローズガーデンの事件を、さざなみとの対比で『必然とエゴと打算』と形容しました。

打算とは、偽証を通すために行われた四人による暗黙的な安藤の外鍵の隠蔽工作です。
エゴとは、事件の凄惨化を招いた安藤の外鍵を掛ける行為及び西崎、杉下、成瀬の事件処理における究極の選択です。
では、必然とは?

スカイローズガーデンの事件は、起こるべくしておきた事件だと思っています。それぞれの要因は相互に関連しつつも、もし、これが無ければ相互に独立し、事件には至らなかったはずです。そういった、すべての要因を結びつけ、必然へと至らしめたものが有りました。それは何でしょう?

それは『究極の愛』という名の、杉下の精神保護機構です。
これが全ての要因を結びつけた結節点となってしまった。

杉下の『究極の愛』とは杉下が成瀬に対して抱えたトラウマから杉下自身を守る為に作られた保護機構です。
しかしその保護機構はゴンドラで成瀬に対するトラウマが解消された後も生き残り、N作戦2を作戦として成立させてしまった。つまり西崎と成瀬を、杉下を媒介として引き寄せてしまったんです。

実は、このドラマで私が一番のミステリー、解かれるべき謎は『事件を呼び込んでしまったものは何だったのか』では?と思っています。

杉下のNも大事なミステリーですが、それがわかっただけでは、スカイローズガーデンがなぜ必然となったのかは分かりません。
ミステリーでは、結局これが事件の主たる要因なんだ!というのを提示しないといけない。
そう考えた時、このドラマでは、全ての伏線を結節させたものとしての、杉下の『究極の愛』という心理機構こそが最大のミステリーだったと思うのです。

もっとも、湊かなえの作品は種明かしがないので、〝提示しないといけない〟という表現も可笑しいのですが。

ここまで至り、私の謎解きもほぼ終了したようです。

参照
対称性・対称性 さざなみ放火事件とスカイローズガーデン殺人事件 その一
エゴと『あれか、これか』
杉下の『究極の愛』の本当の意味
N作戦2における杉下の魂胆

2015年6月27日土曜日

成瀬と西崎が顔を合わすシーンが欲しかった


四人の関係性の中で、現代編で顔を合わさなかったのが、唯一成瀬と西崎です。

個人的にはこの二人が顔を合わせるシーンが観たかった。
と、言うのもこの二人が杉下にとっての究極の愛の相手であり、スカイローズガーデンの事件を引き寄せた二人であったからです。さらには事件後の杉下の事を託し、託された関係でした。

先に整理した通り、西崎の服役期間中、四人の関係性で一番密であったのが成瀬と西崎です。西崎が成瀬という人物を見込んで杉下を託したにも関わらず、成瀬はその杉下の中に西崎を見て、身を引いた。西崎の『杉下を守ってやってくれ』と成瀬の『杉下を守る』意思が見事にすれ違ってしまった。そのすれ違いを正すべく、相互に杉下に関する応酬があった筈です。『俺に構わず、杉下を幸せにしてやってくれ』ー『いや、出来ない』

そのようなやりとりが交わされたであろう二人を、成瀬が杉下にプロポーズした後、成瀬が島へ出立する際にでも合わせるシーンがあったら、最高に緊張するシーンとなったのではないか?と妄想しています。
 ただ、この二人が交わすであろう会話はまさしくミステリーの根幹に触れる事になりますから、難しかったのかな?

参照
N作戦2における杉下の魂胆
事件後の四人の接触関係の整理
西崎は成瀬と杉下のその後を知っていた

2015年6月24日水曜日

西崎はひょっとしたら自分に対する杉下の気持ちに気づいていた?


杉下のスカイローズガーデン当時の『究極の愛』の対象は西崎です。
しかしそれは殆どドラマ内の情景描写としては描かれていません。ですので殆どの視聴者はその可能性にさえ気付いていません。

しかし杉下のN作戦2における魂胆は、究極の愛の相手である西崎に成瀬と共に協力した上で、西崎に対する気持ちにけりを付け、成瀬との関係を再開させる事であったのは間違い有りません。

そして西崎は杉下の自分への気持ちに気付いていた可能性が有ります。

N作戦時、作戦への参加を渋る安藤に対して西崎がなぜ野ばら荘を守ろうとするのかを話しています。その際、大家から聴いた情報として杉下の家庭環境を説明している。父親が愛人を連れ込んで家を追い出された、という事情についてです。

その前段が有って、奈央子と自分との関係を杉下に話した際の杉下の反応も知っている。杉下が強く拒否反応を示したのは、杉下自身が経験した父親の不貞から来ている事も理解出来る。

それでも尚、杉下が奈央子救出の為に力を貸してくれる姿勢を示した事を見て、どう西崎が捉えるか?

西崎は成瀬が杉下の『究極の愛』の相手である事を知っています。杉下の中に成瀬が大きな存在であり続けている事も、杉下の母親が野ばら荘に訪れた際の事で知っている。

杉下が成瀬と関係を復活させる事だけ考えれば、自分へなど協力せず、成瀬との関係再開だけ考えればいい。実際杉下は成瀬を作戦に参加させる事を渋っていた。それでも尚そういった情報を自分に与え、彼女自身が作戦に関わろうとする姿勢を見た時、西崎は杉下の気持ちに気が付ける。少なくともその可能性がある、という事は認識できるのです。

成瀬の杉下の中での大きさは西崎にも理解できていますから、確信までは行かずともそういう可能性を否定できない、と西崎は考えていたと思います。


参照
杉下のN
N作戦2における杉下の魂胆



2015年6月5日金曜日

杉下は成瀬の何に〝悪魔的絶望〟を抜け出す光を見たのか


杉下はキルケゴールのいう、最高度の絶望状態の一様相としての、誰からの助けも拒絶する〝悪魔的絶望〟の状態に有りました。

杉下を救う為に西崎が最後の切り札とした、成瀬の申し出にさえ「甘えられん」と一旦拒絶しています。

しかし、杉下は成瀬との会話後、主治医に対して「誰も悲しませずに死ねないのか?」とそれまでの頑なだった心境の変化を見せています。

この心境の変化は、やはり成瀬との会話による影響です。成瀬との会話に〝悪魔的絶望の中、死を迎える事の罪深さ〟に思い至った何かが有ったのです。それは何だったのでしょうか?

それは成瀬の申し出を拒絶することに対する成瀬への冒涜観念です。

成瀬との会話により、杉下の心に何層にも被さっていたかさぶたが剥がされていきます。

先ずさざなみの真犯人が成瀬で無い、という事が明かされ、成瀬と接触してはならない、という感情が破壊されます。それと同時に、成瀬が火で自分を救ってくれた、という幻想も破壊されました。この二つが作り出した、『究極の愛』という名の心理機構の存在意義さえ破壊された。そして『究極の愛』が破壊されたことにより、それが形成されたさざなみ放火事件に対するある種の美的感覚、美意識も破壊された。

ここまでくると、自身の『究極の愛』が引き寄せたスカイローズガーデン殺人事件とはなんだったのか、という思いに至る。美であったさざなみが作り出した『究極の愛』が引き起こした醜であるスカイローズガーデン。しかしさざなみの美性が否定された時、スカイローズガーデンの醜性も否定された。

では、結局二つの事件は自分にとって何だったのか、それでも自分の中に間違い無く存在するものとはなんであったのか?という問いに突き当たる。

一つは、自分が何に変えても成瀬を守ろうとした感情です。
そしてもう一つが、成瀬が何に変えても自分を守ろうとしてくれた、という確信。

杉下にとっては、この二つが真理なのです。

自身の成瀬への感情と成瀬の自分への想い。それをはっきりと自覚した。

そこで再び成瀬の発言が被る。「杉下の人生や、杉下の好きに生きたらええ」。

この言葉で、杉下はスカイローズガーデンの原因となった「究極の愛」の相手が西崎である、という事を成瀬が知っていた事、そのために十年間も成瀬が自分との接触を絶った事、そしてそれでもなおかつ今自分の余命を知りつつ再び自分を救う為に現れたという事を理解した。

これを拒絶するのは、成瀬に対する冒涜では無いか?そう考えたのです。
勿論杉下は成瀬を冒涜する気などありません。そうであるなら、自分は成瀬に救われてもいいのかもしれない。

これが後の魂の上昇のきっかけとなったのです。

参照
『キルケゴールの思想に対する証左』
『魂の解放』
『成瀬がN作戦2に協力することにした理由』
『N作戦2における杉下の魂胆』

2015年5月31日日曜日

杉下が西崎に言おうとしていた事

出所した西崎と再会したシーンで、「この十年には意味があった、有難う杉下」という西崎。
杉下はそれを受けて「私も似たようなこと言いにきたのに、先越されちゃった」と言います。
しかしそれは描写されず、結局なんであったのかは不明です。

杉下が言おうとしていた、似たような事とは?

これがずっと分からなかったんです。

当初これは杉下にとって十年がどのような意味を持ち、それについて西崎へ感謝する内容だと思っていたのですが、初期の杉下のN=成瀬、の頃その設問に意味を見出すことが出来ませんでした。

オフィシャルサイトの投稿の中にも、これについて私が納得出来る内容は有りませんでした。
俗に成瀬派といわれる立場の方達は、この問題についてほとんど触れていません。
逆に安藤派と呼ばれる方達の解釈では、安藤を守りきった10年でお互い良かったね、という物。
相互に納得出来ないんですよ。このシーン、やはり重要なんだと思っているので。

よって前提が間違っているのではと疑い杉下のN=西崎としたら意味を設定できるのでは?と考えを進めてきたんですが、結局西崎は究極の愛の相手として登場するものの、事件の時の杉下のN=成瀬で、事件発生後の杉下の十年に今持って満足な意味を見出せません。

これは、問題の設定が間違っているのではないか?と思い至りました。

よくよく考えると、西崎は杉下に対して十年を感謝しているのではないのです。その十年を与えてくれた杉下の罪の共有という名の偽証に対して感謝しているのです。

杉下側から西崎の行為を見た時、西崎が関係者の法的な罪を一人で負う事になったおかげで杉下のN=成瀬を守ることが出来た。その西崎の行為に感謝する、というのが正解なような気がします。
但し、これを描写してしまうのは後の事件の真相をバラすことにってしまいますので、〝先を越された〟として描写されなかったのだと。

しかし杉下の真意はもう一つ有ったと思うのです。それは最後に見せる涙に表現されています。

西崎に対する感謝の気持ちの裏側にある、西崎に対する謝罪の気持ちです。
杉下は西崎の罪を共有した訳では有りません。杉下自身のエゴイスティックな選択=成瀬の擁護の結果として偽証を行なった。ましてや事件を引き起こした原因がこれまた杉下の中の『究極の愛』という名のモンスター。それが西崎のN=奈央子が死んだ原因であり、西崎が服役する原因だという事に対する謝罪の気持ちです。

もう一つは西崎は杉下の〝究極の愛〟の相手です。当初杉下が目論んでいた形とは異なりましたが、ある意味その究極の愛は、完遂された訳です。それはつまり西崎との決別を意味します。杉下は自身が愛した男との決別に涙した。

このシーンの以上のような意味だと考えます。




 

2015年5月16日土曜日

N作戦2における杉下の魂胆

杉下が成瀬に抱えたトラウマの心理機構としての『究極の愛』は、ゴンドラの一件以降どうなったのでしょうか?

成瀬に対するトラウマ自体は解消されたのですが、この心理機構はしぶとく生き続け、それが向かう先を求め続けていたんです。
そして行き着いた先が、西崎だった。

投稿『杉下は西崎に何を観ていたのか』で検討した通り、杉下は西崎に心理的に寄り添っていました。それが成瀬が計画に協力する表明をした事と自身が成瀬へのトラウマが解消した事で一気にその心理機構が西崎に対する感情と結びついてしまったのです。
しかし一方で成瀬のトラウマを解消できた杉下には、この西崎に対する感情が何処か歪んでいる、という事も理解出来ていた筈です。西崎が成瀬を説得する際に話した〝歪んだ場所にいると歪んでいることにさえ気付かない〟の発言に反応していました。成瀬のトラウマが解消されたからこそ、その歪みに気づいたのです。

では成瀬に対してはどうだったのか。
成瀬に対しては、トラウマ形成前の、苦しいながらも共に野望を語り合った頃の感情の復活です。
成瀬との再開し、成瀬と過ごした楽しかった日々を思い出し、その頃と変わらぬ成瀬が愛おしくてたまらない。吊り橋を渡ると言ってくれた成瀬の当時と変わらぬ自分への気持ちも解った。
何としても再び成瀬とに関係を再開させる為、成瀬に自分の気持ちを猛アピールし、計画成功後に再び成瀬を自室に招く為に部屋を見回した。

 つまり、N作戦2に挑む際の杉下の魂胆はこうです。

西崎の奈央子救出(=人妻略奪という罪)に協力(=罪の共有)し、且つ自身の西崎に対する感情は、西崎が〝杉下の究極の愛の相手〟と思っている成瀬と自分の共同作業でカモフラージュ(相手にも知られず)した上で、作戦終了後には本気で成瀬と関係を再開させる(=西崎から黙って身を引く)

2015年5月14日木曜日

西崎の「罪って、どんな罪だ」に対する杉下の戸惑いの表情

杉下が成瀬の協力申し出に西崎の予定を確認したシーンで、成瀬が究極の愛の相手なんだろう、と西崎に勘付かれ、「罪ってどんな罪だ」と聞かれ、杉下は「それは言えない」と返しています。
この時、杉下の表情は固く、梯子を下りた後に成瀬のメールを見つめる表情も、どこか戸惑っている様でした。
明らかに結婚式や、その前の最初に成瀬が野ばら荘を訪れた際に見せた表情と異なります。
杉下はこの時、何をかんがえていたのでしょうか?

一つの可能性は、成瀬の気持ちがもしかして自分には無いのかも、という事を心配した事。
成瀬が『大事な人が…』の下を、自分以外の人だ、と取ったという説。オフィシャルサイトでも、この説を取っている論も有りましたが、これは先の投稿『杉下が成瀬の『気持ちはわかる』にどのような理由を観ていたのか』で否定されました。

二つ目の可能性はオフィシャルサイトでA様がその可能性に触れているのですが、杉下が実は放火の犯人では無いかもしれない、という事に気付いた為に、西崎が問うた罪の共有関係に自信が持てなかった、という説。
 確かにこのシーンだけ取れば論として成立しうるのですが、十年後成瀬がさざなみ放火事件で自分は犯人でない、杉下に伝えた時、杉下に落胆が起きるはずですが、杉下が見せたのは落胆では無く安堵でした。ですのでこれも違う。

そして最後に残る可能性は、一つ前の投稿『杉下の『究極の愛』の本当の意味』で検討した、成瀬に会ってはいけない、という心理的抑圧機構としての『究極の愛』に関する事。
杉下は成瀬が自身が定義する究極の愛の相手である事を自覚もしているし、西崎に否定もしていません。しかし島での再会以降、成瀬に〝会ってはいけない〟という心理作用が働いている様子は見られない。しきりに成瀬への接近を試みている。
私は究極の愛の定義で、罪の共有以上に、黙って身を引く、という部分に注目して物語を追っています。杉下のN=西崎説も、この〝黙って身引く〟部分に着目したが故のものです。罪の共有はしきりに出てきますが共有と共に究極の愛の定義上並び立つ〝黙って身を引く〟部分が意図的に触れられていないように見える。
ですので、私はこのシーンにおける杉下の戸惑いとは、以下だと判断しました。つまり、成瀬の気持ちが自分にあると判り、且つ自身の成瀬に対する恋愛感情をを自覚しているにも関わらず、究極の愛の相手である成瀬に対して、〝会ってはならない〟という心理作用が自分に湧かない事に対する杉下の戸惑い、です。成瀬のメールを見た事によって、自身の心理変化に気がつき、それに戸惑ったという事です。




2015年5月11日月曜日

杉下の『究極の愛』の本当の意味

杉下が自ら定義する究極の愛

〝罪の共有…共犯じゃなくて共有。誰にも知られずに相手の罪を自分が半分引き受けること…誰にもってのはもちろん相手にも…罪を引き受け、黙って身を引く〟

この定義は成瀬との関係性において形成されたものです。
さざなみ放火事件で成瀬が放火したと勘違いした杉下が、成瀬を守りたい一心で捜査機関に対して成瀬と一緒にいた、という嘘のアリバイ工作をし、且つ自分が成瀬との関係性において嘘を付くような間柄ではない、という演出をする為に成瀬との接触さえ断つ、という行為の経験から来ています。

杉下にとっての究極の愛とはなんだったのでしょうか。
オフィシャルサイトで注目すべきコメントが幾つか有りました。

桜さんのコメント
>>自分中に在る成瀬くんへの想いに、希美ちゃん自身が名付けた言葉が「究極の愛」

tomatotoさんのコメント
>>成瀬くんへの想いを昇華するため、黙って身を引くこと、罪の共有が究極の愛だと希美は自分に思い込ませた。

桜さんの成瀬への思いに対する命名という説に全く同感。tomatotoさんの杉下の心理作用を含めた説明にも、唸るものがあります。

このお二人のコメントを参考に、私なりの解釈を加えさせていただくと、こうなります。

『成瀬に会いたい、一緒にいたいという自身の気持を抑圧する方便、心理機構に杉下自身が命名したもの』が「究極の愛」

だととっています。

つまり成瀬が好きで会いたい、一緒にいたいにも関わらず、接触する事が成瀬の利益にならない。会えない、会ってはならない、というネガティヴな表現では杉下自身の気持ちが持たなくなる。よって積極的な表現が必要とされ、さも自らの意志としてそうしているんだ、という変換が必要だった為に杉下が無意識に生み出した心理上の防御機構だった、という解釈です。

少し前の投稿『杉下は西崎に何を観ていたのか』の中で、〝火で杉下を解放してくれた成瀬に心が縛り付けられる事となった〟と書いた理由は、ここにあります。

安藤がいみじくも『灼熱バード』の感想を求められた際、〝究極の愛、って言っている時点でヤバいでしょ〟と言っている通り、その西崎の問に答える杉下は、やはり無意識に成瀬に対するトラウマを抱えていたと取るのが正しいと思います。