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2015年12月5日土曜日

ドレッサーは早苗に対する罪意識と一番辛かった時期を呼び出すシンボル

ドレッサーは冷蔵庫と同じく『ドレッサーのトラウマ』という表現で一般的にはトラウマと理解されています。ですがこれも冷蔵庫と同じくで実はトラウマではないと思うんです。ドレッサーそのものが彼女に心的外傷を負わすものでは無いですよね。
ただ、冷蔵庫はあくまで彼女のストレス発散行為(大量の料理を作ってしまう、ヤケ食いならぬヤケ作り?)の結果ですが、ドレッサーは何がしか彼女の記憶を呼び出すシンボルだとは思います。
ではそれは何かというと?

一つの可能性としては島時代のドレッサーに関連した苦労という見方。具体的にはゆきのドレッサーを壊した上で父親に鏡の破片を向けた事。ドレッサーを壊した事を理由に食事を分けてもらう際にゆきに土下座を強要された事。母親の贅沢病の発作とそれに起因する経済的苦境及び母親の依存性による束縛。

でもこれは後に杉下自身が『父親も母親もあの女も…縛るものは誰もおらん』とさざなみの火を見て感じた訳で、彼女は自身の呪縛から解放された、ととっている。そうすると上記ではない事になる。

そうするとドレッサーとは何を呼び出すシンボルか?と考えると早苗に対する罪意識だと思うんです。象徴的なのが杉下が大学に受かった事を母親へ報告するシーン。ドレッサーの前でアルバムをめくる早苗に向かって『これからは一人でやって行くけん、お母さんも一人でやって』と告げる。つまり杉下は早苗を『捨てた』。これに対する罪悪感なんですね。
よく考えるとさざなみ炎上で以降、成瀬の1117Nチケットで野望の実現が成瀬との誓約になり、これまでの彼女の受け身での現実適応的行動が積極的手段に替わっている。母親への進学宣言であり、父親への公衆の面前での土下座がそれ。しかしその結果として彼女が抱えたのは母親への罪意識だったんです。
だから同窓会で島へ帰った時、遠目から明るく働く早苗を見て安堵しつつ、いざ彼女が目の前に現れる(早苗の野ばら荘訪問)と『会いたくないと訳やない』と言いつつ避けてしまう、という行動になったんです。
そして彼女は上記の発言の後に『島におるころに引き戻されそうで怖い』と言っている。
一見すると、苦労が呼び出されるから、と見えますがそれは上記で否定されていますから、苦労では無いんです。では彼女のいう島にいた時とはいつかというと、さざなみ炎上から島を出るまでの期間という事になる。
経済的的にも行き詰まり、心の支えであった成瀬とも距離をとらざるをえなくなり、挙句は母親さえ切り捨てざるを得なかった、絶対的な孤独な期間。彼女が本当に辛かったのはこの期間で、その時期を呼び出すシンボルでもあるんです。


参照
冷蔵庫のトラウマは存在しない
杉下が一番辛かった時期

2015年11月27日金曜日

冷蔵庫のトラウマは存在しない


よく、杉下について『冷蔵庫のトラウマ』と表現されるけど、それって間違い、誤解なんではないかな?

トラウマとは
外的内的要因による衝撃的な肉体的、精神的な衝撃を受けた事で、長い間それにとらわれてしまう状態。心的外傷が突如として記憶によみがえり、フラッシュバックするなど特定の症状を呈し持続的に著しい苦痛を伴えば、急性ストレス障害。

冷蔵庫自体が彼女の心的外傷ではないよね。冷蔵庫はあくまで結果。
冷蔵庫が一杯になるのは彼女が料理を大量に作るから。だから真の原因は彼女に大量の料理を作らせてしまう何か。

彼女が料理を作って冷蔵庫を満たすのは言わば『ヤケ食い』と同じ種類の行為だと思うんです。つまりストレスの発散行為。タッパーから、ゆきから食事をめぐんでもらう(土下座)と関連付けされているように思えますが、これもフェイクですね。

そうやってドラマを見返すと彼女がストレスから料理を作るシーンは
母親の贅沢病で支払に困り、自分のアルバイトの貯金に手を付けた後
それと西崎の不倫告白に対していきなり料理を始めた時(冷蔵庫描写は無し)
この二箇所です。
この時のストレス源は早苗さんと西崎。

でも彼女はゴンドラまでそのストレス発散行為が止まなかった。
ではそのストレス源とはなにか?というと、成瀬なんです。成瀬との誓約『野望の実現』
が彼女のストレス源だったんですね。

だからゴンドラで成瀬との誓約が実現したから、そのストレス源が解消し、ストレス発散行為が必要無くなった、というのがシンプルな解釈だと思います。

参照
ゴンドラで杉下が解放されたもの

2015年11月9日月曜日

杉下が希求していたもの

杉下が15年間、求め続けていたもの。それは『Home』。
余命宣告を受けて、成瀬に言った言葉。

『欲しいものはそんなにない…帰る家があって、それを誰にも取られなければ、それでいい』

ささやかであるのに、それでいて未だ手に入らないそれ。

英文科を専攻しながら建築会社へ拘って就職活動したのも、パートナーと住宅設計事務所を立ち上げたのも、誰かがHomeを得る助力をする事がそれを持たない自分にとっての代理行為と感じたから。決して父親の影響ではない。
でもそれが自らのHomeの獲得に繋がるわけも無く、ただひたすらに成瀬の『頑張れ!』を念仏のように唱え続けた。

彼女にとってのHomeは、お城でなく、幽霊屋敷でもない。それらはさざなみの火で焼き払われた。それは素の自分をなんら注文を付けず優しく受け入れてくれる場所。『いつも一緒にいてくれて、嬉しかった』成瀬。

しかしそのHomeたる成瀬が、殊杉下のとことなると簡単に崩れそうな吊橋を渡ってしまう。危険を顧みない。Homeである成瀬を失いたくない、それでいて最後の最後でその成瀬を頼りたくなる衝動。そのジレンマを解消するための『誰にも頼りたくない』

大切なHomeたる成瀬を守るために自らそのHomeと距離を取らざるをえない矛盾。満たされる事のない渇望と罪悪感と苛まれる絶望、限りある寿命。そしてリフレイン。

彼女が最後に望んだものはそんなHomeたる成瀬との奇蹟であったはずなのに、それさえも目の前にすると躊躇せざるを得ない恐れ。『甘えられん』

希求していたものにさえたじろぐ杉下という人物のいじらしさがとても好きです。

2015年10月25日日曜日

杉下の特徴と成瀬の関係性 その二

…続き

最後は『トラウマ』です。
杉下は成瀬のさざなみの真相の暴露に火で両親と父親の愛人が消えた、と成瀬に告げています。これはつまり彼らに連なるトラウマが火をつけたと思った成瀬に還元されていた、それらは成瀬を通じての関係であったとという事です。
実際に安藤のサプライズあるゴンドラの経験から杉下は『冷蔵庫』のトラウマから解放されました。
ゴンドラの経験で実現したのは、『水平線を見たい』(※元は“まっすぐな水平線”だったものが“高いところから見る水平線”に変質している)という野望です。これで杉下の全ての野望が実現した。この経験が冷蔵庫のトラウマを解消したという事は杉下の中では野望とトラウマがリンクしていて、その野望は成瀬に還元されているわけですから、実は杉下のトラウマも成瀬に対して還元されている事が判るのです。

トラウマが成瀬に対して還元されている例がもう一つあります。
早苗が野ばら荘を訪ねた際の杉下の反応です。この時杉下は最大のトラウマである母親の出現に『誰にも頼らず生きたい』といい、西崎の問いに『助けて、って思った人はいる。でも言えなくて』と答えています。つまりトラウマと『成瀬に助けて!といってはいけない(禁止)』がリンクしているんですね。

このように、杉下を特徴付けている『野望』、『誰にも頼らん!(頼れない)』および『トラウマ』は実は全て成瀬に対して還元されているんです。ですから彼女の行動意図及び判断、心理は全て成瀬に対する彼女の感情の影響を受けている、と考える必要があるんです。

参照先
杉下の野望の本質
杉下の『何もいらん!』の意味
島での出来事の還元先としての成瀬
ゴンドラで杉下が解放されたもの

fin

2015年10月24日土曜日

杉下の特徴と成瀬の関係性 その一

杉下にとっての成瀬とはいかなる存在であったのか?
これを改めて考えてみたいと思います。

杉下を特徴づけているのは『野望』に象徴される上昇志向、『誰にも頼らん』の独立心、そして冷蔵庫とドレッサーを代表とする『トラウマ』です。これらと成瀬がどのような関係にあるか考えます。

これらは全て両親及び父親の愛人との関係性から生じたものですが、実は全て成瀬に対して還元されているのです。

先ず『野望』からです。
杉下の野望の本質は高校生として出来る現実的対応以上のものを必要とされた反動、空想上の逃避先です。ですから本来島を脱出した時点で用無しになるはずのものだった。しかしそれ以降も彼女が野望実現に邁進したのは、バルコニーでの初心表明、Nチケットおよび頑張れエールでそれが成瀬との約束になったからです。つまり杉下にとって野望の実現は逢いたくても逢えない成瀬と自分との繋がりの確認行為だったのです。こうして野望は成瀬に対して還元されているのです。

次は『誰にも頼らん』です。
これは実は島での境遇から発生したものですが、実は成瀬に対する感情にすり替わっています。杉下が母親の妄動に切羽詰ってお城放火をしようとしました。それを成瀬が止め、代理放火しようとした。その際の成瀬の『俺に何が出来る?』に対する返答『なんもいらん!』がその後の彼女の独立心の根源なのです。
その翌日のさざなみ炎上とも関係するのですが、杉下はこの一連をみて、成瀬が自分との関係において、いとも容易く『今にも崩れそうな吊橋』を渡ってしまうのを見て、自身の救世主たる成瀬に対してさえ『頼ってはいけない』が刷り込まれたんです。ですから彼女の独立心は元の『誰にも頼らん(意思)』がこれ以後『誰にも頼れん(禁止)』になってしまった。こうして彼女の独立心は成瀬に対して還元されているんです。

続く…

2015年10月23日金曜日

島での出来事の還元先としての成瀬

あの火を見てたら父親も母親もあの女も消えてったんよ。
成瀬くんが火で私を救ってくれた…そう思った。

この杉下の成瀬に対する言葉は彼女の中での成瀬という存在がどのようなものであったのかをよく表していますね。
成瀬は彼女にとって解放者、救世主なんです。どうしようも無いしがらみから自分を解き放ってくれた存在なんですね。
それと同時に、父親も母親も父親の愛人も成瀬という存在を通しての存在となった。つまりその存在が成瀬に還元されたという事です。それがどういう意味かと言うと、これら三人及びその三人に繋がる色々な記憶、そしてトラウマが成瀬を通してのものとなったために殊人間に対する感情面で直接対峙しないで済むようになった、という事です。さざなみ以降少なくとも父親とその愛人に対しては直接的な感情の爆発は発生しませんでした。つまりそれは過去の事となったんです。
ですが一方で島でのすべての事が成瀬に還元されたが故に、成瀬に関する感情に伴いその都度島で味わった辛さなども同時に呼び出されるようになったはずです。

ただ、ここで重要なのはさざなみの火で、島での出来事が全て成瀬に還元されていたという事です。

のちにスカイローズガーデンが発生するのはこの当時究極の愛の対象から成瀬が外れていたためですが、それはゴンドラで杉下の冷蔵庫のトラウマが解消したからなんですね。つまり成瀬に島での出来事が全て還元されていたわけですから、島でのトラウマ解消はすなわち囚われとしての成瀬も解消された、という訳です。

参照
ゴンドラで杉下が解放されたもの

2015年7月18日土曜日

ゴンドラで瞬間記憶の描写がない事について


とある場所で、安藤に連れられて初めて乗ったゴンドラのシーンで、杉下に瞬間記憶の描写が無かった事の指摘が有りました。

私は気が付かなかったのですが、面白いネタなのでつまみ食いしてみます。

その方の論では、瞬間記憶は無意識で記憶して置かずにはいられない状況で瞬間記憶がなされる、というもの。で、問題のシーンは、杉下がそれを見る事を望んでいた景色であり、その景色は杉下が意識して記憶に止めようとしたであろう。だから瞬間記憶の描写は無かった、というものでした。

私は、瞬間記憶はキルケゴールの時間論の表現だったと取っています。キルケゴールによれば、瞬間とは『永遠が有限な時間に介入し何かを生成するその時』 です。
ドラマの中では、その後に何か新しい展開が始まる、もしくはそのきっかけの際に瞬間記憶が描写されていました。

そういった観点で改めてゴンドラのシーンを、ドラマ全体の中で位置付けて見るとどう見えるか?

あのシーンは野望ノートに記載された野望と関連します。
野望ノートに記載された杉下の野望は

バルコニーで演説する
豪華客船でアラブの富豪に出会う
真っ直ぐな水平線が見たい

この三つでした。

演説は成瀬が連れ出した早朝デートの際に実現しました。
富豪はダイビングのボートで野口夫妻と親しくなる事で実現。
で、最後に残った水平線がゴンドラで実現した。

つまり杉下が島時代に抱いた野望はこのゴンドラで全て達成されたのです。

で、ここで問題にしたいのは杉下の野望の性格です。
公式サイトでしのぶ様が1月14日に指摘していますが、『杉下の野望は実は空っぽ』なのです。

いみじくも杉下自身が成瀬に語っている通り、『つまらん現実に押し潰される』事に抗うための方便でしかなかった。

だから全ての野望がゴンドラの時実現したものの、その次が存在しない、新たな何かが生まれる事がない。ある意味終局。だから瞬間記憶が描写されなかったのです。

島時代のトラウマから解放されたものの、空っぽの野望の先が展望されない、だから瞬間記憶が描写されなかったのです。

で、ここにいたり、一つ発見があります。
このシーンで何も展望がない、故に瞬間記憶が描写されなかった、という事は、実はこの時すでに杉下は安藤との間に先の未来を見ていない、という事です。

よくこのシーンは安藤への気持ちを表すもの、というコメントを見ましたが、実は安藤とはその先を杉下は見ていなかったんですね。

参照
キルケゴールの思想に対する証左
ゴンドラで杉下が解放されたもの

2015年6月8日月曜日

杉下にとっての成瀬の存在


成瀬はよく〝月〟に例えられていましたよね。安藤が太陽で、成瀬が月。太陽が沈んでいる間の暗い時間も常に杉下に寄り添う、というニュアンスですかね。

でも、この例え、私はしっくりこなかったんです。もっとも、自分に代わりになる例えがあったわけでは無いんですが。

基本的に描写やセリフから何かを読み取ろう、といスタンスはとっていません。あくまで謎解きとして、各キャラクターが何を知り得て、どう行動し得るか、というのを至ってロジカルに分析してゆく、というのが自分のスタンスですが、時にはこんな問題も考えてみたくなります。

で、ここまで色々と考えを巡らしてきて、現段階で杉下にとっての成瀬とはどのような存在だったのか、を一言で表すなら、私は〝灯火〟だと思っています。

ある時は杉下に暖を与える焚火として
(好奇な視線で孤独に陥っていた杉下に、変わらず接した事)

ある時は杉下を縛るものを焼き払う業火として
(さざなみの家事で父親、母親、父親の愛人を焼き尽くしてくれた事ーー勘違い)

ある時は道を見失いそうな杉下に道を示す篝火として
(母親の錯乱に心が折れかけていた時に野望を語り、早朝デートに連れ出してくれた事)
(奨学金を成瀬に譲ってしまい、母親に部屋に閉じ込められて進学を諦めかけた時に成瀬のチケットに勇気付けられた事)

ある時は自ら掲げて杉下を暗闇から救い出すための松明として
(杉下の自宅への放火を阻止した事)
(スカイローズガーデンで窮した杉下の元に駆け付け、偽証を指示した事)
(悪魔的絶望にある杉下を迎えに行った事)

こうやってみると、多少強引とも感じますが、杉下のポイントポイントで成瀬はその有り様を変えつつ、灯火として存在したのかな?と思います。

こう感じるのは実は杉下と西崎の関係性を意識しています。
西崎は火で母親に縛り付けられていました。トラウマです。
一般的には杉下はさざなみで自分を縛るものから解放された、と理解されています。それは間違いないと思いますが、実はそれを契機に今度は火で成瀬に縛り付けられていたのではないか?それが杉下が西崎に心理的に引き寄せられた事情なのでは?と最近考えています。
当初は杉下と西崎は対照関係にあると思っていたのですが、実は同類かも、と思っているのです。

これは又別の機会に考えてみようと思っています。

2015年5月16日土曜日

N作戦2における杉下の魂胆

杉下が成瀬に抱えたトラウマの心理機構としての『究極の愛』は、ゴンドラの一件以降どうなったのでしょうか?

成瀬に対するトラウマ自体は解消されたのですが、この心理機構はしぶとく生き続け、それが向かう先を求め続けていたんです。
そして行き着いた先が、西崎だった。

投稿『杉下は西崎に何を観ていたのか』で検討した通り、杉下は西崎に心理的に寄り添っていました。それが成瀬が計画に協力する表明をした事と自身が成瀬へのトラウマが解消した事で一気にその心理機構が西崎に対する感情と結びついてしまったのです。
しかし一方で成瀬のトラウマを解消できた杉下には、この西崎に対する感情が何処か歪んでいる、という事も理解出来ていた筈です。西崎が成瀬を説得する際に話した〝歪んだ場所にいると歪んでいることにさえ気付かない〟の発言に反応していました。成瀬のトラウマが解消されたからこそ、その歪みに気づいたのです。

では成瀬に対してはどうだったのか。
成瀬に対しては、トラウマ形成前の、苦しいながらも共に野望を語り合った頃の感情の復活です。
成瀬との再開し、成瀬と過ごした楽しかった日々を思い出し、その頃と変わらぬ成瀬が愛おしくてたまらない。吊り橋を渡ると言ってくれた成瀬の当時と変わらぬ自分への気持ちも解った。
何としても再び成瀬とに関係を再開させる為、成瀬に自分の気持ちを猛アピールし、計画成功後に再び成瀬を自室に招く為に部屋を見回した。

 つまり、N作戦2に挑む際の杉下の魂胆はこうです。

西崎の奈央子救出(=人妻略奪という罪)に協力(=罪の共有)し、且つ自身の西崎に対する感情は、西崎が〝杉下の究極の愛の相手〟と思っている成瀬と自分の共同作業でカモフラージュ(相手にも知られず)した上で、作戦終了後には本気で成瀬と関係を再開させる(=西崎から黙って身を引く)

2015年5月15日金曜日

ゴンドラで杉下が解放されたもの

安藤にサプライズで乗せてもらったゴンドラで杉下は価値観の変化が発生し、トラウマから解放されました。

「世界は広いんだな、とわかったら冷蔵庫の隙間ぐらいどうって事ない」と冷蔵庫へのトラウマが解消されました。そして野ばら荘の大家から「辛いことは忘れる事」と諭され、涙します。
この、「辛いことは忘れる事」に実は成瀬に会いたくても会えない、会ってはいけないという感情に伴う辛さも含まれる。これ以降、事件までの期間杉下はチケットを手にしていません。この感情(成瀬に対するトラウマ)が払拭された事により、後にN作戦2の際に成瀬に感じた感情の戸惑いが発生する事になったんです。

この時の価値観の変化は、他にも影響を与えています。
杉下は世界を「広い」と感じ且つそれが自分の足元とつながっている、と認識しました。
それまで杉下の世界観は、『上に行く』と言っていた通り、階層構造である意味一次元的なものだったのですが、広さとして認識された時自らのいる世界が二次元として認識出来たのだと思われます。
で、この認識に至った際、杉下はたじろいたんです。「怖くない?」と安藤に聴いている。そして更には、自分の限界に気づいた。自分が怖いと感じた世界に挑もうとする安藤に後に「日本じゃ勝ち目はない」と言っています。

人は世界が広いと認識できた時、そしてその広い世界の中で自分という存在がちっぽけなものであると気づいた時に、自分の根っこ、アイデンティティー、本質を再認識します。

ですから、これ以降スカイローズガーデン殺人事件までの期間は、杉下のかなり素が出ている期間です。



2015年5月11日月曜日

杉下の『究極の愛』の本当の意味

杉下が自ら定義する究極の愛

〝罪の共有…共犯じゃなくて共有。誰にも知られずに相手の罪を自分が半分引き受けること…誰にもってのはもちろん相手にも…罪を引き受け、黙って身を引く〟

この定義は成瀬との関係性において形成されたものです。
さざなみ放火事件で成瀬が放火したと勘違いした杉下が、成瀬を守りたい一心で捜査機関に対して成瀬と一緒にいた、という嘘のアリバイ工作をし、且つ自分が成瀬との関係性において嘘を付くような間柄ではない、という演出をする為に成瀬との接触さえ断つ、という行為の経験から来ています。

杉下にとっての究極の愛とはなんだったのでしょうか。
オフィシャルサイトで注目すべきコメントが幾つか有りました。

桜さんのコメント
>>自分中に在る成瀬くんへの想いに、希美ちゃん自身が名付けた言葉が「究極の愛」

tomatotoさんのコメント
>>成瀬くんへの想いを昇華するため、黙って身を引くこと、罪の共有が究極の愛だと希美は自分に思い込ませた。

桜さんの成瀬への思いに対する命名という説に全く同感。tomatotoさんの杉下の心理作用を含めた説明にも、唸るものがあります。

このお二人のコメントを参考に、私なりの解釈を加えさせていただくと、こうなります。

『成瀬に会いたい、一緒にいたいという自身の気持を抑圧する方便、心理機構に杉下自身が命名したもの』が「究極の愛」

だととっています。

つまり成瀬が好きで会いたい、一緒にいたいにも関わらず、接触する事が成瀬の利益にならない。会えない、会ってはならない、というネガティヴな表現では杉下自身の気持ちが持たなくなる。よって積極的な表現が必要とされ、さも自らの意志としてそうしているんだ、という変換が必要だった為に杉下が無意識に生み出した心理上の防御機構だった、という解釈です。

少し前の投稿『杉下は西崎に何を観ていたのか』の中で、〝火で杉下を解放してくれた成瀬に心が縛り付けられる事となった〟と書いた理由は、ここにあります。

安藤がいみじくも『灼熱バード』の感想を求められた際、〝究極の愛、って言っている時点でヤバいでしょ〟と言っている通り、その西崎の問に答える杉下は、やはり無意識に成瀬に対するトラウマを抱えていたと取るのが正しいと思います。