2015年5月31日日曜日

杉下が西崎に言おうとしていた事

出所した西崎と再会したシーンで、「この十年には意味があった、有難う杉下」という西崎。
杉下はそれを受けて「私も似たようなこと言いにきたのに、先越されちゃった」と言います。
しかしそれは描写されず、結局なんであったのかは不明です。

杉下が言おうとしていた、似たような事とは?

これがずっと分からなかったんです。

当初これは杉下にとって十年がどのような意味を持ち、それについて西崎へ感謝する内容だと思っていたのですが、初期の杉下のN=成瀬、の頃その設問に意味を見出すことが出来ませんでした。

オフィシャルサイトの投稿の中にも、これについて私が納得出来る内容は有りませんでした。
俗に成瀬派といわれる立場の方達は、この問題についてほとんど触れていません。
逆に安藤派と呼ばれる方達の解釈では、安藤を守りきった10年でお互い良かったね、という物。
相互に納得出来ないんですよ。このシーン、やはり重要なんだと思っているので。

よって前提が間違っているのではと疑い杉下のN=西崎としたら意味を設定できるのでは?と考えを進めてきたんですが、結局西崎は究極の愛の相手として登場するものの、事件の時の杉下のN=成瀬で、事件発生後の杉下の十年に今持って満足な意味を見出せません。

これは、問題の設定が間違っているのではないか?と思い至りました。

よくよく考えると、西崎は杉下に対して十年を感謝しているのではないのです。その十年を与えてくれた杉下の罪の共有という名の偽証に対して感謝しているのです。

杉下側から西崎の行為を見た時、西崎が関係者の法的な罪を一人で負う事になったおかげで杉下のN=成瀬を守ることが出来た。その西崎の行為に感謝する、というのが正解なような気がします。
但し、これを描写してしまうのは後の事件の真相をバラすことにってしまいますので、〝先を越された〟として描写されなかったのだと。

しかし杉下の真意はもう一つ有ったと思うのです。それは最後に見せる涙に表現されています。

西崎に対する感謝の気持ちの裏側にある、西崎に対する謝罪の気持ちです。
杉下は西崎の罪を共有した訳では有りません。杉下自身のエゴイスティックな選択=成瀬の擁護の結果として偽証を行なった。ましてや事件を引き起こした原因がこれまた杉下の中の『究極の愛』という名のモンスター。それが西崎のN=奈央子が死んだ原因であり、西崎が服役する原因だという事に対する謝罪の気持ちです。

もう一つは西崎は杉下の〝究極の愛〟の相手です。当初杉下が目論んでいた形とは異なりましたが、ある意味その究極の愛は、完遂された訳です。それはつまり西崎との決別を意味します。杉下は自身が愛した男との決別に涙した。

このシーンの以上のような意味だと考えます。




 

1 件のコメント:

motoさん さんのコメント...

この西崎の発言を「感謝」という意味合いで取っていると、事の本質が見えてこないんですね。そして、スカイローズガーデンでの各人の行動、原因、結果を理解できないと、二人の会話の真意が見えてこないと思うのです。

西崎の「ありがとう」は、杉下に対する謝罪ととった方がいい。
西崎は自分のエゴ(奈央子を殺人犯にしない、自分が殺人犯になる)を押し通しました。その結果は杉下の余命宣告です。これは彼からしたら贖罪の対象です。その気持ちがあったからこそ、彼は杉下を支援(金銭の送付)しようとしたのです。ですから、ここは感謝の言葉を使っていますが、彼の真意は杉下への謝りの言葉『ごめんなさい』と理解するべきなのです。

西崎の言葉の真意が理解できれば、杉下の”似たような事”も理解できます。つまり杉下は西崎の『ありがとう』を『ごめんなさい』と取った。そして杉下も西崎に対して謝罪に来たのだ、と理解できます。

この杉下の行動が謝罪だと気づくには、スカイローズガーデンの全体をちゃんと理解できないと、判らないと思います。
1つはスカイローズガーデンの計画の発案者は杉下です。そしてその発案の動機が自身の子供じみた『究極の愛』の実践から出たものであったからです。
2つ目は野口に作戦をばらした点です。彼女なりのその場での事情があったにせよ、彼女があのタイミングで野口に作戦をばらさなければ、事件にならなかったのです。しかもそのバラした理由も、杉下が安藤の『僻地行き』を左遷と勘違いし、それを阻止しようとしたのが発端です。
三つ目がスカイローズガーデンでの偽証です。西崎が望んだ事とは言え、杉下は成瀬を護る為に西崎を言わば切り捨てた。その為西崎は罪人として服役する事となったわけです。

これだけ杉下には西崎に謝らなければならない事情がある。
このような訳で、彼女は西崎に謝罪する必要があった、だからこそ西崎の言葉を”謝罪”ととったのです。