2015年5月29日金曜日

困った

このブログ、本当は杉下のN=西崎、を立証する為に立ち上げたのに、考察を推し進めた結果が再び杉下のN=成瀬、という当初の持論に舞い戻ってしまいました。

何処かで、論理の取り違いやジャンプをやってしまったかな?
やってないと思うんだけど。

確かに杉下のN=西崎として捉えると、今まで見えてなかったものも見えてきて、決して間違っていないと思うんですが。
例えば、なんで成瀬が作戦に参加したのか、とか。何故杉下が西崎に協力するのかとか。杉下のN=成瀬、としてしか物語を見ていなかった頃には必ずしも意味が明確で無かった部分もクリアになり、より物語の見通しが上がったのは確かなんです。

で、ずっと疑問に思っていた罪の共有が実は共謀であり、一般に流布している論を脱却出来た。
杉下のN=成瀬を脱却出来る、よし!これで杉下のN=西崎に届く!と思っていたんですが…

その直後に、やっぱりN=西崎では杉下には偽証が出来ない、という結論が待っていた。

もともと杉下のN=西崎のアイデアは、杉下にとっての10年に、N=成瀬では意味を持たせる事が出来なかったからなんです。当初の理解ではこれがクリア出来なかった。そこでN=西崎とすると〝究極の愛〝の定義にも合致するし西崎に対する微妙な描写にも気が付けて、これなら行けそう、と踏んで、論を展開したんですが…

今なら杉下の10年に、意味を持たせる事が出来るのかな?

2 件のコメント:

motoさん さんのコメント...

杉下が偽証した理由、それは杉下のNが一番傷つかない方法を選択した結果です。
杉下が傷つけたくなかったNは誰だったのか?がこのドラマを解く入り口であるのです。

スカイローズガーデンにおいて、初見では杉下は安藤を庇ったように見えます。しかし安藤を庇った行為については、心中が発生した前と後では、操作機関に対する偽証という観点で見た時の評価も異なりますので、一連の行動を一括して杉下のNが安藤とは評価しがたい。また一見彼女が安藤を庇ったと見える行動も、よくよく考察すれば全てが杉下のN=安藤とせずとも説明が可能なのです。

このことを説明しても、他の人には理解してもらえないんですね。ドラマの流れとしては、安藤の対抗馬は成瀬になるのですが、成瀬は事件時部屋の外ですから素直に杉下のNが成瀬、とは設定がしがたい。その為どうしても杉下のN=安藤に見えてしまう。

杉下の究極の愛について少し考えが進むと、杉下のN=西崎という可能性に気づきます。論理的には西崎が愛する奈央子を犯人にしたくない、そのために自分が犯人になる選択を後押しする事は、”愛する人が一番傷つかない方法”と言えなくはない。
私が当初杉下のN=西崎論を取ったのは、この点です。彼女の「究極の愛」の定義から導きされる、彼女が究極の愛のための行動を取ったとしたらそれは隠蔽された形で表現されるものである、という仮定に西崎であればマッチするのです。

この結論に至る人が他にいるかな?と当時いろいろな考察などを読んだんですが、どうもこれに気づいた人が他にいないようなんですよね。これは意外でした。確かに杉下と成瀬の関係性についてはある種の親近性を感じていた方はいらっしゃるんですが、「究極の愛」と杉下のNのある種の論理的結合による、西崎説は見つけられませんでした。
これはやはりハードルが高いみたいです。事実私自身がこのアイデアに気づいた事がこのブログを始めたきっかけでしたから。

ですが結局杉下のN=成瀬と結論付けたのは、杉下が偽証を受け入れたタイミングが決め手でした。杉下が偽証を受け入れたのは、成瀬が状況に加わった後です。
もし杉下のNが西崎であるなら、彼が杉下に偽証を要求した段階で受け入れたはずですが、彼女はそれを拒否しています。成瀬が状況に加わったが故に彼女は偽証を受け入れた。それが彼女のNが西崎か成瀬かを判断する決め手です。

motoさん さんのコメント...

この当時、杉下の10年に意味を持たせる事で困っていたのには理由があるんですね。
”この10年には意味があった”は西崎が杉下に語った言葉ですが、杉下のNが西崎であるなら、この10年は杉下にとっても彼女の西崎に対する”究極の愛”の完遂であり、それは意味があった、と言えると思うのです。

ですが、スカイローズガーデンでの杉下のNが西崎でない、成瀬であった訳で、そうすると杉下の10年は彼女にとってどんな意味を設定できるのか?と考え込んでしまうんですよね。
この問いが、スカイローズガーデンでの成瀬に対する杉下の外鍵隠蔽依頼から二人の再開までの関係を徹底的に再考するきっかけを与えてくれた問いでした。