この時、杉下の表情は固く、梯子を下りた後に成瀬のメールを見つめる表情も、どこか戸惑っている様でした。
明らかに結婚式や、その前の最初に成瀬が野ばら荘を訪れた際に見せた表情と異なります。
杉下はこの時、何をかんがえていたのでしょうか?
一つの可能性は、成瀬の気持ちがもしかして自分には無いのかも、という事を心配した事。
成瀬が『大事な人が…』の下を、自分以外の人だ、と取ったという説。オフィシャルサイトでも、この説を取っている論も有りましたが、これは先の投稿『杉下が成瀬の『気持ちはわかる』にどのような理由を観ていたのか』で否定されました。
二つ目の可能性はオフィシャルサイトでA様がその可能性に触れているのですが、杉下が実は放火の犯人では無いかもしれない、という事に気付いた為に、西崎が問うた罪の共有関係に自信が持てなかった、という説。
確かにこのシーンだけ取れば論として成立しうるのですが、十年後成瀬がさざなみ放火事件で自分は犯人でない、杉下に伝えた時、杉下に落胆が起きるはずですが、杉下が見せたのは落胆では無く安堵でした。ですのでこれも違う。
そして最後に残る可能性は、一つ前の投稿『杉下の『究極の愛』の本当の意味』で検討した、成瀬に会ってはいけない、という心理的抑圧機構としての『究極の愛』に関する事。
杉下は成瀬が自身が定義する究極の愛の相手である事を自覚もしているし、西崎に否定もしていません。しかし島での再会以降、成瀬に〝会ってはいけない〟という心理作用が働いている様子は見られない。しきりに成瀬への接近を試みている。
私は究極の愛の定義で、罪の共有以上に、黙って身を引く、という部分に注目して物語を追っています。杉下のN=西崎説も、この〝黙って身引く〟部分に着目したが故のものです。罪の共有はしきりに出てきますが共有と共に究極の愛の定義上並び立つ〝黙って身を引く〟部分が意図的に触れられていないように見える。
ですので、私はこのシーンにおける杉下の戸惑いとは、以下だと判断しました。つまり、成瀬の気持ちが自分にあると判り、且つ自身の成瀬に対する恋愛感情をを自覚しているにも関わらず、究極の愛の相手である成瀬に対して、〝会ってはならない〟という心理作用が自分に湧かない事に対する杉下の戸惑い、です。成瀬のメールを見た事によって、自身の心理変化に気がつき、それに戸惑ったという事です。
1 件のコメント:
ここも今の解釈は違いますね。
これについては、こちらでコメントした内容が現在の解釈です。
https://ronkouforn.blogspot.com/2015/05/blog-post_11.html?showComment=1697340722365#c6484024491939647882
彼女の戸惑いは、成瀬に自身の感情(=西崎に対する気持ち)がばれた事、そのうえで成瀬との関係をこの後どうするのか、について考えがまとまっていない事による同様だと考えています。
一つこの投稿を見て思いついたのですが、この時杉下は西崎に対して成瀬が「罪の共有」の相手である事を隠そうとしていない心理はどこから来ているのか?という点は改めて考えていいポイントかもしれません。
それと、もう一つ。なぜこの時西崎は成瀬が杉下の「罪の共有」の相手と気づけたのでしょうか?
この二つ、今まで考えたことなかったな
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