私が『杉下のN=安藤』を取らない理由の第一論点です。
杉下が行った、安藤の僻地赴任阻止の行動の源泉は何か?です
杉下の行動目的は安藤の僻地赴任阻止です。
ですが、問題は『杉下のN=安藤』で無ければ、この行動が説明出来ないのか?
『杉下のN≠安藤』でも同じ行動が説明し得るのではないか?が問題なのです
俗に言う安藤派の方にとっては、杉下の安藤に対する恋愛感情の発露そのもの。
成瀬派と呼ばれる方には、杉下にとっての安藤は杉下自身の上昇志向の分身、代理的な存在。だから野口に激しく抵抗した、といった解釈です。洋介の分身説(弟分)もありました。
私はちょっと違う角度からアプローチします。
杉下は島時代に、何と闘っていたのか?何にもがいていたのか?です。
私は杉下の島時代は『大人の身勝手さ、自分の手の届かない処で本人の努力に関係なく人の将来が閉ざされる事への抵抗(レジスタンス)と脱出(エクソダス)』の時代と取っています。
父親の身勝手から経済的に困窮し、それでも頑張って貯めたアルバイトの貯金は生活能力皆無な母親のために吐き出さざるを得なくなった。大学に行きたいという希望は父親がにべもなく拒否し、母親は自分本位に杉下を縛り付けようとする。
こういったものと杉下は闘っていた。
ですから杉下には『本人の努力の外の力による、人の将来を弄ぶ行為及び人』全般に対する激烈な反発心があったと考えていいと思います。それは対象が本人か他人か、それを行う人が誰かに関係なく。
杉下の上昇志向は本人自身がそこから抜け出す為に自らを鼓舞する必要から形成されたもの、ある意味結果です。
ですので野口に対する杉下の激しい抵抗は、それが安藤との関係性における発露という見方より、杉下の原体験からの直接的な発露と取ったほうが、シンプルに理解できます。
このように理解すれば、杉下が安藤に抱いていた感情という、ちょっとした演出でどのようにもとり得る不確かな議論を経ずとも、このときの杉下の行動が説明出来ますし、より杉下という人物の根底に迫った理解が出来ます。
ですので、この安藤の僻地赴任阻止行動が『杉下のN=安藤』の論拠とはなり得ないのです。
ただし注意頂きたいのは、この時の杉下は野口の『僻地行き』の意味を誤解していた、という点です。
参照
『杉下のN=安藤』を採用しない理由
みんな『安藤の僻地行き』の意味を取り違えている
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