2015年10月15日木曜日

杉下と成瀬 相互を縛り付けているもの

最近、杉下と成瀬を相互に結び付けているものについて、以前とはちょっと違う感覚を持っています。

勿論、二人を直接的に繋いでいるのはさざなみにおける偽証ですが、お互いがお互いに強く縛り付けているものは相互に違うように思います。

二人を相互に強く縛り付けているものは、それぞれに対する罪の意識だと思うんです。

杉下は自分がお城への放火をしようとした事が成瀬のさざなみへの放火の導火線となった、という成瀬に対する罪の意識。
成瀬はさざなみ放火について父親を護りたいが故に杉下の勘違いとそれに伴う偽証を利用し、且つそれをずっと杉下に正さなかった事に対する罪の意識。

確かにその両者を繋いでいるのはさざなみに関する偽証ではあるけれど、その実際は偽証について罪(嘘)を共有したわけではない。杉下は共有したと思っていたけれど、それは勘違いだったわけです。結局二人は罪を共有した訳ではなくって、それぞれがそれぞれに抱えている罪の意識が故に相互に縛り付けられていた。

二人の辛さの根本であるその相互の縛りが、最後まで二人の繋がりを保ち続け至福へと導いた決め手であったと思うと複雑です。

本当にテーマソングのタイトルが『Silly』である、という事の意味が重く感じられます。

2 件のコメント:

しのぶ さんのコメント...

>二人の辛さの根本であるその相互の縛りが、最後まで二人の繫がりを保ち続け~
ここですよね。この一文涙してしました。全般通して切ない感じも重たさも、「だから」なんじゃないですか。
TBSチャンネルの再放送で昨日1年ぶりくらいに第1話を見ることができたんです。録画保存していたのは2話からだったもので。希美は父に追い出された強烈な出来事があった後に成瀬に好意を寄せているんですよね。放火事件がなければ二人は初恋だけに留まっていたのかもしれないし、希美のトラウマは家庭、家族のみに絞られ、「愛」にまで縛られることもなかった…、おそらく。成瀬自身が希美のトラウマだった、というmotoさんの御説、物凄く納得してしまうというか、この辺りは自分の経験とか振り返ってみると悲しいほどに合点がいってしまいます。
ただ「罪の意識」に関してはmotoさんの御意見のすべてはまだのみ込めてはいません。成瀬はともかく、希美はさざなみの火を見ながら、成瀬が本当に、現実に代理放火してくれた、という不謹慎な喜びもあったと思うので。だから「罪の共有」というシステムが成立したのではないでしょうか。

motoさん さんのコメント...

しのぶさん、こんばんは

コメント有難うございます。
さざなみの火を見ての杉下の感情は表現の仕方の問題ですね。
彼女は燃える火を見て『自分を縛り付けているものからの解放』を感じた。その開放感を『不謹慎な歓び』とするか『解放者への畏怖、尊敬、歓喜』ととるかは微妙な部分です。
しかしそれが仮に『不謹慎な歓び』であったとしても、その『不謹慎』が成瀬に対する罪意識とも言えるのでは?
私はさざなみの火で成瀬は杉下の中で『解放者としての神性』を帯びたという取り方です。ですので杉下にとってはそれ以前の辛い記憶、トラウマもこれ以降成瀬に還元されて杉下に刻まれたと取っています。
ですので杉下の罪意識とは『救世主たる成瀬に救世主たらしめる事になった罪』意識だという理解です。
そしてこの意識が杉下の『誰にも頼ってはいけない(禁止)』意識の根源だと取っています。バルコニーでの『誰にも頼らん(意識)』は母親への反発心から形成されたものですが、それは一旦この火で解消して、『誰にも頼ってはいけない』が新たに形成された。それを演出上さも杉下の独立心は親に対するトラウマ、とカモフラージュされてラストシーンの解釈を混乱させているのかな?という感じです