今日は早出のシフトで、夜間シフト者からの引き継ぎを済ませたところだ。この時間は店内の清掃や営業の準備の時間で、私もフロント周りの整理や、今日の宿泊や食事の予約を確認する時間だ。伝票類の整理をしていると、エントランスから赤い大きなスーツケーズを引いた人が入ってくるのに気付いた。
「今日の宿泊をお願いしたいんですが」
「はい」と返事をして来店客をプロファイリングする。〝女性、一人、長身、歳の頃は三十ほど…〟
私はもしやと想い、尋ねた。
「お名前をお伺いさせて下さい」
「杉下希美です」
〝やっぱり!〟私は思わずその言葉を発しそうになったのをすんでで飲み込んだ。
〝ちょっと早過ぎましたよね〟という彼女に
「杉下さんがいらっしゃられたら、宿泊の手続きより先にシェフに連絡しろ、と言われています。仕入れの準備で外に居るはずです」
彼女は大きく眼を見開き、小さく『え?』と呟いた。
「荷物はお預かり致しますので、テラスでお待ちください。シェフ、ずっと杉下さんの事をお待ちでしたよ」
彼女は私を不思議そうに暫し凝視した。私は自分が若干顔を赤らめているのが分かった。彼女の大きくキラキラした瞳で見つめられると、女の私でもドキドキした。〝この瞳で見つめられたら、男の人はみんな惚れちゃうだろうな〟と思った。
彼女が〝彼から何かお聴きですか?〟と聴くので、〝いいえ、特別には〟と小さな嘘を一つ入れた。シェフに振られたことをわざわざ彼女に言う必要はない。
彼女のスーツケーズを預り、テラスまでの小径を案内した。彼女は再びエントランスを出て、テラスに向かいゆっくりと歩き出した。彼女は出際に微笑み『ありがとう』と島言葉で言ってくれた。
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